3-7 メイディの進む道
「……これだ!」
放課後、メイディは図書館で、一心不乱に本のページをめくっていた。机上に山ほど積んであるのは、以前アレクセイに勧められた本と同じ棚にあった恋愛小説である。
困ったら、教科書に頼る。メイディの勉強への姿勢は、相変わらず変わらない。
何冊目かでようやく見つけたのは、婚約破棄から始まる物語。主人公である令嬢は、あらぬ言いがかりをつけられて、婚約者から一方的に婚約破棄を宣言される。その様子を見た異国の王子にその場で求婚されるという展開だが、メイディにとって大切なのは、当の婚約破棄のシーンであった。
流れをきちんと考えれば、ミアをしがらみから解放できるかもしれない。
「今度、相談しよ……」
メイディは、服の上から胸元を掴む。その下には、ネックレスの先に小さな魔導具がぶら下がっている。触れると風の魔法が発動する、魔導具だ。ミアの持つ鈴の魔導具と対になっており、触れると、彼女の持つ鈴が鳴る仕組みだ。
この魔導具によって、ミアとメイディは、人目を忍んで会うことができるというわけである。
見つけた本を借り、メイディは寮に向かった。自室で服を脱ぎ、簡素なワンピースに着替える。冬も盛りで冷えるので、実家から持ってきたコートを着込んだ。
夕闇に紛れ、人目を避けて寮の裏手へ向かう。樹々の間の薄暗がりに金の髪を認め、メイディは近寄った。
「お待たせ」
「おう。行くぞ」
アレクセイが両腕を広げ、メイディはその中に身を投じる。抱きしめられると、温もりが心地良い。そのままふたりは、空高くへ飛び上がった。
これから向かうのは、ディッケンの店である。ランドルンについて、彼に話を聞く約束になっている。
「よう、おっさん。来たぜ」
「おおう。待ってたぞお、アレク、お嬢。今日は貸切だ、ゆっくり過ごしてくれい」
どん、と重い音がしてカウンターにグラスが置かれる。エクトーリアジュースだ。その味を思い出しながら口に含んだメイディは、首を傾げた。
「酸っぱい……?」
かなりの酸味と、ほのかな甘み。これはこれで美味しいが、前回感動したような芳醇さは、そこにはない。
「そりゃ、ランドルンのエクトーリアだからな。お嬢のために仕入れたんだぜ」
「私のために……?」
「おう。暮らしを想像するには、まずは食だろ? 今日は特別に、ランドルン料理を振る舞ってやる。ほれ、ラタ芋のフライだ。こっちの芋と比べると、ほくほく甘くて旨いぞ」
「へえ……あ、美味しい!」
衣をまぶして揚げられたフライは、噛み締めると、ほんのりと後を引く甘さがあって何とも美味しかった。頬に手を添えて笑顔を浮かべるメイディを見たディッケンは、視線をアレクセイに向ける。
「ほおー? 見とれっちまって、熱いねえ、アレク」
「うるせえ! 俺のことはいいだろ。メイディに話してやってくれよ」
「ランドルンのことな。オレが住んでたのはちぃとばかし昔だが、何でも話してやるぜえ。夜の街の話なんかどうだ? あそこでは、女が男を買う店もあってなあ……」
「やめろ」
「買うって、どういうことですか?」
「お前も興味を示すんじゃねえ!」
声を張って怒りを表明したアレクセイは、小さく舌打ちしてから、「毒になる話はすんな」と釘を刺す。
「わかってるよ。ま、冗談は置いといて。何が聞きたいんだ、お嬢?」
「何、という訳でもないんですが……私がランドルンへ行って、どんな生活をすることになるのか、全然想像がつかないので。情報が少なくて、行くかどうか判断できないんです」
「ふうん……なるほどなあ。お嬢は、学院の特待生なんだろ? 女だてらにバリバリ働いて出世してえなら、ランドルンはありだろうな」
手際よく調理を進めながら、ディッケンは話を続ける。
「あそこは、王家が身分の別なく、能力で人材を登用するってのをやってっから。その風潮は民間の商人にもあるんで、どこも実力主義だ。お嬢の能力と頑張り次第で、何にでもなれると思うぜ。何もできない奴あ、そのぶん苦労すんだけどな。オレとか」
「おっさんの場合は、できないんじゃなくて、しねえんだろ」
