実家に帰ります。
ほかのきょうだいの話もフラグだけ立てておきます。
ナターシャ視点。
ある日、母から手紙が来た。曰く「パパが孫ちゃんたちに会いたいみたいだから帰ってきて」らしい。ことの信憑性はともかく、確かに下の子が生まれて報告に行ったきり会っていない。久しぶりにクラウス兄様にも会いたいし、たまには実家に帰ろうか。
善は急げとばかりに暇を持て余していた私は身の回りを整え外泊の用意をした。メイドに任せても良かったけれど実家に帰るだけだからと簡単な用意で済ませた。
「おかえりなさいませ」
いつからかお早いお帰りになった旦那様は今日もそう遅くない時間に帰られた。一応義務として毎日出迎えているけれど、好きでもない女と真っ先に出くわすのはどうなんだろうか、と思う。
「ああ、ただいま」
「お疲れ様でごさいました。あの旦那様、少し報告がありまして」
「……? なんだ、言ってみろ」
「明日から実家に帰らせていただきます」
「……………………は?」
「すでに実家には帰郷の旨は伝えました。子供たちも一緒に行きますので」
旦那様は開いた口が塞がらないといった感じで唖然としている。目障りな嫁が実家に帰るだけなのに、不思議なことだ。明日は早く出るので私は一礼して固まったままの旦那様を置いて部屋に戻った。これで旦那様は二、三日おひとりで心置きなく過ごせるのだ。私はむしろ良いことをした気分で、健やかに眠りについた。
残された旦那様が青ざめた顔で頭を抱え「この世の終わりだ……」と呟いていたことなど露知らず。
寝静まった屋敷を出る。子供たちは慣れぬ時間に叩き起されたせいで目をしきりに擦っていたけれど、馬車が動き出すと見知らぬ時間の景色を見てすっかり興奮したようだ。
「かあさますごい! 空が薄紫色だ!」
「とりの声がしないわ、早起きのとりよりも私たちは早起きなのね!」
口々に驚きを表現する二人を見てとても微笑ましい気持になる。ああ、やっぱり子供はとっても可愛いわ。
「でもどうしておとうさまは一緒じゃないの?」
下の娘、メリアが不思議そうに首を傾げた。
「おとうさまはお仕事がありますからね。お屋敷を空けるわけには行かないのですよ」
「そっかー……ざんねん」
がっかりした様子で空を蹴るメリアを見て、私は少し申し訳ない気持ちになった。私は旦那様とともに行くという選択肢をはじめから除外していた。その発想が頭の片隅にもなかったのだ。こころなし長男のロナルドも残念そう。
そうよね。私はともかく、この子達は旦那様を慕っているし旦那様も可愛がってくれている。次からは前以てお誘いしてみようかしら。そんな機会があればだけれど。
実家へはこの時間から出るとお昼頃には着くだろう。興奮している子供たちには悪いけど、その間は少し眠った方がいい。彼らを座らせ子守唄を聞かせると素直な二人はそのままゆっくりと眠っていく。目が覚めたらそこは懐かしい私のふるさとだ。
「おじいちゃまあ~!!」
無表情の極みのような人が飛び込んで来たメリアを危なげなく抱き上げた。娘はよくこんな怖い顔をした相手に臆面もなく抱きつけるものだと感心する。
「こら、メリア。ご挨拶が先でしょう。お父様、ご無沙汰しております。本日よりしばらくお世話になります」
「おじいちゃま〜来たよ〜!」
「おじいさま、お邪魔いたします」
「……よく来た。息災であったようで何よりだ。ロメリオ殿には、言ってきたのだろうな」
「ええもちろんです」
「……そうか。ゆっくりしていけ」
「ありがとうございます」
子供たちの挨拶とも言えない挨拶に怒ることもなく答えたお父様は幾分目元が優しい気がする。やはり孫というものは悪魔と言われるお父様でも可愛いものなのだろうか。
「おじいちゃまあそんでー!」
「いや僕が先だ。おじいさま、勉強を教えてください!」
子供たちは無邪気に悪魔へ強請る。これを子悪魔とでも言うのか。いや孫悪魔?
