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趣味人が集まるイベント会場からの脱出が難しすぎる件

作者: 芝高ゆかや

「アッチで見たって!」


「了解」


 そんな話し声と共に、ダダダッと足音が遠くなっていくのを聞き、緊張していた精神(こころ)と体をゆるめた。



――どうしてこうなった!?



 俺は賑やかな場所から少し離れたイベント会場のブースのパネル裏に身を潜めて、辺りの様子を伺った。

 電子端末でSNSをチェックすると、案の定……いわゆる「祭り」状態になっていた。続けてオペラグラス機能のアプリを端末操作で開き、遠くにある複数の出入口をチェックした。明らかに「祭り」参加者と思われる見張り役の数名が、既に待機している。


「信じらんねー! 1、2時間も経たないうちに、なんでこんな完璧な包囲網が出来てるんだよ? 絶対、この中に本職いるだろ!? 趣味人の集まり、こえー!!」


 青ざめながら、アイツとその支援者に捕まらずに、このイベント会場から脱出する方法を脳内で必死にシミュレーションする。


 ―― いったいアイツは何を考えて……


 ―― もしかしたら、宙に浮いた俺との関係に、ケジメをつけようとしてるのかもしれない


 こういう状況に追い込まれたのは、「自分の本心を他人に分かりやすく会話で伝えるのが苦手」ということが最大の原因だと認識している。そして、「プライベートでは他人と深く関わりたくないから放っておいて欲しい」と思っているくせに、自己顕示欲が強い自分のこの性格。あのまま世間に忘れ去られていれば良かったのに、欲を出したばっかりに、こんなことになった。


「俺……バカだな」


 深いため息と共に出た呟きは、他人(ヒト)のいない空間に溶けていった。



*****



 音楽は、いつだって人の傍にある。


 それは、CD、MP3やハイレゾといったデジタル音源がなくなり、より音楽を直接体感できる現代(いま)だって同じだ。

楽しいときも、苦しいときも、そっとヒトのココロに寄り添うんだ。そう信じ、だれかに聞いて貰いたくて、自分の中にある音を繋ぎ合わせて曲にしてきた。


 だけど、ある日突然、自分の中から音がなくなった。何も感じない、何も思い浮かばない。空っぽになってしまった。

 それ以来、創作意欲や創作することに対する希望といった類いを捨て、創作とは関係のない、ごく普通の生活を過ごすことに決めた。


 しかし、創作世界から離れてかなりの年数がたった頃 ――― もう世間から俺の名前はすっかり忘れ去られているように感じられた時に、その決心を覆す出来事が起きた。


「シンガーロイド……?」


 自室の椅子の背にもたれながら、パネルに表示された広告を見て、首を傾げた。

 既にデジタル音源という単語をほぼ耳にしなくなった今では、あまり聞かない言葉だった。かなり昔に流行ったらしい。それまで、作詞・作曲しても歌ってくれる人が周りにおらず、歌ってくれる人を探すにも苦労していたクリエイターに重宝された歌声合成技術で、伝説の神ソフトであると、随分年配の知人が熱く語っていたのを思い出した。


 ――今さら


 というのも、昔と今とでは全く違うオーディオ形式だからだ。

 気にならない程度の細いチューブリングに特殊なデバイスが組み込まれていて、体から音が生まれるような錯覚になるほど体内で音を感じられるようになっているのに、今さらデジタル音源で耳から聴くのは、物足りない気がする。

 ところが、次にパネルに表示された文言に俺の目は釘付けになった。


体感音源(たいかんおんげん)デバイス対応……?」


 人間関係を拗らせて精神を磨り減らし、求められるまま流行っているリズムやリフを多用して似たようなものばかり作り続け、ドンドン自分の本当に作りたい音楽からかけ離れていった結果、本来エネルギーを注ぐべき自分の音が体の中から消えていた俺にとっては、目の前の霧が一気になくなったような気分になった。


 ―― これを誰にも知らせずに密かに使えば、今までの(しがらみ)を気にしなくていい


 ―― 10年前、世間知らずの子供だった自分の固定化されたイメージに振り回されることなく、自分の作りたい音が作れるかもしれない


 そんな風に思ったからだ。

 表示された宣伝文句には、「懐かしい歌声をあなたに! 耳では聴こえづらくなった高音域も体感音源ならシッカリ聴くことができます」と、年配向けをターゲットにしている感が否めないものであったが、気にせずにアプリをダウンロードすることにした。


