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ハイ・ヴォルテージ -HIGH VOLTAGE-  作者: 帯刃瑞生
クロース・トゥ・ジ・エッジ -CLOSE TO THE EDGE-
2/9

Chapter.02『海上都市』


 そのチャーター機の室内は驚くほど静かだった。

 エンジン音は備え付けられた消音設備によって完全に消されている。気流による揺れもほとんど感じられない。


 客室には、座席が右側、左側のそれぞれに、一組ずつ、計四つしかない。プレイベート・ジェット。一流ホテルのような、瀟洒でモダンな内装。


 四つの座席の内、三つは空いていた。残りのひとつに、男がひとり腰掛けているだけだった。

 男は、シートに深く腰掛け、背もたれに背を預けている。目を閉じ、動く様子はない。

 電子音が、客室に響く。それに続いて、アナウンスが流れた。


〈葉桐さん、間もなく『オーヴァゼア』の領域内に入ります〉


 葉桐、と呼ばれた男は目を開けた。欠伸をしたり、身体を伸ばしたり、目を擦ったり、そういったことはしなかった。


 年齢は、二十代の半ばほどであろうか。長身を、葬儀屋のような黒いスーツで包んでいる。無造作に伸ばされた、襟足の長い黒髪。銀縁の眼鏡。肌は日に焼けることなく、幽鬼のように青白い。目の下の隈が濃かった。


 葉桐は、窓の外へ目を向ける。眼下に広がるのは、一面の青い海。太陽の光を反射して、眩しいくらいに輝いている。

 それだけだった。そこには、何もない。島も、船も。ただ波を打つ海面が広がっているだけだった。


〈突入まで、五秒前――、三、二、一――〉


 アナウンスのカウントが、ゼロになった瞬間。


 ――突如、そこに都市が現われた。


 先ほどまで、たしかに何もなかったはずの空間。そこに、一瞬にして、様々な建物が並ぶ、超巨大海上都市群が姿を現していた。


 葉桐は、眼鏡の位置を直す。

 厳密に言えば、この海上都市は急に出現したわけではない。

 始めからこの場所にあった。だが、見えなかったのだ。


 都市空間をドーム状に覆うように設置された〈観測拒絶網〉により、肉眼で見ることが不可能だっただけにすぎない。観測拒絶網の内側にプライベートジェットが侵入したことで、そこに搭乗していた葉桐も見えるようになったのである。


 不可視から、可視へ。


 その切り替わりの一瞬を見続けることで、まるで、マジックのように、都市が出現したように錯覚する。

 葉桐は、頬をわずかに緩めた。


 ――この都市群は、三十七の都市の集合体から構成されている。

 正六角形の浮揚構造体都市。〈フロート〉と呼ばれるそれを最小単位とした場合。

 それぞれのフロートを、さらに一回り大きな正六角形の頂点に配置するように、六つ集めたものを、〈ヘキサ〉と呼ぶ。


 そのヘキサがさらに大きな正六角形の頂点に来るように配置されたのが、この海上都市――〈オーヴァゼア〉の全景になっている。


 フロートが六つ集まってヘキサとなり、ヘキサが六つ集まってオーヴァゼアになる。

 さらに、六つのヘキサの中央に、〈セントラル〉と呼ばれる、大型のフロートがひとつ。


 六×六+一=三十七。

 三十七のフロートが、曼荼羅のように、幾何学的に配置されたのが、〈海上都市オーヴァゼア〉だ。


 上空からであればその数学的美しさを持ったオーヴァゼアの全景が観られるはずなのだが、葉桐の乗ったチャーター機からは、一番近いフロートの二辺がギリギリ視界に収まる程度しか見渡せなかった。――それほどまでに大きな都市である、ということだ。


 もはや、都市国家、と言っても過言ではない。オーヴァゼアは、規模も、人口も、政治的立ち位置も、ひとつの国家として成立している、と言って良かった。


 衛星写真であれば、高度的にはオーヴァゼアの全景を捕えられるかもしれないが、〈観測拒絶網〉に引っかかる。以前葉桐が見た、オーヴァゼアのある場所の衛星写真には、何もない海面だけが写し出されていた。


〈葉桐さん、間もなく着陸態勢に入ります〉


 アナウンスに従い、葉桐はシートベルトを装着し、着陸に備えた。

 


 †



 〈海上都市オーヴァゼア〉の内部には、外部からの飛行機が着陸可能な空港は存在しない。都市から『出島』のようにはみ出した洋上施設に着陸する必要がある。ひとえに、セキュリティ上の都合――である。


