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「菜々ちゃんは栄養付けて元気にならなきゃいけないんだから、しっかり食べなきゃダメよ」
それは優しいセリフだった。
まるで、世間で言うところのお母さんみたいなセリフだった。
愛情がこもっていて、優しさを隠そうとしない。
だがその声には、芝居がかった響きが含まれている。
私は何度もこの響きを聞いたことがある。
何度も聞かされて育ってきた。
湿っぽい愛情と、虚栄と、自作自演が入り混じった、独特の響きだ。
それは本能的に私の深いところにある、柔らかい部分をイライラさせる。
まるで細かいトゲトゲで引っ掻かれているみたいに。
どうせなら強く引っ掻いて、そこをビリビリに破ってくれればいいのに、痛みだか痒みだか判別つかないギリギリの優しさで刺激し続ける。
食卓には、彩り豊かで、栄養満点らしい料理が並んでいた。
お節介な音の響きが、それらに理屈というお墨付きを与える。
「卵や大豆製品はトリプトファンを含んでいて、これは幸せホルモンセロトニンの材料になるのよ。ウナギに入っているビタミンBは脳の働きを助けるし、オメガ3脂肪酸は気分安定に役立つわ。キノコのビタミンDも大事。ナッツ類は精神安定作用のあるマグネシウムを豊富に含んでいて、ヨーグルトには腸内環境を整える作用があるから、毎日発酵食品は摂らなきゃダメね。それから、リラックス効果には緑茶がいいのよ」
改めて言われるまでもない。
既にこの人の口から何度も何度も出た言葉たち。
それ以前に、私は自分の学習の結果として、良く知っていた。
それこそ、主にテレビ番組由来の薄らぼんやりとした知識しかないこの人よりも、ずっと正確に詳細に。
ウナギの卵とじ
厚揚げと小松菜の炒め物
五分つき雑穀米ごはん
キノコのお味噌汁
季節のフルーツヨーグルト、アーモンド添え
緑茶
見せるために生み出された料理たち。
この人は内緒のつもりだが、私はこれらの料理が、既にモデルとして一仕事終えた後だということを知っている。
この人の作った料理は、全て写真に撮られて、SNSに上げられる。
生まれてゼロ秒で既にモデル。
それはどんな過酷な撮影にも弱音を吐かず、忠実に仕事をこなし、プロデューサーの評価を上げてくれる。
賢母という、嘘で塗られた世間のイメージを増幅するだけの機械。
それが彼女たちの使命だから、いくらこんなものを食べたって、栄養になんかなりっこないのは道理だ。
今はお昼の12時だが、朝も同じようなものを食べたような気がする。
何を食べたのかは思い出せない。
この人の自己承認欲求SNSには、それらの亡霊が残っているだろうけど、いちいち調べる気になれない。
調べなくても、そのときも、トリプトファンやらビタミンBやら、腸内環境とやらを食べたはずだ。




