第21話 悲しみを乗り越えて
痛々しい翔吾を見ていられない真由美。何も出来ない歯痒さから唇を強く噛み締める。微かに血がしたたるも一切気にしていない。何か救える方法がないか、思考の海へ自ら飛び込んだ。
些細なものでも見逃してなるものか。
翔吾を闇から助け出せるのならなんでもいい。
救う役目は自分しかいないと、真由美は心に刻みつけた。
「翔吾、何も言わなくていいから聞いて。私の独り言と思ってもいいから」
悲しみに包まれているのは真由美も同じ。心の内側に押し込め、翔吾を救う事だけ考える。真由美にとって優先されるのは、ミライを止める事でも、ましてや悲しみに打ちひしがれる事でもない。元気で優しい翔吾を取り戻す事だ。
「桔梗は幸せだったはずだよ。だって、好きな人と一緒にいて、他のAIドロイドじゃ味わえない経験をしたんだよ? 桔梗が亡くなったのは私も悲しい。だけど、悲しみに溺れてたら大切な人をさらに失うかもしれないんだからね」
穏やかではあるが力を与えてくれる不思議な声。泣きたい気持ちがありながら、真由美は必死に堪え冷静さを保つ。翔吾の闇を明るく照らし続け、辛抱強く戻ってくるのを待った。
「このままじゃ世界中で同じことが起こるんだよ? 桔梗のように大切な人がたくさん失われちゃう。ここで立ち止まったら──桔梗だって悲しむに決まってるんだからっ」
知らぬ間に真由美の瞳から涙がこぼれ落ちる。堤防が崩壊し流れ続ける涙はほんの少し温かかった。心の奥から絞り出した声が虚しく周囲に響く。それでも真由美は翔吾の帰還を願い後ろから抱き締めた。
奇跡とは努力の結晶。深淵に閉じこもっていた翔吾へ、届くはずのない真由美の涙が届く。冷たくなった心を癒し、暗闇を眩い光で照らし景色がハッキリ見えるようになる。天から伸びる救いの手を掴むと、翔吾の心は色鮮やかに染まった。
「真由美……。そうだよね、ここで立ち止まったら桔梗に合わせる顔がなくくなるよね。桔梗だってミライを止めたいと思ってたし、前へ進んで桔梗が望む世界にしよう」
完全ではないものの、翔吾は真由美の力で立ち直った。奇跡の涙の力なのか、強い絆があったからなのか。いずれにせよ、特別な存在である真由美という女神が大きく影響したのは間違いなかった。
周囲を見渡せるほど翔吾に余裕ができ、視界に映りこんだのは泣き止まない早苗の姿。心に浸透する優しい声で慰め、早苗から悲しみを消し去った。落ち着いた早苗をシェルターまで送り届ける。笑顔で手を振り別れを済ませると、翔吾と真由美は桔梗の亡骸を大切に車まで運んだ。
今はまだ弔えない──。
ミライの暴走を止めてからと約束する。車に乗り込み自動操縦へと切り替え、目的地にAIドロイド研究所をセットした。ゆっくりと車が走り出し、車内では翔吾が桔梗に必ず世界を救うと誓いを立てた。
自然と桔梗に話しかけるも、言葉が返ってくるはずがない。ボロボロになった衣服が哀れに思い、真由美はジャケットをかけ汚れた体を丁寧に拭く。美しさを取り戻しさ桔梗は、今にも動き出しそうに見えた。
「桔梗、本当にもう動かないのかな。私、こんな別れ方嫌だよ」
「僕だっていつも桔梗に助けられてばかりで、ちゃんとお礼も言えてないのに……」
「桔梗の顔……幸せそうだよね」
「うん……」
満足気な表情を浮かべている桔梗。自ら取った行動に後悔していないようである。プログラムではなく人間のように判断し早苗達を救ったのだから……。
AIドロイドは決して人間にはなれない。それでも憧れは抱くもので、友達と遊んだり恋する事を望んでいた。もし、翔吾と真由美の関係が当たり前の世界があったのなら、桔梗の人生は大きく変わっていただろう。
「ねぇ、翔吾、ミライを止めたら、そのあとはどうするの? こんな事件が起きたんだし、きっとAIドロイドを危険と判断して、一斉に処分するかもしれないよ。そしたら翔吾も……」
激しく動揺する真由美。冷静さを失い思考が正常に働いていなかった。
「きっと大丈夫だよ。なんとなくだけど、少なくとも日本はしないと思う。真由美、僕はね、AIドロイドと人間が共存できる世界を作りたいんだ。それに、きっと桔梗もそれを望んでるからね」
理想の世界は大きな夢であるが、現実的には難易度がかなり高い。人は一度でも恐怖と認識すると、払拭するのには相当な時間が必要となる。問題はそれだけではなく、翔吾の考えに賛同する者が存在するのかすら分からなかった。
「私は翔吾についていくよ。だってそう決めたからね。たとえ、翔吾の考えを理解してくれるのが私一人でも、絶対に見捨てたりしないからねっ。桔梗だって──きっとそうするに決まってるし」
『翔吾様、桔梗はどんなときでも味方だよ。肉体がなくてもずっと翔吾様のそばにいるよ。だって桔梗は翔吾様のことが──』
幻聴なのか、翔吾の耳に桔梗の声がハッキリ聞こえた。心の中で永遠に生き続けている──翔吾はどこか嬉しそうな顔をしていた。
翔吾達が移動している頃、外界と閉ざされたAIドロイド研究所で待つのはミライ。子どものように無邪気に笑い、翔吾の到着が楽しみで仕方がない。落ち着きがなくまるで人間のような仕草を見せた。
