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スケープゴート殺人事件  作者: 馬場悠光
第一部 スケープゴートの殺人――弓嶋魁の手記
12/29

【第三章 吹雪の山荘】 3

 ぼくと真理花を含めた宿泊客五人と、柳沢オーナー達ペンション従業員三人の計八人。今ペンションにいる生きた人間が全員、談話室に集まった。

 

「やはり中田の奴は死んでいた」

 

 中田さんの二号室を始め、柳沢オーナーと手分けしてペンション内を見て回った猿渡さんはぼく達に告げた。何とこの人、元警察官だという。確かに服の上からでも分かるほど盛り上がった筋肉を見ればそれも頷けた。警察を辞めた現在は、東京で会社を経営しているらしい。

 

「それって本当? どうして」

 

 元警察官の口から人の死が告げられ、話に現実味を感じ出したのか、篠原先生は声と身体を震わせる。口数の少ない陰気な人かと思えば、食事が遅れたぐらいで大人げなくオーナーに怒鳴り散らし、そして今度は人が亡くなって顔を青くする……本当に感情の起伏が激しい人だ。

 

「ああ、頭を鈍器でかち割られていた。間違いなく殺しだな」

 

 猿渡さんの言葉に卯月さんが小さく悲鳴を上げてよろめくも、それを横から岳飛さんが素早く支える。

 

「殺しって……それなら人殺しがいるって事じゃないの!」

 

「確かに、中田は何者かに殺されていた。だが、その殺人犯はすでにこのペンションを去っていると俺は考えてる」

 

 ヒステリックに叫ぶ篠原先生を猿渡さんは片手を上げて静かに制し、語り始めた。

 

「犯人は金銭目的でこのペンションを訪れた泥棒だ。深夜になって俺達が眠ったのを見計らい、ペンション内に侵入」

 

「先ほど私は一階を見て回ったのですが、裏口の鍵が壊され、開けられておりました」

 

 柳沢オーナーが補足を入れる。

 

「そして犯人は二階へ行き、中田が泊ってる二号室の扉もこじ開けて侵入。金目の物を求めて中田の荷物を物色するも、その最中に眠っていた奴が起きて騒ぎ出したため、咄嗟に犯人は奴を撲殺。他の人間が騒ぎを聞きつけてやってくる前に犯人は時間稼ぎのため部屋の鍵を掛け、そして窓を開けると、そこから脱出して逃走……まあ、こんな流れだろう」

 

「だとすると、もしかしたらあれは……」

 

「どうした? 何かあるのか」

 

 ポツリと篠原先生が呟いたのを、猿渡さんは聞き逃さなかった。その場にいた全員の視線が篠原先生に集中する。彼女は「その時は、気にも留めなかったんだけど……」と前置きした上で話し始めた。

 

「昨晩、場が解散して自室に戻ってからわたし、トイレに行きたくなったの。自室のバスルームのトイレは小夜子がシャワーを浴びてたせいで使う事が出来なかったから、従業員のお嬢さんに頼んで、一階の従業員の居住区にあるトイレを使わせて貰ったの。

 用を足してトイレから出た時、わたし見たの。廊下の先で、わたしの眼から逃れるかのように、誰かが慌てて部屋の中に飛び込む姿を」

 

 誰も声を発さなかったが、動揺がぼく達に広がったのが分かった。中でも取り分け反応したのはペンションの従業員達で、柳沢オーナーと卯月さんは沈んだ表情になり、岳飛さんは小さく舌打ちをする。自分達の私的な空間に、不審者が侵入した事が遺憾なのだろう。

 

「それで、そいつはどんな顔でどんな恰好をしていたんだ。……いや、そもそも不審者を見かけたなら、どうして誰も呼ばなかったんだ」

 

 猿渡さんが非難したが、それに篠原先生は反論する。

 

「仕方ないじゃない。見たと言ってもほんの一瞬で顔もよく見えなかったし、従業員の誰かだと思ったから放っておいたのよ。……とにかく、もうここには人殺しはいないようね」

 

 篠原先生は安堵したように息を吐いた。

 

 だが、ぼくは彼らの話を聞いてもどこか釈然としなかった。それは隣にいる真理花も同様らしく、指を唇に当てて、何やら考え事をしている様子だ。

 

 篠原先生の話が終わると、猿渡さんは後ろに控えていた柳沢オーナーに尋ねた。

 

「ところでオーナー、警察へ通報はしたのか」

 

「恐縮ですが、外に繋がるこのペンション唯一の電話は昨日から故障しておりますので、警察を呼ぶ所か外部とも連絡を取れない状況です」

 

