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2-1 メイディは待ち焦がれる

「今日も来ないなあ」


 手を繋ぐ、膝枕する、口付けを交わす、腕を組む。あれからメイディは、「恋人らしい」振る舞いの数々を頭に叩き込んだ。もう大丈夫、アレクセイがいつ来ても「恋人らしい」行動ができる。そう思って待ち構えていたのだが、アレクセイはこの数日、現れなかった。


「メイディったら、そんなに彼が恋しいのね」

「まあね。したいことはたくさんあるから」


 エミリーの言葉に頷く。嘘ではない。せっかく覚えたことを、今度こそ実践したいのだ。


「羨ましいわ。わたしも、相手を恋焦がれながら待つ経験をしてみたいものよ」

「……婚約者の人に、頼んでみたら?」

「やあねえ、頼んでやってもらっても、面白くないわ。……あら」


 エミリーが、ふと視線を背後へ向ける。視線を追ってメイディが振り向くと、同級生がさっと目を逸らした。


「最近、ああやって見られることが増えたんだよね。なんか、落ち着かない」


 廊下を歩いていると、すれ違いざまにちらちらと視線を感じる。「あれが例の」などと囁く声も聞こえる。


「仕方ないわよ、メイディ。皆、許されざる恋が羨ましいの。気にしてたら、きりがないわ」

「わかってるんだけど……」


 エミリーもアレクセイも、視線を気にするなと言う。それでもメイディは、彼らの視線が、それが帯びる値踏みの色が、どうにも落ち着かないのだ。


「大丈夫よ。誰も許さなくても、わたしはあなたを応援するわ、メイディ」

「そう言ってくれる人がいるだけで、気が楽になるね」


 たとえ嘘の恋人関係でも、周りから浴びせられる視線は本物で。エミリーの応援は、メイディにとってはありがたいものだった。


「メイディ。迎えに来た」

「あ! アレク。来たんだ」


 待ち望んでいた声が聞こえ、メイディはぱっとそちらを振り向く。ゆるりと片手を挙げて応えたのは、アレクセイだった。


「いってらっしゃい」


 ふわりと甘く微笑むエミリーに見送られ、メイディはアレクセイの元へ行く。


「もう、早く会いたくて待ってたんだよ」

「うん? そう、なのか」

「そうだよ。勉強の成果を、しっかり見てもらわなきゃ」

「あー……そっちか。なるほどな。わかった」


 小さくため息をついてから、アレクセイが手を伸ばす。メイディはその手を取り、そうして、指先を絡めた。


「ん? なんだよ、急に」

「『恋人つなぎ』っていうの、してみようと思って」

「……おお、そうかそうか。好きにしろ」


 繋いだまま、手を強めに引いてアレクセイは歩き出す。


 せっかく、「恋人らしく」振る舞ったのに。

 反応が鈍くて、メイディは不満だった。アレクセイはそっぽを向いて歩いている。何か言ってくれないと、正解かどうか、わからないじゃないか。


「ねえ、アレク。良い感じでしょ? ……あれ」


 アレクセイの顔を覗き込んだメイディは、きょとんとして瞬きした。


「なんで、わざわざあっち向いてんのに、顔を覗いてくるんだよ!」

「反応が知りたかったから。それよりその顔……どうしたの?」

「どうしたの、じゃねえよ。お前のせいだろ」


 アレクセイの頬も、耳たぶも薄く染まっている。青い瞳は、風に吹かれた湖面みたいに小刻みに揺れている。

 人の気持ちは、表情を見ればわかる。けれどこの表情は、メイディが初めて見るものだった。

 なんだろう? 触れ合ったときに、顔を赤く染める気持ちとは。


「あっ、照れてるんだ。そっか、触れ合ったら照れるんだもんね。さすがだね、アレク」

「うるせえ。そんなことを大声で言うな。俺をからかってんのか?」

「からかってないよ」

「知ってる。いいから黙れ」


 アレクセイに強く言い放たれ、メイディは口を閉じる。代わりに左右を眺め、辺りの様子を観察した。

 扉に付いた小窓の向こうでは、学生が集まって何やら話したり作業したりしているのが見える。ここはクラブ棟。部屋の中では、それぞれのクラブが活動している。


 貴族学院では、放課後の自主活動としてクラブとサロンが開かれており、学生は自由に参加することができる。クラブは学生主体の活動、サロンは教員のもとに集まり、学びを深める活動である。

 エミリーによると、「クラブは、人脈を広げるための大切な場所なのよ!」とのこと。メイディも一度参加してみたが、内輪で交わされる理解できない話題に囲まれ、誰にも話しかけられず、ひどい居た堪れなさを味わった。あれ以来メイディは、このクラブ棟に足を踏み入れていない。


「ここに来たの、2回目だよ」

「クラブに行かないで、放課後は何をしてたんだ?」

「図書館で勉強するか、ケビン先生のサロンにいた」

「ほんとお前、勉強熱心だよな。学生生活の中心はクラブ活動、なんて奴もざらにいるのに」


 二度と足を踏み入れないと決めていたクラブ棟にメイディがいるのは、当然、アレクセイのためである。


「それで、今日はどうしてクラブ棟に来たの?」


 目的を図りかねたメイディが問う。アレクセイは答えず、問いを重ねる。


「お前、ダンスはできるよな?」

「できないよ。ダンスなんて、したことない」

「したことがない? 入学パーティで誰かに誘われたろうが」

「できないんだから、誘われても断ったよ。……何、そんなに驚くことなの」


 絶句して目を見開くアレクセイを見て、メイディは訝しげに眉をひそめた。


「いや……俺は、お前を誘った奴に同情するよ。ダンスの誘いを断るのはありえねえ。『お前は踊る価値のない相手だ』と宣言してるのと同じだぞ」

「ええ、そうなの。だからか。入学したばっかりの頃、『高飛車女』って悪口を言われてたの」

「言った奴にとっては、それは事実だったんだろ。誰にも誘われねえで、壁の花になってるかわいそうな女に声をかけてやったら、人前で顔に泥を塗られたんだからな」

「そっか……悪いことしたなあ」


 三年越しに悪評の謎が解けたメイディは、しみじみと呟く。


 貴族のマナーは暗黙の了解ばかりで、メイディにはよくわからない。教えてもらったのは初めてだ。

 知っていればダンスの誘いは断らなかったし、「高飛車女」という陰口に傷つくこともなかっただろうに。


「生粋の貴族家に生まれたら、そんなことで困らなかったのにな」


 それは、入学してから何度も頭をよぎった、実現しえない可能性。言っても仕方のないことだ。

 メイディは一代男爵家の娘で、平民から成り上がった父と、飲み屋で見初められた母に育てられた。両親に不満があるわけでもない。ただ、「もしも」と仮定してみたくなるだけだ。


「お前は、貴族らしくないのがいいんだろ」

「そうなのかなあ。貴族だったら、卒業してからも何かになれたのに」

「俺がお前のぶんも、何かを成してやるって言ったろ。その話はもういいじゃねえか」

「そう、だね。そうだった」


 自分が何かを成せなくても、アレクセイが成してくれる。そう心の中で呟くと、メイディはどこか安心するのだった。

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