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タイヤのおうち

作者:

「あーあ、たいくつだなあ。」

とぼやいたのはタイヤです。小さな山の中腹、舗装された細い山道のはじっこに一本だけタイヤがさびしく転がっていました。このタイヤは車のタイヤですけれど、まだ一回も車につながれて走ったことはありません。タイヤは道のはじっこで雨や風にさらされている人生しか知りませんでした。タイヤの空っぽのお腹には雨水がたまって蚊の子どものボウフラたちがわいています。ボウフラたちはタイヤの話し相手でした。しかしタイヤはボウフラたちを快く思っていませんでした。

「タイヤくん、君がつくってくれる家は気持ちがいいね。」

とボウフラたちが感謝して言うと、タイヤは

「おれはタイヤなんだ。本当はおまえたちの家じゃないんだぞ。」

と言って軽くあしらうのでした。タイヤはいつもこう思っていました。

「うんとスピードの出る車のタイヤになって、あちこちを走りまわりたいなあ。」

タイヤは昼には空をながめてそんなことを思い、夜には星を数えながら、車につながれて走るその日を夢みていたのでした。そしてのんきなボウフラたちに

「おれはな、おまえらの家じゃなかったら、かっこいいスポーツカーのタイヤになって高速道路ってところをビュンビュンいわせて走ることもできたんだぜ。」

と言って自慢するのでした。そうするとボウフラたちは

「それはすごいね。さすがだね、タイヤくんはすごいんだね。」

と喜ぶのでした。

タイヤは何匹ものボウフラがさなぎになって、それから蚊に成長して、遠くへ飛び立っていくのを見てきました。ボウフラは大人の蚊になれば羽を持っているのでいろいろな世界へ飛んでいって、いろいろなモノを見ることができます。でも自分はボウフラたちの家になって彼らを守ってやっているのに、ここから動くこともできません。ずっと人気のないじめじめした道のはじっこでしょんぼり座っているだけです。そんな自分の運命はとても悲しいものだな、とタイヤは思っていました。寒い冬になるとたまった水がこおってヒリヒリとゴムの体をさします。そんな冬の朝は、涙をぽろぽろと流して泣くのでした。そして暑い夏には照りつける太陽の光で体が熱くなりどろどろにとけそうになります。そんな夏の真昼には、ゴムまじりの苦い涙を流すのでした。そしてタイヤはこうなげくのでした。

「はやく、はやく車につながれたいなあ。どんな車でもいいから道路を走りたいなあ。」

 ある冬の終わり、梅の花がさいたおだやかな日のこと。タイヤの中のボウフラたちはもうすぐさなぎになるくらい大きくなって、タイヤの中にたまった水をすいすい泳いでいました。すると近所のいたずらっ子たちが三人、タイヤのいる山道をくだってきました。その中のひとりの男の子が道のはじっこにあるタイヤを見つけると

「これを転がして遊ぼうぜ!」

と仲間に言いました。それはおもしろそうだ、と思ったいたずらっ子たちは協力して重いタイヤを道の真ん中に持っていくとそのまま、えいっと力まかせに転がしました。タイヤは今までだまっていましたけれど、今がチャンスだと思い、そのまま道をゴロゴロとものすごい速さで転がっていきました。いたずらっ子たちはタイヤが思ったよりも速く転がってしまうのでびっくりしてあとを追いかけましたけれど、とても追いつけません。タイヤも、もちろん追いつかれるつもりはありません。なにしろ子どもは車を持っていませんからね。タイヤは全速力で山をくだっていきました。あんまりにタイヤの回転が速いのでタイヤの中に住んでいたボウフラたちは中にたまった水といっしょにどこかへ飛ばされてしまいました。けれどボウフラたちのことなんて今のタイヤは気にもとめません。

「ボウフラなんて知るもんか!今は自分の方が大事だ!」

ゴロゴロ、ゴロゴロと転がり続けるタイヤはまがり道になれば自分で体をひねって道をまがり、まっすぐな道はまっすぐ転がって、とうとう山をかけおりて、たいらな大きな道に出ました。タイヤがあたりを見わたすと大きな道のはじで若者がスポーツカーの横に立って困っていました。彼のお気に入りのスポーツカーのタイヤが一本だけパンクしてしまい、しかも予備のタイヤを持っていなかったからです。これではどうにも動けません。それを見たタイヤは、しめた、とばかりに若者の足もとまで転がっていくと、立ちつくす若者の足にあたってわざとおおげさに転びました。若者はいきなりなにかが足にぶつかったのでたいへんにおどろきました。そして足もとのタイヤを見つけると

