第18話 ジルダ川の異変
~七章 ちびっこ聖女と重なる異変~
翌日、ルイーズはリュカや従者たちと共にふたたび城を出た。
だが、今日の目的は前回のような城下での買い物や探索ではない。城下から少し離れた場所に流れているという、ジルダ川の観察だ。
「あっ、あった。あれだよね?」
「うん。立ち入り禁止の柵が立てられてるけど、あの川だよ」
民が誤って近づかないようにするためだろう。ジルダ川の地畔には木組みの柵がずらりと設えられていた。悪魔文字は読めないけれど、あきらかに警告文のようなものが書かれた看板も立っている。
「ここに、毒素が混じってる?」
ルイーズたちはぎりぎりまで柵のそばまで寄り、水の様子を見てみる。
──が、見た目では特別変わった様子はない。流れも至極穏やかで濁りもなく、水底が透き通って窺えるほどには澄んでいた。
「少なくとも、ザーベス荒野のように空気中まで毒素で汚染されているわけではなさそうですね。水自体も見た目には現れていないですし」
「んね。ちょっと想像とちがったかも」
ディオンの言う通り、大気も澄んでいる。エヴラールの領地内だけあって土壌自体の色も浅めの茶色で異常は見られないし、近隣には植物さえ生えているほどだ。
あの柵がなければ、いつも通りに水を汲んで飲んでしまってもおかしくはない。
「……んー。あのお水、採ってこれないかな」
「木樽は持ってきましたが、姫さまはいけませんよ。自分が採って参りますので、ここでお待ちください」
「でも、だいじょぶ?」
「この程度でしたら、肌が水に直接触れなければ問題ないかと」
危険なことをさせてしまうのは心苦しいが、ルイーズやリュカにはできないことだ。
軽く柵を飛び越えて川に近づいたディオンは、サッと木樽を水中に潜らせた。ほんのわずかばかり水を掬い、慎重に触れないようにしながら戻ってくる。
「ディー、だいじょぶ? 樽、溶けちゃってない?」
「大丈夫そうですよ、姫さま」
「よかった。ディーの剣みたいにならなくて」
「……? ルゥ、なんの話?」
リュカが首を傾げる。たしかにこれは、あの〝毒地獄〟をひと月以上も生き抜いたルイーズとディオンにしかわからない会話だった。
ベアトリスも不思議そうな表情をしているのを見て、ルイーズはすでに遠い昔のように感じられるザーベス荒野での日々を思い出しながら答える。
「リュカ、ザーベスって知ってる?」
「ザーベス……うん。たしか、猛毒を持った花だよね。魔界だと、魔王ブレイズさまの領地に咲いてるって聞いたことがあるよ」
「そうなの? 人間界にもね、そのザーベスがいーっぱい咲いてる場所があるの。ルゥたち、魔界に来る前にそこで過ごしてたんだけど」
「えええっ、なんでそんな危険な場所に!?」
「ちょっと用事があって。でね、ディーの剣がね、ザーベスの茎を斬ったとたんにドロドロ~って溶けちゃったんだ。びっくりした」
それほどの猛毒を相手にしていたのだから、色も普通、空気も正常、加えて溶けない相手などどうってことないとすら思える。
「……ディオン、それはわたしと出会う前の話だろう? 姫さまがおそばにいる状態であの毒花を斬ろうとすること自体、わたしには到底信じられないんだが」
「そこは信頼関係あってのものですよ。自分は姫さまが望まれたことにはなるべく応えるようにしているのです。そこには大抵の場合〝意味〟がありますから」
当たり前のように紡がれた言葉に、ルイーズは驚いてディオンを見た。
たしかにディオンは、ルイーズのお願いにはなにがなんでも──それこそ命がけだとしても応えてくれようとする。
けれど、まさかそこまで信じてくれているとまではルイーズも思っていなかった。
(たしかにディーは、いつもちゃんと話を聞いてくれるんだよね。子どもだからってバカにしないし。だからルゥは、のびのびといられるんだけど……)
頭のなかにちらつくのはエヴラールの姿だ。
意識して思い返せば、どうしてリュカがエヴラールの前であんなにも緊張しているのかがよくわかる。
エヴラールはリュカの話をいっさい聞かないのだ。
いつも一方的で、リュカの言葉には耳を貸そうとしない。
無論、リュカが父の前だと萎縮して気持ちを言えなくなってしまうことも関係しているのだろうが、それ以前にこの親子は〝対話〟が成り立っていなかった。
どれだけ言葉を詰まらせても、目線を合わせ、最後まで話し切るまで聞いてあげてくれれば、リュカだって──。
(んー。なにかきっかけがあればいいんだけど……。やっぱり、魔王さまがリュカを認めざるを得ないくらい功績を残すしかないのかな)
正直、この水不足に関しては、下手に手出ししない方がいい気もするのだが。
(でも、リュカは民のためになりたいんだもんね。ルゥにできることがあるなら、協力したいし……よし!)