 そこは、オーヴァゼアができるより前――まだここが普通の海上都市であったときから、空港として使われていた施設だった。


 とはいえ、現在は利用される頻度は激減していた。オーヴァゼアへの入()は、厳しく管理されているため、一般の乗客が旅客機に乗って何十人も訪れる――というようなことは皆無だからだ。

 葉桐のように、特別な事情でもない限り、入る事自体が難しい。


 空港は、歴史のある施設ではあるが、何度も改装されているため、古さを感じることは無い。

 三〇〇〇メートルを超える三本の滑走路は、利用者の数が減っているにも関わらず、手入れが行き届いていた。滑走路の脇に植えられた芝生も、青々とした輝きを見せている。


 一面のガラス張りにより光を取り込む空港の室内――。そこに一般人の姿は無い。

 『出入り』を管理する職員と、あとは、物々しい装備に身を包んだ、軍隊の人間だけだ。灰色のボディーアーマーに、小銃を携えた兵士が、入り口の両脇を固め、また、施設内のあらゆる場所に配備され、目を光らせている。


 戦場と見紛うほど物騒な空間だった。

 否――ここは、戦場だった。


 彼らが守る場所は、この地球上でどんな戦場よりも危険な領域といえる。

 少なくとも、特別な事情でもないかぎり、自ら進んで近づこうとする者など、誰一人いないくらいには。

 


 『検査室』というプラカードが掲げられた一室から、一人の男が出てきた。  

 銀縁の眼鏡の下の、沈んだ瞳。無造作に伸ばされた黒髪。――葉桐だった。


 歩く動作ひとつひとつに隙がなく、訓練された軍人を彷彿とさせる立ち振る舞い。

 葉桐は、カウンターに近づく。


 にこやかな顔に、明るい化粧――受付嬢が明るい声であいさつをする。


「おひさしぶりです、葉桐さん。休暇はどうでしたか」


 葉桐はゆっくりと首を振った。


「悪くはなかったんですが、なんというか……」


「刺激が足りない?」受付嬢は彼の言葉を引き取った。「ここを出入りする皆さんは、割とそうおっしゃられますね。『中』と『外』のギャップがあまりにも大きすぎてなじめないんだとか。ようやく精神が落ち着いたころにはもう休暇が終わってしまって、楽しめないんですって」

「そうですね――、そうかもしれない」


 葉桐は頷いた。そして、人差し指を立てる。


「事前に申請しておいた荷物、受け取ることはできますか?」


 受付嬢は手元の端末を操作して、「はい、はい」と何度か頷くと、カウンターの奥へと引っ込んでいった。ややあって、紙袋をひとつ携えて戻ってくる。


「こちらですね……ほんと、めんどくさいですよね。何か持ち込むたびにいちいちこうやって別に検査しないといけないんですもの。身体検査も、二時間くらいかかってませんでした?」

