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春の嵐  作者: rainvibration
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大桜の花吹雪と先生と俺

 あの時、この丘の上で、一陣の風が大桜をざわつかせ、花びらが舞い散る中、仁王立ちの高森先生の前で腰を抜かしてへたりこんだ俺は、少し小便を漏らした。

「せからしか!ぬしゃあ人んとってなんぼ価値のあるか、考えてんやい!ぬしゃあ正しいか!人に必要とされとうとや!」

 喧嘩にだって負けた事は無かった。上級生だって心底から怖いと思った事は無い。度胸試しの再会橋ジャンプだって、町はずれの幽霊屋敷だって

今の先生ほど怖いと思った事は無い。黒いタイトスカートを左右に引き攣らせ、俺の足元をまたぐように立ち、左右に少し広げた両手を力強く握って

見下ろす先生の顔。覆いかぶさる桜、舞い散る花びら、そして晴れた空。先生と桜に見下ろされているような、どこか現実離れした風景の中で、それは

先生の魂が俺の魂を鷲掴みにした瞬間だったのかもしれない。

「立ちんしゃい!」

 夢を見ているような感覚を裂く先生の声に、俺は尻を蹴飛ばされたように立って気をつけをした。

「こん桜ば見るとをどんだけの人が楽しみにしとうとか知らんとや、意味もなく傷つけていい道理がぬしにはあるとや!」

 もう一度手を大きく後ろにふりかぶった先生の手が飛んできた。

 さきほどの強烈な往復ビンタよりさらに力が篭っている。もちろん防御するなり回避するなりできたはずだが、俺の体は動かなかった。

 無抵抗でビンタを受け入れた俺の頬は、またもや爽快な音を立てて弾き飛ばされた。

「ゆうてみんしゃい!」

 何も言えずに立ち尽くす俺の傍らに落ちていた桜の枝を、委員長が拾った。

「先生、もうその辺でよかやんね、こん桜は教室ばかざりまっしょ」

 周りの生徒達が緊張した空気の中で息を潜める中、進み出てきた委員長は驚くほど自然体で、淡々としていた。

 今思えば勘のいい委員長は先生の暴力が過ぎている事を心配したのかもしれない。先生は肩で息をしながら真っ赤な目から

涙をこぼれさせた。

 委員長には目もくれず、まっすぐに俺を見ながら再び手を動かした先生に、俺はビクッと身を縮こまらせて目を瞑った。どうする事も

できずにその瞬間を待っていた俺をふわっと柔らかいものが包み込んだ。目を開けると目前にフリルのついた白いブラウス、なんとも言えない

いい香り、そして肩ほどまでの先生の黒髪が額をくすぐった。

「なんでわからんとや、あんたには私の声ば届かんとね」

 先生が俺を胸に抱いていた。咄嗟に俺は先生を突き離して顔を伏せた。激しく動揺し、耳まで真っ赤になっているのを感じたが、その後の

事は半分も覚えていない。ただ、横目に見える委員長の足元に桜の枝がぱさりと落ちた事だけは覚えている。

 一度に複数の感情を引っ張り出され、11歳の俺は、自分の胸に起こった未経験の現象に激しく揺さぶられた。


 高森先生との最初の出会いは偶然だった。

「きさんらこりゃどういうことか、7人てゆうたろうもん」

「はあ?7人やろうが、あとんとは立会人たい」

「こげんやりかたするばいね、さすが3人がかりで小さいもんカツ上げする西小ったい、卑怯もんがそろうちょうごたる」

 俺達松原小学校悪ガキ軍団は地区を分ける河原の中洲で西小の連中と睨み会った。菜の花がぽつぽつと咲いたばかりのまだ寒さの残る季節だった。

 事の発端は川を渡った所に新しくできたアミューズメント施設で松原小学校の生徒がカツ上げされた事による。泣きながら俺に縋ってきた1年下の小峰を連れて

犯人の3人組を捜し出し、ボコボコにして金を返させたのだ。1年上の5年生の3人組をやったということで俺はヒーローになった。しかし話しはここで

終わらなかった。西小から松原小に使いが来て決闘を申こんできたのだ。1人で使いに来るとはいい度胸だと、使いの顔を立てて決闘を承諾した。

 しかし蓋をあけてみれば決闘どころか単なる罠だった。7人のすぐ後ろでにやにやする5、6人ほどの生徒。明らかに上級生が多い。橋を渡る時に人数に

気づいて少し迷ったが、ここで現れなければ松原小の高倉は恐れをなして逃げたと吹聴されかねない。ここは玉砕覚悟で行くしかない。

 仲間を巻き添えにしたくなかった俺は1人で行くと言ったのだがこの連中は義理堅い、たっちゃん1人に美味しい所は取らせないと笑ってついてきてくれた。

「芋引いたとか?泣いて土下座でもすりゃ許してやらんでもないばい」

 一際体格のいい西小の野見山が言うと周りの人間は顔を見合わせてケタケタと笑った。さも勝ちが確定したといわんばかりの余裕の笑いに俄然ファイティングスピリッツが沸いて来た。

