新任
後に相手学校側から抗議が入り、俺達はこっぴどく叱られて始末をつけるのに大変な手間がかかった。しかし事件が公になった事で両校の間で俺の名声は不動の物となった。
唯一、親父があちこちで頭を下げる姿だけは心が痛んだ。母親は幼いときに亡くなり、親父しか居なかった俺の為に、これまでも何軒かの家に謝りに行ってくれた事はあったが
今回ほど多いのは初めてだ。帰りの車の中で、しょんぼりとして謝る俺に親父はこう言ってくれた。
「やらないけん時やったんやろ、男やけんしょうのなか、やけんが次はもっとうまくやれ」
まもなく春休みが来て、俺は5年生になった。1つ上の人間にも一目置かれていて、年上として一応の敬意は払ってはいたが立場はほぼ対等で、俺は事実上松原小学校では無敵の存在だった。
「おい、ハゲの代わりに新しい先生がくるらしいばい」
新級初日、情報に敏感な三山が俺の机に座り半身をひねってこちらを見ながら言った。
「ほう、今度はどげんやつかいな」
「女ちばい、大学卒業したばっかりっち」
「女かぁー、めんどくさかね、まあいいたい、思い通りになるかどうか様子見たい」
「ねえねえ、なんの話ししようと?」
俺達の話に佐々美鈴が割って入って来た。頭が良く快活で女子のリーダー的な存在だ。比較的気が強いが何故か俺とは馬が合う。
「ん?なんか次の先生女げな、若いとて」
「なん、やっぱり男としては気になるんね」
「なんがね、おれん興味はどっちが上かだけたい」
そしてその女はやってきた。ドアに仕掛けた黒板消しをひらりとかわし、身を屈めて拾うと、出席表を抱えて胸を張り、颯爽と入って来た。俺の最初の印象は地味な女だった。
ダークグレーのスーツに肩までの髪、度のきつい銀縁眼鏡。化粧っけも全くない。正直これはちょろいと思った。
先生自らの号令で礼を終え、自己紹介が始まった。黒板に書かれた文字は高森美里。先生がこちらへ振り返って言った。
「高森美里です、特技はバドミントンです、大学を卒業したばかりでわからない事だらけですが、頑張りますのでよろしくお願いします」
皆が答えると、ぎこちない口調で出席を取りはじめた。すぐに俺の番が来て名前が呼ばれた。
「高倉信之助君」
「うぃーす」
一番後ろの席でだらしない返事をした俺に、一瞬怪訝な顔でこちらを見てから出席簿に目を落とそうとしたが、ビクっとまたこちらを見た。
「あーーー!」
素っ頓狂な声に俺は何事かと首をひねった。
「あんたあんときの横着もん!」
「何の話や」
「河原で大暴れしとった」
俺は河原で決闘した時の事を順を追って思い出した。
「ああ、なんね、あんたあんときのドジっこねーちゃんね」
俺はせせら笑った。
「じゃあ今日からドジっこねーちゃんて呼んじゃあね」
「あんた…なんちゅう口…」
何か言いたげな先生を俺はギロリと睨んだ。
「ねーちゃんがおいの邪魔ばせんかったらおいもねーちゃんの邪魔せんけんそいばよー覚えとき」
先生は真っ赤な顔をしてわなわなと震えながら絶句していた。最初が肝心とばかりにガツンとしてやった俺は満足してにやりと笑った。しかし相手はことのほか手強かった。
最初こそ先生に肩肘張ってがちゃがちゃともめていた俺だが、日にちが経つにつれ、段々先生を見る目が変わって行った。
就任後一ヶ月ほども経つと、高森先生は俺たちの行動パターンがある程度わかるようになった。
「ここにおったとね!」
校舎裏の日陰で座り込んでいた俺と悪ガキ軍団の所に大股でドスドスと先生が来た。
「なんで授業に出らんやったんね!言いない!」
俺は先生を見上げてから顔を顰めながら背けた。
