第9話 迫られる決断のとき
「どろぼ──真由美様、それだと翔吾様の邪魔になるだけだよ。やっぱり、真由美様じゃ、荷が重かったようね」
「ねぇ、桔梗、今なんて言おうとした? 泥棒猫とかまた言いそうになったよね? 私は断じて泥棒猫なんかじゃないのにっ」
「聞き間違いじゃないかな。どろ──真由美様は耳が遠くなっちゃったのかなっ」
「あーっ、また言ったー! ねぇ翔吾ー、桔梗がいじめてくるよー」
泣きながら翔吾に抱きつく真由美。あまりにも自然な動作に桔梗ですら反応できない。当然偽りの涙であり誰にでもすぐ分かりそうなもの。疑う心を持たない翔吾だけは信じてしまい、真由美の頭を優しく撫でた。
偽りの泣き顔はデレ顔へと変わっていく。
桔梗を横目で見ながらあっかんべーで挑発する。
満足した真由美は翔吾の肩に顔を埋めた。
混沌とした夕食も終わり桔梗が片付けていると、手持ち無沙汰な翔吾が手伝いにやってきた。
「桔梗、僕も手伝うよ」
「これは桔梗の役目だよ。だから、翔吾様は休んでいてね」
「でも何かやってた方が落ち着くんだよね」
「そこまで言うなら分かったよ。それじゃ洗うのをお願いするねっ」
役割分担で後片付けする後ろ姿は新婚のようにも見える。少なくとも翔吾は意識していないが、桔梗の口元は微かに微笑んでいた。
「翔吾様、夕食の味はどうだった?」
「最高に美味しかったよ。味付けもバッチリだったし、それに、賑やかな食卓もいいものだね」
いつもひとりで静かに食べるのが翔吾の日課。桔梗とは会話どころか接する事はほとんどない。父親は研究所に籠りっきりで、一緒に食事したのは遠い昔の出来事。
唯一賑やかな食卓と言えば、真由美の家でご馳走になる時だけ。滅多にないがつい先日のような明るさがあった。
ほんの少し前の記憶。
日常が一瞬で崩壊してしまった。
頭の中に展開された映像で、翔吾は急に真由美の両親が心配になった。危害を加えるつもりはないとはいえ、会いたい時に会えないと不安が増すもの。寂しさと悲しさが心の中で溢れかえり、翔吾は悪夢から一刻も早く目覚めたかった。
「おじさんとおばさんは大丈夫かな……。いつになったら前のような生活に戻れるんだろ」
「翔吾様、大丈夫だからね。絶対に大丈夫なんだから……。だからね、あまり思い詰めたらダメだよ?」
翔吾から何かを感じ取った桔梗が背後から優しく抱きしめる。懐かしさを感じる温もりに、翔吾の瞳から涙が自然とこぼれ落ちた。
必ず元の生活に戻れるはず──雨の中で翔吾はその言葉を心の奥に深く刻みつけた。
洗い物も終わり早めに寝ようとする翔吾。空き部屋は多くあり、そのうちのひとつで就寝準備の真っ最中。ゆっくりひとりで眠れると思っていたが、現実はそう甘くなかった。
「翔吾様、いつAIドロイドが襲ってくるか分からないからね。桔梗が添い寝で守ってあげるから」
「守るだけなら添い寝の必要なんてないじゃないの。だいたい、翔吾の隣は私だけの特等席なんだからっ。その方が翔吾だって安心するのっ!」
なぜか翔吾が寝ようとしている部屋で言い争う真由美と桔梗。二人が同時に乱入したのはわずか数秒前。突然すぎる事態に翔吾は固まっていた。
「まゆ──泥棒猫さんは黙っててよね。桔梗は翔吾様だけのAIドロイドなんだから。泥棒猫さんは自分の部屋でひとり寂しく寝てて欲しいかな」
「桔梗……。ついに隠さなくなったね。誰が泥棒猫よ、だ、れ、がっ! 翔吾! もちろん隣は私を選ぶよねっ?」
「寝言は寝てから言ってよね。翔吾様は桔梗を選ぶに決まってるもん」
真由美は瞳を潤わせながら可憐さをアピールする。負けじと誘惑する瞳で翔吾に迫る桔梗。二人からの同時攻撃に翔吾の石化が一瞬で解けた。
ひとりでゆっくり眠りたかった。
激動の一日を頭の中で整理したい。
ただ──この状況では、ひとりで眠るという選択肢がなくなる。
穏便にこの問題を解決すべく、翔吾が出した答えは──。
「えへへ、翔吾なら私を選んでくれるって信じてたよ」
「これだから泥棒猫さんは困るんだよ。翔吾様は哀れみで真由美様も隣に寝ることを許したんだからね?」