考えたあげく、ルイーズは汲んできた水を試しに浄化してみることにした。
「ルゥ、これきれいにしてみるね」
「きれいに? どうやるの?」
「見てて」
笑顔で答えた瞬間、ディオンから『それ以上近づいちゃダメですよ絶ッ対ダメですわかってますよねいいこですもんね姫さま』という無言の圧力を感じた。
どうやらこれ以上、樽に近づくことは許されないらしい。
仕方ないので、ひとまず離れた場所から聖光力を使ってみる。
(ちょっと、久しぶりだけど)
感覚を思い出して、身体の中心から力を操作する。ルイーズだけが視認できている綿雲で汲んできた水を丸ごと包むように覆い、毒素──穢れを取り除く。
(きれいきれいに……さっぱりと)
いつも通りに力が流れ出した、そのとき。
急に頭の内側が溶けるような感覚に襲われ、ぐらっと目眩がした。
「姫さま!」
「姫さまっ!?」
「ルゥっ……?」
重心がよろけたところを、背後にいたベアトリスに支えられる。
まさかこんなタイミングでふらつくとは思わず、ルイーズ自身も驚いていた。
(なにいまの。びっくりしたぁ……)
目をぱちくりしながら体勢を立て直し、ふるふると頭を振ってみる。
「大丈夫ですか、姫さま。眩暈でも?」
「う、うん。なんだろ……ちょっと久しぶりで、集中しすぎちゃったかな。でも、だいじょぶだよ。えと、もう一回やってみるね」
内心戸惑いながらも、ルイーズはベアトリスにいつも通りの笑みを向けた。
こんなことでよけいな心配はかけたくなかったのだ。
「しかし、お身体が……」
「だいじょぶだいじょぶ。もう少しで、ちゃんときれいにできるから」
ふたたび聖女の力を行使し、水を浄化してみる。今度はなにごともなく順調に浄化が済み、ルイーズはほっと胸を撫で下ろした。
「……姫さま」
そんなルイーズを断りもなく抱え上げてきたのは、言うまでもなくディオンだ。
その表情が厳しく強張っているのを見て、ルイーズは冷や汗を流す。
「へーきだよ、ディー。さっきは力を出しすぎちゃったの。ルゥ、元気だよ」
相変わらず過保護なディオンを安心させるように言うが、ベアトリスもリュカもそろって心配そうな面持ちでルイーズを見ていた。
(ほんと、みんなして心配性なんだから)
仕方ないなあ、とルイーズは苦笑するしかない。
ディオンが放してくれそうにないので、大人しく抱かされたまま樽を指さす。
「ディー。あのお水、もうだいじょぶだよ。ルゥに飲ま──」
「ジ・ブ・ンが! 確認しますから! 姫さまはいけません!!」
ディオンに決死の表情で遮られ、ルイーズはなかば呆れ気味に頷いた。
「じゃあ、お願い……」
お任せを!といまは見えない尻尾をぶんぶん振ったディオンは、ルイーズをベアトリスに託すと、いきなり木樽に顔を突っ込んだ。
はたから見たらシュール極まりないが、丹念に匂いを嗅いでいるらしい。
「え、あ、あの、なにを……?」
状況がわからないのか、リュカはひとりおろおろしている。
そんな彼の声には答えず、ディオンは人差し指で一滴だけ掬って口に含んだ。
その瞬間、リュカが「わーーーっ!?」と普段の大人しさからはびっくりの悲鳴を上げた。まさかディオンが毒素入りの水を飲むとは思わなかったらしい。
「だ、だいじょぶだよ、リュカ。ルゥがきれいにしたから」
「えっ、えっ、でも……っ」
