一周回って王道ど真ん中になった話
「カサンドラ・フルメン、メルクリオ・ドゥ・アエクオルの名において貴女との婚約はこの場をもって破棄とする。並びに、レナ・ルクスと新たに婚約を結び直すことを宣言する」
学生として羽目を外せる最後の機会として、卒業パーティーは盛り上がっていた。今、わたくしの目の前にいる男が突飛なことを言い出すまでは。
後ろに撫でつけた白銀の髪、鋭く相手を射抜く濃紺の瞳、平均よりも高い身長に豪奢な礼服を纏っていても分かる引き締まった体躯。怜悧に冴えわたった美貌は正統派王子というには冷たすぎるが、それでも見る者を惹きつける飛びぬけた美貌を持っている。にもかかわらず、幼い頃は神童と謳われていたことが嘘のような愚かしい言動をするようになってしまった。
予想はしていたから驚きはしないが、呆れてため息が出そうになる。そんな淑女としては相応しくない感情の発露をぐっと抑え、王太子妃教育で鍛えられた笑顔で応える。
「殿下からのお言葉、しかと承りました。しかし、このような祝いの場で仰る必要はなかったのでは?」
すっと目を細めると成り行きを見守っていた生徒たちが、ひゅっと息を詰めた。自惚れではなくわたくしの容姿は整っていると思うが、少々目つきが鋭く気の強そうな顔立ちをしているため相手に威圧感を与えるらしい。しかし、メルクリオ殿下はもちろん、彼の横に佇む可愛らしい少女も、その二人を守るように並ぶ側近の者たちも怯むことはない。大衆の前での婚約破棄なんて馬鹿げたことを起こしたのではなければ、その堂々とした立ち振る舞いを為政者として相応しいと褒めたたえることもできただろう。
「父上には貴女との婚約を破棄してもらうように再三陳情したが聞き入れてもらえなかった。ならばと思いフルメン公爵や貴女にも相談したが、婚約の解消に頷かなかったではないか。このような衆人環視の場で宣言する他なかった」
「国王陛下が頷かれなかったのは当然です。陛下は王家と我がフルメン公爵家を結びつけることを願っておいででしたから。わたくしや父も陛下のご意向に逆らうことはできません」
我がフルメン公爵家は王家に次ぐ権力を持ちながらも中立派を保っていた。近年は貴族の力が増して王家の威光が陰り始めていたため、それをどうにか持ち直すための婚姻だったのだ。特に、わたくしは文武両道なだけでなく、同年代の子女と比べ物にならないほど魔力も強かったので、国王陛下から請われて婚約を結んだ。そのことは殿下も耳にタコができるほど周りから言い聞かされていたはずなのに、わたくしに恥をかかせる形で破棄をするなんて。そうなるかもと思っていたけれど、呆れ果ててしまう。
そう、わたくしはこの事態を予想していた。何故なら前世の記憶を持っていたからだ。
生まれたときから、わたくしには薄らと自分ではない自分の人生の記憶があった。日本という国で生まれ育った平凡な女の記憶だ。特段裕福な暮らしをしていたわけでもなく、かといって絶望するほど悲惨な生活を送っていたわけでもない、ごく普通の庶民の女。普通より少しだけ内気で友達が少なく、誰かと交流するよりもWeb小説を読む方が好きなインドア派なオタクだった。だから、自分を取り巻く環境を認識すれば『自分は俗にいう悪役令嬢というものでは』と気が付いた。公爵令嬢という身分、自分を溺愛しどんな我儘も許す両親、容姿端麗だが性格がきつく見える顔立ち、類まれなる魔法の才能。極めつけに王太子との結婚が決まってしまえば疑う他なかった。
Web小説は読んでいたものの乙女ゲームといったものには手を出していなかった前世の記憶では、この世界の詳細は分からない。だが、容姿端麗で他人に冷めた視線を送る影のあるイケメンなメルクリオ殿下が攻略対象なのは間違いないだろう。
いつ何時メルクリオ殿下に捨てられてもいいように、王太子妃教育には全力で取り組み、その傍ら前世の記憶を活用して便利グッズを作って稼いだりしていた。いつかメルクリオ殿下がヒロインと恋に落ちたときに『メルクリオ殿下愛おしさのあまり、嫉妬からいじめた』なんて言いがかりがつけられないように、殿下との交流は最小限に抑えた。