なんてことを考えていると階上から嫋やかで可愛らしい声が落ちてきた。
「ナターシャ、ロナルド、メリア、いらっしゃい。道のりはどうでした?」
「問題ありませんでした、お母様」
声の主はゆっくりと降りてくる。私と姉妹と言っても通用しそうなほど若々しいこの女性が、かの“攫われ姫”こと我が母だ。二番目の兄クラウスがいつぞやかこの二人の物語を教えてくれたけれど、今でもにわかには信じ難い。この父と母が相思相愛だなんて。
「アルベルト様は待ちきれなかったのね。お出迎えなんて」
「…………」
ふふっと笑ったお母様は楽しそうにお父様の腕に自分の腕を絡ませた。……少なくとも母が“攫われ姫”だというのは間違いらしい。振りほどかないあたり、お父様も満更ではないのかもしれない。
「そうだ、お母様、クラウス兄様は?」
「上にいるわ。呼んでくる?」
「いいえ私が行きます。お父様は嫌でなければ二人を見ていてもらってもよろしいですか」
片手に母、もう片手にロナルドとメリアを引っつけた姿の父に願う。これでは悪魔も形無しだ。ほのぼのすぎる。
「おじいちゃま〜!」
「おじいさま!」
「うーん二人ともおじいちゃまが好きなのねぇ。おばあちゃまは嫌い?」
「嫌いじゃないよ」
「嫌いなわけありません」
「じゃあ、最初はロナルドがおじいちゃまとお勉強でメリアはおばあちゃまと遊びましょう。そしたら次はおじいちゃまとメリア、おばあちゃまとロナルドね? どう? 二人とも」
「「うん!」」
流石七人の子を育てた玄人だ。子供を納得させる見事なその手腕は見習わなければ。カタがついたようなので私は二番目の兄に挨拶にすることにした。
「兄様、クラウス兄様、ナターシャです」
「ああ、お入り」
久しく聞くことのなかった兄の声にほっとする。人嫌いを自称する兄はなかなか社交界に出ないためにこうして里帰りでもしない限り滅多に会えないのだ。
「失礼します」
「うん。よく来たね。変わりないかい?」
「はい。ロナルドもメリアも健やかに育っています」
「……ちなみにロメリオ殿は?」
「旦那様ですか? 相変わらずですが……」
「そう……」
そこで何故クラウス兄様が残念そうな顔をするのか疑問に思ったけれど、顔を上げた兄様が話題を変えたのでその疑問もすぐに消えた。
「ところでスタンレイ兄さんが婚約者探しをしているって聞いたかい?」
「そうなのですか。私てっきり仕事と結婚なさるのかと思っていましたわ」
「いやいや僕と違って兄さんは嫡男なんだからそういうわけにもいかないだろう」
「それにしては動き出すまで随分時間が掛かった気がしますが……」
「まあ兄さんには持病があるからね」
「え、スタンレイ兄様どこか悪いので……?」
「言葉の綾だよ」
「ああ、……なるほど。でも良いのですか?」
「えっ何が?」
「だってお兄様が結婚してしまったらクラウス兄様の「兄が結婚するまでは結婚しない」という十八番の言い訳が出来なくなってしまいますよ」
「……あっ、しまった。そこまで考えてなかったよ」
「兄様も年貢の納め時かもしれませんね」
「僕たちは納められる側だよ」
「そういう意味ではありません」
懐かしい。家を出るまではこの兄とこうして忌憚のない言葉のやり取りをよくしたものだ。トリスターの女としてはあるまじき振る舞いだとしても。今でも欠かさず本を読み、人の話を聞き知識や語彙を増やそうとするのは、この兄によってつくられた癖と言って良いだろう。
嫁入り先ではこうもいかない。私は不思議と肩の力が抜ける思いがした。ヴァイス家でもわりと自由にはやってきたつもりであったけれど、実家の安心感とはやはり格別なものなのだと実感した。
「子供たちをお願いしてしまってすみませんでした。旦那様に似て賢い子に育ちましたが、まだまだはしゃぎたい年頃ですから大変でしたでしょう?」
「いいのよ。その大変さを味わいたかったのだし、それに言うほど大変でもなかったわ。あなたの言う通り頭が良くて気の利く子たちでしたもの。ね、アルベルト様」
「…………ああ」
にこにこ笑っている母と、喉になにか詰まらせたような風の父を見比べて、その言葉に嘘はなさそうだと判断した。お父様は本当に孫に会いたかったらしい。お父様は威厳と体面と事実を「ああ」という言葉とともに喉の奥にしまったのだ。
「そういえばリュドネ姉様やヴィヴィー姉様はどうしていらっしゃいますか?」
「リュドネはお相手がお相手だからねえ。その子も王族の一人になるからなかなかこっちで会うというのも出来ないの。かといって私たちが王都に行くこともないから、生まれた時に一度会ったきりね。ヴィヴィアンの方は、近頃懐妊したそうよ」
「そうなのですか。ではお祝いの品を用意しなくてはいけませんね」
「そうしてあげて。あの子も向こうでいろいろあったみたいだし、ようやく落ち着けるかしらね」
実質会える孫は今のところ私の子供たちだけのようだ。父がそれほど子供好きだとは知らなかったけれど、そのお陰で私もこうして羽根をのばせるというもの。
はしゃぎつかれて遊び疲れて子供たちは昔の私の部屋で眠っている。出かけていたらしい、私の弟と妹にも先ほど会った。二人とも元気そうで何よりだ。末の妹なんてさらに美しくなって、姉としては鼻が高い。
メリアも将来あんな風に成長するだろうか。あの旦那様の血も継いでいるのだからきっと美しい子になるはずだ。それはたぶんロナルドも。
懐かしい家具や調度品に囲まれて、先に寝ている子供たちのぬくもりであたたまったベッドに入る。いつもは別々に寝ているけれど、たまにはこうして親子水入らずで眠るのも良いかもしれない。
「ふふ」
「おかあさま……?」
「あ、ごめんなさい、起こしましたね」
「……ううん。なんで、笑ってるの?」
「幸せだなあと思ったのですよ」
「うん……メリアもおかあさまとおとうさまのところに生まれて幸せ」
「僕もだよ、かあさま」
「あらロナルドも起きてしまったのね」
身動きしてずれた掛け布を直し二人に声をかける。
「さあ、二人とも寝ましょう。良い夢を」
「はい……おかあさま」
「かあさまも、よい夢を……」
「ありがとう。……お休みなさい」
子供たちの呼吸が深くなったのを見届けると私も穏やかな眠りの中に誘われていった。
静かな星々が優しく見守る、そんな夜だった。