第22話「闇に嗤う赤眼」
そして山はすっかり夜の闇に包まれていく。
獣の唸り声や鳥の鳴き声が時折聞こえる以外は、基本的には静かな夜であった。
その闇の中、捕らえたシカの首筋に食らいつき血を吸っていたフードの男の目が怪しく光る。
「夜の帳が下りた……。へへへ、こっからは俺たち闇の住人たちの時間だぜぇ……」
そう呟くと、男は捕らえたシカから口を離すと、従徒と化した若い女性について来るように言う。
その時だった。
「おい、そこに誰かいるのかね?」
と、複数の影が現れた。
それは日中、経矢たちがすれ違った商人たちの一団だった。
お互いに顔は見えない……が、夜に目が利くフードの男にはハッキリと彼らの姿が見えていた。
「なんだ、オッサンばかりかぁ。女はいねぇみてぇだな」
フードの男のがっかりしたような言葉に、商人たちは呆れつつも笑い出す。
「そりゃあこんな山奥、冒険者でもなけりゃあ女性なんざ連れて歩かんだろう」
そんなことを言いながら、フードの男たちの方へとたいまつを持って近づく商人たち。
1人の商人が、たいまつに照らされた若い女性を見て驚いたような声を出す。
「ありゃ? あんたは街の武器屋の息子と結婚したばかりの……なんだってこんなとこに?」
その問いに対して、彼女は何も答えない。
虚空を見つめるようにただただ虚ろな表情をするだけだ。
商人たちは顔を見合わせる。
一緒にいる男の声は、彼らの知っている彼女の夫の、はつらつとした若い声ではなかった。
彼女の顔色も、心なしか生気が失われたように青白い……。
その場にいる誰もがおかしい、と感じていた。
それと同時に、誰もが得体の知れない恐怖を覚えていた。
「あんた……その顔どうしたんだね? まるで死人のようじゃないか」
そんな問いに彼女は何も答えない。
虚ろな目の奥で、かすかに潤んだ涙が光る。
夫の名を呼びかけそうになって動いたであろう唇は、しかしすぐに閉ざされ、無表情に戻る
それは、消えかけた自我の最後の断片のようだった。
「その女はもう武器屋の息子の嫁じゃねぇ。俺のモンだぜ、ヒヒッ!」
女性の代わりに答えたのは、先ほどの男だ。
下品な発言と笑い声。だがそれは、商人たちの恐怖を煽っていく。
そして彼らは意を決して、彼女の近くにいるであろう男に近付いていく。
「お前……何者だ……」
たいまつがゆっくりと辺りを照らしていく。
「へへ、運がいいなぁお前ら。女が1人でもいたら奪ってから殺してたとこだぜ?」
男の言葉と共に、たいまつの火が彼を照らした。
赤い瞳がたいまつの炎を反射し、まるで地獄の奥底からのぞく鬼火のように揺らめいた。
「ぎゃああっ!」
「ひぃいいっ!」
商人たちの悲鳴。
彼らの目に映ったのは……フードの奥で不気味に光る赤い瞳、異様に白い肌、血で真っ赤に染まった口と口元の髭、刃物のように鋭利な牙……。
血の匂いが漂い、獣の腐臭が混じり合ってむせ返るようだった。
吸血鬼だ、と誰もが瞬時に察する。
悲鳴と共に一目散に逃げだした商人たち。
そんな彼らを追うことなく、ただ見つめるだけのフードの男。
「へへ、勝手にしやがれ。お前らの血なんざ飲みたくねぇからなぁ」
人形のように立ち尽くす女性の肩を抱くと、フードの男はニヤリと笑う。
「よし、行くぜぇ。獲物の匂いを探して、追い詰めて、殺してやる。待ってろよ、ガキども」
獲物を求めて、赤い目の怪物が動き出すのだった。
夕食を終え、簡易的な携帯風呂を沸かして先にイリーナに入ってもらっていた経矢。
焚火に薪をくべていると、かなり離れた場所であるもののバサバサバサ、とたくさんの鳥たちが飛び立つ音が聞こえた。
ただの森に住む獣かモンスターの可能性が高いものの、その音に経矢は胸騒ぎのような何かを感じずにはいられなかった。
このテントは街で購入した一般的な魔具の一種だが、動物や虫、魔物を退ける基本的な結界が付与されている。
(けど、人間や強い相手となれば別だ……)
経矢は銃とナイフを手に取って、もう一度装備の確認を行う。
いつ、どんな敵がこのテントにやって来ても相手ができるように。
「ふぅ~サッパリしたぁ~♪ キョウヤ、お先したよ~」
お風呂から出てきたイリーナが、タオルで濡れた髪を拭きながら声をかけてくる。
彼女は交代で、経矢もお風呂に入ってくるようにと勧めた。
「ああ、そうだな。俺も行ってくるよ」
経矢はそう返事をすると、お風呂へ向かおうとしたところで一度足を止めてイリーナに言う。
「そうだイリーナ、俺がいない間に何か異変を感じたり、おかしな物音や気配を感じたらすぐに教えてくれ」
経矢の言葉に彼女はうん、わかった! と返す。
彼の表情から、いつでも戦いができるように準備しておかなければとイリーナは思うのだった。
お風呂に浸かった経矢。
「うっ……」
と小さくうめき声をあげる。
体の節々に鈍い痛みが走ったのだ。
「……本来の力を使うと体が痛むな……。まだこの世界に馴染んでいないのか、それともあの時のヤツの呪いが……残ってるのか……」
関節を擦りながら呟く経矢。
以前のルーベンたちから逃走する際、そして先ほど橋と落石を越えるために使用した、跳躍と滑空は彼の体に負荷をかけていた。
と言っても筋肉痛程度のものだったため、心配をかけたくない、とイリーナには黙っていたのだ。
この症状に彼は覚えがあった。
彼が少年の頃、怒りと憎しみからこの力に目覚めてからしばらくの間は、肉体と精神の限界を超えているためかこのような筋肉痛のような症状が出ていたのだ。
当時はそれに加えてめまいや吐き気、頭痛といった症状も出ていた。
痛みも今の比ではなく、関節が焼けつくように痛み、血管の中を針が這うような感覚が走った。
今は筋肉痛のみで済んでいるが、それでもいざという時のために連続した使用は避けたいと思う経矢だった。
(この力に頼りすぎるのも良くないけど……。またあの時みたいに暴走しかねない)
心の中で呟くと、経矢はお風呂から上がるのだった。
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