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【オムニバスSS集】青過ぎる思春期の断片

夢見がちな大人が夢を奪ってくるので、僕は夢を秘匿することにした。

作者: 津籠睦月
掲載日:2020/10/11

 夢を持て、夢を大切に――と、子どもの頃にはうんざりするほど言ってくるくせに、ある程度の年齢になった途端(とたん)、手のひらを返したように、現実を見ろ、夢みたいなことを言うな、と言ってくる。

 大人たちのその矛盾(むじゅん)やちぐはぐさを、ずっと疑問に感じてきたが、最近やっとその答えが見えてきた気がする。

 

 何のことはない。

 大人たちは口では「夢を大切に」と言いながら、本当はこれっぽちも子どもの夢に価値を見出(みいだ)していないんだ。

 泣く子に玩具(オモチャ)を与えるように、子どもには夢を見させておけば良いと思っている。

 大きくなれば「もうそんなモノで遊んでいるんじゃありません」と取り上げてしまえる程度(ていど)の、そんな思いしか抱(いだ)いていないんだ。

 

 白紙の進路調査票を前に、僕は昔を懐(なつ)かしむ。

 小学校の頃(ころ)の文集なら“将来の夢”にどんなことを書いても許(ゆる)されたのに、今はきっと許されない。

 本当の夢など書こうものなら、親や担任が寄ってたかって“修正”させてくるに決まっている。

 

 その様子を頭の中でシミュレーションして、僕はため息の後、ペンを取る。

 僕の志望とはまるで違う、親の望む学校の名を、一番上の欄(らん)に書き込む。

 

 面倒臭(くさ)いのはゴメンだ。たとえ本音と違っていても、形だけでも自分の学力で何とか手の届きそうな有名大学の名を書いておけば、親も担任も安心する。

 カリキュラムの内容や教授の顔ぶれなど考えなくて良い。ただ偏差値が良くて名の知られた学校であれば大人たちは満足する。なんて単純で愚(おろ)かなのだろう。

 僕は、自分で書いたその進路を鼻で嘲笑(わら)って指で弾(はじ)いた。

 

 学歴というものが未だにある一定の人たちの間で“力”を持っていることを僕は知っている。

 実力主義が口にされるようになって何年経(た)つかは知らないが、未だに何かと言っては○○大学卒と学歴がクローズアップされているのが目につく。

 

 光背(ハロー)効果なのか何なのかは知らないが、「良い学校を卒業していれば良い人」といった“神話”は、ご近所の井戸端(いどばた)会議でよく耳にすることだ。

 

 どこそこの家の何ちゃんは○○大学に入った……△△ちゃんは××大学に――人間関係の密な地方の町では、進路の情報などどこまでも筒抜(つつぬ)けだ。

 だからこそ余計に、どの親も子どもを良い学校へ入れようと躍起(やっき)になるのかも知れない。

 

 あの人たちの頭からは、或(あ)る事実がすぽんと抜(ぬ)け落ちている。

 頭の良い人間の全て(・・)が、偏差値の高い大学を目指すわけではないという事実が……。

 

 大学とは結局のところ、特定の分野の専門知識や技術を学ぶための場でしかない。

 自分の夢のために得るべき知識や技術がそこに無いなら、まるで意味の無い、人によっては無価値な場所だ。

 

 名の知られた大学(・・)より、特定の職業のカリキュラムに特化した専門学校の方が、強いコネクションを持っていたり就職に有利だったりすることもある。

 知識よりも技術が尊ばれる世界では、大学などという遠回りをするより、さっさとその道に入り修行を始めた方が早い。

 

 この世には星の数ほどの職業が存在し、そこへ至(いた)る道は全部違っている。

 大学への進学など、無数にあるその道のうちの、ほんの何割かでしかない。

 そして僕も本当は、その何割かの外にある、別の道を進みたいと思っている。

 

 この世には、どんなに望んでも叶わない夢も存在する。

 数えきれないほどいるその夢の志願者のうちの、ほんの一握(ひとにぎ)りしか攫(つか)み取ることのできない、競争率の高い夢。攫み取れたとしても、維持(いじ)し続けるのはさらに難しく、気を抜けばすぐに手のひらから零(こぼ)れ落ちてしまう夢。