「しねえんじゃなくて、頑張れねえんだよ。ま、行ってみてもいいんじゃねえか? 国はひとつじゃねえ。合わなければ、ランドルンからまた他の国へ行くことだってできる。あそこは貿易の国だからな、行く先はいくらでもある。……ほい、これは兎魔獣のステーキだ。ランドルンじゃ、民間の猟師が獲った魔獣を食うんで、魔獣食はわりと一般的だぜ」
「わ、すごい歯応えですね。……ランドルンが、実力主義で貿易が盛んなのはしってるんです。何というかもっと、具体的な想像をしたくて。例えば朝起きてどうするのか、どんなところで働いて、何を食べるのか、って」
例えばそれは、魔法を発動するときの詠唱のように。その想像ができないから、踏ん切りがつかない気がする。
メイディの要求に、ディッケンは「うーん」と呻き、傷んだ髪をざっくりと乱した。
「行ってみねえとわからねえこともあるぜ、お嬢。朝起きてお嬢が何するかなんて、オレは知らねえよ。お嬢次第だ」
とん、と軽い音を立て、新たな料理皿が目の前に現れる。
「食いもんくらいは教えられるが、それだって、実際に何食べるかまでは知らんしなあ。……お嬢は、何が心配なんだ?」
「うーん。ランドルンに行って、本当に私は楽しく過ごせるのか……ですかね。想像が、できなくて」
「楽しく過ごせるか? その心配は要らねえよ、こいつがどうにか、あんたを楽しませようとすんだろ」
カウンターから無骨な腕が伸び、アレクセイの頭をぐしゃりと撫でた。
「今こいつと居て楽しいんなら、ランドルンへ行っても楽しいだろうよ。今も楽しくねえんなら、望み薄だろうな。『楽しさ』が基準なら、んなもんは簡単な話だ」
「アレクと居て、楽しいかどうか……」
メイディは、隣にいるアレクセイに顔を向ける。彼の眉間は緊張し、どこか神妙な顔をしていた。
「それは、楽しいです」
迷うまでもなかった。
そもそも、メイディに楽しさを教えてくれたのは彼なのである。
「そうかい。なら、迷うことはないんじゃねえか? ま、オレが決めることでもねえんだが」
「……うーん」
メイディは、アレクセイの顔をじっと見た。彼の表情が、緊張から不安に変わり、情けなそうに眉尻が垂れる。
「な、なんだよ……」
「アレクを幸せにできるのは、ミア様だと思ってたのに」
「はあ? お前は、何でミアをそんなに気にすんだよ」
「気にしてるわけじゃないよ。あの人がアレクを……」
言葉の途中で、メイディはすっと唇を閉じる。
「うん? どうした」
「あれ……だからね、ミア様がアレクを」
好きじゃないってことは、もうわかった。そう続けようとすると、唇が勝手に閉じる。
あ、これ契約魔法だ。
二度繰り返して、メイディは気づいた。ミアから聞いた話を、アレクセイに伝えることはできないのだ。
伝えられるのは、結果だけ。
ミアがアレクセイを好きなら、彼女が傍にいることが、彼の幸せに繋がると信じていた。
けれど、ミアはアレクセイを好きではない。ふたりの話を鑑みるに、アレクセイに好意を抱いているのは、きっとメイディだけ。ディッケンも良く面倒を見ているから、ふたりか。
「……アレクを幸せにできるのは、私だけなのかもしれないって思って」
ミアが居ないのなら、自分しか居ない。それは、メイディの気づきであった。
真剣な表情で呟くメイディに、アレクセイはふっと表情を緩める。
「そう言ってるだろが。俺には、お前だけだよ」
「私が一緒にランドルンへ行ったら、アレクは幸せになれるのかな」
「ああ、なれる。間違いねえ」
力強い肯定を受け、メイディは覚悟を決めた。
「なら私、一緒に行くよ」
好きな人には、幸せになってほしい。
好きな人といれば、どんな場所でも楽しい。
人生楽しければいいのなら、メイディの選択肢は、ただひとつなのだった。
「ほんとか? よっしゃ! おっさん、メイディも一緒に行くって」
「オレが背中押したようなもんだろうが。感謝しろよ、てめえ」
「するする。いちばん高い酒を出してくれよ、儲けさせてやるぜ」
「子供に酒は飲ませねえって言ってんだろ」
無邪気に喜ぶアレクセイと、どこか誇らしげなディッケンのやりとりを聞きつつ、メイディは考えを巡らせていた。
着地点は決まった。あとは、そこへどう到達するか、だ。
婚約破棄の台本に、どうしても、ミアの幸せを組み込みたいのである。