「ユーザー名の登録をお願いします」


 インストール後、女性の声でアプリ設定のガイダンスが流れる。


青石(あおいし) ケイ」


「……『アオイシ ケイ』、登録しました、続けてニックネームの登録をお願いします」


(ケイ)


「……『K』、登録しました」


 早速、パネルに表示された設定画面のアプリ連携で、他の楽器アプリをリンクさせていった。一通りザックリとではあるが、設定が終了してアプリを使えるようにしたところで、椅子のひじ掛けカバーをスライドさせ、中からシンプルなデザインのチタンに酷似したメタリックな材質のチューブリングを取り出し、手首にはめた。


「全身スキャン開始」


 チューブリングをはめた手とは反対の手で回しながら、リングの表面を軽く指でなぞり、音声入力した。チューブリングにブルーグリーンの発光したラインが浮かびあがり、座ったままの状態で全身が瞬時に光に包まれた。


 「スキャン、完了。体感音源位置を設定中……最適化します」というパネルからのアナウンスが聞こえ、続けて体の中で、いつもの起動メロディーが流れた。


 「リンクさせるアプリを選んでください」と、いつものメッセージ流れる前に、パネルに表示された楽器アプリを選んでいく。


 「以前とは違うやり方で、新しい曲を作ろう」と、誓う。まっさらな気持ちのせいか、選ぶ度に体の中に響く楽器音が心地いい。このオーディオ形式の良いところは、音質がリアルの空間設備に依存せず、個人的な聴力にも左右されないことだ。つまり、情報を一方通行に流すテレパシーと似ている。それに、楽器アプリも充実している。

 例えばピアノアプリとかだと、有料ではあるが、各ブランドのピアノを選べるだけでなく、調律(ちょうりつ)技術がオプションで付いている。ずっと昔に調律師(ちょうりつし)が行っていた紙パンチングを挟む等の細かい鍵盤調整(けんばんちょうせい)まで可能だ。アプリだと音が狂うことはないため、調律は必要ない。だが、初めは満足していても、音作りにハマった場合、こういうオプションは無性に欲しくなる。自分の弾き癖を考慮した好みのタッチにカスタマイズできると、断然弾きやすさが変わるからだ。


 ―― そういえば、曲を作るために楽器アプリを使うのは初めてだ


 以前、俺が曲を作っていた時は、頭に浮かんだ曲をそのままモニタリング機能で読み込ませたあと、楽器アプリで修正や調整をしていた。あれから10年経った今でも、その方法で曲作りをするのが主流だ。チューブリングをモニタリング用のアダプターにセットし、体の一部を接触させてアクセス許可を出せばいいだけなのだ。ただ、この方法だと、誰が作ったものなのかも生体認証で登録されてしまうため、匿名で曲作りをするには使えない。


「それじゃあ、始めようか」


 半透明の鍵盤がザアッと目の前に現れ、実体化したのを確認し、レトロな方法ーー『打ち込み』で曲作りを始めた。



*****



 ――― こんなに創作に夢中になれたのは、いつ以来だろう


 昼過ぎから始め、そんなに時間が経ってないハズが、気づいたら夜中になっていた。出来た曲をアップし、達成感を感じる。

 しかし、アップしたことを告げるメッセージ画面で、そんな達成感のある心地よい余韻がぶっ飛び、一気に不快になることが起きた。しばらく、創作から遠ざかっていたため、この画面での宣伝システムの変更に気づかなかった自分が悪いのだが、心の準備もなしに目に入ってきた情報は、俺の奥深くにあるトラウマを甦らせ、傷口をガッツリと抉る。


 艶やかな長い黒髪にブルーグレイの瞳、そして滑らかな白い肌のうなじと、スラリと伸びる手足に優しげな微笑―――少し地味だが、大人しく従順そうで清楚な雰囲気の女性(アイツ)


