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短編集

ひかりをあまねく、せんでつないで

作者: 幕田卓馬

 静寂が降り積もっていた。


 彼女は、無数の星の中から幾つかを指差し「あれが、おうし座だよ」と言った。その言葉は、頭上から足元まで広がるこの砂粒が、擦れ合い、ぶつかり合い、奏で合う音にも聴こえた。


「オリオンに襲いかかる、牡牛の姿に見えるでしょ」


「ああ……そうだね」


 俺は頷いて、彼女の指差した星たちを見つめる。


 でも、残念ながら、俺にはそう見えなかった。




    『ひかりをあまねく、せんでつないで』




 大学を出て、彼女は誰もが知ってる大手菓子メーカーの研究職に就いた。地方の中堅大学出身者としてはかなり華やかな就職ルートであり、順風満帆な将来が約束されていた。


 一方の俺はというと、就職活動に失敗して一年ほどバイトで食い繋いだあと、なんとか空きのあった中小製造業の営業職に就くことが出来た。

 この会社は、普段の生活では聞いたこともない、よくわからない製造機械に使用される、よくわからない部品を作っている。

 俺はそのよくわからないもののカタログを鞄に突っ込んで、よくわからない人達にそれを売り込むのが仕事だった。


 小市民というカテゴリーの中において、俺と彼女にはいわゆる『格差』のようなものが存在していたと思う。でも俺はそんな彼女を素直に尊敬していたし、彼女も俺の人間性を好いてくれていた。

 二人でいれば、俺たちは付き合い始めた学生時代の二人でいられた。


 だから俺は、このまましばらく付き合って、適当なタイミングで結婚するんだろうな、なんてことを具体性もなくぼんやり考えていた。


 俺と彼女は、大学時代に借りた1LDKのアパートに、就職してからも二人で住んでいた。大学に近かった俺のアパートで彼女が寝泊まりするようになり、いつしかそこが俺たち二人の住処となった。

 近所には学生用のアパートが密集し、それらをターゲットにした飲食店やスーパー、コンビニエンスストアでごった返している。少しの足を伸ばせば、生活に必要なものは何でも手に入る。


「箱庭のような場所だよね」


 と彼女は言った。

 その言葉に含まれるニュアンスの棘に、俺は気がつけなかった。手を伸ばせば全てが完結するこの小さな楽園が、俺にとっての終の住処になればいいのに、なんて荒唐無稽な事を考えていた。


 休日、狭い部屋の小さなローテーブルに向かい合って座り、二人で作った夕食を食べた。

 クリームシチューの底に沈んでいるニンジンは、不恰好な俺と、几帳面な彼女の二種類が混在している。形が揃っていない俺の切ったニンジンは、中まで火が通っていなくて土みたいな味がした。

 火の通っていないニンジンを口にいれ、眉をひそめる彼女。いつもすました顔の彼女が、俺にだけ見せるその表情が愛しくて、俺は指先で、しわの寄った彼女の眉間を突く。

 彼女は困った顔で笑う。

 

 少し手を伸ばせば、難なく彼女に触れられる。そんな狭いアパートが、俺の世界の全てでかまわないと思った。


 仕事での出世とか、実家にいる両親とか、俺たちの将来とか――そんな遥か遠い未来の話は、俺にとって考えも及ばない、それこそ広大な宇宙の片隅で交わされる星たちの雑談だった。

 

 今この部屋で交わされる、彼女とのたわいもない会話こそが、俺にとって価値ある話だった。


「引越し、しない?」


 夕食を食べ終え、リビングの掃き出し窓に寄りかかった彼女は、スマホを眺めながら呟いた。


「引越し?」


「うん。郊外だけど、いいアパート見つけたんだ」


 そう言って、彼女はスマホの画面を俺に見せた。


「3LDKで広いし、築年数もここより新しいけど、中心街から離れてるから家賃はたいして変わらないの。職場にだって近くなるし、駐車場も2台あるって」


 俺は差し出された画面を見た。

 光量過多で撮られたみたいな、無駄に白くてよそよそしいその部屋の壁紙は、なぜか無性に俺の不安を煽った。

 言いようのない、淋しさのようなものを感じた。


 この時の感情を上手く言語化しようとしても、きっと言葉に迷うだろう。

 傷の数さえ把握しているお気に入りのオモチャを手放すような、幼い所有欲に根差した感情だったのかもしれない。

 