そんな努力の甲斐があってか、わたくしは完璧で理想的な淑女になっていた。
「兄上、これは正気ですか?」
「正気、とは? 私の発言に何か誤ったことがあったか?」
「あるでしょう! カサンドラ嬢は非の打ち所がない令嬢です。それを排してまで、その平民に入れあげる意味が分かりません」
「確かにカサンドラに非の打ち所はない。だが、それだけだ。将来、王妃とするにはレナに劣る」
在校生代表として参加していた第二王子のウェイブ殿下が非難の声を上げた。一人で立ち尽くすわたくしを庇うように横に寄り添ってくれたウェイブ殿下に胸が熱くなる。横に立つ殿下を見上げれば、わたくしを安心させるように春の青空のように澄み渡る青い瞳を綻ばせた。
メルクリオ殿下の言葉は決して許せないものだった。それは、これまでのわたくしの努力を無下にするものだ。確かに前世を覚えているというアドバンテージで精神は成熟していたし、生まれ持った魔力も高かった。だが、周りから王太子妃として認められたのは努力によるものだったのだ。それを、平民としてのほほんと生きてきたヒロインのレナに劣る? 決して聞き捨てならない。不敬だろうと言い返してやろうと思ったわたくしが口を開く前に、ウェイブ殿下はわたくしの手を握った。
「そうですか、兄上はそれほどまでに愚かだったのですね。ならば、もう我慢はしません。カサンドラ嬢、兄上の婚約者であることは理解していましたが、美しく聡明な貴女にずっと惹かれておりました。どうか、僕と新たに婚約を結んでいただけないでしょうか」
そう言って優しく微笑んだウェイブ殿下にぶわりと涙が溢れる。
彼はメルクリオ殿下より一つ年下の第二王子だ。共に王妃から生まれた身であるが、王妃は子どもに興味がなく、ウェイブ殿下は寂しい幼少期を過ごされたらしい。メルクリオ殿下の婚約者として登城する際に、ウェイブ殿下とも交流を深め彼の寂しさを知った。いつかわたくしを裏切るかもしれないメルクリオ殿下と違って、わたくしを純粋に慕ってくれるウェイブ殿下に心惹かれてしまうのは必然だったのかもしれない。
「わたくしはメルクリオ殿下に見向きもされない、可愛げのない女です。それでも、愛してくださると言うのであれば、喜んでお受けいたします」
「何を言っているんだ。貴女ほど可愛らしく愛おしく思う女性はいない」
ウェイブ殿下がわたくしを抱きしめると、周囲からはほう、とうっとりとするようなため息が零れた。それと同時に威厳あるお声が響いた。
「これは何の騒ぎだ」
「父上、早いご到着ですね」
「公の場だ、正しい振る舞いをせよ」
「……国王陛下。ただいま私がカサンドラ・フルメンとの婚約破棄を宣言いたしました」
王侯貴族も通う王国立の学園の卒業パーティーには国王陛下も出席される。本来であれば宴もたけなわといった頃合いにご登場していただくところなのだが、騒ぎを聞きつけてお姿を現されたらしい。栄光陰る王家ではあるが、現在の国王陛下は民草のために次々と革新的な政策を行われ賢王と謳われる方なのだ。それゆえ、次代を憂慮しメルクリオ殿下とわたくしの婚約を定めた。
「そして、ウェイブがカサンドラ嬢に求婚したのか……。メルクリオ、何か弁明はあるか?」
「弁明? 申し訳ないのですが、何か弁明することがあったでしょうか?」
「お前は! フルメン公爵家の! 高い魔力を持つカサンドラ嬢との婚姻を白紙にしたのだぞ!」
「確かにフルメン公爵家は高い政治力を持っておいででしょう。カサンドラも他の令嬢に比べれば魔力は高かった。ですが、それが?」
「そ……それが!? 貴様が選んだ平民は、カサンドラ嬢の代わりを為せるというのか!? それほどまでの素養と魔力があるとでも!?」
国王陛下は顔を真っ赤にするほどメルクリオ殿下に激高している。それなのに、メルクリオ殿下は飄々と首を傾げるばかりだ。本当に、我が公爵家の力を分かっていないのだなと感じさせる。
