1.会敵
2017/05/14 誤字修正。
2018/02/12 誤字修正。
2023/09/30 誤字修正。
潮の香り、波の音、瞬く星空。それだけならば、それは穏やかな光景だっただろう。
野口津霧枝はいかにも海軍将校と言える見事な姿勢を保ったまま、航走する高速雷術護衛艦「春風」の露天艦橋に立っていた。湿った風をまだ幼さの残る顔に浴び、ショートボブの髪をなびかせながらつぶやく。
「静かだね」
斜め後ろに控えていた良野副司令が、そのスラリとした長身を向けながら答える。
「ええ、司令。作戦終了まで、静かなままだといいですが」
野口司令は持ち前のほんわかした顔をしたまま、口元を歪め良野の言葉を咀嚼する。
「なんか言い方が不吉じゃない?」
「いえ、そういうつもりでは」
野口司令が、あわててメガネを指先で持ち上げながら答える良野副司令の表情を覗きながら、口元をほころばせる。
「この作戦、どう思う?」
野口司令はちょっとした暇つぶしだと思い、良野に問いかけた。
「面倒ですね。護衛対象の那岐は機関故障で船足が落ちていますし」
新開発の高速噴進術式弾を装備した重爆撃飛術隊を、敵基地付近まで超低空侵入させ、その術式噴進弾を切り離す。術式噴進弾は噴射を開始、一気に迎撃不能速度まで加速し敵基地へ突撃する。敵基地上空で大量の炸薬を爆発させ、すべてを焼き尽くす。
それが乾坤一擲の反攻作戦の嚆矢、「天羽羽矢作戦」だ。
この計画の問題点は術式噴進弾の重量だ。よほど重量物を運ぶのに長けた飛術者でも、1tにも及ぶその重量を1人でぶら下げて飛ぶのは不可能。ゆえに多数の飛術者が一緒に運搬することになる。同調して飛ぶがら速度が出せず俊敏な機動も不可能、なにより戦闘行動半径も短くならざるを得ない。さらにこの術式噴進弾は射程が短い。その為に母艦を敵基地ギリギリまで接近させる必要がある。
その無理難題な作戦を成功させるため、近衛総軍の精鋭、第1護衛艦隊に白羽の矢が立てられたのだった。
甲板の広い大型高速輸送艦1隻につき、術式噴進弾を3発搭載。それを4隻、計12発の術式噴進弾を運搬する。
そのために菊水級大型高速輸送艦4隻と、それを護衛する戦闘巡洋戦隊、ならびに4個の護衛戦隊が作戦に動員されていた。
途中まで問題なく進行していた作戦だが、大型高速輸送艦「那岐」が、術式発動機故障で半速までしか出せなくなってしまった。足手まといとなった那岐は艦隊を離れ、母港に帰還することになり、野口が司令を務める第12雷術戦隊の春風級4隻が護衛に付くことになったのだ。
「帝国の造船所は毎日馬車馬操業。大型造船ドックは数年後まで予約でいっぱい。大型艦を追加建造する余裕はない。もちろんそんなお金もないけどね」
野口司令は小柄な体を振り返らせ、ニヤける。
良野副司令は野口司令の幼さが抜けない仕草を眺めながら答える。
「ですので大型艦である那岐には必ず生還してもらわなければなりません」
「だよねー。そのためには多少の犠牲も厭わない。貧乏国家は悲しいね」
「春風はそう簡単にはやられませんよ」
そんな2人の会話を聞いていた春風艦長の古田が、大柄で体育会系な体で力こぶを作りながら力強く笑いかけた。
気のいいお姉さんを絵に描いたような古田艦長に笑顔をみせながら野口司令が応じる。「それは心強いね」
その時、夜間見張員の叫びが静寂を切り裂く。
「敵艦見ゆ。2時の方向!」
少し上ずった声に合わせ野口司令が静かに尋ねる。
「規模は?」
「5…6…8隻は居ます! うち大型艦が2…訂正4!」
野口司令が叫ぶ。
「那岐を逃がす! 全艦合戦準備、右雷術戦、術式封止解除! 那岐に念話! 敵艦見ゆ、戦域より離脱されたし、以上。」
良野副司令が即座に反応する。
