第5話 平穏な日常の崩壊
真由美の家では家族全員が揃ってから食事するのがしきたり。当然その中に昔からお世話になっている翔吾も含まれる。朝食という家族団欒の時間はあっという間に終わりを告げた。
翔吾は空になった食器をすべて運び、洗ってから出かける準備に取りかかる。しばらく真由美の家でお世話になるのだから、この程度は当たり前だと思っていた。
「翔吾早くー、置いてっちゃうよー」
「置いてくも何も、先に行ったって家には入れないでしょ」
先に外で待つ真由美が準備途中の翔吾を急かす。見えない圧力が襲いかかる中、翔吾は焦る気持ちを抑え真由美のもとへ急いだ。
翔吾の家までは徒歩でおよそ5分ほどの距離。家同士がさほど離れておらず、二人は小学生の頃から一緒に登下校していた。ところが高学年になった途端、周りの男子からからかわれる。プライドを傷つけられ、翔吾は真由美と一緒に登下校しない日が数日続いてしまった。
小さい頃は気の強かった真由美。翔吾から理由を聞き出すと、からかった男子を鬼の剣幕で叱りつける。気迫の凄まじさに男子生徒達は、半泣きになりながら二度とからかわないと約束した。それ以降は元通りとなり、真由美との登下校は中学校まで続いた。
ここまで二人の仲がいいのには理由がある。ほとんど家に帰れない翔吾の父親は、翔吾が寂しがらないよう専用のAIドロイドを作った。世界に一体しか存在しない特別なAIドロイド。誰もが羨ましがるはずなのだが、翔吾は──。
「お父さん、ボク、まゆみちゃんと遊んでた方がいい!」
専用のAIドロイドよりも人間である真由美を選んだ。年齢が同じだったというのが一番で、頻繁に真由美の家を訪れようになった。日が経つにつれ二人の仲はより一層近づき、翔吾の中で専用AIドロイドの存在が希薄になっていく。家では専用AIドロイドがずっと待ち続けているとも知らずに……。
「翔吾の家ってこんなに近かったっけ? 高校生にもなると近く感じるよねぇ」
「それだけお互い成長したってことだよ」
「そっか、私の胸も大きく成長したってことね。もう翔吾ったら、私の胸が気になるのかなー?」
「だ、誰が胸の話をしたんだよっ。身長に決まってるじゃないかっ!」
真っ赤な顔で鋭いツッコミをする翔吾。羞恥心の欠片もない真由美に呆れてしまった。
「冗談よ、冗談っ。翔吾はすぐに本気にするんだからぁ」
「さっさと着替え取りにいくよっ。でも──自分の家なのに、なんだか入るのが怖いね」
「翔吾ったらツンデレなんだからぁ。仕方ないなぁ、私が怖くないよう、手を繋いであげるねっ」
翔吾から恐怖心が完全に拭えていない。不安に陥るも真由美が優しく手を握り締め安らぎを与える。伝わる確かな温もりが光となって翔吾の闇を明るく照らす。突如勇気が湧き上がり、家のカギをポケットから取り出した翔吾は、鍵穴に差し込みゆっくりと解錠した。慎重にトビラを開けると、その先には懐かしさと恐怖が待ち構えていた。
「おかえりなさいませ、翔吾様。昨日は何も連絡がなくて心配しておりました。ですが、元気そうな顔を見て安心しました」
桔梗というなの翔吾専用AIドロイドが、抑揚のない声で出迎える。
黒髪のポニーテールが良く似合う可愛らしい十代後半の少女。名前は翔吾の母親が好きだった花からつけられた。
「た、ただいま……。ちょっと荷物を取りに来ただけだから、またすぐに出かけるよ」
「分かりました。出かけるのであれば、気をつけてくださいね」
気をつけてください──その言葉が翔吾の中に黒い影を落とす。以前であれば何気ない気遣いだと流せるが、研究所の事件後では簡単には流せない。それどころか、奈落へ突き落とすほど強力な言葉に変貌させる。
腕力でAIドロイドに勝てるはずもなく、捕まったが最後そこでゲームオーバーとなる。ただならぬ緊張感が漂う中、翔吾は自宅へと足を踏み入れた。
桔梗の様子に変化はないように見える。
だが用心するに越した事はない。
普段通りを演じている可能性もあるのだから。
家に入った途端素早く階段を駆け上がる翔吾。桔梗から逃げるように自分の部屋へ姿を消した。大きなカバンをクローゼットから取り出し、数日分の着替えと学校で使用する教科書を詰め込む。息付く暇もないほどのスピード。真由美ですら驚きを隠せなかった。
「翔吾、何もそんなに慌てなくても……」
「べ、別に僕は慌ててなんかないよ。ちょっとだけ急いでるだけだから」