「レナは平民故に高位貴族ほどのマナーもなければ、カサンドラ程の魔力もありません。しかし、レナは私に民に寄り添う心を教えてくれた。将来の王太子妃として必要なのはカサンドラではなく、レナだと私は思いました」
「……貴様が、それほどまでに愚かとは思わなかった」
国王陛下は苦虫を嚙み潰したようなお顔をされる。深く深く息を吐き出してから、覚悟を決めたようにメルクリオ殿下に視線を送られた。
「今、この時をもってメルクリオは廃嫡とし、ウェイブを王太子とする。加えて、今日まで王太子妃教育を受けていたカサンドラ嬢の努力を無に帰すわけにはいかない。ウェイブの婚約者をカサンドラ嬢とする」
その言葉にわたくしとウェイブ殿下は顔を合わせて破顔してしまった。貴族令嬢としては不適切なものだったとしても、ずっと心を寄せていた方との婚姻に喜んでしまうのは致し方ないことだと思う。
対して、メルクリオ殿下はわたくしが想像していたよりもずっと冷静で、取り乱すこともなく陛下を見つめていた。
「それは、国のためですか? 私が王位に就くよりも、ウェイブが王位に就く方が民に利益を齎すと判断してのことですか」
「当たり前だろう。お前を王にするよりも、ウェイブを王にしたほうがこの国のためになる。お前には男爵としての地位と領地としてソリトゥドを与える。側近はそのまま侍従として連れていき、そこの娘を妻とするが良い」
ソリトゥドは我が国における負債物件とも言える辺境の地だ。王都からは遠く、農地に向く土壌も少ない。しかも、与えられる身分が男爵など厄介払いとしか言えない。しかし、メルクリオ殿下は落胆する様子もなく横に侍る少女と自身の側近を見渡した。彼らも一切の動揺もなく、メルクリオ殿下に敬愛の視線を送っていた。
「確かに承りました。これから先も我が国がご繁栄をお祈り申し上げます」
そう言って頭を下げた殿下は静かに会場を後にした。少女や側近も同様である。
悪役令嬢が被る悲劇を回避したはずである。それにも関わらず、この胸を騒がす不安はなんだろうか。
あの婚約破棄から2年が経った。ウェイブ殿下も学園を卒業され、わたくしも20歳になった。
輝かしい未来が待っていると思っていたのに、現実はそんなこともなかった。
わたくしは、転生チートを行おうと様々なものを作ろうとした。今までも冷蔵庫や電子レンジみたいな電化製品を魔法の力で再現してきた。だから、もっと大規模なことをしようと鉄道を作ろうとしたが、山岳や雪などの気象現象に阻まれて上手くいかなかった。事業の失敗で王家とフルメン公爵家が借金を重ねるその横で、メルクリオ殿下は一足飛びで飛行機のような空を飛ぶ移動手段を作った。そのための工場を作ったソリトゥドは著しい発展を見せ、電話のような通信機器や車のような個人向けの移動手段まで発明した。
しかも、昨年は隣国で流行った病が我が国にも猛威を振るったにもかかわらず、ソリトゥドだけは早くに遠く離れた島国から特効薬を取り寄せて被害を最小限に抑えたのだ。
間違いない、メルクリオ殿下に見染められたレナが転生チートをしているのだ。なんて卑しい女だ。国民を助けようとせず、自分の評判を上げることだけを考えるなんて。
僻地であったはずのソリトゥドは、たった二年で王都に次ぐ大都市にまで成長していた。こうしている今も国民は豊かな生活を夢見て次々とソリトゥドに移住している。こんなこと、早く止めなければ。そう考えているのはわたくしだけではなかったようで、国王陛下と我が夫・王太子ウェイブ様の名において、メルクリオ殿下を王都に呼び寄せた。
久しぶりに見たメルクリオ殿下はあの頃と変わらず、いやあの頃以上に生き生きとしていて輝かしく見えた。この二年での苦労で疲弊したウェイブ様が霞んで見えるほどだ。横にいる少女、いや今は美しい貴婦人と呼ぶにふさわしい女もそうだ。凛と背筋を伸ばしメルクリオ殿下に寄り添う姿は、もはや平民と謗ることも難しいほどの品格を身に着けている。
「参上仕ります。此度は何用でございましょうか」
