遠明かり夜に眠る道
ベッドタウンの駅からやや離れたその場所に、舗装されたまっすぐな道路がある。
それなりに幅は広いが、車はほとんど通らない。
道の両脇はところどころ枝分かれし、わき道の先には数十年前からある住宅が寄り添うように並んでいた。
ここは通学路。
朝は小学生や保育園に向かう園児が列をなしてふざけあい、たわむれながら歩く。
その中をスーツ姿のサラリーマンが煙たそうに顔をしかめ、自転車の高校生が追い越していく。
よく晴れた昼間には布団を叩く音が遠くまで響き、離れた線路から列車の音が耳をかすめる。
夕方には、朝とは逆方向から走って子供が帰ってくる。楽しそうに大声ではしゃぎ、遊びに出かけるのだ。
太陽が沈む。
薄暗くなったあたりが茜色に染めっていく。
ときどき通りすぎていく自転車。その顔はすでにはっきりと見えない。
遠く、街並みに明かりが次々と灯る。
空には薄い月。星が街の明かりにまざり、瞬き始める。
静かな道を歩く。
道の脇に金網で囲われた四角い建物。背の低い保育園。
この道を通っていた私は、かつてここの園児だった。
金網の向こう、ピンクのゾウのすべり台に黒く影が差している。
誰もいない二つのブランコ。
「オトナになったらケッコンする?」
いつかの声。音が思い出せない。文字だけが浮かぶ。
風が吹く。ブランコがかすかに揺れた。
道が細くなる。狭い道路の両脇を住宅が覆いかぶさろうとそびえ立つ。
やがてその先に、四階立ての白く大きな建物が頭を見せる。
この道を通っていた私は、かつてここの小学生だった。
三階だった小学校は四階建てになっている。
昔は開け広げられていた校門。中に入りグラウンドで遊ぶこともあったが、今は高い塀に阻まれる。
中を見ることすら叶わない、セキュリティの壁。
校舎を見上げる。
広がる夜空を薄暗い白の校舎が占め、辺りをいっそう暗くする。
無人の校舎を蛍光灯が仄暗く照らす。
校門の前にあった桜の木。
今も変わらないその桜が儚く咲いている。
少し開けた道に出る。ときどき車のライトが道を照らし出す。
マンションに囲まれたベンチとブランコだけの小さな公園。背の高い木が道路と境界を作る。
この道を通っていた私は、かつて中学生だった。
降りしきる雨。夜遅く、進学塾からひとりで帰る。
幅の広い道路の両脇には車が並んでいるように駐車されていた。
静まりかえった道を雨音だけが鳴り響く。
誰もいない帰り道。
ひとり、公園のベンチで曇った雨空を眺めていた。
雨に濡れ、髪が張り付き、服が重くなる。
視界いっぱいに分厚い灰色が覆う。
空は、遠い。
ふと、雨が止み、空が赤で覆われる。
傘が差し出されていた。
ベンチに座り、星のまたたく夜空を見上げる。
空は今でも遠い。
大きな交差点には昔とは違うコンビニ。飲食店や居酒屋が軒を連ねていた。
桜の花びらが川を流れる。散り始めた桜の並木道。
この道を通っていた私は、かつて高校生だった。
帰り道、桜の花見。夕焼けに染まる空。
「初めて飲んだけど不味い、コレ」
顔を赤く染めていた。
「そのうちわかるって」
同じように、頬を染めた彼女が言う。
桜の隙間から覗く夕日。
川面が輝く。
「覚えてる?」
投げかけられた言葉に首を捻る。なんのことだかわからなかった。
「早く大人になれ!」
今は覚えている。
カメラを持った人。家族連れ。陽気な大人。高校の制服の男女。
すれ違う。
真っ暗な川。街灯でわずかに照らされている。
地面に散った桜の花びらを踏みしめていく。
道が途切れた。
それから私はこの地を離れる。
退廃した毎日。顔見知りが過ぎ去っていく。
灰色の中、手に入れたもの。
夢を追いかけ、忙しさに追われ、仕事に明け暮れる。
夜遅く帰り、早朝に家を出る。
喧騒の日々。
角を曲がる。
私は歩き続けた。
田の合間にマンションがぽつぽつと建ち、昔とは様相が少し変わっている。
けして特別ではない、どこにでもあるありふれた道。
私は帰ってきた。
静まり返った街。両脇に田が広がる。
今も面影を残すこの道は、私のようで。
月日が過ぎても、私は変わっていない。
何も変わってはいない。
日が昇り始める。
陽の光が零れ、田が、アスファルトが、家の屋根が、青白く色を帯びていく。
朝日が私を照らす。
闇に溶け込んでいた黒ずくめの服が照らし出される。
数時間後には、級友の子供たちがこの道を通っていく。
私は変わらない。
あの頃のまま。
いつまでも、この胸に。
今日もまた、新しい一日が始まる。