第26話 困難への第一歩
運命の朝は澄み切った青空であった。小鳥が窓ガラスを叩き、二人を深い眠りから目覚めさせようとする。先に起きたのは翔吾。開いたばかりの目を擦り、まだ夢の中にいる真由美を起こし始めた。
「んんんっ……」
「真由美、朝だよ。ほら起きないと」
「うん、分かった……。むにゃむにゃむにゃ……」
翔吾が優しく起こすも生返事する真由美。精神的ストレスから解放された心地よさで、再び夢の世界へ舞い戻ってしまった。
「仕方ないなぁ。真由美、あんまり遅くならないようにねっ」
寝る体勢が悪かったのか、翔吾の体はあらゆる場所が悲鳴を上げている。簡単なストレッチで全身をほぐし、快適さを取り戻すと洗面所へと向かった。
冷水が翔吾の思考を完全に目覚めさせる。爽快な気分が気持ちよく、晴々した心で朝食の準備を手伝おうとする。キッチンではすでに真由美の母親が支度しており、翔吾は料理の盛り付けやテーブルの配膳をする事になった。
「遅いわよ、真由美。少しは翔吾くんを見習いなさいね」
「うぅ……。二度寝したのが敗因だったよ。せっかく翔吾に起こしてもらったのに……」
寝癖をつけたままの真由美。目を擦りながらリビングに来たのはすべての準備が終わった頃だった。
「もういいから、ほら、早く座りなさい」
「はーい……」
深く反省した真由美の声のトーンはいつもより低い。覇気のない返事をし自分の席に静かに座った。
「ところで翔吾君、首相との面会なんだが……今日の夕方になったよ」
「そんなに早く面会できるんですね」
「実はな、首相がスケジュールを調整してくれたのだよ」
「優しいんですね」
「それもあるんだが、AIドロイドを武力制圧できないというのが、一番大きな要因なんだ」
「あっ……。そっか、今のシステムはAIドロイド依存だからか。インフラが復旧しても、武力行使なんてAIドロイドがいないと武器すら使えないよね」
「うむ。だが仮に武器があったとしても、こちらの動きが筒抜けだからな。先手どころか奇襲される可能性が非常に高いのもある」
首相の本心は見えてこないが、面会が早まるのは翔吾にとって好都合。運がいいとポジティブに考え、計画を必ず成功させると心に誓った。
約束の夕方まではまだ時間がある。気分転換を兼ねて、翔吾と真由美は外の空気を吸いに出かけた。ゆっくり流れる時間の中で二人は近くの小川まで散歩中。以前と変わらない小川のせせらぎは重くなった心を癒してくれる。寝ても取れなかった不安までもが自然に消滅した。すべて解決したかのような錯覚を起こすほど、自然が生み出した音色は穏やかであった。
「ねぇ、翔吾。この景色を見てると今起きてることが嘘みたいだよね」
「うん、ここだけ時間が止まってるようだよ」
「……上手くいくかな。ううん、絶対に成功させようね! どっちかが不幸になる未来なんて悲しすぎるもん。だ、か、ら、二人で頑張って幸せを掴もうよっ」
小川の清らかな水を手に取り、気持ちよさそうに見つめる真由美。山から流れてきた水は冷たく、緩みそうになる気持ちを引き締める。空に向かって冷水を放り投げると、陽光に反射し宝石のような輝きを見せた。
天から舞い降りた天女が水遊びしているように見え、翔吾は時間すら忘れて見とれていた。
「あぁ、気持ちいい。この冷たさがいいよねっ。なんか元気が出てくるよ。翔吾もやってみてよ、絶対に気持ちいいからっ」
「うん、でも真由美、あんまり近づきすぎると小川に落ちちゃうよ?」
「大丈夫だって! 私、運動神経いいんだからっ。ほらっ、見て? これくらいの石なら──って、きゃあああああ」
距離を見誤り真由美は豪快に石を踏み外す。盛大な水しぶきが上がり、小川で尻もちをついてしまう。小川は浅く流れも穏やかで危険はないが、全身ずぶ濡れの上半身から薄ら透ける下着が翔吾に羞恥心を与えた。
「あいたたた。もぅ、踏み外すなんて信じられないっ! って、翔吾どうしたの? 顔が急に赤くなってるけど──あっ、なるほどー」
真由美は一瞬で状況を分析し、翔吾が赤くなった理由を理解した。
「ま、真由美、ほら、僕の上着貸すから……。風邪引かないようにね」
「翔吾のえっちー。ふふふふ、ありがと、でもここの水って本当に気持ちいいよねっ」
「とりあえず話は小川から上がってからで……」
呆れた翔吾がすかさず手を差し伸べると、真由美はその手を強く掴み無事に立ち上がった。濡れたままでは下着が透けると、翔吾が上着を貸すも寒いと理由で密着する真由美。満足したのか天使の笑みを浮かべる。翔吾も満更ではないようで、歩きにくいもののその顔はどこか嬉しそうであった。
着替えようと家にたどり着くと、真由美の父親から首相との面会が早まったと知らされる。真由美は急いでシャワーと着替えを済ませ、半乾きの髪のまま翔吾達と合流した。
ここから先は失敗が許されない──。
全員が幸せになるため、首相の説得が不可欠なのだ。
「そろそろ時間だよね? 翔吾、覚悟はいいかなっ? 絶対に説得しようね!」
「もちろんだよ。おじさんが作ってくれたこのチャンス……絶対に無駄にはしないよ」
