第8話 水面下の攻防戦。勝利は誰の手に
幻想の世界から戻された翔吾は、疲れからソファーでぐったりしていた。
「なんか色々ありすぎて疲れたよね。私、お風呂でさっぱりしてくるよ」
「うん、僕は──別荘の散策でもしようかな」
「そんなこと言って、私のお風呂を覗こうとしてるんでしょ。翔吾になら……覗かれてもいいよ?」
「はいはい、僕は覗いたりしないから、お風呂でスッキリしてきなよ」
翔吾の塩対応が不服で真由美の顔は不機嫌そのもの。予定では動揺する翔吾を見るはずが、失敗に終わり悔しさの海に沈んでしまう。この悲しさと切なさを癒すため、真由美は仕方なくお風呂場へと歩いていった。
「さてと、別荘の中を歩いてみるかな」
別荘に来るのは初めてな翔吾。暇潰しと好奇心から別荘内を歩き回っていると、よく見慣れたカバンが視界に入る。見間違いようがないカバンで、今朝準備したばかり。中身を確認しても予想通りの結果であった。
なぜ自分のカバンがここにあるのか。
丁寧に教科書だけ抜き取られ、着替えだけが入っている。
考えなくとも答えはひとつ。桔梗が持ってきたに違いない。
翔吾は自己完結で納得し胸のつっかえが取れる。ひと通り別荘内を散策し終えると、休憩がてらソファーで横になる事にした。肉体的にも精神的にも疲弊していたのだろう。翔吾の意識はいつの間にか夢の世界へ旅立っていた。
現実世界より甘い夢の世界に酔いしれるも、誰かが髪を触った感じがし、翔吾は悪夢のような現実世界へ戻ってきた。
よ」
「なるほどね。では、桔梗もお風呂へいってくるね」
「ち、ちょっと、なんでお風呂に行こうとするのっ! それは羨ましい──じゃなくて、翔吾がゆっくり出来ないでしょ」
桔梗は荷物を手際よく片付けると、真由美をスルーし無言のまま翔吾のいるお風呂場へ向かう。
阻止しなければという正義感に駆られた真由美。持てる力をすべて出し必死に桔梗の歩みを止めようとする。全身全霊を込めた力ですらAIドロイドのパワーに勝てるはずもなく、引きずられたままお風呂場まで連れていかれた。為す術なく無力感に嘆いていると、禁断のトビラを桔梗が勢いよく開けてしまった。
「翔吾様、背中を流しにきたよっ。遠慮なんていらないからねっ」
「し、翔吾、違うの、これには深いわけが──って、きゃーーーーーっ」
真由美の悲鳴がお風呂場に響き渡る。目の前にいたのは何もつけていない翔吾。真由美は咄嗟に両手で顔を覆うも、指の隙間から翔吾のあられもない姿を堪能していた。
「き、桔梗!? それに真由美まで……って、うわぁぁぁぁぁ」
思考が一瞬固まるも、翔吾はすぐに理解し大声を上げる。なぜこの場に真由美と桔梗がいるのか、素早くタオルで前を隠してから説明を求めた。
「二人とも、何がどうなってお風呂場まで来たのか、ちゃんと説明してくれるかな?」
「あのね、翔吾、私は止めたんだよ? そりゃ、ちょっとは一緒に入りたいとか思ったけどね。でもね、あれは事故、そうよ、事故なんだから」
「翔吾様のお世話は全部桔梗がするんだよ? もちろん、背中を流すのは当たり前の話なんだし。だからぁ、翔吾様はゆっくりしててよ」
後悔という言葉が翔吾に重く伸し掛る。ここはお風呂場であり、真由美はもちろん、AIドロイドとはいえ桔梗は可愛いすぎる。スタイルは完璧と言ってもいいほどで、翔吾の顔を真っ赤に染め上げる。
魔が差したのかもしれない。ダメだと分かっていても、翔吾は頭の中で美少女二人のあらぬ姿を想像してしまう。癒したはずの心が罪悪感に満たされ、精神的ダメージは計り知れないものだった。
「翔吾様は桔梗のことが嫌い? 桔梗は翔吾様のモノだから、どんな命令でも聞くよ。そう、一緒にお風呂に入ったり、添い寝だってしてみせるからっ」
「待ちなさいよ、桔梗! なんでそうなるのよっ。翔吾は私と一緒に寝た方が安心するに決まってるじゃないの。昔からずっとそうだったし、それにお風呂だって……」
「真由美様、冷静に考えてね。もし、AIドロイドが襲ってきたら、対処できるのは桔梗だけなんだよ? だ、か、ら、片時も翔吾様のそばを離れたらダメなのよ」
「うぅ……。そ、それは確かにそうだけど……。でも、でも! 私はずっと翔吾と一緒にいたいのっ! 翔吾の隣は……私だけのものなんだからっ」
ほぼ全裸の翔吾を放ったらかし、真由美と桔梗の言い争いが始まる。まるで恋人を奪い合うドロ沼の修羅場。論戦は白熱する一方なのだが、今いる場所がお風呂場という事を忘れていた。
「話はあとで……僕がお風呂から出てからにするから、だから──今すぐ出ていってよっ!」