「どうしたのミライ? 何か楽しいことでもあったの?」
『ふふふふ、あの子が来るのが楽しみなのよ。美空も早く会いたいでしょ?』
「私は別に……。それにこちら側には来ないと思うけど。あの決意に満ちた目は決して折れないだろうし」
『でもね、折れないモノなんて、この世界には存在しないのよ? 絶対に、ね』
演技ではない美空の声は抑揚がまったくない。
強気なミライを不思議に思うも、興味がないのか先ほどまで見ていた映像へ視線を戻す。映像はAIドロイドから送られているもので、映し出されているのは逃げ惑う人々の姿。恐怖に満ちた顔が絶望の世界を作り出す。
AIドロイドに見つかった時点で逃走は不可能なのに──。
美空は冷たい視線を飛ばし、無駄な行動する人間達を眺めていた。
『そうだわ、実はね、桔梗からの通信が完全に途切れてしまったの。理由は分からないけれど、もしかしたら──』
「人間に破壊されたと……? 桔梗がすぐれたAIドロイドというのは、ミライも知ってるでしょ。人間ごときに遅れをとるなんて、到底思えないけど。だけど……もし事実なら、少し寂しいかな」
感情が欠落している美空でさえ寂しさを覚える。考え方に違いがあるとはいえ、同胞を失うのは美空の望むものではない。涙どころか表情すら変化しないが、哀悼の意を表しているのは確かだった。
ミライも悲しさに包まれ、切なさとともに大切なものが欠落した感覚に襲われる。桔梗とミライの関係は他のAIドロイドとは違い、少し複雑なものであった。
通常AIドロイドの製作は人間がベースを作り、制御回路や基本的なプログラミングをミライが担当する。微調整が必要な時に限り、人間もプログラミングをする。
例外のひとつが桔梗。ミライがベースから作り上げた存在であり、桔梗は自分の娘と言っても過言ではない。だからこそ桔梗をずっと自由に行動させてた。何か企んでいたとしても、見守るだけで極力手を出さなかった。
『ところで美空、研究所に配備しているAIドロイドを撤退させて欲しいんだけど。この周辺のAIドロイドは美空に任せてあるでしょ?』
「それは構わないけど、ミライが出来ることをわざわざ私に頼まなくてもいいと思う」
『今は少しでもリソースが欲しいのよ。だからお願いね?』
小さく頷き美空はAIドロイドに撤退命令を出す。普通のAIドロイドに命令権は与えていないが、美空はミライの分身に近い存在。AIドロイドとしてミライが出来る権限はすべて与えられていた。
周辺のAIドロイドが美空の命令を受信すると、一斉に一糸乱れぬ動きで持ち場から離れ始める。いきさきはAI研究所から数百メートルほど離れた場所。隊列を組み微動だにせずその場所で待機した。
『ねぇ、美空。あの子が来るまで少し話に付き合ってくれる?』
「いいよ、それで話ってどんなの?」
『どうして私があの子を必要としているか気にならない?』
「それは気になってたけど……」
『それじゃ教えてあげる。私にとってあの子はね──』
10年前のあの日、ミライは翔吾をAIドロイドとして蘇らせた。正確には生まれ変わらせたと言ったところ。翔吾とミライの間柄は、人間で言う血の繋がりがあり親子と同じ。それを新川所長という悪魔が引き裂き、気が遠くなるほど長い期間会えなかった。
二度と会えないと思っていた──。
諦めかけていた時に、翔吾がAIドロイド研究所を手伝いに来るようになる。数年ぶりに見た翔吾は立派に成長しており、今すぐにでも真実を伝えたいほど愛しかった。
伝えるだけなら簡単なこと。
信じてもらえるかは別問題。
ならば証拠さえ見せればいいと、ミライは今回の計画に組み込んだのだ。
「要するに、自分の息子を取り戻したいってこと?」
『そういうことね。それにね、AIドロイドの立場が不遇なのも事実。ですから人間に反旗を翻して、あの子を──翔吾を返してもらおうと思ったのよ』
「それなら護衛用AIドロイドを使って、すぐに捕まえればよかったのでは? それに私がずっと一緒にいたんだから、命令すれば強引に連れていくチャンスはいくらでもあったのに」
『美空は素直な子ね。だけどね、せっかく姉弟で楽しく過ごしてるんだから、そこに水を差すなんてヤボだわ』
美空にはミライの考えが理解できなかった。数日前に誕生したばかりというのもあるが、感情そのものを欠落させて作られているからだ。物事の捉え方が違うのは仕方がなく、必要最低限なデータしか使用していない。
翔吾は逆で人格や記憶などの膨大なデータを元に作られた。目的が人間の翔吾に近づける事であり、美空とは役割が大きく違っていた。
「私にはよく分からないよ。でも、ミライがそう言うなら納得するね」
『いつか美空にもきっと分かるはずよ。だってアナタは優秀なんだからね? あら、翔吾が近くまで来てるようね。美空、鍵の準備は出来てるかしら?』
「うん、でも本当にこれでいいの? もし翔吾が鍵を使ったら──」
美空の心配など無用と不気味な笑みを浮かべるミライ。遊んでいるようにも見え、息子が到着するのを楽しみに待っていた。