 

 そんな夢を目指すことを、大人たちは「夢みたいなこと」だと言う。

 夢を大切にと言ったその口で、夢を馬鹿にし、見下すようなことを平気で言う。

 だけど僕は知っている。

 なぜ(・・)夢が大切なのか……一部の大人が目も向けずに足蹴(あしげ)にする“夢”の、本当の価値を知っている。

 

 今(・)の僕は、ただ学歴を積むだめだけに生きている。

 少しでも良い学校へ進学するため、少しでも学力を上げられるよう、頭に知識を取り込むばかりの毎日を送っている。家と、学校と、塾と、その間を行ったり来たりするだけの日々。

 

 衣食住に事欠(ことか)くわけでもないし、勉強を理由に免除(めんじょ)されているモノもいろいろある。

 もっと不幸な環境にいる人間や、進学したくてもできない人間に比べれば、充分(じゅうぶん)恵まれた人生なのだろう。……だけど、しばしば空虚(くうきょ)さに襲(おそ)われる。

 

 何のために勉強をしているんだろう――何のために生きているんだろう……そんな疑問が胸に湧(わ)いて、それまで立っていた足場がふいに全て消え失(う)せたかのような恐怖にヒヤリとする。

 

 これは、贅沢(ぜいたく)な感情なのかも知れない。ある程度満たされた人間だけが抱く、傲慢(ごうまん)な不満なのかも知れない。

 だけどきっと、人間は衣食住が満たされているだけ(・・)では生きていけないのだ。

 ただ食べて、寝て、求められた役割を果たして――ただ生きる(・・・・・)ためだけに生きていくのが、難しい生き物なのだ。

 

 大人たちに言ったら寄ってたかって諦(あきら)めさせられそうな夢を、僕は胸に隠(かく)している。

 熱意を持って訴(うった)えれば分かってもらえるなんて、そんな楽観的な考えを、僕は持っていない。

 なぜなら、僕に夢を諦めさせようとする大人たちもまた、別の夢に囚(とら)われてしまっているからだ。

 

 良い成績を修(おさ)め、良い大学を出て、良い企業に就職すれば幸福な人生が送れるという、もう何十年も前のモデルコースのような“夢”だ。

 終身雇用が崩壊して数十年が経(た)ち、有名な一部上場企業ですら経営危機に陥(おちい)るこの世の中で、もはや幻と化した“幸せな人生の設計図”を未(いま)だに夢見ている。

 それはたぶん、ソレに代わる新しい“理想の人生プラン”が、まだ世の中に提示(ていじ)されていないせいなのだろう。

 

 自分で新しいモノを創造するのが苦手な人間は、他人の辿(たど)った成功例を真似(まね)したがる。

 どんなに優れた計画も、時代が変われば合わなくなると言うのに、既に作られた“何だか良さそう”なレールに乗れれば、それだけでまやかしの安心感を得てしまう。

 先の見えない時代で、何も頼(たよ)るものが無いのは不安で仕方がないから、もはや擦(す)り切れて色褪(いろあ)せた夢や理想にでも縋(すが)っていたい――僕たちは、そんな大人の“夢”につき合わされて、将来の道を狭(せば)められている。

 

 親や先生たちだけじゃない。企業のトップや人事担当者たちも、きっと夢に溺(おぼ)れている。

 良い大学にいる優秀な学生を他社より一日でも早く採(と)ってしまうことが“勝利”なのだと、何十年も前から変わらないやり方を、ただなぞり続けている。

 

 余計な回り道などせずに“新卒”で入る人間こそがエリート――そんな価値観を振りかざしながら、人生経験の豊かな即戦力を求める。

 大学から就職までの間に迷うことすら許されず、一本道を進むしかなかった彼らが、ギャップに悩んですぐに辞(や)めていったり、心の病に囚われることなど、ごくごく自然な成り行きに見えるのに。

 

 良い学校を順調に進み、そのまま企業に入って来る、分かりやすいモデルコースの突破者(とっぱしゃ)こそが“優秀”――そんな“夢”に酔(よ)った大人が、社会から夢を奪(うば)っていく。