 猿渡さんは舌打ちをする。

 

「そういや従業員のお嬢さんが言ってたな。電波も悪くてケータイも繋がらないんだとも。……ったく、どうしてこんな不便な場所にペンションなんざ建てたのか、理解に苦しむぜ」

 

「嘘よ、連絡が取れないなんて事はないはず」

 

 鋭い声が飛んだ。また篠原先生だ。彼女は自身のスマホの画面をオーナーに突きつける。

 

「このスポットは何なの。このペンション、本当はWi-Fi繋がってるでしょ。こんな事態になってるのに、どうして連絡手段がないとか言うのよ!」

 

「どういう事だオーナー。説明しろ」

 

「それは、その……」

 

 篠原先生と猿渡さんに詰め寄られて、柳沢オーナーは顔を硬直させて押し黙る。狼狽するその姿はまるで、探偵に名指しされ、犯行を暴かれそうになっている犯人のようだ。

 

 そんなオーナーに助け船を出したのは岳飛さんだった。彼はオーナーと二人の間に割り込むかのように踏み込んだ。

 

「Wi-Fiなどはないと何度も言っているじゃないですか。それに、元警察官の猿渡様がここにはもう犯人はいないと仰るのですから、そう躍起になってすぐに手段を講じる必要はないでしょう。違いますか」

 

 やや皮肉めいた口調であったが彼のこの言葉により、篠原先生と猿渡さんはこれ以上オーナーを追及する事はなかった。

 

「それなら、この中にポケットWi-Fiなどの、外部と連絡を可能にする機器を持ってる奴はいないか?」

 

 猿渡さんに問われるも、皆黙ったままだった。無理もないだろう。誰も彼も、まさか現代の宿泊施設に電話以外の通信手段が備わっていないとは考えもしなかったのだ。

 

「……じゃあ、吹雪が止んだら俺が麓まで行って警察を呼んでやるから、それまでは自分の部屋に引きこもらせてもらう。お嬢さん」

 

 突然、猿渡さんに呼ばれた卯月さんは身体を強張らせて反応する。

 

「俺、これからは自室で飯を済ませるから、飯の時間になったら飯を部屋まで持ってきてくれ。ビールも付けてな。ああ、それと」

 

 猿渡さんはじろりとぼく達全員を睨みつけるかのように瞳を動かす。――心なしか、その瞳はぼくを見る時だけ一瞬動きを止めたような気がした。

 

「全員、くれぐれも変な気は起こすなよ。下らねえ英雄願望を満たすような……な」

 

 そう言い残して猿渡さんは談話室を出て行った。柳沢オーナーを初めとする従業員三人もそれに続いた。

 

「……そんな訳ないじゃないの」

 

 彼らが出て行くと、牛尼先生がポツリと呟いた。談話室に残ったぼく、真理花、篠原先生の視線が牛尼先生に集中する。

 

「一体どういう意味よ小夜子。あの元警官が言った話が間違いだと言うの?」

 

 篠原先生の問いに牛尼先生は鼻を鳴らす。

 

「あなたも昨日の天気予報は聞いてたでしょ? 「今夜から明日一日に掛けて吹雪く」って」

 

 推理小説が好きなせいか、ぼくはすぐに先生の言いたい事を理解した。

 

「先生、あなたはこのペンション内に……ぼく達の中に中田さんを殺した犯人がいると、そうお考えなのですか?」

 

「ええそうよ」

 

 牛尼先生はあっけからんと答えた。

 

「仮に奴が言うように、私達の知らない外部からきた泥棒が犯人なのだとしても、この猛吹雪の中をやってきたり逃げたりなんて出来ないでしょ」

 

「じゃあ昨晩、わたしが見たあの不審者は何だったのよ」

 

「それはやっぱり、あなたと顔を合わせたくなかった従業員の誰かだったんじゃないかしら? どこの馬の骨とも分からない人間が、ペンション内にいたとは思えない」

 

 牛尼先生がそう言った瞬間、篠原先生がソファから立ち上がった。

 

「わたしも部屋に戻る。小夜子、オーナーに私もこれからは自室で食事をとるって言っておいて」

 

 そう言い残すと篠原先生は足早に談話室を出て行ってしまった。

 

「確か、こういうのを世間では〝死亡フラグ〟っていうのよね」

 

 笑う牛尼先生に、ぼくは気になった事を問い掛けた。

 

「どうしてこの事を先ほど猿渡さんに言わなかったのですか。推理に穴があるという事を」

 