「あーもうせからしかー、ちょっと気分が悪かけん休みよっただけたい」
「皆してね!そんならなし保健室行かんとね!」
「そいけんちょっと休みよったら治るけん」
三山は俺のうっとうしそうな顔が面白くてにやにやと笑っている。なぜか俺は高森先生には強く出られないのだ。
「次は絶対出なさいよ!出んかったら迎えにくるけんね!あんたたちもよ!」
「うぃーっす」
他のクラスの者達が答えると先生は鋭い目線を俺達から引き剥がすように踵を返して歩いて行った。
俺は先生に対して疎ましく思う一方で一定の好感を抱いていた。それは多くの教師が俺のような生徒に行き当たった場合、親に訴えるのに対して先生はあくまで本人と対峙した。
少年時代の大人に対する不満の一つを持っていなかったからだ。俺が先生に弱腰な事で回りの悪ガキも極端なイビり等はしなかった。
俺達は執拗に食い下がる先生をのらりくらりとかわしていたが、ある日むくむくと悪戯心が沸いて来て、先生に一泡吹かそうと一計を案じた。題してカマキリ爆弾。季節は5月、起爆には丁度いい
季節だった。俺達は草むらを漕ぎ分けながらカマキリの卵嚢を探した。そして集めた卵嚢およそ30個。まずは放課後、人気が無くなるのを待って職員室の外側の窓に向かった。一番端のサッシは
鍵が甘くなっており、窓の遊びを利用して上下すれば鍵が開く。悪ガキならではの情報網だ。職員室に侵入したのは軽業師高木。高森先生の机で鍵のない引き出しから奥の死角部分に5発仕掛けて
帰ってきた。教卓の引き出しの上側、職員用の女子トイレ、先生の車のエンジンルーム、一個を残してあらゆる所に仕掛けた。
残した1個はモニター用だ、俺はわくわくしながら孵化を待った。しかしそこは子供、1週間もすると悪戯を仕掛けた事などすっかり忘れていた。
絹を裂くような悲鳴が起こったのはそれからまもなくしてからだった。朝一番、わりと職員室から離れている5年2組にも聞こえて来た。なにが起こったのかと早速俺と三山は様子を見に行った。
すると、ヒビが入って外れかかった眼鏡の下で白目をむいて、体にカマキリが這い回る高森先生を、男の先生二人がかりで運んでいくところだった。
「おお」
俺は手のひらに拳をトンと乗せた。そして三山と顔を見合わせて爆笑した。腹を抱えて笑う2人を搬出する先生2人が睨んだが、それがさらにツボにはまって俺達は笑い転げた。
その後も倒れた高森先生の代わりに来た教頭が、教卓の爆弾を起爆させたのを皮切りに次々に爆発するカマキリ爆弾。学校中を震撼させたこの事件は同時多発カマキリテロとして伝説になった。
そして俺は自分の部屋に帰って目が点になった。モニター用のカマキリの卵はまだ大丈夫とペン立てに立てたまま忘れていたのだ。人を呪わば穴二つという言葉はまだこの頃は知らなかった。
次の日、復活した高森先生は眼鏡をかけていなかった。下を向いてぷるぷると震えていると、俺の視界に先生の足が映った。顔を上げると両手を腰に当てた先生が見下ろして睨んでいる。
「なんがおかしいとね」
「いや、ちょっと思い出し笑いですたい」
「なんを思い出したとね、いうてみんしゃい」
「いや大したことやないけん、それよりドジっこねーちゃん眼鏡無いほうが可愛いやんね」
俺は笑いを堪えて苦しかったが、意外とぱっちりとした先生の目に着目した。
「漫画か、少女漫画か、ドジっこで眼鏡外したら可愛いげな、うぷっ」
さらにツボに入ってぷるぷると震える俺に高森先生は憤慨の色を隠さなかったが、さすがに証拠もなしに問い詰めるのは問題があると思ったのか、風の音がしそうな勢いで振り返って
教壇に戻っていった。