 だが、アイツの見た目や作られた世間のイメージと、かなり性格(なかみ)が違うことを俺は知っている。


 ――アイツは、土足でヒトのココロを踏み荒らしたうえ、結果的に俺を踏み台にしたんだ


 すぐにパネルの電源をオフにした。不愉快になるだけなので、その姿を目にしないよう細心の注意を払って生活をしていた自分にとって、また逆戻りとなった。気分が沈む。前に進めず、上手くいかない。


「バカバカしい……アイツにとって俺は……とっくに過去のはずだ」


 そう、もう俺のことを覚えている人達はいないんだ。それは、一瞬だけ付き合ったことのあるアイツだって例外ではない。10年前、たった1年だけ使っていた名前は封印した。俺は今は『一般人』で、今日から趣味で創作活動を始めたに過ぎない。アイツにされたことをずっと俺が覚えていて、その事を引きずっているなんて、既に国内だけでなく国外でも活躍し、世間で認知度の高い『公人』と見なされる立場となったアイツは、知らないし、気にも留めないだろう。



*****



 アイツと知り合ったきっかけは、クライアントの依頼だ。その頃、俺は子供だったが、そんなことは何の支障にもならなかった。SNSで有名に成りつつあった俺の曲をアイツの歌で、という内容だった気がする。そのまま提供するのはつまらないので、アイツの声質に合わせて編曲したものをダメ元で提案してみたら、クライアントから好評で、アレンジした方を採用してもらえた。

 それから何回か端末越しにやり取りをしてるうちに、直接会って話すようになった。アイツのイベントで、1、2回だが、裏方で参加もした。そして、いつの間にか話す機会が増えたこともあり、気がついたら学校の時間以外は常に隣にいて、音楽の話をするようになっていた。たぶん、ほどほどに気を許せるぐらいにはなっていたんだと思う。


「このリング、使っているのを見たことないけど、特別なの?」


 アイツのチューブリングを会場のホールの音響に合うように調整しているときに、アイツがそう聞いてきた。出しっぱなしにしてあったケースにあるシルバーのチューブリングのことを言っていることは、わざわざ視線を向けなくてもわかったので、調整パネルに目を向けたまま、「いや、壊れてて使えないだけ」と答えた。生体データが登録されたチューブリングを廃棄するには、いろいろ手続きがあって大変なので、時間に余裕があるときにやろうと思っていた。


「「捨てるのがメンドーだから入れっぱなし」」


 声が重なったことに驚いて、顔をアイツに向けると、アイツは両手で口元を覆い、笑っていた。


「……壊れてもう使わないなら、欲しいな」


と、ケースにあるシルバーリングの表面をスゥっと指先で撫でながら、穏やかな笑みで見つめている。


「なんで? それはプロ仕様の中でも、あんまりスペック良くないから、それをワザワザ修理して使うより、もっといいのを買えば?」


「…………」


 俺の疑問と提案を口にしたら、困った微笑みを浮かべ、黙ってしまった。どうやらマズイことを聞いたようだった。


「まぁ、処分手続きがメンドーだし、いいか。俺は修理しないから、修理するなら自腹で……「ありがとー!!」」


 俺の話が終わらないうちに、アイツはお礼を言って、嬉しそうに壊れたシルバーのチューブリングを腕にはめた。「役に立たないリングをはめても意味がないのに」と、その行動に違和感を感じたが、作業が終わってないため、再び調整作業に入った。


 一般的に、安易に生体データを抹消していない物を他人(ヒト)に譲渡しないよう、よく言われているにも関わらず、気まずい空気に耐えられず、ロックも何もせずにあげてしまった。今考えると、この時の俺の行動は軽率だった。通常、壊れているものをメーカーへ修理に出せば、必ず初期化されて生体データは抹消されるので、あまり深く考えずに、そのまま渡してしまったのだが、「あれは、マズかったな」と、アイツと連絡を絶って暫く経ったある日、シルバーリングだけがないチューブリングケースを手にして後悔した。


 アイツとの付き合いは、こんな感じで、なんとなくあやふやに始まったのだが、連絡を絶ったのは、俺の一方的な判断だった。ある一定のプライベートなラインを俺の心の準備なしに無断でアイツが踏み越えたからだ。踏み越える頻度が多くなり、積雪のように積っていった気持ちが、ある日限界を超えた。「他人なんだから、我慢してまで付き合う必要はない」という気持ちを心の中いっぱいに埋め尽くした俺は、アイツに一言も何も告げずに音信不通になった。

