相違点と共通点
大抵の仕事は他者とのコミュニケーションの上に成り立つと思っている。報酬を支払う側と受け取る側がいるから仕事になるのだ。
わたしはコミュニケーションが得意ではない。ただ、コミュニケーションを取らずとも完結する仕事が出来るほど、器用でもないし行動力もないから、コミュニケーションが出来る体で仕事に従事している。
職場でたくさんの人と関わり、コミュニケーションをとる。陰でどのように噂されているかはこの際どうでもよくて、ただ一般的に見て過不足なく同僚や上司と関われていればそれでいい。当たり障りなく、というのがわたしの信条だった。
元来の性質から、人と関われば関わるほど、自分1人の時間が欲しくなる。根暗なのだ、端的に言えば。「死ぬ時は人間独りだ」という台詞はよく耳にするが、死ぬまで独りで居続けることなどできず、そうあればおそらく精神的に健全とは言い難い状態になる。人間が生きる上で他者は絶対必要だ。だが、誰でもいいからそばにいて欲しいと思えるほどわたしの間口は広くない。めんどくさい人間だと自負している。
彼とのコミュニケーションはいつが最後だったろうか。
ただ町を走り回っていればよかった時間など、後から思い返せばずっと少ない。小中高と進学すれば否応なしに人間関係は広がる。望む望まないに関わらず、彼との関係性も変わる。幸いにも(と言うべきかは判りかねるが)同窓ではあったが、所謂グループが違えば毎日会話するわけでもない。部活動も違った。白球を追いかける彼の姿を、わたしは何度も校舎から見かけた。
それでも、彼を見ているだけでわたしの季節は回っていたように思う。彼となら、わたしはこの街にいても季節を感じていただろうか。コミュニケーションを取ることも、彼となら億劫にならずに済んだろうか。もう今は確認しようもないが。
忙しいというのは一種の救いだ。やるべき事が山積みであるうちは、余計なことを考える暇がないから。ありがたいことに、わたしの従事する仕事は忙しい類だと思う。わたしの要領が悪いだけの可能性も多分にあるが、今日も誰もいなくなったオフィスで独りキーボードを叩く。毎年幾度かだけちらちら舞うような雪を見るが今年の初雪はいつになるだろうかと考えつつ、窓の外のイルミネーションを見遣っていた。
机上に放置した携帯電話の画面が煌々と点いた。
今年の年末は帰ってこれそうかという父からのメッセージだった。煩わしく感じながらも、このメッセージもなくなれば寂しくなるのかもしれない。特に用もないが、両親に元気な顔を見せるのも孝行になるかと段取りを考えながら返信を打つ。
人の往来の激しい中で帰省するのは抵抗があるので、年明け少し落ち着いた頃に帰る、と返すと即座に食べたいものがあるかと返信が来た。両親の中でわたしはまだ食べ盛りなのだろうか。仕事をして1人で暮らしていれば、ある程度食べたいものには食べたい時にありつける。以前帰省した時、およそ一人前とは思えない量の鍋を用意されたが、あれを平らげるのは苦労した。暴飲暴食が体に影響を及ぼす歳になっているのだが。
適当にそれらしく返信した後で、父から彼に関する言及があった。
先日自宅前の雪掻きをしている彼を見た、と。父に気づくと口角を上げながら軽く会釈をして、また雪掻きに精を出していたとのことだった。
「昔はところ構わず走り回っていたが、あんなに落ち着いた雰囲気の好青年になるとはな。無愛想な印象ばかりあったが…」
そうだ、彼もコミュニケーションが得意なタイプではなかった。というより、不器用な人だった。わたしとは正反対だと思っていたが、妙な共通点があった。それでも、彼も歳を重ねてある程度コミュニティで生きる術やコツを得たのだろうか。
彼はまだ地元にいたのだなと考えながら適当に父に返信し、再びキーボードを叩いていた。
外にはちらちらと粉のような雪が舞い始めていた。