「しょうがないから。これでも使ってみるか。でも汚いタイヤだなあ。まあ、使えればいいか。」

と言って、そのタイヤをパンクしたタイヤのかわりにスポーツカーにつないだのでした。タイヤはついに待ち望んだスポーツカーのタイヤになることができたのです。若者はスポーツカーに乗りこみました。タイヤの心は高ぶってきました。

「ピッカピッカのスポーツカーにつながれて、やっといろいろな世界を見られるぞ。」

 若者はスポーツカーを急発進させました。タイヤはスポーツカーというものが予想以上に重いことに気づきました。そして若者の運転があんまりに乱暴なことにも気づきました。なにしろ若者はものすごい速さで走っているところで急ブレーキをかけたり、急カーブで横すべりに曲がったりしたのです。タイヤは鼻がすれたり、お腹がこすれたりしていたくて泣き声をあげました。おまけにすれたところは夏の日焼けよりも熱くなったのです。

「いたいよう、あついよう。いたいよう、あついよう。」

とタイヤは何度も何度も悲鳴をあげました。しかし、そんな悲鳴が運転席の若者に聞こえるはずがありません。若者はめちゃくちゃで乱暴な運転を続けながら、とうとう山道に入っていきました。車が少なくなったので若者はますます乱暴な運転を続けました。

「いたいよう、あついよう。いたいよう、あついよう。」

とタイヤは悲鳴をあげ続けました。そして若者は新しくつけたタイヤがすべりやすくなっていることに気づかなくて、急カーブを曲がりきれずに道路からスポーツカーごと山の中に落っこちてしまいました。お気に入りのスポーツカーは木にぶつかってぺちゃんこにつぶれてしまいました。タイヤは、車が木にぶつかったときのドンといういきおいでスポーツカーから外れて遠くに転がっていってしまいました。

 若者はケガもなく、スポーツカーからはい出て、自分の力で山をおりていきました。タイヤはみすてられて、森の中でひっそりとしていました。夜になりました。ポツリポツリと雨が降りだしました。とても悲しい雨でした。雨にうたれながら、タイヤは自分の夢がひどくばかばかしいもののように思えてきました。車につながれて走りまわっても、いたいだけで何も楽しくなかったからです。次の朝、タイヤが目を覚ますと、タイヤの近くを一匹の小さな蚊が飛んでいました。その蚊はタイヤを見るとおどろいた顔をして

「ああ、なつかしいなあ、タイヤくん。ぼくだよ、おぼえているかなあ?タイヤくんの家でそだったボウフラだよ。」

と声をかけました。それを聞いたタイヤは昔のことを思い出しました。

「覚えているさ。あのときのボウフラだね。『君がつくってくれる家は気持ちがいいね。』と言ってくれたボウフラだね。」

「そうだよ。覚えていてくれてうれしいな。なつかしいな。今はこんなところにいるのかい?水もいいぐあいにたまっているね。そうだ、タイヤくん、君のお腹に卵をうんでもいいかな?ぼくの子どもも君に育ててもらいたいんだ。だってタイヤくんの家はとても気持ちがいいんだもの。」

それを聞いたタイヤはとてもありがたい気持ちになりました。タイヤは答えました。

「ありがとう。お願いだからどんどん卵をうんでくれ。ぼくはボウフラの家なんだ。ぼくはまちがっていたんだよ。車でビュンビュン走ることは幸せなんかじゃないんだ。ボウフラたちを育てて、彼らが空に旅立っていくのを見送っていくこと、そしてそうやって感謝されることが本当の幸せだって気づいたんだよ。」

それを聞いた蚊はだまって、タイヤのお腹にたまった水に卵をうむと

「ぼくの子どもたちをお願いしますね。そして育ててくれてありがとう、タイヤくん。」

と言ってどこかへ飛んで去っていきました。

すっかり春になりました。蚊の卵がかえり、多くのボウフラたちがタイヤのお腹にたまったあたたかい水の中をすいすいと泳いでいます。

「タイヤくん、君がつくってくれる家は気持ちがいいね。」

とボウフラたちが感謝して言うと、タイヤはまた

「ぼくはタイヤなんだ。本当はおまえたちの家じゃないんだぞ。」

などと言っています。どうやらにくまれ口はむかしのままのようです。

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