 その後、1ヶ月間ぐらいは「心の平穏を取り戻した」と思ったのだが、アイツとの連絡を完全に絶ってから、徐々に他人との関係が上手くいかなくなり、コミュ障の俺にはアイツが必要だったという事実に気づいたときには遅かった。アイツは、世間の認知度が急激に上がり、気軽に連絡を取れるような状況ではなくなってしまった。そうなると、自分から連絡を取るなんて真似はしたくないというプライドが邪魔をして行動に移すことは無理だった。



 ――もう、あれから時間がかなり経ったハズなのに……まだ俺は引きずってるのか?



 こういう時は気を紛らわせるために、寝てしまうか、他のことに打ち込むしかない。



 ―― 寝よう



 さっさと結論を出し、ベッドに潜り込んだ。




*****




 俺は平凡な生活を送りながら、空いた時間に体感音源対応のシンガーロイドを使って10年前に作っていた音と真逆の系統のものをアップし続けた。 趣味での創作は、商業と違って、とにかく自由だ。時間の制約もないし、相手の意向や(しがらみ)がない分、試行錯誤しながら、いろんなことをやることができる。何よりも自分の中で「挑戦してみよう」という精神的余裕があるのが、とても良い。

 そして、以前は「わが道を行く」といった感じで、横の繋がりを一切自分から作ろうとせず、アイツとの関係を絶ってからは、思いもしない突発的な問題や悩みがあっても相談できる人が周りにおらず、孤立し、自滅してしまった。だが、今は弛い繋がりでも構わないと、自分から繋がりを求め、軽く相談できるぐらいの人間関係を自分なりに築くことができた。

 (かつ)てとは違う系統の音作りでも、俺の音を好きだと言ってくれ人がいるのは素直に嬉しい。


「運営からメッセージ……?」


 内容を確認したところで、さらに不審に思った。

 中身は、「今度のイベントで自分が作った曲や他の創作者の曲をステージで演奏してほしい」というものだった。



 ―― すでに出演者が決まっているはずのこの時期に、なぜ俺に出演依頼?


 商業関係者の目につくことがないよう、目立たないようにしてきたはずだ。ランキング入りしそうなときも、すぐに取り下げた。その代わりに、ランキング形式のない、自分と繋がりのある人達だけ閲覧が可能なところにロックして再アップした。


 ―― 怪しい、俺は騙されてるのか?


 とりあえず、断るために返信しようとした。すると、創作仲間からの通信が入る。


「K、お前も出るんだろう?」


「へ?」


「なんだ、まだ運営からきたヤツ、見てないのか?」


「いや、見たけど……断ろうと思ってたからセッションの出演予定者リストは見てない」


「え!? なんで?」


「面倒だし、別に俺が出なくても他に候補者いるだろ?」


 もっと話題になってる人は、たくさんいるはずだ。それに時間の関係や様々な都合で追加出演を決める場合も、打診する候補者は一人じゃない。


「えー、出ろよー。お前との生ライブでのセッション、楽しみしてんのに。顔を見られるのがイヤなら覆面とかでもつければ? なんなら俺が選んでやるよ」


「……あー……、わかった」


 こういう流れに弱い。それに断ったら間違いなく、変な覆面を送りつけてきそうだ。結局、断れなくなった。




*****




 イベント当日になってしまった。俺は会場に近いところに住んでいたので、歩いてきた。

 世界でもトップに入る広い会場スペースには、直接の来場者とアバターの来場者向けのセキュリティゲートが設置されている。

 昔は、実際その場に行かなければイベントを体験できなかったらしい。その後、ディスプレイ越しでイベントの様子を閲覧することができるようになり、今では設備が整った施設であれば、アバターで体験できる。五感受容体(センスアクセプター)システムを搭載したロボットとバーチャルリアリティーシステムを使っていて、直接来場の場合とほぼ遜色ない。ロボットに個々のアバターを投影し、実体化させているので、直接来場者と見分けがつかない。そのため、アバターの頭の上にニックネームが表示される。

