Chapter.09『決着と真実』
†
体育館。ステージの上。
爆弾の周囲に敷かれた魔法陣に対して、ヴァイオラが記述を加えていく。
元々の魔法陣に設定されていた術式を、呪文を書き足すことによって、無効化し、無力化し、無害化する。チョークを片手に、四つん這いになりながら、最新の注意を払い、ひたすらに書きなぐる。その集中力は凄まじく、額から流れる汗が目に入っても、拭う事は無かった。
その作業に没頭すること約五分。
最後の一行を書き終えたヴァイオラはおもむろに立ち上がる。魔法陣は、当初に比べ、その直径を倍ほどに膨らませていた。
(これで、魔法陣の無効化は完了……)
だが、これで終りではない。肝心要の爆弾を解除しなければ意味がない。
ひとつ深呼吸をしたヴァイオラは、魔法陣へと踏み込む。
無効化が失敗していれば、この瞬間に爆発しても不思議ではない。しかし、覚悟は既に済ませている。
爆弾の傍らに辿りついたヴァイオラは、小声で呪文の詠唱を行いながら、印を結ぶ。
彼女の全身が、淡く、青い光に包まれる。
ヴァイオラは氷雪系統の魔術を得意とする。
しかし、それは、彼女の魔術の本質の、その一端に過ぎない。
絶対零度。古典力学では、エネルギーが最低の状態とは、原子の振動が完全に止まった状態である、とされている。
超低温とは、すなわち『静止』の世界。
動きを止める。機能を止める。時間すら止める。
それがヴァイオラ辿りついた魔術の極致であった。
ヴァイオラは手を伸ばし、爆弾に触れる。
彼女を包む青い光が、振れた箇所を伝わり、爆弾の方へと移動していく。水が流れるかの如く。
全ての光が爆弾を覆い尽くすと、ヴァイオラは手を離した。
もう一度、右手で空に印を描く。
それに反応するように、爆弾を包み込んでいた光が、弱まっていくように見えた。正確には、弱まっているのではない。内部へと、浸透していっているのだ。
ややあって、爆弾の中へと、青い光が全て飲み込まれた後。
ヴァイオラは、指を鳴らした。
澄んだ、硬質な音が、体育館に響き渡り――、
そして、終わりだった。
それで、終わり。
どこまでも静かに、爆弾は、その機能を停止した。
しばらく、立ち止まったままだったヴァイオラは、大きく息を吐き出した。
「終わった――」
思わず足がよろける。
解呪術式を使わない、手動による魔法陣の無効化は、自身の脳をフル回転させる必要のある、集中力のいる作業だ。その直後に、極大魔術の使用。精神にかなりの負荷がかかっていた。
倒れかかったヴァイオラの肩を、誰かが掴んで支える。
「お疲れ様」
「葉桐――」
ヴァイオラは、そこで初めて周囲を見渡す。体育館にいた人質は、残らずいなくなっていた。中にいるのは、葉桐と、入り口のほうに何名か、防護服に身を包んだ爆弾処理班らしき者たちだけだった。
「間に合わなかった、か――」ヴァイオラが、葉桐の手を叩き、どかすように促す。
「間に合わなかった?」葉桐は手を離した。
「別に……、気を使わなくていいわよ」
ヴァイオラが葉桐と別行動をしたのは、自棄になった犯人が爆弾を起爆する前に、その機能を停止させておくためだ。
言い換えれば、保険の役割と言っていい。
しかし、作業が終わってみれば、人質たちは、全て避難済みであり、犯人を捕まえた葉桐が既にここにいる。
爆弾の処理よりも、犯人の無力化の方が先に終わってしまったのだ。これでは、保険にはならない。
ヴァイオラが言った「間に合わなかった」というのは、そういう意味だ。
「想定外のことが起こったのならしかたない」葉桐は、爆弾の周囲に描かれた魔法陣に目をやる。
――頭痛が、葉桐を襲う。人間である葉桐の脳は、魔術を理解することができない。無理に識ろうとすれば、拒絶反応を引き起こし、最悪の場合発狂さえしかねないのだ。
魔法陣から目を逸らす。
「むしろ、想定外を想定できないのなら、指示を出した方の責任になる――。この場合、俺のな」
「それは――」
「それより、ヴァイオラ」彼女の反論を遮るようにして、葉桐は質問をする。「この爆弾周りの魔術、これは、犯人が仕掛けたものなのか?」
ヴァイオラは、まだ何か言おうとして開いていた口を――結局閉じ、息を吐き出す。すこし、頭を冷やすために、深呼吸をしてから、答えた。
「どうかしら。状況的にはそう判断するしかないのだけれど、そうとも言い切れないわね」
「というと?」
「術式のレベルが高すぎる。私が習得している解呪の魔術は受け付けないほどだったわ。だから、手動で無効化をしなくてはならなかったんだもの。〈機人〉の犯人が嘱託術式で代理起動出来るような代物じゃないっていうのが、正直な印象」
「誰かしら、共犯者がいると?」
「そう考えるのが自然ね。爆弾も、随分と大きいでしょう?」
葉桐は、今はもう動かないその爆弾を見る。たしかに、業務用の冷蔵庫ほどの大きさがある。
「どうやって運び入れたのかも問題ってことか……」
「やっぱり、グループいたのかもしれないわね。爆弾を運び入れ、術式を仕込んだ奴らが……」
「そこまでやっておいて、肝心な部分はあの男に任せて、絶対通らないような要求をぶち上げさせて、あとは知らぬ存ぜぬで不干渉を決め込んでるってことか?」
ヴァイオラもその不自然は承知しているのだろう、軽く肩を竦める。
「そのあたりの奇妙な部分については、『本人』に訊くしかないでしょうね――」
と、そこで、ヴァイオラは、あることに気付く。
「ところで、葉桐。私の様子を心配して見に来てくれたことは、すごぉく嬉しいのだけれど……、その、肝心要の犯人はどちらにいるのかしら?」
サルビ初等学校に来ている公安特捜隊は、葉桐とヴァイオラのふたりだけだ。他のメンバーも手が空き次第、向かえるものは来る手筈になっているものの、それでもまだ到着してはいないだろう。
にも関わらず、葉桐は、拘束した犯人を連れている様子はない。
その事が意味するのは、ただひとつ。
葉桐は、眉間に指を当て、首を振る。そして、口を開いた。
「犯人は、強襲部隊に連行された」
「な――ん、で……?」
おもむろに、ポケットから携帯端末を取り出す葉桐。その画面をヴァイオラに見せる。
「映像から犯人の身元の特定を進めていたんだが、ジャマーが張られていたことで難航していたらしい。それが、俺達が突入した直後のタイミングで判明したんだそうだ」
「名前は、トロイ=ハーゲンドルフ。年齢は、三五歳。種族は――〈人間〉!?」
ヴァイオラが驚愕の声を漏らす。
葉桐も、最初に見た時は何かの間違いではないかと疑った。
〈機人〉と思われていた男の種族は――、ただの〈人間〉である――と。そう、表示されていたのである。