 その人が間違った答えを信じているのなら、その間違いを指摘し、正すべきなのではないだろうかと思ったのだ。

 

「可愛そうじゃないの。得意げに披露した推理を否定しちゃったら。私なりの気遣いよ」

 

 そう語りながら牛尼先生はソファから少し腰を浮かせて前のテーブルからリモコンを取り、それを壁のテレビに向ける。画面に賑やかな朝のバラエティ番組が映し出された。

 

 ――確かに正面切って人の考えを否定するのは気が引けるかもしれないが、人が殺されており、その殺めた犯人が分からない、もしかするとこのペンション内の誰かが犯人なのかもしれない以上、下手な安堵を周囲に与えてしまったのは悪手だったのではなかろうか? ここは意を決するべきだったのではなかろうか?

 

 しかし気の弱いぼくはそう思っても、口に出す事は出来なかった。岳飛さんのように反発心を抱いている相手ならともかく、牛尼先生は真理花の恩師であり、ぼくの推理小説同好の士だ。

 

「あーあ、それにしても、小説みたいに名探偵が現れてパパッと華麗に事件を解決してくれないものかしらねえ」

 

 無邪気な子どものような微笑を浮かべ、牛尼先生はぼく達の方を振り向く。

 

 先生のその言葉に、ぼくは決心がついた。

 

「真理花、ぼく達も部屋に戻ろう。それでは先生、失礼します」

 

 ぼくは真理花の手を引いて談話室を出ていくと、素早く階段を上って自分達の部屋の前に立つ。

 

「魁くんどうしたの一体」

 

「鍵は? 早く開けて」

 

 真理花が扉の鍵を開けると、そのまま彼女と共に素早く部屋に滑り込んで、再び鍵を掛ける。

 

「何なのよ一体」

 

「真理花、この事件、ぼく達の手で解決させよう。殺人事件に巻き込まれるなんて、こんなの一生に一度としてないだろう。小説に出てくる名探偵達と名前を連ねられる大きなチャンスだ」

 

 ぼくがそう言うと、真理花は動揺の色を見せる。

 

「現に人が亡くなってるんだよ? そんな理由で捜査するなんて不謹慎だよ」

 

 震える声で真理花は反対した。スキー旅行に誘った時の事もあり、この反応は予想出来た。ぼくもこの一言ですぐに説得出来るとは思っていない。言葉を続けて彼女を口説き落とす。

 

「面白半分でやるんじゃないよ。だって犯人はどんな奴か分からないじゃないか。もしかしたら、ペンション内にいる人を皆殺しにするような血に飢えた殺人鬼かもしれない。きみはおめおめと殺されるのを待つつもりかい?」

 

「捜査をしてるのを誰かに見つかって、咎められたらどうするの。猿渡さんからも「変な気は起こすな」って言われてるのに」

 

「正直に「事件の捜査をしているんです」といえばいい。真相に向かおうとしてるぼく達を、誰も強くは咎められないだろう。それでも咎められるようなら、その場はいったん引いて、ほとぼりが冷めるのを待ってから再開しよう」

 

「わたし、人の血や遺体なんて見たくないよ」

 

「視界に入れなきゃ問題ないだろう。きみは周辺の様子を調べてくれるだけでいいからさ」

 

 こうしてあれやこれやと取り繕ってはいたものの、結局はN大学に入学出来るほどの自分の優れた頭脳をもってすれば、殺人事件など簡単に解決出来るはずだという自信過剰。将来殺人事件を扱った小説を書くための取材。そして真理花に恰好の良い所を見せたい、世間から尊敬の眼差しで見られたいという、それこそ自分勝手な英雄願望でしかなかった。

 

 ぼくの言葉の数々に、真理花は眼を閉じて溜息を吐く。

 

「……分かったよ、やるよ。それで、どこから捜査を始める気なの?」

 

 彼女のこの反応を見たぼくは、すでに事件を解決したかのような高揚とした気持ちとなり、密かにほくそ笑んだのだった。

 

「そうだね、まずは事件現場となった中田さんの二号室を調べに行こうか。あそこを起点に捜査を始めよう」

 

 ――思えばこれが、最後のチャンスだった。これ以上の悲劇を、そして自分自身を止める最後のチャンスだった。

 

 だが愚かにも、ぼくはそのチャンスを不意にした。

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うーーーーん、朝食に遅れてきた真理花さん、穴のある理屈で強引に外部の犯人説をとなえて部屋に引きこもってしまった猿渡さん、他にも考えれば怪しい人が……。 魁さんが中田さんの死について調べることでこれ以…
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