 俺はその来場者ゲートのすぐ横を通り抜け、出演者専用ゲートへ向かった。


 ステージやステージ裏には、常に人が行き交い、慌ただしい状況であった。俺は淡々と作業し、イベント主催者が用意したステージ用のピアノアプリと自分のチューブリングの最終確認を行った。久しぶりの雰囲気が懐かしく、かえって極度の緊張がなくなった。そのせいか分からないが、創作仲間とのセッションはリハーサルから楽しかった。すでに今までやり取りはしていたし、わりと気心の知れた仲になっていたこともある。リハーサルのあと、「出演記念だ」と言われて、怪しげな覆面をプレゼントされた。



 ――なんの罰ゲームだよ!!



*****




 今回、俺は依頼の通りに2曲を演奏する。初めの曲は創作仲間とのセッション、続けて自分が作ったオリジナルをソロでピアノ演奏、という話だ。非常に不本意だが、無理やりプレゼントとして押し付けられた覆面を被ってステージに上がったら、みんなにウケた。解せぬ。


 1曲目が終わり、暗転中に他の演奏メンバーがステージから降りたので、ゆっくりと鍵盤に触れた。



 ―― なんだ?



 違和感を感じる。きちんとチューブリングを調整したはずなのに、体の中で雑音を感じた。誰かの呼吸、そして吐息。

 覆面をしたまま鍵盤しか見てなかったので、気づかなかった。視界の端に入った俺のチューブリングが白く光る。それは誰かのリングとの接続を示していた。



 ―― まさか……!? なんでラインが青くないんだ!



 ステージ上のライティングが、打ち合わせと異なる動きをする。さっと視線を光が照らす方に移すと、シンプルなマーメイドラインだがステージによく映える衣装に身を包んだアイツが立っていた。そして腕には、白く光るラインの入ったシルバーのリング。



 ―― !!



 指先が震える。



 ―― なんでアイツがココに!?



 ―― なぜリンクできる!? 設定に必要な生体データをアイツに渡したことなんてないはずだろ!



 思考がまとまらない。混乱する。



 俺は堪らず、そっと暗闇に紛れ、静かにステージを降りた。



*****




「ケイさん、戻ってください」


 ステージから降りてくるのを待ち伏せしたかのように、ステージ裏で、すれ違い際に、すかさず俺の腕を掴んだスタッフらしき人が鋭く小声で(とが)める。


「打ち合わせと違うので。独奏(ソロ)からプロの方の伴奏に変更になったなんて聞いてません」


 怒りを抑え、ステージに聞こえないように気を使いながら冷静に反論した。

 打ち合わせなしにイキナリ伴奏するなんて暴挙としか言いようがない。一般的に、人間の歌い方には独特な「ゆらぎ」や「ため」があるから、独奏(ソロ)とはピアノの弾き方が全く違ってくる。


「普通なら無理だけど、アナタならできますよね?」


「!」


 俺の腕を掴んだまま挑発するような言葉を言ったソイツに対し、真意を確かめようと、俺が「どこまで知っているのか」問い直そうとしたところで、アイツがステージで俺が演奏する予定の曲のイントロをアカペラで歌い始めた。




 繋がったままのアイツの(こえ)が俺の身体の隅々まで響き、貫く。心拍数があがり、呼吸が苦しくなっていく。




 ―― クソッ! なんでこんなことに!!



 俺は舌打ちをしながら脱いだ覆面を片隅に置き、掴まれた腕を退けて、再びステージに上がった。



 ―― 打ち合わせも、リハもなしの伴奏なんて、いろいろギリギリすぎだろ!



 アイツとリンクしている「音」と、自分の記憶にある「アイツの歌い方」を頼りに、8小節目(しょうせつめ)が終わりかけるタイミングで弾き始めた。

 ハッと振り向き、俺の姿を見つめるアイツを無視し、目の前に集中する。はっきり言って余裕がない。


 前よりも力強く、空間すべてを震わせ遠くまで響くアイツの(こえ)に、俺の音がシンクロする。


 同じメロディーのはずなのに、俺の音から俺たち二人の音となる不思議な感覚。


 その場限りでしか聞くことのできない音を二人で作り上げていく高揚感。


 そんな時間は一瞬だった。気がつけば、終わっていた。




*****




 ムチャぶりにも関わらず、なんとかやり遂げた俺は、すぐに自分の腕にあるチューブリングを外しながらステージを降りる。先にバックステージにいたアイツの横を、無言で軽く会釈しながら早足で通り過ぎる。