 前のめりに俺の右に出る相棒の三山から早く合図してくれと言わんばかりの気迫が漂ってくる。

「まあその場合は松原小の高倉は…」

「ぶちくらせええええええ!!」

 俺の合図を待っていた軍団員がゲートが開いた競走馬のように飛び出す。それぞれにこれ以上ない怒声を上げて2間ほどの間を詰めて、あるものは殴りかかり

あるものは飛び蹴りで襲い掛かった。まさかの展開に相手の笑顔は一瞬で消えて驚愕の表情になった。

 こういう場合、俺達には暗黙のルールがあった。大将は大将に任せるのだ。両翼を剥ぎ取られて慌てている野見山にタックルをかまして組み伏せる。

 嫌がって腕で抵抗する野見山の胸元に頭を潜らせて口に頭突きを連発する。俺の頭の上から誰かの足が降ってきているが、関係なしだ。みるみる真っ赤に染まる相手の口と鼻。

 また相手の歯で俺の額も切れたようだ。野見山は声にならない声を上げながら泣き始めた。終了の合図だ。俺は即座に立ち上がって次の獲物を探した。

 すぐ近くにいた2人が俺の顔を見てぎょっとした。俺の顎からは血がぽとぽとと落ちている。

「キサンかぁ!おいの鉢ば蹴りよったとは!」

 2人はじりじりと下がった。勝負ありの合図だ。すぐさま次の獲物を探すが、6人の精鋭によって殆ど片付けられるか、走って逃げていく姿が見える。

「どいつもこいつも西小にはひゃーたれしかおらんとか!かかってこんかい!」

 暴れ足りなかった俺はあたりかまわず挑発した。さきほどの2人をじろりと見ると首を横に振っている。

「ちっ、しょんなかね、ほんならキサンちょっと来い!」

 俺は片方の1人の襟を掴んで引っ張ってくると倒れている野見山の所に連れて行き、膝の裏を蹴飛ばして座らせた。周りもほぼ落ち着いてきて7,8人の倒れているやつや

鼻血を拭きながらへたり込んでいるやつがいる中、俺はリーダーの髪の毛を掴んで持ち上げた。

「おい、どっちが強い」

 涙目で沈黙する野見山に苛立って拳を振り上げると、慌てて声を発した。

「高倉君です!」

「どこの高倉や」

「松原小の高倉君です…」

 俺は座らせたやつに振り返った。

「おい、聞いたか」

「は、はい、聞きました」

 その頃になると仕事を終えたわが軍の精鋭達も回りに集まってきた。それぞれに血を垂らしたり服がボロボロだったりする戦士達から声が上がった。

「なんちや、おいは聞こえんかったばい」

 そう言った仲間を見上げてから傍らの男に目を移した。

「おい、こいつがなんちゆうたかおしえちゃれ」

 躊躇する証人の頬をかるく叩くとおずおずと言った。

「強いのは松原小の高倉君ですちいいよりました」

「そらそうやろ、西小のひゃーたれが勝てるような相手やないばい」

 周りがガハガハと笑った。

「こらー!」

 その時橋の上から女の声が聞こえて来た。俺達は一斉に橋の上を見上げた。欄干に手をついて身を乗り出し、右手を振り上げている大人の女がいる。

 女は欄干の向こうに姿を消すと、しばらくして橋の向こうから階段を下りてチューリップ畑の法面を降りてきた。足元を見て軽く両手を広げ、ブスブスと土に刺さるヒールを気にしながら

よろよろと牛歩並みの速度で向かってくる。

「おい、なんかめんどくさそうなの来たけんが、もう帰ろうや」

 俺は握っていた髪の毛をぱっと離すと立ち上がった。そしてこちらに向かってくるその白系スーツの女を大きく迂回して階段を目指した。

「ちょっと!あんたたち!待ちんしゃい」

 慌てた女はこちらと足元を交互に見ながらUターンしようともがいている。俺達はそれぞれの顔や服を見てその酷い有り様に笑いながら、女の歩く軌道を避けて通過した。

「きゃあ!」

 急に聞こえた悲鳴に振り返ると、女がぬかるみに足を取られて転んでいる。膝と手をついて最悪の事態は回避したようだが泥の飛沫が飛んで白いスーツが汚れている。俺は仕方なしに

数歩戻って手を出した。

「なんばしよーとなねーちゃん、そげな靴でくるけんたい、もう帰んないちゃ」

 ショックを隠しきれずに情けない顔でさし出した泥だらけの手を握って引っ張りあげてやった。

「ほんじゃな、気いつけて帰んない」

 俺はシャツに手をなすりつけながら女に言い放ち、そのまま放置して凱旋を再開した。


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