第6話『氷の女(ひとのめ) ― 約束の残響 ―』
炎が消えたあと、街には再び静寂が訪れた。
砕けた氷の欠片が、まるで雪のように舞い落ちる。
剛は膝をつき、息を整えながら、胸に宿った赤い光を見つめていた。
それは確かに、自分の“心”そのもの。
だが同時に、どこか異質な“力”が脈打っているのを感じる。
「……コウジロウ、さっきのは何だったんだ?」
パグ犬の瞳は淡く青く輝いていた。
「炎が目覚めたのです、主。
凍結の記憶を越えた者だけが、その力を扱える……。
しかし気をつけてください。炎の均衡には“もう一つの意思”がある」
「もう一つの……意思?」
その時だった。
凍てついた街の奥から、微かな鈴の音が聞こえた。
風に乗って流れてくる声——それは女性のものだった。
> 『——どうして、あの約束を破ったの?』
剛の胸に、また痛みが走る。
氷の裂け目の向こう、白い霧の中に立つ“少女”の姿。
長い銀髪が風に舞い、瞳は凍えるような蒼。
その手に、氷の花を抱いていた。
「あなたが……“氷の女”か?」
少女は静かに頷く。
「わたしの名はフィーネ。炎と氷の均衡を見届ける“記録者”のひとり」
その言葉に、コウジロウが低く唸る。
「まさか……まだ存命だったとは……」
「存命?」
「いえ、彼女はこの世界に囚われた“時の残響”……。存在してはいけない者です」
剛の背筋を冷たい風が走る。
フィーネの瞳が、真っすぐに彼を射抜いた。
> 「あなたが……炎を目覚めさせたのね。
なら、いずれわたしと戦うことになるわ。
世界を“凍らせた”のは、他ならぬ——あなた自身だから」
その瞬間、周囲の温度が一気に下がる。
氷の街が再び息を吹き返したように、氷柱が空へと伸び上がっていく。
フィーネの周囲には無数の氷晶が浮かび、まるで彼女自身が“氷の心臓”であるかのようだった。
「……俺が、世界を凍らせた?」
「そう。“忘れた記憶”の中に、すべての答えがある」
フィーネの指先が触れた瞬間、剛の脳裏に焼き付く光景。
——火の海、崩れる空、そして誰かの泣き声。
その中心に立っていたのは、自分自身。
「やめろ……! 俺じゃない……俺は——!」
叫びが凍りつく。
フィーネはただ静かに微笑み、消えゆく声で囁いた。
> 「次に会う時、あなたが“選ぶ”のです。
焼くか、凍らせるか。救うか、終わらせるか——」
霧が晴れると、彼女の姿はもうなかった。
ただ、彼女が抱えていた氷の花だけが、剛の足元に落ちていた。
手に取ると、花弁の中に小さな光が宿っていた。
それはまるで、彼女の“涙”のように震えていた。
「剛……これが、均衡のもう一方。炎と氷を繋ぐ“鍵”です」
コウジロウの言葉に、剛は小さく頷く。
もう逃げられない。
自分が“凍結の原因”に関わっているのなら、
その真実を確かめなければならない——。
赤い灯が、再び静かに燃え始めた。
氷の街の中心に向かって、剛は歩き出した。