 更に言えば、それは変わっていく世界への恐怖だった。


 増えていく仕事の責任――

 オトナとして成長していく彼女――

 否応なしに変化していく自分自身の肉体や関係性――


 俺にとってそれらは、落とし穴の開いた道を目を瞑って歩くような、足元が覚束ない恐怖を呼び起こさせた。

 

 だから俺は、何一つ変わらないこの小さな居場所に甘え、固執した。

 

 無言でスマホ画面を眺める俺の感情を察したのか、彼女がいっそう柔らかな口調で言う。


「それに、ここなら、星が綺麗に見えると思うんだ」


 俺は、彼女が星を見るのが好きな事を思い出す。

 大学時代の冬、二人で出かけた山奥のペンションで、中庭の小高い丘に立った彼女は、俺に冬の星座を教えてくれた。


 思えばあの頃から、彼女は遠くの光に憧れていた。


「そんな、星なんて――」


 そう言って、半ば自嘲気味に笑う俺。

 そんな俺を見た彼女は、寂しそうな目で頷き、同じように笑った。



   *   *   *

 


 俺たちの日々は、幾つもの光で溢れていた。


 無人駅のホームで手を繋いで終電を待つ瞬間。


 コンビニでお互いの好きな飲み物をカゴに入れる瞬間。


 一つの布団に潜り込み朝日を待つ瞬間。


 二人の洗濯物がベランダの風に吹かれて気持ちよさそうに揺れるのを見た瞬間。


 その一つ一つの光は、まるで夜空の星みたいに、暗澹たる俺の人生の中で輝いていた。


 でも、それらを線で繋いだとき、俺と彼女は、互いに違った『星座』を作り上げてたのかもしれない。


 彼女がいなくなった部屋のベランダで、無遠慮なコンビニの照明に邪魔されながらも、彼女の言っていた『おうし座』を探そうとする。


 あの冬の夜、幾つもの星を線で繋いで、彼女は『おうし』の姿を作り上げた。

 しかしそれは、この場所ではあまりにも小さな光で、結局、彼女の見ていた景色を作り上げる事は出来なかった。


 無駄な努力を諦め、ベランダから部屋へと引き返す。そこには、いないはずの彼女の匂いが少しだけ残ってるような気がした。


 彼女が作り上げた『星座』を、残念ながら俺はまだ見つけられていない。


 でも、自分の中に作り上げられた『星座』は、未練がましくも、俺の行く先を指し示すように、いつまでも瞬き続けるのだろう。


 狭いアパートの黄ばんだ天井を仰ぎ見ながら、俺はそこに、彼女の姿を描こうとした。

お読みいただき、ありがとうございます。

日常の中で光を感じる事は多々あれど、それらを線でつないだとき、どのような形になるのか。

今の生活に固執してしまった『俺』と、さらに遠い世界を夢見ていた『彼女』は、同じ時間を共有しながらも、全く別の星座を作り上げていたのかも知れません。

いつか『俺』も、彼女が見ていた星座を見る事ができるでしょう。その時、同じものを見れる誰かが、そばにいて欲しいですね。

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― 新着の感想 ―
寂しく切なく、でもとても素適な作品でした。幕田さんの表現、やっぱりとっても好きです。こんな作品、私も書いてみたいです……! 彼女が線をつないだ星座を彼が見えないという比喩がよかったですし、お互いに価値…
かつてカップルで二人過ごしていた部屋に、今は男が一人取り残されて往時の事を思い出している。 この切なくも物悲しいシチュエーションには、昭和の青春のムードを感じてしまいますね。 もしも視点人物が彼女さん…
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