「念話、戦隊に連絡! 速やかに艦隊集合。単縦陣、右雷術戦、術式封止解除! 艦長、強速となせ! 術式捜索始め!」
その事前に決められた通りに一息で発せられた命令は、次々に復唱され即座に念話術者により後続艦へ伝達される。
途端慌ただしくなった艦内で、曹の怒声が響きわたり、兵どもが早足で動いている。雷術弾発射筒が右側に旋回し、甲板弾庫より雷術弾が引っ張り出される。
術式発動機が唸りを上げ、船足が付き始める。
野口司令は肩口で切りそろえた髪をなびかせながら振り返る。後続艦も単縦陣を組むため春風の後方へ接近してくる。
戦隊が精鋭であることを誇示するかのように、歴戦の護衛艦が目を疑うような速度で整然と集合した。
口角を少し持ち上げ、あらためて前方の敵を見据える。
野口司令は捜索術者が海図板の上に船をかたどった模型を、手早く配置していくのを眺めながら下令した。
「敵艦隊の頭を押さえます。艦長、方位270(ふたななまる)。第四戦速!」
「よーそろー!」
間抜けにも聞こえる復唱を満足げに聞きながら、良野副司令に話しかける。
「どう思う?」
野口司令の言葉足らず過ぎる問いかけにも慣れた良野副司令が、いつも通りの少し甲高い声で答える。
「この海域に有力な敵艦隊が存在する事前情報はありませんでした。敵主力である北洋艦隊は我らの陽動部隊が誘因に成功しているはずです」
「こちらの動きが露見していたのかな?」
「それも考えづらいです。主力から離脱した際にも、捜索術式で敵影は確認されませんでした。それ以来術式管制を実施していた我が艦隊は、目視以外では発見できないはずです」
そんなことは野口司令にも分かりきっているが、艦橋に配置されている者どもは必ずしもそうではない。もちろん自身の確認もあるが、彼らに聞かせるためにもあえて声に出しているところもある。
「不意遭遇戦、かな?」
「その可能性が高いです。敵艦の動きもそのように見えます」
確かにその通り所定の作戦行動であったなら、敵艦隊の動きは間が抜けているとしか思えない。
「敵艦種判別! 戦闘艦バシーリー級が2、イヴァン級が2、護衛艦ベレズニキ級が4、以上!」
野口司令の顔が一瞬ゆがむ。こちらは護衛艦4隻の雷術護衛戦隊だ、到底太刀打ちできる相手ではない。振り向くと那岐がちょっと心配になるほど傾きながら回頭を行っている。しかし遅々としたその光景に、さらなる焦りが沸き上がってきた。右を見れば敵艦隊。高速でつっこんでくる。ふるえる手を誤魔化すように後ろに組む。
いつだってそうだった。何かと貧乏くじを引いてしまう、あの時も…。ふと過去を思い出そうと現実逃避を始める頭を一度振るう。
だがしかし、任務だ。声が震えないように細心の注意を払いながら口を開ける。
「副司令。何とも楽しい光景だね」
良野副司令は目深に被った軍帽の下で口角を上げる。
「全くです。久々に撃ちまくりですね。コーヒーを用意しますか?」
さすが付き合いが長いだけはある。野口司令の意図を外さない。指揮官の動揺は部下に伝播し、不安は精神的余裕を失わせ些細な失敗を呼ぶ。1つ1つは些細な失敗でも、それが同時に多発すれば大事故にもつながりかねない。ここで余裕を見せることは必要なのだ。
様子を見渡し、ホッとしながら告げる。
「集合。作戦を達する」
戦意にあふれた顔の艦橋士官が集まってくる。
「零距離反航戦でいきます。まず旋回しつつ前衛の護衛艦群へ正面から角度を付けずに交差。両弦の砲を速射で叩き込みます。照準は無し。その後戦艦の脇に出て至近より雷術弾を全門射出、後方に出て距離を取ったら全艦一斉回頭。以後、襲撃を繰り返します。作戦は以上」
野口司令は全員の顔を見回しながら伝えた。全員目をギラつかせている。
「すべて必中距離。外したら恥ね」
やけに好戦的な笑顔を浮かべた砲科長がニヤリとする。
「じゃ、早速始めようか」