「貴様、余を謀ったな」
「謀った、とは?」
「しらばっくれるでない!! 国がここまで困窮しているのに! 貴様の領地だけは豊かではないか!」
「ち、父上、どうされたのですか、落ち着いてください」
メルクリオ殿下の何気ない一言で顔を真っ赤にして激高する陛下は、とても賢王として慕われていた者とは思えない。父を深く敬愛しているウェイブ様もその姿に酷く驚かれていた。
「私は何もしていませんよ。そして、それは父上も同じです。私が、流行り病が我が国にも猛威を振るう可能性があるから、早く特効薬を確保した方が良いと助言したにも関わらず聞き入れず国民を見殺しにしたでしょう」
メルクリオ殿下の言葉に驚いてわたくしとウェイブ様は陛下を見た。陛下はメルクリオ殿下に言い返すこともなく憎々し気な視線を向けるだけで、彼の言葉が本当であったのだと確信させるには十分だった。
「私が王位に就くよりウェイブが王位に就く方が国民に利益を与えられる。貴方が言った言葉は嘘だった。ならば、許すことはできない。父上には即刻王位を退き、私に王位を譲っていただこう」
「ま、待て、おかしいだろう! 確かに、今回の疫病に関して父上は有益な成果を上げられなかったかもしれない。しかし、父上は今まで、水不足を解消するためのダムの建設や氾濫する河川の整地などを行って民を救った! その功績を無視するのか」
「私だ」
「……は?」
「父上が行ったとされる、ここ十数年の政策は全て私が考えたことだ」
「何を、言っているんですか。だって、ダムの建設だって、兄上が八つのときに行われたことですよ」
「そうだ。ダムの建設ぐらい、稚児でも考えられることだろう」
当たり前のように言ってのけるメルクリオ殿下にウェイブ様も言葉を失った。考えられるわけがない。齢二桁にも満たない幼子が、賢王と称えられるほどの政策を次から次へと考えついていたなんて。その功績を実の父親が掠め取っていたなんて。
ぎりぎりと歯噛みしていた陛下は椅子を倒す勢いで立ち上がると、唾を吐き散らしながらメルクリオ殿下に呪詛を吐いた。
「貴様は悪魔だ! 人がこんなに賢く生きられるはずがない! 王にしてはいけない、貴様が国を統べるなんて間違っているんだ」
「父上にどう思ってもらっても構わないのですがね。父上やウェイブの政策が民のためにならないのであれば黙っているわけにはいかないのですよ」
目を細めたメルクリオ殿下に陛下も言葉を詰まらせる。それほどの圧が、統治者として相応しい貫禄があった。その姿にメルクリオ殿下は吐き捨てるように『情けない』と零した。
「別に私は良かったのです。自分の功績にならずとも、民のためになる政治が行われるのならば。ですが、今の父上はそうではない。今すぐに、その場をどいてもらいましょう」
「うるさい、うるさいうるさいうるさい!! 貴様なんぞに渡すか! 余が王位を退いても貴様に王位は渡さぬ!!」
「はあ……元から優れた王とは思っていなかったが、ここまで耄碌したか。ウェイブ、お前はどう思っている」
「は、あ、え?」
「お前は、自分が王位に相応しいと思っているのか?」
暴れる王をメルクリオ殿下の側近が取り押えた。どう見ても不敬と断罪されるべきことなのに、王宮に仕える騎士たちが動くことはない。そこまでメルクリオ殿下の手が回っているのだと、わたくしはやっと気が付いた。
「僕は、確かに兄上より賢くはないでしょう。ですが! 兄上より人を見る目があるはずです。幼いころに政略として婚約を結んでいたカサンドラ嬢を捨てて恋に走る兄上は、人に信頼される素養はないように思えます!」
「私とカサンドラが婚姻を結んで、何の得がある?」
「……え?」
「カサンドラは勉学もできるし、魔法も使える。だが、全て私には及ばない。そんなカサンドラが国にどのような利益を齎す? 政略は利益があるから結ぶものだろう」
メルクリオ殿下の言葉にウェイブ様だけではなくわたくしも凍り付く。利益がない? だから破棄した? 愚かにも恋に走ったわけでは、なく?