固い決意とともに車へと乗り込む二人。ゆっくり走り出した車は決戦の地に向かい始める。期待と不安が入り交じる中、穏やかな街を通過し車窓からは人々の笑顔が見えた。
恐怖体験を語る人や再会を喜ぶ人と様々。一時的にとはいえ、AIドロイドから解放され街全体が賑やかになる。しかし、AIドロイドがいない生活に慣れておらず、どことなくぎこちなさが目立つ。
流通、飲食、製造などAIドロイドに依存している分野は数多い。AIドロイドをすべて破棄してしまうと、経済だけでなく日常生活すら送れなくなる。人々はAIドロイドの廃止までは考えておらず、安全装置を強化し生活水準は変えたくないと考えていた。
歓喜に湧く街を抜けた先には、閑静な住宅街が翔吾達を待ち受ける。住宅街に相違はないが、視界に映るのはどれも豪邸ばかり。車はゆっくりスピードを落としひとつの豪邸の前で停車した。
「さっ、着いたぞ。ここが首相のお宅だよ。私が一緒に行けるのはここまでだ。あとは翔吾君と真由美の頑張り次第だな。健闘を祈っているよ」
「はいっ! おじさんありがとうございます。必ず説得してみせます」
「お父さん、頑張ってくるからね!」
翔吾と真由美は自信満々で車を降り、決戦の地である首相宅へと足を運ぶ。インターフォンは巨人が通れそうな門の横にあり、緊張しながら真由美が慎重に押した。
高級感のある呼び出し音。ここまで来たら後戻りは出来ない。心臓が今にも飛び出しそうな二人が応答を待っていると、年配の女性の声がインターフォンから聞こえてきた。
「はい、どちら様でございますか?」
「あの……。私、時田真由美と言います。時田遼一の娘です。本日、父に海老名首相との面会を約束してもらってるのですが、首相はご在宅でしょうか?」
「時田さんの娘さんね。話は伺っているわ。今鍵を開けますので、どうぞ中へお入りください」
重低音が周囲の空気を振動させ、翔吾達の緊張感をより一層高める。閉ざされた門がゆっくり開き、まるで地獄への入口にも見えた。趣のある木製の門は中身が機械仕掛け。珍しい作りで非常に高価なものであった。
門の先で翔吾と真由美を待っていたのは、見入るほど美しい枯山水庭園。芝生は丁寧に手入れされ、生垣には柊を使用し、流水を表現した枯流が中央に華やかさをもたらす。二人はこの世のものとは思えぬ庭園に見とれながら、石灯篭に挟まれた石の通路をゆっくり歩き、数分という長い時間をかけ母屋の玄関にたどり着いた。
「ごめんくださーい、失礼しますねー」
真由美が風情ある引き戸を静かに開けると、中年の女性が二人の視界に映り込んだ。
「時田真由美さんと新川翔吾君ね? お待ちしてました、どうぞお上がりください」
背筋がまっすぐ伸び、どこか気品が漂う女性。自然な笑顔は温かみがあり、翔吾達に安らぎを与えてくれる。思わず目的を忘れてしまうほどで、家の中へ招かれるとそのまま応接室へ案内された。
「すごい部屋だね……」
「翔吾、あんまりキョロキョロしないでよっ」
座っている椅子は革製で座り心地が最高によい。棚にはアンティークの小物が並び、6人がけのテーブルは職人の手作りのようなきめ細やかな彫りがあった。
素人の翔吾が見ても非常に高級なものだと分かる。部屋に充満する独特なオーラに圧倒されていると、ドアが開き首相らしき人物が入ってくる。高級感漂う黒のスーツにネクタイをしっかり締め、厳しそうな顔ではあるが穏やかな雰囲気が出ていた。
「待たせて悪かったね。時田君からAIドロイドを止めるいい方法があると聞いたが、ぜひ、その案を聞かせてもらいたいんだ」
「はい、それについては、僕からお話します。僕は新川翔吾、新川所長の……息子です」
父親と呼んでいいのか一瞬悩むも、翔吾は細かい説明をして誤解されるのを嫌った。下手に話せば勘ぐられる可能性もあり、この話自体が頓挫するのを避けるため、あえて新川所長を父親と呼んだ。
「君があの新川所長の……。そうだったのか、こんなことになってしまって、新川所長も大変だったろう」
「はい……。まだAIドロイドに拘束されてますが、大丈夫なはずです。それで、AIドロイドを止める方法なのですが──」
その後の言葉が続かない翔吾。頭の中は真っ白になり、何を話しているのかすら忘れてしまう。絶体絶命の危機が訪れるも、手を差し伸べ助けてくれたのは真由美であった。
優しく翔吾の手を握り、『ずっとそばにいるから』とアイコンタクトで勇気を与える。真っ白だった思考は真由美の不思議な力で鮮やかな色に戻った。
「あの……。それでお話なんですけど、その前に首相はAIドロイドをどうしようとしているのかお聞かせください」
最初の一手は首相の考えを知ること。手の内が分からなければ、相手のペースに飲まれるのは確実。心音が大きくなる中、翔吾は首相からの返事を緊張しながら待っていた。
「そうだな、今のままではAIドロイドが危険なのは確かだ。だがな、独占している以上、それを無くすと国としての収入源がなくなるのだよ。だから私としてはミライとAIドロイドを修正し、完全に道具化しようかと思っている」
想定はしていたが、実際口に出されると翔吾の中で動揺が広がる。何がなんでも自らの案を納得させるしかない。翔吾は揺るがない信念でこの戦いに挑もうとした。




