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3-5 メイディとミア

 本当に、あの人に声をかけなくていいのだろうか。


 朝。昨日のアレクセイとのやりとりを思い出しながら寮の廊下を歩いていたメイディは、ふとそう思う。


 ミアほどの素敵な人がアレクセイを好きならば、それを手放してはいけない。アレクセイはミアと一緒にいた方が、幸せになれるはずだ。もし彼女が一緒に来たいと言うのなら、ランドルンへ一緒に行くべきだと思う。


 アレクセイにとっては、きっとミアの存在は当たり前のものすぎて、失った時のことを想像できていないのだ。手放した後に後悔する、アレクセイを見たくない。

 メイディは、彼に恋をしている。だから、彼の幸せを望むのだ。


 メイディは、ミアと直接話すことはできない。ランドルン行きを聞くだけ聞いてみるよう、アレクセイを、どう説得したものか。

 考えながら歩いていると、目の前に人の気配がしたので、右に避けた。その人影も同じ方向へ動く。左へ避けると、また左へ動く。すれ違いざまの意思疎通の失敗は、よくあることだ。今度こそ間違えないよう、顔を上げる。


「ご機嫌よう、メイディさん」


 太陽が、そこにいた。

 橙色のとろける瞳に、内面から発光するような肌。たゆたう銀髪は美しく照り映えている。


「あなたは……」

「ミア・ルネール・サグ・ラグシル。こうしてお話しするのは、初めてですわね」

「……ラグシル、公爵令嬢」

「ミアとお呼びになって。ここは、身分の別なく学ぶ学院ではありませんか。家名で呼ばれては、窮屈ですわ」


 そんな軽口で見せる茶目っ気に、ぐっと心が惹かれる。そう。この強烈な魅力を放つ彼女こそ、アレクセイの婚約者であるミアなのだ。


「ミア様」

「よろしい、ですわ」


 サマンサに習って名前で呼べば、ミアは両手をぱちんと合わせ、可憐に微笑む。完璧な美人の見せる愛嬌ある微笑は、くらりとするほど可愛らしかった。

 ほら、こんなに素敵。

 こんなに素敵な人がアレクセイを好きだと言うのだから、彼は手放してはいけない。


「わたくし、あなたにお話がありますの。今、お時間よろしくて?」

「は、はい」

「良かったわ。行きましょう、メイディさん。喫茶室を予約してありますのよ」


 ミアはアレクセイの婚約者であり、メイディは彼の「恋人」である。敵対して然るべき状況なのに、ミアが微笑めば、釣られてメイディも頬を緩めてしまう。

 彼女の魅力に押され、断る発想もないままに、メイディはミアの後ろをついて歩いた。


 初めて入る喫茶室は、中央に大きな丸いテーブルが据えられた立派な部屋だった。絨毯からテーブルクロスから、何もかも上質で美しい品々で揃えられている。


「リンメルから取り寄せた茶葉で淹れた紅茶ですわ。わたくしの気に入りですの。どうぞ、お飲みになって」


 言いながら、向かいに座るミアは既にティーカップを手に取っている。表面がほんのり赤く光るのは、サモフの力を借りて、適温に温め続ける魔法を発動しているからだ。彼女は紅茶をひと口含み、メイディに笑いかける。


「は、はい……」


 勧められるがままに、カップを口に運ぶ。程よい温度の紅茶が舌の上を撫でていくとき、ぴりりと痺れが走った気がした。

 ミアはこれが美味しいと思うのだろうか? 無味に近い味わいに、メイディは首を傾げる。


「美味しいでしょう?」

「……いいえ、あんまり。あれ? すみません」


 メイディは違和感に顔をしかめた。美味しい、と答えようと思ったのに、言うつもりのない本音が出た。


「お気になさらないで、メイディさん。実はそこには、嘘をつけなくするお薬が入っておりましたの。我が家では、『自白剤』と呼んでおりますのよ。わたくしも以前飲みましたが……美味しいものでは、ございませんよね」


 ミアがにこやかに告げた内容は、メイディにとっては衝撃だった。カップに視線を落とす。何の変哲もない、紅茶の色なのだが。


「初めて聞いた……」

「我が家秘伝のお薬ですもの。それでね、わたくし、あなたにお伺いしたいことがございますの。……それに、見覚えはおありですか?」


 白い手袋をした侍女がメイディの前に置いたのは、封筒だった。表面には、何やら紋様が描かれている。その紋様を見るなり、メイディは手を引っ込めて椅子ごと後ろに下がった。間違っても、触れてはいけない類のそれだった。


「危ない! な、なんですか、これは」

「見覚えはあるか、と聞いておりますのよ。はいか、いいえでお答えくださる?」

「いいえ……」


 見たことのない代物だが、刻まれた紋様は凶悪だ。恐ろしくて、メイディは目を離せない。


「それは、あなたが作った魔導具ではありませんの?」

「こんなに危険なもの、私は作りません。だってこれ……心臓の鼓動を、直接阻害する光魔法ですよ。普通の人が触ったら、数時間後に死んでしまいます。いや……苦しめることが目的なんでしょうか? 光魔法の素養があれば、心臓が止まる前に呪いを解けそうですもんね。命を奪うことが目的なら、もっと心臓に直接働きかけたり……光魔法で対処しにくいように、心臓だけじゃなくて複数箇所に働きかけたりすべきで……あ、いや、私が作ったわけじゃないんです。サロンでいつも、ケビン先生に改善策を言わされるもので……ああ、なんか、思ったことが全部口から出る」