「ケイ!」


 これ以上関わらないためにも、この場をすぐに離れたかった。しかし、なぜかアイツの声に反応し、意思に反して立ち止まる。


「少し話したいんだけど」


「俺は、ない」


「……話を聞いて?」


「何の話? その壊れたはずの俺のデータが入ったリングを返してくれるのか?」


「これは……ケイのもの、これしかないから」


 手を差し出した俺を気まずそうにアイツが見た。腕にしたままのシルバーのチューブリングを、もう片方の手で俺に見られないように覆った。やはり、俺が昔持っていた物のようだ。しかも返すつもりはないらしい。

 俺は踵を返し、その場から離れた。




*****




 出演者専用IDカードをリーダーのマークにかざして自分の荷物を受け取る。荷物の中から電子端末を取り出し、ここから最も遠いブロックにある特設ステージでのシンガーロイドのイベントチケットを表示させ、時間の確認をする。


「まだ時間があるな」


 俺は早めに行き、待機中の列に並んで暇潰しに今日のイベント関係のSNSをチェックした。いつの間にかサイトのリンクをたどっていくうちに、アイツのファンが集うサイトに入り込んでしまった。


『Kってヤツが酷いヤツらしい』


『一方的に自分の言いたいことだけ言って、まったく話を聞かずに、いなくなったって』


『今、現地にいるけど、ここまで頑張ってきたのに、もう歌えないって泣いてるのを見たよ! そういう事だったのか!』


『話を聞くだけでもいいのに、そんなにKってヤツ、忙しいのか?』


『Kを探してるらしいから、どこにいるか情報収集して教えればいいんじゃないか? まだ会場にいるだろ』


『確か今日のイベントで、Kって人、途中から顔を出してたから見ればわかる』



 ―― はぁ? なんだこれ? ……これは俺のことじゃない


 見るに耐えない。思わず現実逃避しつつ、電子端末をしまった。





*****




 アイツの関係者が対応するだろう、と油断していた。こういう時は、拡散しないうちにリスク分析をして、公式見解を発表するなど早期に対応することが鉄則だ。だから、てっきり俺が特設ステージの観賞が終わった頃には、SNS上の騒ぎは収まっていると思っていた。


 特設ステージの出口から出た俺は、アバター来場者の一人の頭上に表示されているのを見て固まった。

 ニックネームの上にグループ名が表示されている。



『クリエイター K 捜索中 情報求ム』



「マジかよ……」


 終息するどころか、拡散して悪化している。捜索チームまで結成されているとは予想外だ。見つかったら、アイツの前に引きずり出されるかもしれない。



 ―― こうなったら、『逃げきる』の一択(いったく)だろ




 まずは、トイレは逃げ場がなくなるので、近づかないようにする。俺は人気のないブース裏に移動した。電子端末でイベント会場のマップを表示させる。とりあえず買いたい物を必要最低限に抑え、ピックアップし、人目につかない最短ルートをチェックする。これまでにないスリルと緊張感溢れる買い物の時間となってしまった。


 アイツの関係者は、この状況を放置することにしたらしい。もしくは、ワザとなのかもしれない。

 俺は部外者だし、まったくアイツの意図はわからない。

 俺を探し回っているらしいアイツを3メートル先に見かけた。危うく見つかるところだったが、違うルートに変更し、逃れる。

 買い物もラストになり、あとは脱出となったとき、電子端末に創作仲間からメッセージが入った。



『お前、俺がプレゼントした出演記念の覆面、忘れてるぞ?』


『俺が回収しておいたから、バックステージ入口に来いよ?』



 …………


 ―― うわぁ、あの覆面、いらねー



「すごく取りに行きたくない」


 しかし、これからも付き合いたい創作仲間だ。無視する訳にもいかず、「わかった」と返信した。





*****




 指定の待ち合わせ場所に行き、「ありがとう」と怪しい覆面を受け取る。


「じゃあ、また」


「待てって! Kに会いたいって人が来るから」


 立ち去ろうとしたところで、そう呼び止められた。



 ―― ブルータス、お前もかっ!!



