第20話 悲しみの別れ
「桔梗お姉ちゃんはどうして他のAIドロイドとは違うのー?」
「早苗様、それはね、桔梗が翔吾様のためだけに存在してるからだよ。たとえ世界中が敵になったとしても、桔梗だけは翔吾様の味方なの」
「いいなー、そんなAIドロイドだったら早苗も欲しいー。だってずっと仲良くしてられるしー」
「きっと早苗様もそのようなAIドロイドと出会えるよ。あっ、そろそろシェルターに着くころかな」
両端が切り立った崖に挟まれた通路を進んでいく。奥に薄らと見えるのは崖と同化しているトビラらしきもの。模様のようにも見えるトビラは、認識していなければただの壁にしか見えなかった。
別れの時が差し迫る。
短い時間で早苗は桔梗とすっかり仲良し。
離れたくない気持ちが強く、早苗の顔からは元気が消えていた。
「早苗様、元気だしてね。この悪夢が終われば普通に会えますから」
「うん! そしたら、桔梗お姉ちゃんといっぱい遊ぶー」
桔梗の放った魔法の言葉が早苗に元気を与える。小さな体で大きく手を振り、桔梗との別れを笑顔で済ませていた。その瞬間、早苗達の頭上から小石が落ちてくる。
気になり頭上を見上げる早苗の両親。
瞳に映りこんだのは今にも落ちそうな巨岩であった。
スローモーションのようにゆっくり流れる時間。
巨岩が親子に狙いを定める。
反射的に早苗を守ろうと、早苗の両親は覆いかぶさりながら目を瞑った。
助からないと早苗の両親が覚悟を決めるも、大きな音だけが耳を通過する。押し潰された感覚はなく、何が起きたのか目を開ける早苗の両親。瞳に映りこんだ光景に驚きを隠せなかった。
「えっ、どうして……」
桔梗が早苗達を救うため巨岩を支えていた。
「長くはもたないから、急いでここから離れてね」
早苗の両親は一瞬固まるも桔梗の言葉に従い、早苗とともにその場から急いで離れる。早苗は手を引っ張られながら、桔梗の姿を瞳に焼き付けていた。
巨岩の重量で桔梗の足が地面にめり込む。
体中が悲鳴を上げ、至る所にヒビが入り始める。
限界を超えた力で巨岩を遥か遠くへ投げ飛ばした。
凄まじい衝撃波とともに、砂埃が視界を数十秒も奪う。やがて砂埃が収まり周囲の景色が元に戻り始めた。戻ったのは景色だけで、翔吾の瞳に映りこんだ桔梗は無惨な姿であった。
「桔梗ーーーーーっ!」
真っ先に飛び出した叫び声。心がはち切れそうになりながら絞り出したもの。急いで桔梗のもとへ駆け寄る翔吾。目の前にすると悲惨さがより鮮明に映りこんだ。
痛々しく肩から折れた右腕。
両足は機械部分が露呈するほど。
想像以上のダメージによって、桔梗の耐久限界を超えてしまった。正確には巨岩を受け止めただけではない。翔吾達にさえ秘密にしていた事がアダとなったからだ。
「翔吾……様。早苗様は無事に逃げた、かな?」
「大丈夫、早苗ちゃんは無事だよ」
「それはよかった……」
痛みを感じない体で満面の笑みを浮かべる桔梗。声はいつもと違い弱々しい。命の灯火が消え入る寸前のように聞こえた。
「どうして桔梗がこんなことに……」
「僕にも分からない。桔梗が僕以外の人間を自分から助けるなんて」
翔吾の命令なしに桔梗が早苗を助けた──この初めての行動に翔吾は驚きを隠せない。翔吾専用のAIドロイドであり、翔吾に危険が及ばない限り動かないのが普通。
普通が普通でなくなり、結果的に桔梗自身は修復不可能となる。自己防衛プログラムが暴走したのか、あるいは別の何かが桔梗を変えたのか。真相はすべて闇の中にしか存在しなかった。
AIドロイドは本当にプログラムに忠実なのか?
感情も偽りで温もりを感じないのか?
翔吾を慕う気持ちすらプログラムが影響されているのか?
