1-2 メイディは婚約破棄を請け負う
「高い金を払うのは、口止め料を兼ねている。これから話すことは、決して口外するなよ」
「はい」
彼の提案に、メイディは頷く。大金貨十枚を払うほどの依頼だ。そのくらいの約束は、交わしても良い。
「お前には卒業まで、俺の『恋人』として振る舞ってもらいたい」
「恋人として振る舞う? 大金貨、十枚も払って?」
予想外の内容に、メイディはその緑の瞳を訝しげに細めた。
「わざわざ私に頼まなくても……恋人を作ろうと思えば、すぐ作れそうじゃありませんか」
言いながら、メイディは改めて彼の容姿を観察する。
透き通った青い瞳は、澄んだ湖のように美しい。手入れの行き届いた肌は柔らかく、荒れひとつない。薄い唇や高い鼻、顔の造形は彫刻のように整っている。
この容姿に惚れ込む女性など、いくらでもいるだろう。しかも、ラミーの主である高位貴族である。
容姿の面でも身分の面でも、彼に求められて、断る者の方が少ないのではないか。
「本物の恋人を作ったら、相手に迷惑をかけるだろうが。俺には婚約者がいるんだぞ」
「なるほど。……なるほど?」
あまりにも堂々とした口ぶりに納得しかけたメイディは、すんでのところで首を傾げた。
「婚約者がいるなら、恋人は必要ないのでは?」
「婚約者がいるから、恋人がいるんだ」
「……恋愛への憧れ、ですか?」
一般的な貴族は、家のために婚姻を結ぶ。いわゆる政略結婚だ。貴族学院で唯一の友人、エミリーにも決められた婚約者がいて、「メイディは恋愛結婚ができるからいいわね」と恋への憧れを口にする。
メイディの予想を、彼は首を左右に振って否定した。
「そんな馬鹿らしい憧れのために大金貨を積むかよ。いいか、俺の婚約者は完璧なんだ。容貌に優れていて、知性と教養がある。社交に長けていて、したたかな一方、どこか愛嬌を感じさせる一面もある。誰もが憧れる、非の打ちどころのない女性だ」
婚約者を賞賛し始めたというのに、彼の表情は彫刻みたいに澄ましたままで、全く変わらない。感情の機微に疎いメイディでも、さすがに違和感を覚えた。「完璧な婚約者」について語るのなら、相応の表情があるのではないか。
「だから俺は、彼女との婚約を破棄しなきゃいけないんだよ」
「ええ……なんでそんな完璧な人との婚約を破棄するんですか」
「俺の人生に、必要なことだからだ」
「なるほど……なるほど?」
また納得しかけて、メイディは首を傾げた。なるほどではない。完璧な婚約者との婚約を、破棄する理由にはなっていない。
「人生のためなら、完璧な婚約者がいたほうが良いのでは?」
「俺は家を出たいんだよ。だが、あんなに完璧な婚約者がいたら叶わない。今まで自由にやりすぎたせいで、俺が『婚約破棄したい』とだけ騒いでも、聞き入れちゃもらえない。だから、恋人を作って『真実の愛』にとち狂って、婚約破棄を言い渡すくらいでちょうど良いんだ」
「はあ……」
メイディにはよくわからない事情を語る彼の目は、いやに真剣だった。気の抜けた相槌を打つメイディを、彼は不審げに見つめる。
「お前……俺の話、わかってんのか?」
「理由はよくわかりませんが、私と恋人のふりをして、婚約を破棄したいんですよね。恋したことがないので、うまくできないかもしれないけど、努力します」
「何でそんなに前向きなんだよ。わかってんのか? 婚約者のいる男に手を出す、浮気相手役だぞ。周りからどんな目で見られるか、知れたもんじゃない」
「だから、大金貨十枚も貰えるんですね」
大金貨十枚には、迷惑料も含まれている。そう思えば、破格の報酬にも納得がいった。
「ああ、そうだ。悪評は卒業後もついて回る。お前はまだ婚約をしていないそうだが、婚約者のいる男に手を出したなんて悪評があったら、まともな結婚相手は見つからねえ」
まともな結婚相手。そう聞いて、メイディは思わず鼻を鳴らした。
「そんなもの、初めから期待していません。ジュラハール男爵家は、功績をあげた父の一代限りです。『男爵令嬢』とは言っても実質平民ですから、私と結婚したって、得るものは何にもないんです。結婚したがる人なんて、いませんよ」
「……そうか」
彼の整った眉が、申し訳なさそうに垂らされるのを見て、メイディはまた鼻を鳴らす。
「気にしないでください。諦めてるんです。卒業したあとで何かになろうとか、何かを成そうとか……無理なので。卒業後は、つつましく余生を暮らすんです」
「余生って。まだ俺たちは、たったの十八だぞ」
「卒業したら、私は何も成せません。余生という言葉がぴったりです」
視線を上げると、ゆったり舞う埃と、古びた背表紙が目に入る。
居心地の良い空間だ。この図書館も、この学院も。「学院内では身分の別なし」という言葉通り、メイディの努力は、学院の中では評価してもらえる。
半年経って卒業すれば、メイディはただの「平民同然」。貴族の社会において、一代男爵の娘でしかないメイディは、磨いた技能や得た知識を披露する機会すら貰えない。
メイディが何かを成せるのは、今、この在学中だ。そのためにも、この報酬は手放せない。メイディが袋を握り締めると、重たく確かな金貨の音が、じゃり……と響いた。
その音が、二人の間に流れた少し気まずい空気を緩和する。
「……まあ、学院を出た後のことはどうでも良いか。俺たちの契約は、卒業パーティで、婚約破棄が成立するまでだ」
「半年の勤めでそれだけ頂けるなんて、破格の待遇ですね。頑張ります」
「あからさまに報酬で動かれると、ある意味信頼できる」
彼は片手をメイディに差し出す。形の良い爪が揃った、傷のない綺麗な手。苦労を知らないのだろう、とつい批判的な考えが浮かんで、首を振って打ち消した。そんなこと考えても、何にもならない。
「おい、仮にも恋人同士だぞ。拒否するな」
「拒否……? してませんよ」
「そうか。俺は今、握手を求めたんだよ。半年間、よろしく頼む」
「よろしくお願いします、ええと……」
「アレクセイだ。アレクでいい。かしこまった態度も必要ない。恋人同士なんだから」
それもそうだ。メイディは頷き、言い直す。
「よろしく、アレク」
「よろしくな、メイディ」
彫刻みたいな容姿なのに、その手は意外と温かい。ぎゅ、と握り合う手のひらから、メイディは、アレクセイの人間らしさを感じた。
「……ちなみに、持ち逃げする可能性って、考えてないの?」
我が物顔で大金貨の袋を鞄にしまいながら、ふと、メイディは聞く。報酬を全部先払いするなんて。お金が今欲しいメイディとしてはありがたいが、使ってしまったら、二度と戻らないのに。
「お前がそんな不誠実をしない人間であることくらい、調べてある」
「おお……そうなんだ。周到だね」
「当たり前だろ。大金貨十枚は、俺にとっても大金だぞ」
メイディは肩をすくめ、鞄の蓋を閉じた。こんな大金を貰って、持ち逃げできるはずがない。
それに、やり方はどうあれ、自分の目的のためにもがこうとするアレクセイの姿には、少しだけ好感が持てたのだ。前向きに協力したいと、思うくらいには。