「それが自白剤の効能ですもの。……あなたが本気で作ったら、こんな呪いでは済みませんのね。わかりましたわ、やはりあなたは、第一王子殿下の暗殺を企図したわけではありませんでしたわ」

「アレクを、暗殺? それって、アレクのお父さんが……」

「こほん! 彼はそこまであなたに話をなさったのですね。今のは、聞かなかったことにしておきますわ。不敬に当たりますから」


 メイディの言葉を遮って、ミアは微笑んだ。


「第一王子殿下が先日、先程の呪いの魔導具に触れて、呪いを受けたのはご存知ですわね?」

「え……そう、なんですか。あっ、寝込んでたっていうのは、そういう……」

「あら、それはご存知ありませんのね。ええ、第一王子殿下は呪いを受けて、最低限の光魔法を施した後、わたくしに連絡をくださったのです。使用人を遣わせて、治癒室で療養していただいたのですわ」

「へえ、そんなことが」


 先程の魔導具は、触れれば心臓を止めるもの。アレクセイが無事だった訳がわかって、メイディは頷く。


「……ふふ、お怒りになりませんの?」

「怒る? どうしてですか?」

「あなたの恋人は、命の危機に陥った時、あなたではなくわたくしに連絡を寄越したのですよ。あなたほど優秀な方なら、彼の呪いを解くほどの光魔法だって使えるでしょうに。……嫌では、ありませんの?」

「ああ、『嫉妬』ってことですか」


 恋をしているなら、相手が他の異性と一緒にいると、嫉妬してしまうもの。勉強したことを思い出したメイディは、その上で首を左右に振る。


「しませんよ。私はアレクを好きだから、彼には幸せになってほしいんです。だって、ミア様と一緒にいた方が、アレクは幸せだと思いますから」

「あら……それは、どうしてかしら?」

「どうしてって、ミア様は素敵じゃないですか。何でもできて、こんなに魅力的で。そんなミア様と一緒に居られるなら、アレクは幸せなはずなのに、彼はそれに気づいてないんです」


 こんなこと、ミアにぺらぺら喋るはずではなかった。しかし、自白剤を飲んだメイディは、思ったことがぽろぽろ口から落ちてくる。

 それを聞いたミアは、ふう、と息をひとつ吐く。それから、すっと視線を上げ、メイディを真っ直ぐ見つめた。


「まずは、説明なく自白剤を飲ませた無礼を詫びますわ、メイディさん。先程お見せした魔導具には、あなたの名が刻まれていましたの。ですからあなたが、第一王子殿下の暗殺を企てたのではないかと、疑っていたのですわ」

「私が、アレクを暗殺? しませんよ、そんなこと」

「ええ、もうわかりましたわ。実は……既に父があの紋様について調査をして、フーレル先生があなたの刻んだ紋様ではないと仰いましたの。父は納得しましたが……わたくしは信じられなかったのですわ。暗殺のためでなくて、なぜあなたは、あの方と一緒に居られるのかと……まさか本当に、あの方を、好きだなんて」


 震えるミアの唇を見て、メイディは、まずいことをしたと思った。ミアはアレクセイの正式な婚約者であり、彼に好意を寄せている。彼を好きだと、堂々と宣言するようなものではなかった。

 まずいと思っても、考えたことは全て口から出てしまうので、止められるものではなかったのだが。


「……メイディさん。あなたが暗殺を企図したのではなくて、純粋な気持ちであの方と一緒にいらっしゃるのなら……もし、そんなことがあるのなら、お願いしたいと思っていたことがございますの」


 ミアの声音が、さらに真剣な色を帯びる。


「ミア様みたいに完璧な人が、私にお願い?」

「あら。……ふふ、完璧だなんて。あなたこそ、魔導具の腕前は教員顔負けじゃありませんか。フーレル先生が、あなたの紋様を絶賛していらっしゃいましたよ。こんなに素晴らしい紋様を描く生徒が、あんな稚拙な呪いの魔導具を作るはずがない……って」

「フーレル先生が? 確かに、そうだと思いますけど……ああ、もう、全部言っちゃうから、会話が間抜けになる!」

「ご不便をおかけしますわね。ですが、わたくしの思いをお伝えするのに相応しいかどうか、判断するのに必要なことでしたの。お許しくださいね」

「そんな綺麗な顔で言われたら許しちゃいます……ああ、もう……」


 全部言うメイディがまた嘆きながら上を向くのを見て、ミアはくすりと笑む。


「わたくしのお願いは、他の方には決して言えないものですの。どうか、他言無用の契約魔法を結んでくださいませんか。引き受けるか否かは、あなたに委ねますから」

「構いません、けど……どんなお願いなんですか?」

「これからお伝えしますわ。ラミーよ、この者との間に契約を結べ。交わした約を破れば、その口を閉ざすよう。……」


 契約魔法は、光魔法の応用である。交わした約束を意図的に破った時に、体に指定した影響が現れるものだ。ミアが紡ぐ詠唱は、ミアの秘密を口外しようとした時には、それを喋れなくなるという契約魔法を表していた。

 複雑で、繊細な魔法である。現にミアは、眉間が強張るほどに集中している。優秀な彼女でも、真剣に取り組まないと上手く成立しないくらい難しいのだ。


「そこまでして、どんな話を……?」


 頭に浮かんだ疑問をぽつりと呟きながら、メイディは、ミアの長い詠唱が終わるのを待った。

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