第2話 平穏な日常
「これが非常用エレベーターか……」
目の前にあるのは古びたエレベーター。父親の言う通り動くか怪しさが漂う。黒ずんだボタンは点検されていない証。不安が翔吾の心に侵食するも、勇気を振り絞りボタンを押した。
歪な音とともにエレベーターのトビラが開く。中は薄暗く入るのに躊躇するほど。覚悟を決めた翔吾はエレベーターの中へ。一歩踏み出しただけでエレベーターが揺れ、不安はより一層増していった。
「本当に動くのかなぁ。ううん、今はそんなこと考えないで、早く地上に脱出しないと」
心が闇に覆われる中、翔吾は慎重に地上へのボタンを押す。意外にもエレベーターは鈍い音を立てながらゆっくり動き出した。
「大丈夫そうだね……」
無事に動いたエレベーターに翔吾は安心感を覚える。これで地上に出られると思っていたが、不幸にも悲劇が翔吾に襲いかかった。大きく揺れた瞬間、無情にもエレベーターは行く手を阻むかの如く停止してしまった。
「えっ……。どうして止まるんだよ。まさかミライが──いや、ここは独立したシステムだから、影響を及ぼせないはずなのに……」
一刻を争う状況にも関わらず、エレベーター内に閉じ込められ慌てる翔吾。運命が敵に回った感じがし、壁を何度も強く叩き悔しがった。
「どうして……どうしてだよ。頼むよ、頼むから動いてよ!」
悲痛な叫び声はエレベーター内に響くだけ。拳が真っ赤になろうとも、爆発させた感情とともに壁を叩き続ける。無力さを痛感していると翔吾に奇跡が起きた。
鈍い大きな音とともに動き出すエレベーター。
嬉しさで翔吾の瞳には涙が溜まっていた。
「やった、やったぞ! これで外に伝えられる」
地上へ近づくにつれ翔吾に焦りが生じる。たとえ外へ出たとしてもすぐには安心できない。研究所で起きたミライの反乱を、皆にいち早く伝えなければならないからだ。
行く宛ては翔吾の中で決まっており、幼なじみの時田真由美を頼ろうとする。エレベーターが地上へ到着すると、休む暇もなく翔吾は真由美の家へ走り出した。
外の景色は地下での出来事が嘘みたいに感じる。澄み切った空から日差しが照りつけ、小鳥達の囀りが平和を象徴しているほど。まるで嵐の前の静けさとも思え、翔吾の心は穏やかではなかった。
「はぁ、はぁ、やっと着いた」
十数キロ離れた真由美の家に、翔吾はようやくたどり着く。持ち前の運動神経でこの程度の距離を走るのは朝飯前。大きな深呼吸で乱れた心を落ち着かせた。
真由美を頼るのには幼なじみ以外にも理由が存在する。真由美の父親が地元の有力者ということ。傲慢とは縁がない性格で、お人好し過ぎると言ってもいい。困っている人は放っておけず、何かと面倒事を引き受けては家族に迷惑をかける事もしばしばあった。地元の人からの信頼は厚く、夫婦喧嘩の仲裁をよく頼まれていた。
「相変わらず大きな家だなぁ。と、呑気なことを言ってる場合じゃないか。急がないと手遅れになるし……」
大きな二階建ての家が真由美の住まい。巨大な門が敷地と道を分断し、豪邸に分類されるほど庭は広い。独特なオーラが放たれ来る者を拒んでいるかのよう。翔吾のように普段から慣れていないと気圧されるのは間違いなし。急ぎながらも冷静な心で、翔吾は見慣れたインターフォンに手を伸ばした。
「はーい、どちら様でしょうか?」
しばらく待っていると、少女の声がインターフォン越しに聞こえてくる。聞き慣れた声は翔吾に安心感を与えた。
「ま、真由美? 翔吾だけど、実は……大変なことが起きたんだよっ! だから、力を貸して欲しいんだっ」
緊張の糸が切れ翔吾は珍しく声を荒らげる。心に浸透する真由美の声で気持ちが焦ってしまった。
「そんなに慌ててどうしたの翔吾? 立ち話もなんだから、とりあえず中に入ってよ」
癒しのある優しい声で真由美は翔吾を家に招き入れる。玄関を通り抜けると和風のリビングがあり、翔吾はいつもの指定席に座った。しばらくすると真由美が熱いお茶を持ってくる。熱いお茶が翔吾の喉元を通過し、心にゆとりを与えた。
