第42話「葵 ―失われた光―」
翌朝、経矢とイリーナはウェーラを出て北西にある経矢の故郷を目指した。
距離的にも片道3時間ほど歩けば、着く距離だ。
馬はモルディオに着いてから購入することにして、今回もまた徒歩で目的地を目指す2人。
辺りには相変わらず穏やかな平原が広がっている。
「どうキョウヤ? この辺りは昔と同じ景色?」
隣を歩くイリーナが経矢に尋ねた。
「ううん、だいぶ変わってる。昔この辺りは森が広がってたんだよ」
経矢はイリーナの問いに、首を横に振って答える。
「え、森? この草原が?」
経矢の言葉にイリーナは驚いた。
「ああ。500年前この辺りは戦争が絶えなかったんだけど、お互い進軍しにくいように……つまり戦争が起きにくいように、大きな森林地帯や河川なんかが自然の壁になってたんだ」
経矢は懐かしそうな目をしながら、イリーナに説明する。
「へぇ……。ちょっと想像もつかないよ……」
周りを見渡しながら、信じられないといった様子で言葉を漏らすイリーナ。
無理もないだろう、今はただただ心地よい風が通り抜ける草原なのだから。
森が完全に失われるほどの戦いが、この地で繰り広げられていたとは到底思えないほど、かつての面影はもう残っていなかった。
そのまま歩くこと、2時間。
経矢とイリーナは、やっと目的地にたどり着いたのだった。
「ここが……俺の生まれ故郷……間違いない、ここだ」
経矢は草原を抜けた先にある小高い丘の上から見下ろしながら呟く。
イリーナは言葉が出て来なかった。
そこは何もない、これまで歩いてきた道と何一つ変わらない草原が広がっているだけだった。
かつて村があったであろう痕跡は、何も残ってはいなかった。
「経矢の……故郷……」
イリーナは目を大きく見開いて立ち尽くしている。
経矢は目を閉じて、大きく深呼吸をする。
『経矢。お姉ちゃん、明日からまた学院に戻るから、みんなの言うこと聞いていい子にするんだよ?」
魔法学院生だった姉、平之葵が、荷物をまとめながら微笑みかける姿が脳裏によみがえる。
『うん! ぼく、いい子にしてる!』
まだ幼さの残る経矢が姉に笑顔で答える。
両親を早くに亡くしていた経矢と葵は、集落の大人たちに支えられながら2人で暮らしていたのだ。
魔法の才能があり、魔法学院に特待生として入学した葵は、特待生としての援助を受け、それを故郷の経矢に仕送りしていた。
彼女は特待生としての援助を受け続けるため、才能に驕ることなく努力を続ける優秀な学生だった。
『ほら見て経矢。こんな魔法もできるようになったんだよ!』
長期休暇で魔法学院から帰るたびに、葵はそうして経矢の前で魔法を披露し、経矢はそれに目を輝かすのだった。
『お姉ちゃんすごい! ぼくも、お姉ちゃんみたいな魔法使えるようになるかな!?』
経矢の無邪気な問いに葵は優しく微笑むと彼の頭を撫でる。
『もちろん! 経矢もできるようになるよ』
そんな姉が大好きだったし、そんな姉の期待に応えようと経矢は努力した。
2人はとても仲の良い姉弟だった。
そんな2人に悲劇が訪れる。
集落が奴隷商人に襲われたのだ。
『この辺りじゃユェントン地方の人間は珍しい。それに……鎖国中の灯ノ原人はさらに希少だ。私たちは運がいい』
ハットを被った男……ルーベン・メンデンホールとその部下たちは経矢たちの集落に住む人々を奴隷として売るために、襲ったのだった。
『経矢!』
姉が経矢をかばうように立つ。
『お姉ちゃん!!』
思わず抱き着く経矢。
そんな2人の姉弟に奴隷商たちは嗤う。
『ほう……年頃の若い娘に、男のガキか……。これは高く売れそうだ』
ルーベンは経矢たちを見て不敵な笑みを浮かべる。
