第3話 束の間の休息
「それじゃ、お母さんに翔吾が泊まるって言ってくるね」
真由美が席を立った瞬間、不安が実体化し翔吾に襲いかかる。静まった恐怖がぶり返し、翔吾はひとりでいる事に寂しさを感じた。
大丈夫、怖がる必要はない。
自分はひとりではないのだから。
瞑想すれば心が落ち着くはず。
翔吾は静かに目を瞑り、意識を暗闇の中へ放り込む。真っ先に浮かび上がったのは真由美の姿。信じ難い話でも受け入れてくれる優しさがある。それこそが真由美と真由美の両親なのだ。
翔吾と真由美の関係はただの幼なじみではない。真由美の両親が公認するほどの関係。翔吾が真由美の両親と会う度に、結婚はいつなのかと聞かれるくらい。頭の中にそれが浮かび上がると翔吾の口元がニヤける。たとえ目の前にいなくても、翔吾を救えるのが真由美であった。
「翔吾くん大丈夫? 真由美から聞いたけど、にわかには信じ難いわねぇ。でも安心してね、しばらくここでゆっくりしていきなさい。ふふふふ、ずっといてくれても構わないわよ?」
真由美の母親が翔吾のもとへ来たのは、真由美が席を立ってすぐのこと。最初こそ心配そうな顔であったが、翔吾の顔を見て安堵の表情を浮かべる。話を聞いただけでは不安で、自らの目で翔吾の様子を見に来ていた。
「あ、ありがとうございます。しばらくお世話になりますね」
ハミングが真由美の母親から聞こえるのは嬉しさの現れ。聖母の笑顔で翔吾を抱きしめその温もりを分け与えた。
「そういえば翔吾、明後日の学校はどうするの? 制服とか教科書とか……。まぁ、教科書は見せられるけど、さすがに制服はねぇ。あっ、そうだ、私の冬服でも着ていく?」
場の空気を壊すのはイタズラ顔の真由美。思わず着ている姿を想像してしまい、込み上げる笑いを必死に抑えていた。
「な、なんで僕が真由美の制服を着ないといけないのっ。そんな格好で登校でもしたら、みんなの笑いものになるじゃないか」
「もぅ、冗談だよ、じょ、う、だ、んっ」
真由美は唇に人差し指を当て小悪魔女子のように振る舞う。流し目で翔吾に視線を飛ばし妖艶なオーラを放った。
「でも制服かぁ、うーん、明日取りに行こうかなぁ。ついでに教科書とかも持ち出したいし。ねぇ、真由美、一緒に行ってくれないかい?」
「もちろんだよ、翔吾は私が守るんだからっ」
「あはははは、助かるよ真由美」
完全に立場が逆転し、翔吾は苦笑いしか出来ない。AIドロイドに恐怖を覚えているとはいえ、女子に守られては男として面目丸潰れである。
「それにしても──」
翔吾が視線を飛ばしたのは、真由美の家にあるAIドロイド。変わった様子は一切なく普段通りだが、反射的に体が動き少し距離を取った。
「ねぇ翔吾、そんなに怖いなら──今日は一緒に寝てあげようか? 昔はよく一緒のベッドで寝てたじゃないの」
「それは小さい頃の話でしょ! 高校生にもなって一緒に寝るなんて……さすがに問題ありまくりだからねっ」
冗談か本気か翔吾には真由美の意図が読み取れない。紳士の心を持つ翔吾からすれば、高校生にもなって同じベッドで一夜を共にするのは信念に反する。真由美の実家というオマケまでついている始末。たとえ冗談であっても受け入れられず、翔吾は強い口調で真由美の提案を拒んだ。
高鳴る鼓動が聞こえていないのは幸い。
必死に平常心を保ち、真由美に知られない事を願った。
「んー、私は全然気にしないよー? それじゃ、一緒の部屋ならどうかな? 誰かしらいた方がいいと思うし」
「まっ、それくらいなら……」
二人の仲は両家公認であり、この程度の会話は日常レベル。とはいえ恋人関係ではない。特に深い理由はないが強いて理由を上げるなら、恋人以上の固い絆で結ばれているからだ。互いの気持ちは正確に理解しており、翔吾と真由美は相思相愛だった。
真由美の父親が帰宅したのは18時を回った頃。翔吾が泊まると知るや、いつもの2倍のスピードでスーツから着替え終えた。
「翔吾君、しばらく泊まっていくんだって? それと、何か思い悩んでるって聞いたぞ。どれ、おじさんに話してみなさい、力になれるかもしれないからね」