ダメージから回復した翔吾が、二人の美少女をお風呂場から強引に退場させる。ようやく訪れた静寂に翔吾は大きなため息をつく。冷えきった体を湯船で温め、二人のあらぬ姿を想像してしまった事に反省していた。
「それでさっきの続きなんだけど……」
冷静さを取り戻し二人を問い詰める翔吾。お風呂場まで来た理由、それに言い争いに発展したのはなぜか、真剣な眼差しを二人に向けた。
「私はね、桔梗を止めようとしたんだけど、そのまま引きずられてお風呂場に……」
「翔吾様、桔梗は翔吾様のためだけに作られたんだよ? それなのに……翔吾様ときたら、泥棒猫の家に入り浸り桔梗はただ帰りを待つだけ。食事の用意の手伝いとか、必要最低限のときだけ桔梗に頼る、そんな都合のいい存在になりたくないのよ。で、す、か、ら、積もりに積もったこの気持ちとともに、お風呂場へ行ったんだからねっ」
「ち、ちょっと待って桔梗? 私は泥棒猫なんかじゃないからね?」
「あら、桔梗は真由美様が泥棒猫だなんて一度も言ってないよ? それとも、何か自覚でもあったりするの?」
「二人とも、なんでケンカになってるんだよ。分かった、もう分かったから、この話はもうおしまいにしよう」
再燃する因縁の対決に翔吾は呆れるしかない。追求を続ければ何が起こるか予測不能。有耶無耶で終わらせた方がマシだと考えた。
偽りの休戦とはこの事で、二人の仲は最悪の状態。桔梗の態度に不服な真由美はそっぽを向き、桔梗は桔梗で相手にせず夕食の支度に取りかかった。
「すごい……。さすが桔梗だよね、短時間でこんなに作れるだなんて」
「桔梗はAIドロイドなんだから、これくらい当たり前よ」
テーブルを彩る数々の料理達に、怒りの収まらない真由美が八つ当たりする。本心は羨ましく思っており、とても逃亡中とは思えないほど豪華であった。
「むっ……。翔吾の隣は私だって決まってるんだからねっ」
「これだから泥棒猫は……。翔吾様のお世話は桔梗の役目だよ?」
ケンカするほど仲がいいという言葉は、真由美と桔梗に通じない。今回の揉め事は翔吾の隣にどっちが座るか。火花を散らし互いに臨戦態勢で今にも飛びかかろうとしていた。
「──コホン。桔梗さん、料理でお疲れのようなので、翔吾のお世話は私がしますよ?」
「真由美様、お気遣いありがと。だけど、桔梗はAIドロイドなので疲れなんて感じないよ。真由美様の方こそお疲れのように見えるけど?」
翔吾のすぐ近くで激突する真由美と桔梗。どちらも一歩も譲らず時間だけが無情にも過ぎていく。このままでは埒が明かず、翔吾は公平な方法で席を決めようとした。
「あの……。公平にくじ引きで決めるのはどう? ジャンケンだと桔梗が勝つに決まってるし」
ジャンケンだとAIドロイドである桔梗が必ず勝つ。性能差の問題で人間のスピードがスローモーションに見え、後出しジャンケンと同じになるからだ。その点クジなら完全に運任せ。人間とAIドロイドとの差はなくなり平等となる。
勝利の女神が微笑んだのは──。
「翔吾、ひとりで食べられる?」
満面の笑みで翔吾に話しかけるのは真由美。これで邪魔者はいなくなったと、敗者である桔梗を見下していた。
「だ、大丈夫だって、真由美。ご飯くらいひとりで食べられるからっ」
「遠慮なんてしなくていいのに。今日は色々あって疲れてるでしょっ? それにこれじゃ……隣に座った意味がないじゃないの」
悲しみの顔で翔吾の同情心を仰ごうとする。優しい翔吾なら泣いている女性を放っておくわけがない。真由美はご褒美を楽しみに待つも、桔梗によってあっさり阻止されてしまった。
「真由美様、嘘泣きで翔吾様を騙そうなんて、やはり泥棒猫の名は伊達ではないようね」
「うっ……。そんなことないわよ。それよりも、桔梗もちゃんと食事したらどうなのかな? そ、れ、と、何度でも言うけど、私は泥棒猫なんかじゃないからねっ」
「お気遣いありがと。でもね、桔梗はAIドロイドだから、人間の食事なんて必要ないのよ」
AIドロイドの食事は人間と同じではない。エネルギー源は専用の食料でサプリメントに似たもの。摂取すれば体内でエネルギーに変換される。特殊な物質から製造され、すべてが国家機密に指定されている。
人間の食事も食べられなくはないが、エネルギーにはならず食すのは非常に珍しかった。
「むぅ……。はっ、そうだっ、翔吾、私が口を拭いてあげるから、大人しくしててねっ」
何も出来れば翔吾の隣に座った意味がない。真由美は強引な流れで翔吾の口元を拭こうとするも、光のスピードで桔梗が阻んだ。
一瞬の出来事に真由美は反応できず。何が起きたのか理解しないまま固まっていた。