答えはノーでもありイエスでもある。人間を参考にAIは作られるも、人間のすべてが判明しているわけではない。可能性があるとすれば神秘のベールに包まれた生命という魔法。AIドロイドに宿り温もりを与え、創造主の予想を遥かに超えた進化を遂げた。
仮説ではあるが、生命の謎が解明されていない以上、誰も否定するのは不可能な話。少なくとも桔梗の心はプログラムでも大量のデータからでもなく、人間と同じく誰かを愛せるようになっていた可能性がある。数日ではあるが、翔吾や真由美と過ごした時間が奇跡を起こした。
「翔吾様、桔梗は……謝らないといけないことがあるの。実はね、ミライから受けたダメージが大きくて、内部が損傷してたんだ。隠していて……ごめんなさい」
「許すよ、そんなこと許すから、だから諦めないでくれよ!」
「いくら翔吾様のお願いでも、それは無理かな。修復不可能なほどボロボロなんだもん」
「何言ってんのよ、桔梗! いつもの減らず口はどうしたのよっ。泥棒猫とかドロボイドとか、人を散々いじめといて、私が仕返しする前に消えないでよ!」
奇跡が悲劇を生んだ瞬間。突然の別れに大粒の涙が乾いた大地を湿らせる。悲しみの沼に沈み込み、翔吾と真由美は抜け出せなかった。心にすきま風が吹き、大切な一部が欠けたのを実感する。
悔しさをぶつけようにも相手がいない。二人はただ泣き続けるのが精一杯であった。
「真由美様、桔梗は楽しかったんだよ。翔吾様を取り合ったりしたけど、人間らしい生き方ができて本当に嬉しかったぁ。もう桔梗に残された時間はあまりないんだ。だからね、最後に桔梗の心の声を聞いてくれる?」
桔梗の最後になるだろう言葉。翔吾と真由美が涙を流しながら頷くと、桔梗が隠していた胸中を心に刻みつけようとしていた。
桔梗が作られたのは10年前。翔吾の警護用として作られたが、実はそれ以前に新川所長が亡き妻の代わりとして作る計画であった。変更せざるを得なかったのは翔吾が巻き込まれた大事故。それが原因で計画を早めたのだ。
新川所長は母親代わりになるだろうと、桔梗の人格モデルに亡き妻──琴音を組み込んだ。結果は見事に裏目となり、桔梗は頑なに母親としての役目を拒絶した。
複製した琴音の人格は人間として未熟だった。
想定年齢を10代半ばにしたがため、恋に飢える少女となってしまう。
若すぎる人格は母親よりも相応しい立ち位置を求めた。
恋というものに興味が湧いた少女の桔梗。翔吾が中学に進学してからより強くなった。身近にいた翔吾と一緒に過ごしたい──プログラムの影響も否定出来ないが、少なくとも桔梗は恋を求めていた。
楽しい毎日の始まり。そう思っていたが現実は残酷なものであった。いつも一緒にいるのは真由美という人間の少女。桔梗は内側に黒いモヤが湧くのを感じた。
黒いモヤは長い年月を経て桔梗の中に積もり、嫉妬に形を変え最終的には愛情へと進化する。プログラムの暴走ではなく、琴音の人格がソースを塗り替えただけ。
ミライの反乱で翔吾に危機が迫り、桔梗は引き裂かれる想いを胸に秘め救い出そうと決意する。長年の夢であった翔吾に近づくも、真由美という存在が邪魔で仕方がなかった。翔吾のためだからと自分に言い聞かせ、過ごす時間が長くなると桔梗に変化が訪れる。
最初こそ嫌悪感しか抱かなかったが、次第に真由美といるのが楽しくなってしまう。気がつけば、恋のライバルであり友達のような存在へ進化していた。
「翔吾様、桔梗は幸せだったよ。だって、大好きな翔吾様と一緒にいられたんだもん。これはプログラムなんかじゃない、桔梗は心から翔吾様を愛してるの。でもね、この愛は叶わないんだ。だって桔梗は──ううん、なんでもない。真由美様も、AIドロイドである桔梗を怖がらないでいてくれてありがと。悔しいけど、翔吾様のこと、頼みます、ね……」
限界であった。時間切れとでも言うべきか、桔梗からの声は途絶え体が動く事も二度とない。悲しみの波に飲まれる中、翔吾は桔梗を優しく抱き締め感謝を心で伝える。
凍えるような冷たさであろうとも、決して離さず悔しさと後悔に押し潰される。目的を忘れ、時間も忘れ、ただ無言で抱き締め続けた。
「翔吾……。桔梗はね、AIドロイドから人間になったんだよ。AIドロイドとしてじゃなくて、人間として死んでいったんだよ。だからね、桔梗のためにも、ミライを止めにいこうよ」
真由美の声ですら今の翔吾には届かない。頭の中を占有しているのは桔梗だけ。喪失感に襲われ翔吾の瞳からは光が失われる。
際限なく流れ続ける涙。
もっと早く桔梗と話していればという想いが込み上げてくる。
近くにいても遠い存在にしていた自分が許せない。
悲しみはやがて怒りに変わり、翔吾は自らを責め続けた。
「僕は愚かすぎるよ。桔梗はずっと見守っていてくれてたのに。それに気づきもしないで……。違う、きっと気づいていても気づかないフリをしていたんだ。AIドロイドはただの道具だと思ってたから……」
絶望の森に迷い込む翔吾。奥深くまで歩き周囲の音を遮断する。自ら作った頑丈な殻に閉じこもり、外界との関わりをすべて拒絶してしまった。
暗闇の世界にたったひとり。
このままここで眠り続けたい。
悪夢という現実から逃げ、理想の詰まった夢の中に隠れたがる。
もし過去に戻れるなら──翔吾は不可能であると知りながら、心の底から願っていた。