『へへっ……ボス、その娘の方は俺に譲っちゃくれねぇか? あと数年飼えば、たまらねぇ女になるぜ』
葵を舐め回すように見ながら、そう申し出たのは彼の部下のジャスティンだった。
獲物を狙う肉食獣のような視線を向けられ、葵は一瞬怯んだものの、胸元から短杖を取り出した。
『ファイアボール! 経矢、走るよ!』
炎の魔法をジャスティンに放つと、葵は経矢の手を取って走り出した。
『お姉ちゃん!』
2人は奴隷商たちの目をかいくぐり、集落を飛び出したのだ。
『はぁ……っ! はぁっ……!』
息を切らしながら走る2人。
『人生最後の鬼ごっこだ。せいぜい楽しむんだな』
ルーベンとその部下が後ろから追ってくる。
2人は必死に走った。
『経矢、こっち!』
葵は経矢の手を取って、林の中へと駆け込んだ。
意を決したように経矢の肩を掴む葵。
『経矢……私のことはいいから逃げて。ここでお姉ちゃんが時間を稼いでるうちに』
『そんな……お姉ちゃんは!?』
経矢の問に、葵は首を横に振る。
『私は大丈夫。だから早く行って!』
『でもっ!』
なおも食い下がる経矢に、葵が叫ぶ。
「お願い! 私を信じて!!」
だが……。
せめて経矢だけでも逃がそうとした葵の思いは無惨にも踏みにじられる。
『見つけたぞ、ガキども』
林の奥から現れたルーベンの部下たちが葵と経矢を取り囲んだ。
『うっ……ど、どうか弟のことは見逃してやってください……。私はどうなっても構いませんから!……』
経矢をかばうように両手を広げながら、ルーベンの部下たちと向き合った葵がそう言葉を発した。
『どうなっても構わない? へへっ……じゃあその体を俺が思う存分に堪能させてもらうとしようか』
下卑た笑いを浮かべながら、葵に近づくのはジャスティンだ。
杖を構える葵だったが、その杖を別の部下が魔法で弾き飛ばしてしまう。
『そ、そんなっ! ——いやっ!?』
弾き飛ばされた杖を拾おうとした葵の手を、ジャスティンが捩じるように掴む。
そして彼女を怖がらせるように羽交い締めにして、笑みを浮かべる。
『ほぉらっ! 捕まえたっ! へへへっ、俺がたくさん可愛がってやるからよ!』
そう言って葵の顎に手を当て、顔を近づけた。
『や……やめてっ!』
必死に抵抗するも、魔法が使えず、力では男にかなわない葵はどうすることもできなかった。
『そこまでだジャスティン。商品にキズを付けるな。取引価格が大幅に下がる』
ゆっくりと現れたルーベンがそう告げる。
『ボ、ボス! こいつだけは俺に譲ってくれねぇか? その分の稼ぎはするからよ』
葵の顎に手を当て、ジャスティンがルーベンに頼み込む。
『ダメだ。この集落で一番値が高いのはその娘だろうからな』
部下の頼みを一蹴するルーベン。
だが、それはもちろん優しさからではない。
いい商品をいい状態で売るためでしかなかったのだ。
『へっ……名残惜しいがボスにゃあ逆らえねぇ。わかった、ボスの言う通りにするよ』
葵の顎から手を外し、ジャスティンは不機嫌そうに答えた。
そうして、ジャスティンが離れるとルーベンは部下に命じて葵と経矢を縛り上げる。
『お願いです! 弟だけは助けて!』
ルーベンに懇願する葵だったが……。
『そうはいかない……。お前の弟も高く売れるんでな』
冷たい笑みを浮かべ、葵にそう告げる。
彼女にとっては自分のことよりも、幼い弟が奴隷にされることの方がよほど恐ろしかった。
『経矢!』
『お姉ちゃん!』
こうして2人は、奴隷商人ルーベン一派によって故郷から連れ去られ、後に奴隷としての日々を送ることになるのだった。
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