浮気する覚悟というもの
春の日差しが気持ちの良い昼下がり。
よく手入れされた芝生と色とりどりの花、そして洒落たテーブルの上に、洒落たティーセットと茶菓子。
そこに女性達の朗らかな声が響いていた。
その中で、私は早く帰りたい一心で、ひたすら作り笑顔で過ごす。
そう思っているのは私だけなのか。このまま何事もなく終えたい、そう思っていてもそうさせないのが、女の花園。
「そういえば……ミシェル様。この前、旦那様のリニート公爵様が何やらとっても親しげな感じで女性と話していたのです」
「まぁ、そうなんですの」
「私も聞きましたわ。王宮の目立たぬ場所で女性を抱き抱えていたと……」
「まぁ、それはそれは」
「気をつけた方がよろしくてよ。今は新婚でも夜の不一致とかで浮気に走る殿方も多いそうで。この前も、どこかの夫婦がそれで離婚したみたい」
それは初耳だけど?
「あらやだ。ミシェル様がリニート公爵様を満足させられていないってことですの?そんなまさかですわよねぇ、ミシェル様?」
そこ言わないといけないかなぁ。
「相変わらず素敵な方ですものね。若い令嬢から貴婦人が一夜だけでもと夢見て声かけることもあるのですって」
「ミシェル様は、旦那様が浮気されていたらどう思われますの?やっぱり許せない?離婚しますか?」
「でも、王国騎士団のエースでしょう?鍛え抜かれた身体に整った男らしいお顔……誰もが抱かれたいと一度は思うのではないでしょうか」
そうだろう、そうだろう。
うちの旦那はそれはもう色気ありやる気あり。
「私、少し聞きましたの……言おうか迷ったのですけれど」
「何でしょう?」
「リニート公爵様がアリスティーヌ王女の私室へ1人で入る所を何度も見た人がいるのです。それも勤務中に」
「まぁ、本当ですの?ミシェル様、これは黒ですよ」
「ミシェル様お可哀想……」
寄ってたかって皆楽しそうに目が活き活きしている。本当に性根悪い奴らだ。
「そうですね……私は思うのです」
「ええ、何をです?」
「もはや諦めですか?」
「お可哀想、ミシェル様」
私は努めて大真面目な顔で言ってやった。
「うちの旦那様に限って、浮気という愚かな行為をあからさまにすることは、絶対にありません。断言致します」
「まぁ、そこまでリニート公爵様を信じているのですか?」
「なんて純情な……」
「ミシェル様、お可哀想……」
そこ、可哀想連発すな。
「ええ、勿論です。信じてますから。夫の不貞を疑ってまで、人生何が楽しいのでしょうか」
私の声は驚くほどはっきりと突き抜けていった。
*
「……と言う事があったのです。どう思います?オリバー様?」
私はその日の夜に、仕事で疲れて帰った夫の腰をマッサージしながら聞いた。
「君にそんな事を言ったのか。誰だそれは……うぅ、そこ、そこいい」
くぐもった声を出すオリバー様。
毎日、稽古に警備にお疲れの身体をこうやって労わるのが私のルーティンなのだ。
私は昼間の茶会で浮気話をしてきた令嬢の名を数名あげた。
「うむ。そうか……明日、家の方に警告でも出そう」
「さすが、旦那様。お仕事がお早い」
私がオリバー様の背中を撫でれば、オリバー様がくすぐったそうに身を捩る。
「それで、旦那様?王女との秘密の遊びは何をされているのです?」
「聞き方悪いぞ。極秘だ……悪いな」
「あらやだ」
「あっ、ミシェル、そこは」
私は旦那様の弱い所を責める。
「おいっ、やめ、やめてくれっ」
「早く言った方がよろしいのでは?ふふふ」
「横腹はっ、横腹だけはっ……くぅ」
オリバー様が悶える様子を私は楽しむ。
「ミシェルっ、これだけはっ言えないんだ。だけど、誓っていかがわしい事など何も」
「本当ですの?全部吐き出せば楽になりますわよ?」
「あぁ、もう吐き出したい」
「ふふふ」
形勢逆転、私はふかふかなベッドを背に身体が沈む。
「ミシェル。君も悪いな」
「何がです?」
「そうやって、毎度毎度、俺で遊んで」
「オリバー様がいけないのですよ?毎度毎度、あなたの噂を聞かされるわたしの身にもなって下さいな」
そうなのだ。結婚しても尚、オリバー様の人気は衰えず、むしろ色気が増したと騒がれて、妬まれ、嫌味を言われるのが面倒くさいことこの上ない。
「うむ……そうだな」
では、とオリバー様がシャツを緩めた。
「ひとまず、分からせる必要があるみたいだ」
そう不適に笑うオリバー様。何やら考えがあるみたい。何でしょうね?