 気分が重くなる。俺たち二人のことは、ごく一部の人しか知らない。まだアイツが、ほとんど世間に知られていない時の、しかも一瞬だ。創作仲間は俺達の間にある事情を、もちろん知らない。


「会いたがってる人って、俺が伴奏した人だろ?」


「……まぁ、部外者だから何とも言えないけど、話だけは聞いてもいいんじゃないか?」


「…………」


「なんでそんなに頑ななんだ? 今まで接点なんてほとんどないだろ?」


「それなら……逆に聞くけど、なんでそんなに俺を会わせたいんだ?」


「理由は単純だよ。もう一度、あのステージで見た二人の音を聴きたいから。それ以外ない」


「俺は……あの世界にいる人達と関わりたくない。自由がなくなる」


 最もらしい理由と、プレゼントの覆面のお礼を言って、再び人混みに隠れた。




 ―― なぜ、こんなに


 ―― 異常なほど、頑なにアイツを拒む?


 言われた言葉を繰り返す。


 ―― 理由は?


 考えたくない。


 気がつきたくない。


 どんどん歩みを早くし、人の波を掻き分けて進む。だが、人の成長というのは厄介なもので、気づいてしまう。



 ―― そういうことか


 ―― 自分のテリトリーに踏み入れられたくないのは、自分の内を(すべ)て見せて拒否されたら深く傷つくから


 ―― つまり、俺は……思っていた以上に、今でもアイツが好きなんだ




反動形成(はんどうけいせい)




 自分は「もう大人と一緒」で、「一人前の人間」だと思っていたのだが、その考えがこの瞬間崩れた。精神(こころ)がまだ未熟だった。でも、それに気づいたんだから、少し成長できた。それでも向き合う勇気はない。余計、アイツと顔を合わせるのが怖くなった。




*****




「隙がない……」



 俺は追い詰められていた。

 脱出に良さそうな一般出入口は、全て捜索チームによって塞がれていた。あとは今朝入場のときに使った関係者出入口しかない。ただ、あそこだけノーマークっていうのが罠である気がしてならない。

 俺は、今日のこのイベント会場のタイムテーブルを片っ端からチェックした。一番出入りが少ない時間をピンポイントで狙う。



 ―― 今だっ!!



「ケイッ! 待って!!」



 ―― やっぱり罠だったか


 アイツの声に、またもや足止めされる。

 この声はダメだ。

 体感音源でなくても、体に響く。



「俺は話なんてないから、もうこういうことはやめろよ。オマエは仮にも有名人なんだから」


 ケジメなんてつけたくない。このままでいい。顔を合わせないようにして、言葉を吐き捨てた。


「ワタシが……頑張って有名になれば、ケイを探しやすくなるって言われたから」


「は?」


「ケイと連絡が取れなくなって辛かったときに、『どこにいてもケイは音楽を必ず聞いてるハズだから、有名になれば、また会える確率が高くなる』って教えてくれた人がいて……」


 彼女は俺と違い、いつも前向きだ。だから、とっくに俺のことを忘れて自分の進むべき道を邁進(まいしん)していると思い込んでいた。だが、そういうワケじゃなかったらしい。予想外なことを言われて困惑する。それにしても……


 ―― 誰だよ!? 彼女(コイツ)に余分な入れ知恵したヤツは!? おかげで10年も遠回りだよっ!!


 俺は眉間に手をやった。


「こうして、また会うことができて、『頑張って良かった』って思ってる。だから、ワタシの話を聞いて?」


 そう言われしまうと、逃げ場がない。俺は黙って頷いた。


「どうしてケイがワタシのことを避けるようになったのか、まだ分からないんだ。『ワタシの歌がケイの理想の歌い方と段々違ってきたから嫌になったのかな?』とか、『もしかしたら、ワタシに見られないように隠していたケイのコレクションをこっそり見て、ドン引きしちゃったのがバレちゃったせいかも?』とか、色々考えたけど……ちゃんと理由を話してほしい。ワタシはケイのこと、好きだから。ケイが作る音だけじゃない、ケイの全部が好き……」


