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母はその頃、自由に創作の腕を振るうことができなかった。
父の命令で、彼の好みのものしか作らせてもらえなかったのだ。
食卓に並ぶのは、酒のアテになるようなものばかり。
子供の好きなようなものは、一つもなかったから、私はお茶碗一杯のご飯を食べるのに、非常に苦労していた。
テレビのコマーシャルでは、私とそう変わらない年代の子供たちが、ハンバーグだのカレーだのに目を輝かせていたけど、そんな世界は私が生きているこの現実にはどこにもないのだ。
そう思っていた。
私にとって食事の時間とは、早くこの時間が終わってほしいと願うばかりの時間に過ぎなかった。
そのせいだろうか?
両親が離婚して、ようやく母が自由に食事のメニューを決められるようになってからも、私はおいしいものが食べられて幸せだ、と感じることがなかったのである。
だがら、私は人と同じように食べることに対して楽しみを見出せないのだ、と、結論づけるのはいささか早計なのかもしれない。
私には、五つ上に兄がいる。
彼もまた、私と同じような苦しみを味わってきた、というより、彼の方が五年も長くその苦しみを味わされたはずだ。
懲役で言えば、彼の方が五年長い。
それなのに、兄は食べることに対して、苦しみをそんなに感じてこなかったように思える。
まだ父が家にいた頃、お茶碗一杯のご飯を食べるのにも苦労していた私と違って、兄はどんなおかずでも苦にせず食べていた、というような記憶がある。
今や料理家になった兄が、どこかの雑誌か何かのインタビューで、こう答えていた。
「母が離婚したことで、僕はようやくまともなご飯が食べられるようになったと思います。食卓に対して、温かさとか、心がホッとする平和な感じを持つことができるようになりました」
ダカラボクハ、ハハノヨウニ、ヒトノココロヲ、イヤスリョウリヲ、ウンヌンカンヌン……。
私はこの記事を読んだとき、この人は何を言っているのだろう、と思うと同時に、ああ、やっぱりこの人は母の子供なんだな、と妙に納得したのを覚えている。
当時既に10代の入り口に入っていた兄は、酒を飲んで理不尽を言う父に、良く反発していた。
それは子供心に、巨人ゴリアテに立ち向かう英雄ダビデを思わせたし、私は父に対抗する兄を頼もしくも思い、応援してもいた。
だが、もちろん兄はダビデなんかではなく、強大な敵の前に無謀に散り、こっぴどい仕返しを受けることとなった。
おまけに、結局さらなる父の怒りを買い、その度に母が殴られることになったわけだから、私は兄のことを良く思っていなかった。