*
オリバー様の誕生パーティ。
公爵邸自慢の会場で歓談を交わす。これでもかというほど煌びやかに、そして派手に装飾してやった。
「こんなにしなくても」
「私の愛が伝わるでしょう?」
「愛なのか日頃の鬱憤か」
本当にあれからもオリバー様の噂を小耳に挟み、対応するのが非常に煩わしいのだ。
ほら、またやって来た。
「ミシェル様。今日の会場、それにミシェル様のドレスも素晴らしいですわね」
「ありがとうございます。愛しい旦那様の誕生パーティ、気合を入れましたわ」
「まぁ、素敵ですわ。さぞ、リニート公爵様もお喜びでしょう。あら……肝心の公爵様はどちらに?あぁ、あそこでご令嬢と踊っていますのね」
私の妹だけどね。
「なんだか……とても仲良さげですね。まぁ、あんなに近づいて」
「2人ともダンスが得意ですから」
「ミシェル様は踊らないのですか?」
「私はあまり得意じゃなくて」
「まぁ、それでは公爵様も退屈でしょうね」
「いや、きっと安心していますわ」
足を踏まれないからね。喜んで妹と踊りに行ったわ。
「心配じゃないですの?ほら、最近話題になってますでしょう?姉妹に婚約者や旦那を取られるっていう」
「あぁ、話題の」
「私、心配ですのよ……そんな事にならないか」
「まさか」
「もしかしたら、あのまま……」
「妄想激しいですわ」
「だって男女の中に何が起こるか分からないのですよ?出来心だって……」
「失礼。君は私が出来心で不貞をするほど愚かに見えるのかい?」
その令嬢、名をシーナ嬢と言うが、彼女がびくりと肩を揺らした。
「あ、あのリニート公爵様……いえ、それは」
「ミシェル。俺は不貞を働いているという噂があるみたいなんだ、どう思う?」
「不貞ですか?ふふふ、まさか」
私は真っ直ぐシーナ嬢を見て言った。
「オリバー様が不貞を露見させるほど、そんな愚かで軽率な方ではありませんわ」
「だよな。まず、するなら徹底して隠す」
「ええ、勿論です。バレて後からそんなつもりじゃなかった、なんて言い訳するなら不貞など働かなければいいのです。浮気するなら浮気する覚悟を持って欲しいものです」
「う、浮気する覚悟……?」
「ええ、覚悟です」
今ではちらちらと私達の会話を気にして耳をそば立てている周囲。
「だって、そうでしょう?浮気してバレた時には、家族や自分の職場での地位、社会的地位に友人関係など、あらゆる物が壊れる可能性もあるのです。その可能性も視野に入れて、そうなった時に対処できる術を準備をして、覚悟を持って浮気はするべきです。それができない愚かものは浮気するべきではない」
「で、ではそれができたら浮気してもよい、と?」
「ええ、徹底的に隠し通せる自信がお有りならすればいいですわ。私の知らない所でする分には、私には何も影響ないですもの」
「浮気を公認するのですね」
シーナ嬢の目が鋭く光る。
「公認とはまた違いますね。徹底的に隠せるのが重要です。もしバレた時は、即離婚。だって、そんな愚かな男はいりませんもの」
横でオリバーが身震いする。
「それに、まぁ、バレればその女もばっさり……そうする事ができる力も準備も私はしていますわ」
シーナ様が一歩後ずさる。
「それらの点を踏まえて……オリバー様は不貞を働かれる、そんな愚かなお方でしょうか?顔も頭も金も権力もありますから、するなら隠せるでしょう?」
「うむ、顔も頭も金も権力もの言い方が気になるし、前提として浮気は決してしていないが、するならあらゆる人と物を使って隠し通す」
「そうして下さいな。でも、バレたら分かってますね?」
「あぁ、ミシェル。だめだめ、君がいないと俺はやっていけない。絶対に浮気などしないからな」
「ふふふ、分かっていますとも。あなたがそんな愚かではないことも、私を愛してくれているのも」
