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とはいっても、本物のワルではない。
地元のやんちゃなグループで、彼らが考える、カッコ付けをやっていただけだから、学生服を着なくなってからは、まるで膨らんだ風船が栓を抜かれて急速に萎んでいくように、普通に戻っていく。
彼らはあくまで、クラスの中で、学校の中で人気のある目立つことができれば良かったのだろう。
髪の毛を馬鹿みたいにして、エレキギターを弾き、文化祭でバンドの真似事をすれば、それで十分だった。
バイクは乗っていたが、交通違反切符を切られたこともないのだ。
でも、母にとっては、それは不良行為に見えたようだ。
その頃、彼女はまだ小学生だった私に、大袈裟なため息をついて良く言ったものだった。
あの子は父親に似てしまったのね。
菜々ちゃんは、どうかああならないでね、と。
わかっていたことだが、ギターもバイクも一瞬で使い切ってしまうほどの乏しい才能しかない兄は、高校卒業後、一年間はフラフラしていたが、あるとき心を入れ替えて、真っ当な道を進み始めた。
それなりにしっかりした日本料理屋で、板前の修行をするようになったのだ。
本当に、どこまでもお決まりのパターンを歩む人物である。
だが、もちろんそれは、母を大いに喜ばせることとなる。
息子が戻ってきてくれた。
母と同じ料理の道へ。
やっぱり、この子は私の血を引いているのね。
髪を短く刈り、気恥ずかしそうに板前の白衣を着た兄を、感動の涙まで流して母は抱きしめたものである。
そして彼のストーリーは今に至る。
不幸な家庭環境に苦しんだ少年時代。
荒れていた学生時代。
心が暗闇をあてもなく彷徨った挙句、母の大きな愛に目覚める。
人々においしい料理を提供して、幸せになってほしい。
博愛精神に目覚めたところで、めでたし、めでたし、だ。
ちなみに、兄が板前修行をするようになったとき、既に今の奥さんと付き合い始めていた、ということも付け加えておく。
実にありふれた、安っぽい美談だが、この話は重要な点を見落としている。
父が母を殴っていたときも、兄がやさぐれていたときも、母が感動の涙を流したときにも、そこにはもう一人登場人物がいたのだ。
私という。
でも私は、この家の物語の中で、主役ではなかった。
それは冒頭だけ登場する悪役の父ではないし、自分勝手な兄でもない。
この物語の主役は、あくまで母、なのだ。
長い悪夢のようだった幼少期は、両親の離婚によって突然終わりを告げた。
だが、暴君去って、また暴君。
それは新しい悪夢の始まりに過ぎなかった。
離婚後、母は子育ての責任と重圧を一手に引き受けることになる。
この子たちだけは、自分がなんとかちゃんと育てなくてはいけない。
父のような人間にだけは、決してしてはいけない。
そのために自分が出来ることは何なのか。




