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出立の日

「おっさん。来たぜ」

「おう、ふたりとも。上手くやったんか」

「まあな」


 アレクセイは、「本日休業」と札のかかった扉を開け、店内に入る。片手を上げてアレクセイとメイディを出迎えたディッケンは、今日は上着を着込んでいる。


「案内頼むぜ」

「任せとけ。……その前に、これだ。魔獣の森へ入ると、抜けるまでは大したもん食えねえからな。美味いもん食って腹ごしらえしていけ」

「ああ、この揚げ芋。美味いんだよな」

「この間のとは、色が違う……?」


 ディッケンがカウンターに出した皿を、ふたりそろって覗き込む。


「それはこの国の芋を使ってんだ。ねっとり甘くてうまいぞ」

「塩かけて食うのが好きなんだよ、これ。メイディもやってみろ」

「うん……あ、美味しい!」


 さく、と軽い食感の後の、衣からあふれてくる柔らかな実。ほのかに甘く優しい味わいに、メイディは頬をほころばせた。


「揚げ芋にはこれが合うんだよ」


 ディッケンがカウンターに置いたのは、麦酒のジョッキであった。透き通る黄金色に、真白でふわふわな泡が浮かんでいる。


「あれ? おっさん、これ酒じゃねえか。俺たちには酒を出さないんじゃねえのかよ」

「子供にゃ酒を出さねえって言ってんだろ。お前、自分で生きる道を選んだ奴は大人だろうが」


 麦酒を注いだジョッキが、もう一杯。今度はメイディの目の前に置かれる。

 ディッケンは、なみなみと麦酒を注いだジョッキを持ち、高く掲げた。


「てめえらの前途が晴れやかなものであることを祈って、乾杯!」


 カラン、とジョッキの触れ合う涼やかな音。ディッケンは、ごくん! と大きく喉を鳴らし、ひと息でジョッキを空にする。

 なるほど。メイディはそれにならい、両手でジョッキを抱えると大きく傾け、ごくり! 喉を鳴らした。

 炭酸のしゅわ、という爽やかな喉越しとともに、苦味と酸味が鼻から抜けていく。


「うう、苦い……」


 乾杯、と言うのだから全部飲むのが作法なのかと思ったが、無理だった。ジョッキを半分空けたところでギブアップするメイディの顔を、アレクセイが覗き込む。


「……メイディ、酒飲んだことあんのか?」

「ないよ、初めて飲んだ」


 あっけらかんとした返答に、アレクセイとディッケンは顔を見合わせる。


「お前……それで一気に飲んだらまずいだろ」

「ジュースを飲め、ジュースを。『氷の虎狩』は酒に弱いんだぜ、多分お嬢も弱いだろ」

「は? わかってんなら、でかいジョッキで飲ませんなよ」

「酒ってのは貴族のたしなみなんだろ? 貴族学院に通うお嬢が、飲み方を知らねえなんて思わなかったんだよ」

「ちっ。……メイディ、ほら、おっさんがジュースを入れてくれたぞ。飲め」

「なんでえ? これ、慣れるとけっこう美味しいよお」


 ふたりが言い合っている間に、メイディはさらに麦酒を飲み進めていた。ふわりとした口調、とろんとした目つき、赤らんだ頬。明らかに酔っぱらった様子を見て、アレクセイはため息をついた。


「もう酔ってやがる……」

「酔うってやつなの、これ? ふふっ、お父さんがお酒好きなの何となくわかったかも。ふわふわして気持ち良いねえ。揚げ芋にも合うし」

「ああ、待て待て。もう飲むな。少し様子を見ろ」


 メイディの前に置かれたジョッキを、アレクセイが引き寄せ手の届かないところへ置く。


 せっかく、良い気分になったのに。

 美味しさがわかってきたのに。

 ふわふわして、ぽかぽかして、あったかいのに。

 お父さんの気持ちがわかったのに、どうして邪魔するんだろう。


 思考が緩慢になっているのに、それに気づかないのが、酒の怖いところ。アレクセイの心配もわからず、ただ目の前にあったおもちゃを取り上げられたような気分で、メイディはむっと口元を歪めた。