「いつまでも利益のない婚約を結んでいるのはカサンドラにも酷だろうと、父上にも、フルメン公爵にも、それこそカサンドラ本人にも伝えていたのに、誰も取り合ってくれず困ったものだ」
「で、ですが! カサンドラには類まれなる閃きがあります! 様々な発明をしましたし、失敗はしましたが鉄道という発想だってすごかった」
「誰でも思いつくだろう、あんなもの」
「な、え? 何を言っているのですか?」
「便利な暮らしをしたいと思ったら、誰だって思いつく発想ではないか。難しいのは閃くことではなく、実現することだろう?」
本当に不思議そうに、メルクリオ殿下は首を傾げた。わたくしが、前世というアドバンテージがあったから思いついた数々の発想は、価値もないことだと言い捨てたのだ。過去のわたくしだったら、わたくしの成功を妬む者の戯言と切り捨てていただろう。しかし、メルクリオ殿下はわたくしが実現できなかったあらゆることを既にこの世に生み出している。メルクリオ殿下は二回目の生であるわたくしですら、遥か遠く届かない彼方にいるのだと否応なしにつきつけられる。
「なら、その女はなんなんですの。わたくしより、優れていたのですか」
喉の奥から絞り出した言葉はしわがれ、あまりにも憐れに響いた。けれど、メルクリオ殿下は恨めしげに睨みつけるわたくしを蔑むでもなく、ごくごく自然に微笑んだ。
「レナは、国の運営に効率だけを求めて非人道的な政策を行っていた私に『もっと人の心を考えろ』と叱ってくれたんだ」
「……は? そんな、当たり前のことを言っただけで?」
「そんな当たり前のことを、誰も私には言ってくれなかった。平民で何の後ろ盾もなく、私の機嫌を損ねたら簡単に首が飛ぶような身分でそう進言したんだ。私は、民のために優れた政治を行うためには、そのように自らの身も顧みずに進言してくれる者に王妃になってもらうべきだと考えた」
わたくしも、そんな当たり前のことをメルクリオ殿下に伝えなかった者の一人だ。いずれ自分は殿下に捨てられると思って、彼がどのような道を歩もうと好きにすればいいと距離を取っていた。
「貴女は、レナさんは、そんな殿下を支える心づもりが、あるのですか?」
自分の身勝手さから目を逸らしたくて、そう問いかければ想像よりずっと強く覚悟の決まった瞳に射抜かれた。
「もちろんです。あたしは孤児です。平民の中でも底辺で、文字通り泥水を啜ってでも生きてきました。こんな惨めな思いをもう誰にもしてほしくなくて、文官になって王宮に勤めるために血反吐を吐きながら学園に入学したのです。目的のために文官ではなく王妃になるのだとしても、あたしは完璧に勤め上げてみせます」
彼女の言葉にメルクリオ殿下も、その側近たちも尊敬の眼差しを彼女に向けていた。それだけで、彼女の言葉に一切の嘘偽りがなく、今までいかに真摯に行動してきたかが分かる。
わたくしはただただ項垂れる他なかった。わたくしは彼女を自分と同じ転生者で、乙女ゲームの世界だと思って自分勝手に振る舞う浅はかな女だと思っていたのだ。しかし、彼女は転生者でないどころか、わたくしよりも余程この世界と向き合ってより良くするために動いていた。自身の愚かさに消えてしまいたくなる。
ウェイブ様も同じだったのだろう。固く瞳を引き結び、歯を食いしばっておられた。
「ウェイブよ、お前はまだ王位を望むか」
「いいえ……王位は、兄上にこそ相応しい」
その言葉をもってして、わたくしたちが表舞台から姿を消すことが決まった。
後の世で、神王とすら謳われたメルクリオ殿下、いえ陛下の影で、わたくしたちの名が消えてしまうのは必然だったのでしょう。
メルクリオ・ドゥ・アエクオル
文武両道眉目秀麗、魔法の腕も右に並ぶ者はいない
あまりに完全無欠すぎて人の心が分からなかったが、偶然関わったレナに「もっと人の心を考えろ」と怒られ、王となるには弱者の視点も必要だと気付く
(全のために一を切り捨てることを良しとして、ダムの建設や河川の整地の際に住民を退かせることに何も思っていなかった)
レナのことを王となるのに必要だと思って求婚したが、その根底に愛があったことにしばらくしてから気が付いた
レナ・ルクス
平民の特待生であり、孤児院の出身(姓も孤児院のもの)
平民の地位向上を目指して学園にやってきた
情に篤く正義感も強いため、メルクリオと交流した際に苦言を呈したことから興味を持たれる『おもしれぇ女』
メルクリオからの求愛に対しては、当初「孤高の存在であるメルクリオへの同情」と「彼のパートナーとなり権力を得ることでスムーズに平民の地位向上が果たせるかもしれない打算」で応えたが、次第に絆され愛が芽生えた
カサンドラ・フルメン
メルクリオの婚約者であり転生者である公爵令嬢
人生二回目のため勉学もそれなりにこなせるし、生まれ持った魔力も高い
しかし、所詮は凡人の範疇であり、人並外れた天才のメルクリオの才能にも、人生をかけて世界を変えようとしているレナの覚悟にも及ばない
ウェイブ・ドゥ・アエクオル
兄に強いコンプレックスを抱く第二王子
メルクリオと比べてこないカサンドラに惚れていた
オーシャン・ドゥ・アエクオル
メルクリオとウェイブの父であり、国王だった男
凡人だが虚栄心が強く、メルクリオが提案した政策を自身のものとしていた
国営のためにもメルクリオの頭脳を必要としているが、あまりにも賢いメルクリオに恐れも抱いている
なお、公の場でメルクリオが陛下と呼ばなかったのは王として認めていないから