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ここのところずっと食べている。
それなのに、私の脳内にはちっとも幸せホルモンは生成されない。
気分も精神も安定しない。
なぜ栄養にならないのだろう?
このモデルたちは、仕事終わりでクタクタに疲れてしまっているから、もうエネルギーが残っていないのではないか?
私は、不健康にガリガリに痩せたモデルの姿を思い浮かべた。
そうだよな。
あんな体で健康なはずはない。
私はただ機械的に、そのモデルたちを口に入れ、咀嚼し、緑茶で喉に流し込んだ。
これは作業である。
私がこの世に生を受けて三十と五年、一日に三回ずつ続けてきた、苦痛な作業。
嫌でもやってくる、義務的労働。
それは私に、牢獄にいる囚人に出される食事を思わせる。
牢屋にいる限り、一日3食は保証され、雨を凌ぐ屋根もある。
だが、自由はない。
食事メニューを選ぶことはできない。
その窮屈な部分から目を背けるために、心を無にして、作業を続ける。
これはおいしいのだろうか?
料理というものは、おいしいものなのだろうか?
私にはわからない。
その間、この人は私の向かいに座って、同じものを食べる。
それなりにおいしそうに、誇らしげに、まるで犬のように。
この人、つまり、私の母だ。
彼女はテレビ番組の料理コーナーを長年担当している料理家である。
美人ではないが、親しみやすい風貌と気さくな人柄。
明るく元気な、情に厚い下町のおっかさんのイメージで、視聴者の心を掴んでいる。
主婦層から一定数の信者を獲得していて、彼女のSNSにはそれなりの数のフォロワーが付いている。
若くして結婚したが、夫の家庭内暴力に苦しんだ末、離婚。
その後、趣味の料理の腕を活かして料理家の道へ進み、女手一つで二人の子供を育て上げた。
ちなみに二人というのは、もちろん私と、五つ上の兄。
兄は、母の後を継ぐ形で料理家の道に進んでいて、そのこともあって、世間からは賢母の象徴のように思われている。
不幸な結婚生活にもめげず、子供たちを育て上げた、シングルマザーの鏡。
だが世間の人たちは、私のことを知らない。
ウィキペディアにも、兄のことは書いてあるが、私のことは書いていない。
世間的には、私はいないことになっている。
その母が、自分の子供たちを食べていた。
彼女が生み出した、彼女のために働いてくれる、かわいい料理たち。
娘の目の前で繰り広げられる、親による子の捕食シーン。
それはまるで曲芸のようにも見える。
食べるというより、飲み込むといったほうが適当だ。
私は唾液の分泌が少ないせいか、食べるのに時間がかかるタイプだ。
口の中でよく噛んでからでないと飲み込めないし、多くの場合、水分の手助けを必要とする。




