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2-2 メイディと初めてのダンス

「入るぞ」

「大丈夫かな? 私、踊れないんだよ」

「それはもう知ってる。問題ないから、行くぞ」


 ためらうメイディの手を引き、アレクセイが扉を開ける。


 ダンスクラブの活動場所は、廊下の突き当たりにある広いホールだった。色付きのガラスがはめ込まれた窓から七色の光が差し込み、ちらちら揺れて美しい。流れる音楽に合わせて揺れる制服の裾に光がかかり、いろいろな表情を見せている。

 魔導具にしてはずいぶん綺麗な音色が流れていると思ったら、ホールの片隅に本物の楽団がいた。呼び寄せるだけで大金貨何枚いるのだろう。メイディはつい、頭の中の算盤を弾く。


「自己紹介、何言おう……」

「そんなものねえよ。皆、ここには踊るために来てるんだ」

「そうなの?」

「ああ。余計なことを考えずに、踊りたい日もあるだろ」


 以前メイディが行ったクラブは、自己紹介させられたり雑談したりと、交流が中心で辟易したのだが。ここは違うらしい。確かに、聞こえるのは楽団の演奏と、顔を寄せ合って踊る男女のかすかな囁き声だけだ。

 ちょうど曲が終わり、ひと組の男女が手を取りあったまま外へ出て行った。メイディたちのそばを通り過ぎるとき、会釈をひとつだけして。簡素な挨拶である。


「ここに来る男女のペアは、婚約者同士、恋人同士、好ましく思っている者同士。嫌いな相手とはわざわざ踊らねえからな。……そういうことだ。見せつけてやろうぜ、メイディ」

「なるほどね。わかった」


 メイディは頷く。

 人前で「恋人らしく」振る舞って、自分たちの関係を印象付けようということらしい。


「移動するぞ。まずは俺に身を任せろ。動きを合わせるつもりで、ついて来い」

「動きを合わせる……? おおっ、と」


 アレクセイに手を引かれ、メイディの体は自然に前に出た。歩いているのに、歩いているという感じがない、不思議な感覚。気付けばメイディはアレクセイとともに、くるくる回るダンスの輪の中に立っていた。


「うまく歩けたじゃないか。……手は、俺の肩の辺りに添えろ」


 片手を握り合ったまま、反対の手が、メイディの背に回る。言われるがままに彼の肩に手を添えたると、体の前面が密着するほどの距離感。アレクセイの甘い吐息が、鼻先をくすぐった。


「ダンスのステップは、俺に合わせれば良い。基本のステップで踊ってやるから、体で覚えろ」


 耳元に寄せられた唇が囁き、鼓膜を揺らす。


「音楽に合わせて。1、2、3。1、2、3……」


 アレクセイの合図に合わせて片足を引き、前に出し、そうやって動くと、体がくるくる回る。はじめはぶつかりあっていた足も、だんだんとステップを覚えるうちに、ぶつからなくなった。

 1、2、3。彼の囁きが脳内をぐるぐる回り、それに合わせて体が動く。あらかじめ定められた場所をなぞるように、ふたりの体は回る。1、2、3。くる、くる、くる。

 同じ動きを繰り返すうちに、呼吸が合い、動きが揃いはじめる。


「……気分はどうだ?」


 曲が終わり、次に移るまでの少しの空白。アレクセイに問われ、メイディは彼の瞳を見上げた。こうして間近で見ると、アレクセイの身長がやけに高く感じられる。


「少しずつ、上達してる気がする」


 次の曲が始まり、アレクセイが動き出す。それにつられて、メイディの体も。呼吸が合い、合図がなくとも、寄り添うように体は動いた。


「上達したかどうかじゃなくて、気分を聞いてんだよ」

「気分?」

「ああ。お前、楽しくないのか?」

「楽しむ前に、上手くならないと。せっかくやるんだから」


 メイディが答えると、アレクセイは眉間に皺を寄せる。


「下手なままでもいいだろ」

「良くないよ。上達しなかったら、何もしなかったのと同じじゃない」


 人生の価値は、何を成したかにある。取り組むからには、成し遂げないといけない。


「楽しければそれで良いって考えは、お前にはないのか? お前、俺と踊るのは楽しいんだろ。こうして一緒に体を動かしてるんだから、そのくらいはわかる」


 勝手に断言されても、反論する気は起きなかった。ただ、アレクセイの動きに合わせて、ゆったりと回る。心地よい回転の中に、ずっと居たくなる。


「上達しなけりゃ、楽しんじゃいけねえって法はない。楽しいなら、それでいいだろ」

「……それでいいと思うの? 楽しむだけじゃ、何も生まれないのに」


 楽しいなら、それでいいなんて。成果を得なくていいなんて。何の価値も、なくていいだなんて。


「楽しい思い出が生まれるんじゃねえのか? いいだろ。楽しむために、人生はあるんだよ」

「……でも」


 本当に、いいんだろうか。

 人生は、何かを成すためじゃなくて、楽しむためにあるだなんて。そんな自堕落な考え方をしても。


「いいんだよ」


 アレクセイの確信に満ちた瞳が、メイディの心の奥を揺らした。


「……いいんだ」


 胸の奥にくすぶる、ほんの少し速い鼓動に身を任せて。頬から広がる、体温の上昇に身を任せて。ふつふつと湧き上がる、楽しいという感情に身を任せて。

 何も成さない人生に、価値はない。メイディの根底に流れる信念すら、アレクセイは揺らそうとしている。


「そう、それでいい」


 彼の許しは、あまりにも優しかった。


 肩の力が、ふっと抜ける。足が軽くなる。

 見えるのは、アレクセイの美しい瞳だけ。その青の中に意識は吸い込まれ、深い水の底に、息もせずに潜っていくような没入感。くる、くる。回るふたりの動きが水流を生み、その流れに身を任せる。

 自然と体が動き、思わぬ方向に流れる。それを引き戻し、アレクセイに委ねる。互いの鼓動が一致する。一緒に息を吸って、一緒に吐く。鼓動も、呼吸も同じ。そして、感情も。

 楽しい。胸の奥から温かく広がるその気持ちは、間違いなく、楽しいという感情だった。


「楽しかったか?」

「……うん」


 夕陽の照らす廊下は、橙で美しい。廊下は静かなのに、胸の内は妙にざわめいている。楽しい、の余韻が、まだ残っていた。


「良かったな。人生、楽しいのが一番だ」


 そう言うアレクセイの横顔も、橙に染まっている。夕暮れの中で微笑む表情が、メイディにはひどく崇高なものに見えた。


「そう、だよね」


 あまりの尊さに、つい同意してしまう。


 今までずっと、楽しさよりも、成果を大切にしてきたのに。楽しい時間を犠牲にしてでも、何かを成し遂げようとしてきたのに。「楽しいのが一番」なんて認めたら、今までの自分ではなくなってしまうのに。


「どうせ一緒に過ごすなら、楽しく過ごしたほうが良い。そうだろ? 肩肘張らず、楽に生きろよ」

「……ありがと」


 なのにメイディは、アレクセイの言葉に身を任せてしまうのだった。

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