私達2人は手を握り見つめ合う。
周囲では、私たちを憧れの眼差しで見る者、居心地悪そうに視線を逸らす者、ちょっと残念そうな顔をする者、それぞれだったが、これで、あらぬ噂は止められたのではないだろうか。
シーナ様が涙目で悔しそうに見ているが、ちょっとは賢くなってほしいものである。
*
それから、オリバー様の浮気話が流れることは面白い事に全くなくなった。
そして、若い子達の中でも浮気を堂々とする奴は愚かだという考えが広まり、浮気で泣く者も少なくなったらしい。
ただ、「浮気を隠せればしてもいい、かっこいい」などという考えが一部の若者で流行ってしまい、それを実行して涙を流してしまった被害者達には申し訳なく思っている。
「でも、それはミシェルの考えであって、それを真似して失敗した奴が悪いのでは?それに、相手もそんな奴と結婚しなくて良かったということだ」
「そうですけれど。でも、立場上、私達の発言は影響力がある事を考えなければなりませんね」
「それはそうだな」
被害にあった、主に令嬢達のフォローが必要そうだ。
少し分からせてやろうと突っ走ってしまった。そこは、反省している。
「私の考えが賛否両論である事は分かっていますが、これからも考えは変わりません」
「あぁ、知っている。婚約時に言われた時は驚いたがな」
オリバーは2人目の婚約者。1人目は幼い頃から婚約していて信頼関係も築けていたと思っていたのに、ある日、裏切られた。部屋で女と情事を交わしていたのだ。
バレてから、「違う、出来心で、ミシェルが1番だ」などと言われても、知ってしまった後では遅かったし、傷付いた心はどうにもできなかった。
どうせなら、知らずにいたかった。そのまま知らずに年老いて死んだ方がマシだと思った。死ねば、何も残らないから。
「浮気はしてもいいです。けれど、絶対にバレないよう徹底してください……なんて初対面で言われて面食らったなぁ」
「あら、でもそれで婚約を決めたのですよね?」
「浮気していい、なんてそんな爆弾落とす女性を見たことなかったしな。面白そうだと思って」
「あなたの好みの枠にはまって良かったです」
「おい、拗ねるなよ」
オリバー様が私を引き寄せて額に口付けた。
「拗ねてなんか。オリバー様には感謝しているのですよ。初対面であんな発言をした私を見染めて下さって……」
私はあの日、爆弾発言をした後にすぐに返ってきた彼の言葉を思い出した。
『分かった。その時は俺の持つ頭脳と権力と人を全力で使って浮気は隠そう。徹底的に隠せる自信しかないからな。だから、安心しろ、お前が浮気で傷つくことはない』
「言っとくが、俺は浮気などしないぞ。ミシェル、一筋だ」
「ええ、承知しています」
私達は見つめ合いながら笑って、軽く口付けた。
オリバー様なら大丈夫。
傷付けるような人ではないと信頼できる。
私達はテラスから見える眩しい庭園を眺めた。
それは、30年後の夕日を見つめる2人もそこで手を繋ぎ見ているのは、変わらなかった。
〜〜〜〜〜
「あー、それでだな。王女の件は」
「大丈夫ですよ?側近も侍女も控えている事は知っていますから」
「そ、そうか。なら良かった、うん、いや、その任務だからな、これは。内容は、極秘なんだ」
しどろもどろに語るオリバー様。
知っていますよ。あなたがアリスティーヌ王女に昔から弱みを握られている事。
そして、王女の趣味に付き合わされている事も。
だって、アリスティーヌ王女が描くオリバー様の筋肉美は、私のコレクションでもあるもの。
内緒ですけれどね。
おしまい。
お読み頂きありがとうございます。
王女は筋肉フェチで、幼馴染のオリバーは絵画の餌食になっています。