「まあ……、出るときに比べれば大分マシですけど」

「それもそうですね。基本、『外』にはどんな物も持ち出し厳禁ですし」


 そう言って、受付嬢は紙袋を渡す。


「好奇心からの質問なんですけど、中身はなんですか? おみやげとか?」

「そうですね、詩集と――」葉桐は少し言葉に詰まった。「温泉まんじゅうです」

「温泉まんじゅう」

「草津の」

「草津」


 受付嬢はちょっと黙ってから、今日一番の笑顔を見せた。


「休暇をしっかりエンジョイしてるじゃないですか、エンジョイ」






 空港を出た葉桐は、駐車場に向かう。そこに停められていた自動車の、後部座席に乗り込んだ。

 それを確認した初老の運転手が、静かに車を発進させる。


 目的地――オーヴァゼアの入り口までは、海の上に架けられた橋を渡っていく。一本道だ。

 ちらりと窓から外を見やると、一面の海が見えた。透き通るような透明度の海面。渡り鳥の群れが、その上を飛んでいく。


 景色に、薄く靄がかかる。

 『霧』が出てきた――。先ほどまでは底抜けに晴れていたにも関わらず、進むにつれて少しずつ霧は濃くなり、数分もしないうちに、完全に車は呑み込まれた。


 白に染まる視界。


 窓の外の景色を眺めていた葉桐は、シートに腰掛け直すと、腕を組んだ。

 この霧は、単なる自然現象などではない。オーヴァゼアに棲む三つの特異種族の内のひとつ、〈魔族(ストレガ)〉により設定の施された戦略級呪術防壁である。


 三六五日、常にオーヴァゼアを包み込むように渦巻く霧は、許可なく近づくものの方向感覚を狂わせ、オーヴァゼアに近くづことを許さない。


 海上の一本道であるにもかかわらず、道に迷う(・・・・)のだ。


 それだけではなく、少しずつ意識を奪い、無力化する効果もある。不法侵入者は、彷徨い、気絶したところを、拘束される仕組みだ。


 自然現象としては異常だが、この霧は、オーヴァゼアのセキュリティが正常に動作していることの証拠に他ならない。


 視界が狭くなり、運転手のステアリングを握る手に力がこもるのが見て取れた。

 スピードも下がり、慎重な運転になっている。


 この霧だけではない。

 オーヴァゼアは特異三種族の合意により、各々の種族が趣向を凝らした最大限の防衛機構が施されているはずだった。

 一見普通に視えるこの道路ですら、〈機人(オルギア)〉による改造が加わっている。葉桐達が乗っているこの車、及び葉桐達自身に対し、マトリクス・スキャンによるデータ上との照合がリアルタイムで行われている。予め登録されている情報と一致しなかった場合、即座に物質擬態を解いた電磁変幻鉄鋼により拘束されるはずだ。


 また、〈異形(エレジア)〉により設定された次元断絶処理の影響で、どんな通信技術を持ってしても、オーヴァゼア内のネットワークに対する不正アクセスはできない。無謀にもサイバー攻撃を仕掛けようとしたクラッカーは、数ナノセコンド秒以内に完全に逆解析され、地球上のどこにいても第一種臨界テロの容疑で逮捕される。


 それだけではない。

 他にもさまざまな、三種族の叡智の結晶のような、魔術的または科学的または異次元的な、数十種の絡み合う四桁数のトラップが至る所に設置されており、招かれざる客がオーヴァゼアに訪れる事は――少なくとも地球側から現われることは――まずない、と言ってよかった。


 唐突に、視界が暗くなる。

 霧が晴れる。しかし、窓の外を見ても、もう海は見えない。


 そこには、橙色のライトが等間隔に設置された壁しかなかった。

 トンネルだった。

 運転手の緊張が少しだけ弛緩するのを、葉桐は感じた。霧の中の運転はそれだけ神経を使った、ということだろう。


 いうまでもなく、このトンネルもなんらかの防衛機構が備え付けられているはずだ。

 病的にも思えるほど強固なセキュリティだが、その真の目的は侵入者を拒むことではなかった。

 むしろ逆だ。


 ――『中』にあるモノを『外』に出さないこと。


 これらの技術の存在意義は、そこに尽きた。

 すなわち、世界を揺るがしかねない災厄を、街に封印することである。



 †



 オーヴァゼアと外界を繋ぐ〈(ゲート)〉から中に入り、街へ降り立つと、そこには混沌が拡がっていた。


 まず目に飛び込んでくるのは、空に向かってそびえる、乱立する高層ビルの群れ。

 〈境界崩落(イベント)〉が起きるより前、かつてここが地球の海上都市であったことの名残を色濃く残している。ほとんどが倒壊したが、四種族協定の後、〈機人(オルギア)〉のもたらした超常の技術を用いて修復された。


 しかし、よくよく目を凝らしてみれば、そのビル群の中にどう見ても近世あたりの石造りの塔が建っていたり、逆に透明のチューブのようなものが沢山生えた、はるか未来感のある建物が混在していて、ここがある種の異界であることを印象付けてくる。さらには、建物なのかなんだかよくわからないもの、あるいは巨大な大樹そのもの――といった物が混在し、また、絡み合ったりしていて目に忙しい。


 道を歩く人々に目をやれば、人間のような見た目をした人、地球では決して見かけないような姿なりをした人、大型のアンドロイド、一見人にはみえないナニカ、動物に近い生き物、そういったものが、跋扈している。


 喧騒が止むことはない。談笑する声や言い争う声に合わせて、どこか遠い所から、爆発音のようなものまで響き――そして、そのくらいでは通行人がさしたる関心を向けることもない。