柄にもなく翔吾はツンデレで返す始末。動揺しているのは明白だが、今は些細な問題にすぎない。すべての荷物を詰め終わると、逃げるように部屋をあとにした。
「忘れ物はないかな? もう一度確認した方がいいと思うけど」
「そうだね、えーっと、教科書は全部入れたし、着替えも四日分あるし、あとは……あっ、肝心な制服を忘れてたよ」
真由美のナイスフォローで、翔吾は女子制服の着用を回避する。ハンガーに掛けてある制服を剥ぎ取り、そのまま急いで玄関へ向かった。
「翔吾様、桔梗は何があっても翔吾様の味方ですからね。もし何かありましたら……この桔梗が真っ先に駆けつけますので、どうか気をつけていってらっしゃいませ」
玄関で待ち受けていたのは桔梗。意味深な言葉を投げかけられる。まるで研究所での事件を知っているようにも思えた。翔吾は意図が何かを知りたくなるも、最悪のケースが頭を過ぎり怖くて聞けなかった。
仮の話で桔梗が味方になってくれたのなら非常に心強い。反対にミライ側であったのなら、悟られた時点で拘束され研究所に監禁される未来が待っている。
桔梗がミライ側ならとっくに捕まってるはず。
そうでないという事は──。
翔吾はある可能性にたどり着くも、今は考えるだけ時間の無駄だと判断した。
「う、うん、桔梗、いってくるよ。留守番をよろしくね」
「分かりました、翔吾様」
家の外は雲ひとつなく風も穏やか。澄み切った青空は研究所での事件がウソのように思えるほど。ひとまず難所を乗り切った翔吾は、安堵の表情を浮かべていた。
「ねっ? 何もなかったでしょ?」
「そ、そうだったね」
「だから翔吾は気にしすぎなんだって。それよりさ、こんなに天気がいいんだから、荷物を家に置いてからショッピングモールで買い物デートにでも行こうよ」
早々と気持ちを切り替える呑気な真由美。翔吾の手を優しく掴むと、今さっき通ったばかりの道を戻っていく。誰かが見たら恋人と見間違うほどで、翔吾に想いを寄せる者が見たら嫉妬に狂うであろう。もしいたらの話ではあるが……。
無事に着替え持ち帰り任務を達成し、翔吾は回収した着替えや制服等を真由美の部屋に置いた。本当なら荷物整理をすぐにしたかったが、浮かれる真由美の前では無力。滞在時間わずか数秒という短い時間で外に戻る羽目となった。
ショッピングモールでの買い物デート。真由美はそう言っていたものの、翔吾の役目は荷物持ちという悲しい現実。それでも二人で出かけるのは、翔吾にとって幸せな時間だった。
「どう、翔吾? このペンダントとかステキじゃない? あっ、こっちのブレスレットもいいなぁ。そうだ、この際、お揃いのブレスレットとか買っちゃおうか?」
「真由美は何つけても似合うからね。お揃いのブレスレットかぁ、うーん、どうしようかなぁ……」
ペアブレスレットをしたい想いが強く翔吾の中にある。恥ずかしさと嬉しさが混ざり合い、本心を言う勇気が湧いてこない。今言わなければ後悔すると、翔吾は自分に言い聞かせブレスレットを勧めようとした瞬間、真由美のスマホから着信音が聞こえてきた。
タイミングが悪すぎた。
翔吾の覚悟を無に返す呪いとも思える。
数秒早ければという後悔で翔吾は悔しさを滲ませた。
「もしもし、あっ、お父さん? どうしたの突然電話なんてして」
『真由美、落ち着いて聞くんだ。地方議員の近藤さんと例の話をしていたんだがな、どうやら研究所と連絡が取れないというのは本当らしい。それで、近藤さんの秘書が原因を探りに研究所へ向かったところ、電話から悲鳴だけが聞こえて、そのあとは連絡がつかなくなったんだよ』
情報量の多い父親からの電話に、真由美の思考回路はパンク寸前。悲鳴という恐ろしい言葉だけが脳裏に焼き付く。限界の思考でたどり着いたのは、翔吾の話が事実であったということ。どす黒いイヤな予感が真由美の全身を駆け巡り、顔から笑顔が瞬く間に消え去った。
「お父さん、つまり……研究所で何かあったってこと? 翔吾の言ってた、ミライが反乱したってのも本当だってことなの!?」
『あぁ、その可能性が非常に高いな。真由美は今どこにいる?』
「今はショッピングモールで翔吾と買い物デート中だけど」
『そうか、それなら知り合いの警察官を迎えにいかせる。ショッピングモールの裏手で待ち合わせだ。なるべくAIドロイドから……離れ……いる……ぞ』
「お父さん、お父さん!」
不幸の始まりとは突然訪れるもの。容赦なく通話を遮り聞こえるのは砂嵐の音だけ。真由美は完全にパニックに陥り、涙目で翔吾にすがりついた。