「はい。大丈夫でございますよ、リュカさま。ほんのわずかの穢れもない澄み渡った水になっておりますから」
顔を上げたディオンは、大変──それはもう大変誇らしげな顔をしていた。
「ああ自分の姫さまは本当になんと、なんっとすばらしいのでしょうね……!」
「ディー、それこっちにかして。ルゥも味見する」
「あ、はい」
ディオンは盛大にスルーされたことに肩を落としながらも、ベアトリスの腕に抱えられているルイーズのもとへ木樽を運んでくれた。
人差し指を使って水を一滴だけ掬い、ルイーズもぱくっとくわえてみる。
「ん。おいしいね」
「はい、姫さま。姫さまが浄化した水ほど美味しいものはありませんから」
「ほら、リュカもこっち来て。飲んでみて」
ふたたびディオンを華麗にスルーし、ルイーズはリュカを手招いた。
おそるおそる近づいてきたリュカは、まだ信じられない様子だ。けれど、ルイーズたちに倣って一滴だけ水を掬い口に含んだ瞬間、パッと目を輝かせる。
「ほんとだ、美味しい……! 身体もなんともないし、ルゥ、すごい!」
「ルゥはね、聖女だから。汚いものをきれいにできる力があるんだよ」
「そうなんだ、ほんとにすごいよ。でも、あれ? じゃあこれで解決?」
「ううん」
たとえば汲んできた水を浄化して、ある程度の飲水を確保することはできる。
だが、一生ここでルイーズが〝浄化装置〟になるわけにもいかない。
いつまで魔界にいるかどうかもわからないし、ルイーズだって無限に聖光力を使えるわけではないのだ。それに──。
「この川の水をぜーんぶきれいにしてもね、解決にはならないよ」
「どうして? 川がきれいになれば、みんな水を汲めるようになるのに?」
「いっときはね。でも、だめ。だって、この川の根元はジルダ湖だもん」
ルイーズは上流の方をじっと見ながら続ける。
「屋台のおじちゃんも言ってたでしょ? そこにいる〝魔物〟っていうのが毒を出してるから、こっちの川まで汚れちゃってるって」
根本的な原因を取り除かなければ意味がないのだ。
いくら川を綺麗にしても、結局のところいたちごっこになってしまう。
「そっか。じゃあ、やっぱりその魔物を倒さないとだめなんだ」
「うん。……ところで〝魔物〟ってなに?」
ルイーズの放った疑問に、リュカが「いまさら!?」とずっこけた。
「し、知らなかったの?」
「うん。悪魔と魔物ってちがうんだね」
「まったくちがうよ!?」
とはいえ、前世の知識から、なんとなくのイメージならばついているのだが。
しかし、こちらの世界のそれとはまったく異なる場合もある。ならばもっと早く聞けばよかったのだが、なかなかタイミングが掴めずにいたのだ。
「魔物はね、えっと……なんて言ったらいいのかな……」
的確な言葉が見つからないのか、リュカはうんうんと唸り始めた。
「自分が説明いたしましょう、リュカさま」
そんな彼に、ディオンが優しい微笑を向ける。
「魔物はなにかしらの生き物が突然変異することによって生まれます。それは今回のように魚であったり動物であったりさまざまですが……残念ながら、魔物になった以上はそれはもう生き物ではなくなってしまうのです」
「生き物じゃなくなる……?」
「ええ。一言で表すのなら、バケモノでしょうか。悪魔が意思と自我を持つものだとすれば、魔物はそこから意思と自我を除いて凶暴化したものと考えてください」
(うぅん……たしかに、それはバケモノかも……?)