「どう? 少しは落ち着いたかな?」
安心感のある声で真由美は翔吾を気遣った。
「う、うん、ありがと、だいぶ落ち着いたよ」
「そっか、翔吾が慌てるなんて珍しいよね。それで何があったのか聞かせてくれる?」
「驚かないで聞いてね。いつものように、今日も父さんの研究所で手伝いをしてたんだけど、AIドロイドのメインコンピューター、ミライが暴走して反乱を起こしたんだ」
「えっ……。反乱ってどういうこと? 翔吾、アナタいったい何を言って……」
天使の笑顔が驚きへと豹変する真由美。信じられないというのが本心で、一瞬だけ軽い冗談かと思った。ミライが自我を持ち暴走するなど眉唾物。世迷言を信じろというのが無理な話で、誰にでも分かるウソだと確信した。
だが翔吾の瞳には一点の曇りもなく、とても冗談とは考えられない。演技というのも捨てきれないが、翔吾が悪質な冗談を言う人物ではないのを真由美は知っていた。
「で、でもさ、うちのAIドロイドは特に変わった様子がないよ? それに、そんな事態になってるなら、国が動くんじゃないかな」
真由美が自宅のAIドロイドを横目で見るも、不振な点は見つからず通常運転。にわかに信じ難い話で、真由美の心は大きく揺れ動く。何が正しいのか思考の渦に巻き込まれていると、翔吾の口から衝撃の事実が伝えられた。
「それがね、外部との通信手段はすべて抑えられていて、父さんや職員の人たちは警備用AIドロイドに捕まっちゃったんだ。僕は父さんの力を借りてギリギリ非常用のエレベーターから脱出できたけど。だから、大問題になる前にミライの反乱をみんなに知らせないといけないんだ」
頭の中で展開される悲劇の光景。
蘇った恐怖で普段強い翔吾の体が小刻みに震え出す。
初めて見る翔吾の姿に、真由美は話が本当のように思えてきた。
「だけどさ、AIドロイドが普及してから10年以上経ってるのに、そんな話は聞いたことがないよ。そもそも、安定供給されてるAIドロイドが──というより、メインコンピューターか、それが暴走するなんて、考えにくいんだよね。あっ、別に翔吾のことを疑ってるわけじゃないよ」
「それはそうなんだけどさぁ」
「んー、とりあえず今日はどうするの? 自分の家に帰る? もしひとりで不安なら、私の家に泊まっていけばいいよ。お父さんも大喜びするだろうし」
幼なじみの関係とはいえ、昔と違い年頃の今ではひとつ屋根の下に泊まるのに、翔吾は少し抵抗があった。ましてや真由美は容姿端麗で男子からの人気者。泊まった事がクラスメイト達に知られたら、男子達から尋問ならぬ拷問が待ち受けている。
拷問を選ぶか、AIドロイドの恐怖を選ぶか、翔吾がこの二つを天秤にかけ選んだのは──。
研究所での出来事を考えると拷問の方がマシ。
AIドロイドのいる家にひとりは身を滅ぼすだけ。
捕まったが最後、世界はミライの支配下に置かれてしまう。
最悪の事態だけは回避する必要があった。
「真由美、お世話になっていいかな。もし家に戻ったりでもしたら、研究所に連れ戻されそうで……」
翔吾は父親と二人暮しだが、父親は研究所に篭っており実質ひとり暮らし。母親は幼い頃に事故で他界していた。
「よしよし、大丈夫だよ、私がついてるからね。着替えはお父さんのでいいかな? サイズもピッタリだと思うし」
「ありがとう、真由美。でも僕は断じて臆病なんかじゃないからねっ! AIドロイドに勝てる人間なんかいないからだよ」
「はいはい、翔吾が泊まるって聞いたら、お父さんもお母さんも喜びそうね」
真由美の家では男の子が本当は欲しかった。しかし実際に生まれたのは真由美という女の子。だからといって蔑ろにされず、多くの愛情を注がれながら育てられた。どうしても男の子が欲しかったが、母親は病気で子どもを産めなくなってしまった。
焦燥感が母親の心を漂う中、翔吾が遊びに来るようになる。暗く沈んだ母親の顔は、翔吾という希望の光によって照らされ笑顔が戻った。まるで自分の子のように接し、いつしか翔吾が遊びに来るのを待ち遠しく思うほどであった。