どちらか片方を選べば別荘が地獄へと変わる。逆転の発想で両方選べば誰ひとりとして不幸にはならない。翔吾は苦肉の策で、左に桔梗、右には真由美と、不本意ながらも両手に花を選んだ。
自らが決断したとはいえ、美少女二人に挟まれては緊張するもの。寝つけない時間が続き、翔吾は今後の行動について考え始めた。
別荘でひっそりと暮らした方がよいのか。
何年、何十年とこの生活を続けるのは不可能であろう。
ならばどうすれば──考えが纏まらないうちに、いつの間にか夢の中へ旅立っていた。
窓から差し込む明かりが翔吾を一番最初に目覚めさせる。まだ夢の世界にいる真由美や桔梗に気づかれないよう、翔吾はゆっくりと起き上がった。
「世界が大変な状況になっても、太陽は何事もなかったように昇るんだね」
「おはよう、翔吾様。さぁ、いつものように、お目覚めのキスをしてね?」
翔吾の動きを感知した桔梗。スリープモードから通常モードへ移行し、起き上がると同時に翔吾へ迫った。
「き、桔梗……? いつもそんなことしてないよねっ?」
「──コホン。では今日からということで。さぁ、桔梗はいつでも準備万端だよ」
開き直った桔梗が距離を少しずつ詰めてくる。抵抗するように翔吾が後退するも壁にぶつかり万事休す。このチャンスを見逃すほど桔梗は甘くない。翔吾の上に跨ると赤く染めた顔を近づける。段々と縮まる距離に抗うすべはなく、翔吾は目を瞑り覚悟を決めた。
柔らかい感触が唇に触れる。
キスとはこのような感触なのだろうか。
勇気を振り絞り翔吾が目を開けると、瞳に映りこんだのは桔梗の可愛い顔ではない。白くて柔らかい大きな物体が二人の間を遮っていた。
「ちょっと桔梗、何をしてるのかな? まったく、油断も隙もあったもんじゃないよ」
白い物体の正体は枕。キスを阻止するため真由美が翔吾と桔梗の間に入れた。寝起きに見た桔梗の行動は、真由美の機嫌を急降下させる。心の奥に潜んでいる般若が目覚めたようで、背筋が凍るほど恐ろしい顔。付き合いの長い翔吾でさえ、恐怖から体が震え出すほどであった。
「真由美様、起きたのね。おはよ、昨日はよく眠れた?」
至って普通の顔で翔吾の上から退く桔梗。何事もなかったように真由美に朝の挨拶をした。
「お、おはよう……じゃなくてっ! 桔梗は今何をしてたのかなぁー?」
「んー? 真由美様は目が悪いんだね。これは、いつもやってる『おはようのキス』に決まってるじゃない。さっ、翔吾様、泥棒猫は放っておいて続きをしようね」
「そんなのダメに決まってるでしょ! 翔吾っ! いつもやってるってホントなのっ!?」
怒りの矛先が翔吾へと向き、恐ろしい笑顔の真由美が問い詰めてくる。気迫が凄まじく飲み込まれそうになる翔吾。振り絞った勇気で首を大きく横に振り、事実無根だと全力否定した。
真由美の怒りが収まったのは数分後。翔吾と真由美は桔梗が朝食の準備をしている間に、これからどうすべきか話し合っていた。
「翔吾、今後どうしよっか。ずっとこのまま──ってわけにもいかないし」
「でも、僕たちに出来ることなんてあるんだろうか。それとも、研究所に行ってミライを止めるしかないのかな」
「研究所に行くって……。それってかなり危険じゃないの? AIドロイドが警備してると思うし。それよりさ、他に逃げきれた人とかいないのかな。そしたら協力して何か出来るかもしれないよ」
決定的な打開策が見つからない。二人から言葉が消える中、桔梗の手でテーブルに次々と料理が並べられる。鮮やかに彩る数々の料理が翔吾の食欲をそそり、一時的にではあるが悩みを忘れさせた。
「翔吾様、腹が減っては戦ができぬと言うでしょ? まずはお腹を膨らませてから今後について話し合おうよ」
空腹では頭が回るはずもなく、二人は顔を見合わせひとまず腹ごしらえする事にする。問題はひとつずつ解決。今は空腹を解消するのが最優先事項だった。
「桔梗、これからどうしたらいいと思う? さっき真由美とも話してたんだけど、名案が浮かばなくて……」
空腹という問題が解決し、次なる問題を解決すべく今後について話し合いを始めた。