 少し考え、危うげな眼差しできょろきょろし、アレクセイの前にあるジョッキに目を止める。


「なら私、こっち貰おうっと」


 手を伸ばしてジョッキを奪い、ぐいっと飲む。冷たくて、爽やかな喉越し。酔いが回って鈍くなった味覚には、苦味すら心地良く感じられた。


「おいおっさん、どうすんだよ、これ」

「いや、悪い。まさかこんなことになるとは……」

「なあに、アレク。変な顔して……」


 メイディは、困った表情の彼を見て、何となく違和感を覚える。


 どうして困ってるんだろう? 今、何かしたかな。困らせるようなこと……そういえば今持っているのは、アレクセイが一度口をつけたジョッキで。そうだ、そんなシーンを本で読んだことがある。


「間接キスだねえ」

「は……」


 予想外の発言に言葉を失ったアレクセイの顔が、みるみるうちに赤く染まった。


「あははっ、照れてる」

「照れて……照れねえよ、こんなんで!」

「私、アレクの照れた顔好きなんだよねえ。いつもは彫刻みたいに綺麗な顔してるけど、照れるとふにゃってなるの、可愛い。笑ってくしゃってなる顔も好きだし、真剣な顔も好きだし~……」


 酔っぱらい特有の妙に据わった目で、メイディはアレクセイだけを一心に見つめながら歌うように囁く。


「おい! おっさん、どうすんだよ、これ!」

「いいんじゃねえか? 楽しそうだし。ジュース飲ませて、酔いがさめるまで待とうぜ」

「楽しいよお」


 メイディの気の抜けた笑顔は、アレクセイが今まで見たことがないほどに自然で、柔らかい。

 一瞬見とれた後、アレクセイは上着を脱ぎ、メイディの顔にかぶせて隠した。


「……ああっ! くそ、もう、おっさんも見んなよ、この顔!」

「オレに嫉妬してんのかあ? さすがに年下すぎんぜ、興味ねえよ」

「嫉妬なんかしてねえよ! こんな……こんな顔、男に見せていいもんじゃねえだろが」

「アレクの匂いがするう。甘くていい匂いするよねえ、好き」

「……っ!」


 上着の下から聞こえるくぐもったメイディの声に、アレクセイは目を閉じて天を仰いだ。


「ははっ、アレクもお嬢には敵わねえんだなあ」


 酔っぱらいのメイディと、翻弄されるアレクセイと、面白がるディッケンの夜は、そのまま更けていくのだった。


***


「ごめんね、私のせいで出発が遅れたみたいで」

「構わねえよ。調子はどうだ? 酔いはさめたか?」

「うん、大丈夫。アレクも大丈夫? なんか……目の下のくま、すごいけど」

「アレクが眠れなかったのは酒のせいじゃねえもんなあ」

「うるせえよ、おっさん」


 酔っ払って寝落ちしたメイディが目覚めたのは、明け方だった。カウンターに伏せて寝ていたわりには軽い肩を回しながら、朝の爽やかな空気を吸い込んで、頭をすっきりさせる。

 昇ってくる日の明かりがまぶしい。藍から青に変わりつつある空に紛れて、三人は魔獣の森へ向かう。


「お嬢は賢いし、有能なんだろ? そんで、酔うと可愛いとなると、ランドルンに行ったら引くて数多かもしれねえなあ」

「……メイディ、お前、俺が居ない時には酒を飲むなよ」

「うん? いいけど」


 きょとんとするメイディの表情に、アレクセイは「わかってねえよなあ」と肩を落とす。


「お前も大変だなあ、アレク。頑張って繋ぎ止めろよ。良い知らせを待ってるぜ、オレは」

「おう。……誰にもやるかよ。こいつは俺んだ」


 アレクセイは、メイディを抱き寄せる腕を強める。その青い瞳は、これから現れるかもしれない未知のライバルに向けて、闘志を燃やしていた。

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