 やはりアレを見てドン引きしたか……。不自然な彼女の態度を見たときに、見られたんだろうと容易に想像できた。が、できればその事実は知りたくなかった。そのことの方が気になって、嬉しいハズの告白が台無しだ。


「今のままじゃ……、あやふやのままじゃ……気持ちが宙に浮いたままで、ケイのこと忘れられない」


 苦しそうに言葉を紡ぐアイツを見ながら、ここで自分の気持ちを素直に言うべきかどうか迷っていた。なんせ、ここは外だ。しかも、ここに二人きりしかいないように見えるが、隠れたギャラリーが山ほどいることは気配で分かる。



 ―― 今、自分の言葉でちゃんと言わないと手遅れになりそうだが、周りに聞かれるのは勘弁だ



 ため息をつくように、長く息を吐いた。心を落ち着かせ、覚悟を決めたところで、アイツの腕にあるシルバーリングが目に入る。

 相互リンク待機状態を示す黄金色のラインが淡く光っているのを確認した俺は、自分のチューブリングを腕にはめた。素早く起動し、アイツのチューブリングとリンクさせると同時にシグナルの方向を反転させる。


 リングの光が、黄金色から白に変わった。




 ――俺のことは忘れなくていい


 ―― ずっと一緒にいたいから、今度はちゃんと話すよ……上手くは伝えられないかもしれないけど




 俺の言葉がリングを通して伝わったらしい。パッと顔をあげたアイツは、今まで見たことがないぐらいの驚いた顔をしていた。目が合うと、アイツは体を震わせ、そのまま俯き、顔を両手で覆った。耳まで紅潮している。


「体感音源、使うなんて……反則っ!!」と、俺を睨んできた。


「勝手に本人の許可なく他人(ひと)の生体データを利用してアクセスしてきたヤツに言われたくないんだが……」


「うぅっ……」


 俺の反論にぐうの音も出ないアイツの涙目を見て、仕返しとばかりにニヤリと笑った。




*****




 再びアイツと同じ空間で過ごすことが多くなった。会場のステージ裏に行くと、そこには10年前に俺に『シンガーロイド』の存在を教えてくれた人がいた。


「ケイ、久しぶりだね」


「はい……あのとき、あなたが言ってた通りになりました」


 10年前、俺が自滅に進むことを予想してたかのように「このままだと、キミは潰れるよ? もう少し他人を受け入れた方がいい」と、唯一この人だけが忠告してくれた。


「そうだね、でも……キミは戻ってきた。またキミの音楽を近くで聴けるのが楽しみだ」


「ここにいるのは……自分のチカラじゃないです」


「それは、ここにいる全員が『ある意味』キミと同じだと言える。それに、キミは再びここに引っ張り出されて迷惑そうだが、『たくさんの人達にケイの作る音楽を聞いて貰いたい』と、周りの人間に思わせるチカラはあるんだから、そんな風に自分を卑下しなくてもいいんじゃないか?」


「…………」


「大抵は与えられた数少ないチャンスを自分のものにできずに埋もれていくヤツラが多い。それを引き寄せて自分のものにするのも才能の内だよ。二度もこの場にいるってことは、キミは引きが強いんだな」


「はぁ」


 俺は曖昧な返事しかできなかった。俺がイマイチ理解できていないことが分かってしまったようで、笑われた。


「とりあえず、キミは彼女と一緒に行動すればいいさ。たくさんの新しい音に出会える」


「それは……忠告ですか?」


「いや? ……単なる助言だよ。この助言を聞き入れるか、そうしないかはキミ自身が決めることだからね?」


 俺は頷きながら「はい」と、返事をした。前はこの世界で生きるのに必死過ぎて、周りが見えていなかったことに気づく。そう思うことができるようになったのは、あれから少し精神(こころ)が成長したからだろう。そして10年前と変わらず、今も俺を見てくれる存在がいることを有難いと思う。


「ケイ、撤収だって!」


 アイツの呼びかけに「わかった!」と答えると、新たな助言をくれた『その人』に会釈をして別れた。


「もしかして、大事な話の最中だった?」


「もう話は終わったから大丈夫だ」


 そう言って俺はシッカリ彼女の手をとり、顔を覗きこんで、いつものように唇を重ねた。



〈了〉

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!


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