悪魔は、ただでさえ闇魔法を行使するモノたちだ。
彼らから意思と自我をなくしただけでも恐ろしいのに、凶暴化なんてしてしまったあかつきには、もはや手の施しようがないのではないだろうか。
想像してぶるりと背筋を震わせながら、ルイーズは情けない顔をした。
「こわい。けど、ルゥは見たことないよ?」
「ルエアーラ幽谷は、ああ見えて神聖な場所ですからね。未開の地であるのも、神のおわす場所にもっとも近い場所と言われているからです。それゆえか、あの場は不思議なくらいに魔物が発生しませんでした」
初めて聞く故郷の実態に、ルイーズはぽかんとしてしまった。
なるほど、幽谷から出たことがなかったルイーズが魔物を見たことがないのも当然である。あの場にいる限り、そもそも無縁の存在だったのだ。
「そういえば、人間界でも魔物による被害は多かったな……」
「え、そうなの?」
ぼやくベアトリスにルイーズが食いつくと、彼女は美麗な顔に苦い色を浮かべた。
「わたしがいた第三部隊は、よく魔物討伐に駆り出されていまして。大量発生したあいつらを夜な夜な狩った記憶は、正直思い出したくもありません」
「うええ……ベティ、大変だったね」
ベアトリスの頭に手を伸ばして、よしよし、と撫でる。
すると彼女はどこかくすぐったそうな表情で微笑み、首を横に振った。
「ありがとうございます。ですが、それが仕事でしたからね。そうして数え切れないくらい剣を振った数だけ己の力になっているはずですし、糧にはなりましたよ」
「……そっか。でも、ベティが無事でいてくれてよかった」
「姫さまに出会うためでしょうね。きっと」
「んふふ」
ベアトリスにぎゅっと抱きついて、ルイーズははにかむ。
(みんな、仲よし。よきかなよきかな)
かたわらでディオンが「んな!?」と目を剥き、至極幸せそうな表情で「天使」と愉悦に浸るベアトリス。リュカは三名を交互に見ながら、にこにこと笑った。
そんなほのぼのとした空間に気が抜けたのだろう。
ふいに抗いがたい眠気が襲ってきて、口から大きな欠伸が零れた。
「ふぁぁ……なんかルゥ、眠くなっちゃった」
「姫さま、やはり体調が……」
「ううん。ただ、眠いだけだよ。ディーってば心配しすぎ」
もう、と頬を膨らますと、ディオンは「性分です」と苦笑した。
「今日はこのへんにして帰りましょう。リュカさまも、よろしいですか?」
ディオンの問いかけにほんの一瞬だけ迷った様子を見せたリュカだったが、ふたたび欠伸を零したルイーズを見てすぐに首肯した。
「うん。ルゥのこと、寝かせてあげたいもんね」
「ありがとうございます。いろいろとお考えのことがあるとは思いますが、リュカさまもあまり根詰めすぎないでくださいね」
こくっとリュカは首を縦に振るが、その顔はまた昨日のように考え込むものに変わっていた。若草色の瞳に影が落ちるのを見て、ルイーズは不安を覚える。
(……リュカは、すんごく真面目なのね)
それはよいことだけれど、周りが見えなくなりがちなところはいただけない。
(もっと、周りを頼ってくれたらいいんだけどなぁ)
うとうと微睡みに浸りながら、ルイーズはひとりリュカの先行きを案じた。