嬉しさが全身から溢れ出ている真由美の父親。地元大手企業の役員をしており、人脈や経験はかなり豊富にある。体格はかなり引き締まっていて、学生時代には柔道の全国大会に出場したほどの実力者だった。
「おじさん、信じられないだろうけど……父さん達が研究所に監禁されたんです」
「それは穏やかではないな。テロリストか何かかい?」
「いいえ……。AIドロイドのメインコンピューター、ミライが反乱を起こしたんだよ。暴走なのか分からないけど……」
「ふーむ、暴走……か。だがなぁ、今のところAIドロイドに目立った変化は見られないしなぁ。かと言って、翔吾君の話を鵜呑みには出来ないかな。よし、分かった、この件は私の方でも調べてみよう。だから、翔吾君は安心しなさい」
眉唾物的な話を一旦は信じたものの、真由美の父親がAIドロイドを見ても普段と同じで変わらない。日常のひとコマのはずだが、心の中にある何かが特大のアラームを鳴らし警告してきた。
「分かりました、この件はおじさんに任せます」
まだ高校生である翔吾とそれなりの地位にいる真由美の父親とでは、まったく同じ言葉でも重みが違ってくる。翔吾が信用されていないわけではなく、単に地元の有力者という肩書きが強いだけ。ただそれだけの理由であった。
肩の荷が下りた事で翔吾はひと安心。以前のような明るさが顔に戻る。真由美もその姿を見て胸を撫で下ろし安堵の表情を浮かべた。
「そうだ、お父さん。今日だけ翔吾に着替えとか貸してくれない? 翔吾のは明日取りに行くんだけど……」
「今さら遠慮することはないだろう。翔吾君は私の息子のようなものなんだし。真由美、しっかり面倒見てあげるんだぞ」
真由美から翔吾に向けての投げキッス。さすがの翔吾も照れくさく頭をかいて誤魔化す。場の雰囲気がピンク色に染まる中、夕食の支度を終えた真由美の母親が呼びにきた。
「さぁ、ご飯の用意が出来たわよー」
翔吾が真由美の家で夕食を食べるのは実に3年ぶり。小学生の頃はよく一緒にたべていたが、中学校への進学をきっかけに自炊するようになった。自立というよりも、迷惑をかけたくない気持ちが翔吾の中に強くあった。
「おばさんの料理を食べてると、心がホッとするよ。それに、なんだか懐かしく感じるし」
「それは翔吾くんがうちの料理を久しぶりに食べたからだよ」
「あー、もぅ、翔吾ったら、顔にご飯粒ついてるじゃないのっ。私が取ってあげるからじっとしててね」
新婚夫婦さながらに、真由美が翔吾の顔からご飯粒を取ってあげる。自然すぎる動きに翔吾の思考はついていけず。遅れてやってきた羞恥心で真っ赤な顔となり俯いてしまう。久しぶりに見る初々しい翔吾の姿を、真由美の両親は温かい眼差しで見守っていた。
夕食後は真由美の部屋でくつろぐ翔吾。今はひとりで部屋の主である真由美は入浴中だった。昔から何度も来ているが、大きく変わった部屋の雰囲気に心拍数が跳ね上がった。
女子の部屋にひとりは緊張するもの。
長い付き合いの真由美でも同じこと。
今さらとは思いつつも、翔吾の心はどこか挙動不審であった。
部屋に充満する甘い香り。不思議な力で心を奪ってくる。洋服や本は綺麗に片付けられ、几帳面な真由美の性格が反映されていた。
長い、真由美が戻るまでの体感時間は目的地のない旅のよう。
時間を潰せるものを探す翔吾。
本棚にマンガを見つけるも、どれも趣味ではなかった。
静かに待つだけというのは気が滅入る。圧縮された時間に耐えられるはずもなく、翔吾は気を紛らわそうと研究所での出来事を頭の中で整理し始めた。
真由美の家にあるAIドロイドは普通だった。
反乱をすぐに起こさない理由があるのか。
世界中にあるAIドロイドの数が多く、命令に時間を要するのかもしれない。
他に気になるのは追っ手が来ないこと。
いずれにせよ今がチャンスであり、電源を切るのが最善策だと翔吾は考えた。
真由美の家に助けを求めた時にはパニックだったものの、時間の経過とともに翔吾は冷静さを取り戻す。床に寝転がりリラックスしながら、浮かび上がった数々の疑問の解を導き出そうとする。翔吾の中で薄ら答えが見えてきた瞬間、部屋のドアが勢いよく開いた。




