【第四章 捜査と推理】 3
食堂の前に着くと、ちょうど盆を持った岳飛さんと卯月さんが出てくる所だった。二人が手に持つ盆の上には、耳を切られていない食パンが使われたサンドイッチが載せられており、岳飛さんが持っている盆にはさらに一本の缶ビールが載っていた。
「篠原先生と猿渡さんに、お食事を持っていかれる所ですか」
「そうだよ。まったく、真昼間から酒って……どんな会社を経営してるか知らねえが、絶対ろくな経営者じゃねえぞあいつ」
「……お客様の前でそんな事言わないの」
毒づく岳飛さんを小声で卯月さんがたしなめる。自然と昨日の、雪のせいで固定電話が使えなくなったという話題が出た際のやりとりが思い出された。これがこのペンションの日常風景なのかもしれない。そんな二人の様子を見て牛尼先生は微笑する。
「別にいいじゃない、きっと事実だろうし。それより卯月さん、あなたが持ってるそれは私が佳子に届けてあげるから、あなたはこの子達の相手をしてくれないかしら」
牛尼先生は有無を言わさず卯月さんの手から盆を取り上げると、ぼく達に向かってウインクする。彼女の意図を察した真理花が卯月さんに言った。
「そうなんです。わたし達、卯月さんとお話がしたいんですよ」
「えっ……」
「卯月お前、仕事の方はどうするんだよ。客に飯持って行かせるつもりか」
戸惑う卯月さんに対し、岳飛さんが口を挟むが、牛尼先生が反論する。
「客である私が持っていくって言ってるんだから構わないでしょ。それに、お客の話相手をするのも立派な仕事だと思うけど、あなたはそうは思わない?」
「……かしこまりました。それでは牛尼様、よろしくお願い致します」
ぎこちない笑顔を浮かべながら、卯月さんは牛尼先生に丁寧にお辞儀をする。岳飛さんはまだ何か言いたそうだったが、これ以上口を開く事はなかった。
「それじゃ……あっ、食事は私抜きで先に始めてくれて結構だから」
牛尼先生と岳飛さんが行ってしまうと、ぼくと真理花、卯月さんは三人で食堂に入った。食堂に入ると柳沢オーナーが出迎えてくれた。
「小森様、弓嶋様、軽い物しかお作りしておりませんが、どうぞお召し上がり下さい」
「謙遜なさらないで下さい。先ほどお盆に載せられていたのを拝見しましたが、すごく美味しそうなサンドイッチだったではありませんか。それよりも、お食事をご一緒致しませんか? オーナーさんとも、お話がしたいので」
「かしこまりました。それではお飲み物をお持ち致しましょう。何がよろしいですか。卯月ちゃんも、何がいい?」
人数分の紅茶の注文を受けると、オーナーは厨房に引いた。ぼくは何気なく視線を辺りに動かしてみた。食堂にはぼく達三人以外、誰もいない。昨日の夕食時の賑やかさが嘘のようだ。
「中田さんと猿渡さんがチェックインした際、彼らの対応したのは卯月さんですよね?」
「えっ?」
席に座ると、すぐに真理花は卯月さんに話を切り出した。卯月さんの顔に驚きと狼狽の色が浮かぶ。
「わたし達がチェックインした時、宿泊者名簿にはまだ牛尼先生と篠原先生の名前しか書いてありませんでした。つまり、中田さんと猿渡さんがチェックインしたのはわたし達の後という事になります。そして、わたし達を部屋へ案内された際の岳飛さんとの会話で、卯月さんはあの後、受付を担当するという話だったではありませんか。
彼らがチェックインしたその時、どちらかから何か頼まれ事はされませんでしたか? あるいは、気になった事は」
卯月さんは軽く俯いて考え込む様子を見せていたが、しばらくして「気になる事と言えば」と顔を上げた。
「猿渡善人様。あの方は中田様がチェックインなさったすぐ後、こちらにお越しになられ、チェックインなさったのですが、あの方はあらかじめ予約を入れたお客様ではないんですよね」
「それのどこが気になるのですか?」
「当ペンションはこの通り、町から離れた山奥にあります。町にあるビジネスホテルなどとは違い、飛び込みのお客様は望めないのです」
「なるほど。……急に宿が必要になったとしても、ここまでやってくる人はいないと」
「はい。……あんな飛び込みのお客様なんて初めてでしたから驚きました。幸い、お部屋が一つ余っていて、料理も多く作っておりましたから、何とかお泊めする事が出来たのですが。雰囲気からしてスキーや登山、料理をお楽しみにこられた感じでもありませんし……猿渡様は、一体何のためにこられたのでしょう」
「お待たせ致しました。さあどうぞ、お召し上がり下さい」
オーナーが厨房から出てくると、ぼく達の中心に人数分のサンドイッチと紅茶を載せた盆が置かれた。さすがにもう、全員集合してから食べるという方針をとるつもりはないらしい。ぼく達は「いただきます」とオーナーに会釈し、サンドイッチを一つ手に取りかじった。耳のせいで多少歯ごたえはあったが、挟まれた具のチキンとデミグラスソースの旨味、香ばしさが口内から餓えた身体に伝わる。美味しい。自然と笑みがこぼれた。
「……魁くん」
いきなり真理花がぼくの二の腕を掴んできた。見ると、先ほど以上に彼女の顔は真っ赤に染まり、大量の汗で濡れていた。息も荒い。
突然の真理花の変化にぼく達は驚いた。
「どうしたの真理花」
「ああ、疲れた。ようやくあの子を引きはがせた」
牛尼先生と岳飛さんが食堂に入ってきたのと同時に、ぼくの腕を掴む力は緩み、真理花は椅子から崩れ落ちた。彼女に配られた紅茶のカップも、ともに床へ落ち、辺りに紅茶と白い破片を散らばらせる。
「真理花!」
ぼくはすぐに真理花を抱き起こした。意識を手放しゆく真理花の震える唇から、蚊の飛ぶような微かな声であったが、辛うじてその言葉だけは聞き取る事が出来た。
「……話が……」