 まるで、異世界に来たような、そんな光景。

 それを目にして、葉桐は改めて「ああ、戻ってきたのだ」と実感する。


 ――そのとき、視界の隅で、何かがこちらに向かって、高速で飛んでくるのが見えた。


 その正体を確かめるより先に身体が動いていた。転がるように飛び退り、次の行動の為に即座に態勢を整える。


 飛来した物体がやってきた方角に目を向けつつも、視界の端で着弾した物の確認も怠らない。

 さきほど葉桐が立っていたあたりには、氷柱(つらら)のようなものが突き立っていた。アスファルトに根を張り、鎮座しているそれには見覚えがあった。


 氷の魔術、これは――。


「こんにちは。ひさしぶりね、葉桐」


 氷柱を飛ばした張本人、ひとりの若い女性が、悪びれた様子もなく姿を現した。

 葉桐と同じスーツに身を包んでいるが、その豊満な肢体が持つ体のラインを隠すことはできていない。本人にも隠そうという気など全くないのだろう。メロンを二つ詰めたようなたわわな胸元はブラウスのボタンが大胆に開けられ、谷間が見えてしまっているし、スカートの丈はストッキングに包まれた脚の曲線美を引き立てるほどの長さしかない。

 紫色の艶やかな長髪は、軽いウェーブがかけられており、歩調に合わせてゆらゆらとなびいている。

 切れ長の瞳が細められ、口許には妖艶な笑みをたたえていた。


 しかし、一番の特徴はその肌と目、それから『角』だろう。


 彼女の肌は「青い」。「青白い」だとかそういう比喩表現ではなく、「青い」のだ。

 そしてその眼球は、結膜――人間でいう白目の部分が黒く、光彩が金色である。

 さらに頭の横に小さな、黒い羊の角のようなものも見て取れた。


 青い肌、黒金の瞳。そして、角。

 ヴァイオラは、オーヴァゼアに棲む特異三種族のひとつ〈魔族(ストレガ)〉だった。


「随分なご挨拶だな、ヴァイオラ」


 攻撃を仕掛けた人物を確認すると、葉桐は警戒を解き立ち上がる。回避の際に汚れたスーツを軽くはたいて汚れをおとした。


「休んではいても鈍ってはいないようね。関心だわ」

「当たったらどうするつもりだった」


 先ほどの攻撃――殺意こそ感じられなかったものの、まともに受ければ大きなダメージは免れないレベルだった。

 しかし、ヴァイオラと呼ばれた女は、特に謝罪の言葉を口にするつもりはないようだ。


「きちんと視界の中で撃ったのよ。あの程度躱せないほど腕が落ちているのなら、私のパートナー失格だもの。さ、行きましょ」


 そう言うと踵を返し、近くに止めてあった自動車へ歩いていく。

 葉桐は、ほんの少しだけ「やれやれ」といった具合に肩を竦めると、それ以上追及することなく黙ってついていった。

 助手席のドアを開ける前に、ちらりと目をやった後部座席に置かれたものに気がつく。それは、葉桐の『仕事道具』だった。


「緊急事態なのか?」


 助手席に座りながら葉桐が尋ねる。ヴァイオラは当たり前でしょうと言わんばかりに頷いた。


「緊急事態――まあ、ここでは日常茶飯事ともいえるけれど――とにかく、あなたを回収して、直接向かうように言われたのよ。そうじゃなきゃ、わざわざ私が迎えに来ると思う?」

「……そういう日も、あるんじゃないかと思った」


 葉桐のその言葉に、ヴァイオラは口許を斜めにした。しかし、次の瞬間にはすでに『プロ』の仕事人として、的確に葉桐に指示を出す。


「二時間ほど前、エルド・ヘキサの五番フロートで立て籠もり事件が発生。犯人は機人(オルギア)とみられる男性。端末も持ってきたから、詳しい部分はそこから確認して」


 言うや否や、彼女はアクセルを踏み込む。同時にサイレンのスイッチを入れ、周囲の人間に「どけ」と促した。


 ぐん、と後ろ向きにGを感じ、葉桐はシートに押し付けられた。そのぐらいで怪我をするほどやわな鍛え方はしていないが。


 葉桐が海上都市オーヴァゼアの〈(ゲート)〉をくぐってから、まだ五分と経っていない。息を吐く暇もないほどの、慌ただしさ。

 ――どことなく、この慌ただしさに、懐かしさを覚えている自分がいるのがわかった。


「飛ばすわよ、葉桐。しっかりつかまっててね」


 ハンドルを荒々しく回し、力いっぱいアクセルをベタ踏みしているヴァイオラが言った。


「そういう科白を言ってくれるのはありがたいんだが、飛ばす前に警告してくれると、もっと助かる」


 二人を乗せた車は猛スピードでオーヴァゼアの街中へと消えて行った。

 ここでは日常的に、ごく当たり前のように、至る所で起きる事件――その、解決のために。



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