 一度でも理想のコースを外(はず)れた者にもうチャンスなど無いのだと、世の中の可能性を狭(せば)め、子どもたちを限られた狭(せま)い“理想”へと追い込む。

 

 たとえソレが何の保証も無い、ただの“夢”に過ぎないとしても、酔いの最中(さなか)にある人間には、それを判断する能力など無い。そもそも疑うことさえ思いつかないだろう。

 ――いや、もしかしたら、薄々気づいてはいても、新しい方法を採(と)って失敗するのが恐いから、既存の方法に逃げているだけなのかも知れない。

 

 夢見がちな大人たちが夢に溺れて他人の夢を奪い続ける社会で、僕たちはどんな未来を夢見たら良いだろう。

 良い大学を出て、良い企業に入れれば幸せ――そんな幻を信じる気にはとてもなれない。

 僕の知らない誰かの作った理想を、そのまま僕の理想にできるほど、僕は純粋でも夢見がちでもない。

 僕が希望を持てるのは、僕の中から自然に生まれてきた僕自身の夢、それだけだ。

 

 世の中に生きるどれほどの人間が、夢も希望も無い未来のために頑張(がんば)れるだろう。

 辛(つら)くて辛くて堪(たま)らない時、踏(ふ)ん張(ば)る力を出すためには、ささやかでも明るい何か(・・)が必要だ。

 僕はそこ(・・)に、夢を据(す)えた。

 旅人が目印とする北極星のように、迷った時、辛い時、道しるべとなるような夢を、心の奥にそっと置いた。

 

 勉強がしんどくて堪(たま)らない時、何のために生きているか分からなくなりかけた時、そっとその夢を頭に浮かべる。

 それだけで、心を覆(おお)った暗いモヤが晴れていく。

 

 まだ金も発言力も持たない僕は、今はまだ親の言いなりに親を安心させる進路を選ぶしかない。

 だが、社会へ出て、資金と、ある程度の自由時間が手に入れられたなら、こちらのものだ。

 

 それは、真っ直(す)ぐその道へ進めた者たちに比べると、遥(はる)かな遠回りになるだろう。

 その時間差がどれだけのハンデになるかは想像もつかない。

 だけど僕は夢を追う。

 その夢のために払う努力や犠牲(ぎせい)も、叶わなかった時の絶望も覚悟している。

 だって、どうせどの道を選んでも苦労を免(まぬが)れられないなら、その苦労は、ただ自分が好きなもののために味わいたいじゃないか。

 

 大人たちは「夢を大切に」と口では言いながら、その真価を理解していない。

 人間が生きていくためには、何かしらの夢や希望が必要なんだ。

 自分たちも知らず知らずのうちに夢に溺(おぼ)れ、夢に縋(すが)って生きているくせに、他人の夢は平気で嘲笑(わら)い、投げ捨てさせる。

 

 だから僕は夢を隠す。胸の奥深くに大事にしまって、叶うまでは誰にも見せない。

 夢を叶える方法は人それぞれだ。有言実行だけが全てじゃない。

 

 今日も、入試が終われば捨て去ってしまうだろう、僕にとって無価値な知識を頭の中に無理矢理詰(つ)め込む。

 

 時々、友人や家族や人生のことや……本当に大切なはずのもののことさえ、試験のための知識に追いやられて忘れ果ててしまいそうになる。

 僕という人間が、ただの“知識の器”になり果てて、僕自身がどこにもいなくなってしまったかのような錯覚(さっかく)に襲(おそ)われる。

 だけどそんな時、胸の片隅(かたすみ)に隠した夢が、僕を現実に引き戻してくれる。

 叶うかどうかも分からない、今はその道に向かえてさえいない夢。それだけが僕の支え。僕をこの世界に繋(つな)ぎ留(と)めてくれるものだ。

 

 先の見えないこの世界で、気を抜くと自分自身さえ見失ってしまいそうな日々の中で、それでも僕は夢を見る。

 他人の夢を容赦(ようしゃ)なく奪う大人たちが、希望を奪い続ける世界で――それでもいつか苦難の果てに、その夢を攫(つか)み取る――そんな“夢”を、夢見ている。

Copyright(C) 2020 Mutsuki Tsugomori.All Right Reserved.

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