第七章:宿命と性
「先ず居合を始め大事なのは“正中線”を保つ事です」
休憩を終えた剣士はエリナ達を並ばせて座らせると静かに講義を始めた。
剣士は胡坐で、エリナ達は正座である。
しかし老人3人は立ったりしているが。
「この正中線とは、俗に“人中路”とも言います」
人の中の路---つまり頭から股間に掛けて通る一本の線な訳だ。
「正中線が保てれば如何なる状態であろうと身体が崩れる事はありません」
寧ろ仕掛けた方が逆に身体を崩す。
「ですが、相手の斬撃が強ければ正中線を保てない場合もあるので憶えておいて下さい」
常に正中線は保つようにする事が一つ。
「そして居合で大事な事ですが、無暗に喧嘩を売らない、買わない事も大事な事です」
自分から火の粉を被りに行く必要は無い。
「無用な争いは極力ですが避ける事。ただし、もし戦うとなれば迷わず抜くのです」
しかも一撃で相手を仕留めなくてはならない。
「仕損じれば反撃に遭うか、または命を狙われ続けます」
この点もあり居合は一撃で相手を倒す事を念頭に置いている。
「また体全体を利用して剣を鞘から抜くのが肝要です。腕だけで抜いては遅いですが、体全体で抜けば速く抜けるのです」
同時に体を利用した術---即ち「体術」も大事だ。
「このように座っている状態でも抜刀も居合も出来ますが、自分の得物を使わなくても相手の得物または素手で倒すのです」
先ほどエリナ殿に見せたような体術がそうだと剣士は言い、座り方について講義を始めた。
「座り方も大事です。両足のどちらかを片足の上に置くと直ぐに動けますし、負担も軽減します」
こういう所も瞬時に対応できると剣士は説明しエリナ達は頭に叩き込む。
「ですが講義と言ってはなんですが・・・・論より証拠です。試してみましょう」
剣士の言葉に直ぐエリナが前に出た。
「はははははは・・・・では、一番手はエリナ殿で」
エリナの貪欲とも言える学ぶ姿勢に破顔しながら剣士はエリナと正面から向き合って座った。
それを狗奴達は正座か、胡坐を掻いて見守る。
どちらも撃剣の間合いには入っており、何時でも斬り合いは出来た。
「ではエリナ殿。貴女の方から私に攻撃を仕掛けて下さい。それを私は防ぎます」
剣士に言われエリナは正座のまま・・・・抜刀したが、剣士は瞬時に胡坐の状態から抜刀し、エリナの小手を払い続いて唐竹割を見舞った。
もちろん正中線は保たれており「揺れ」は無い。
「これが正中線を保った状態です。ハイズ殿、私に揺れはありましたか?」
「・・・・いいや、無い。綺麗に保たれていたから刃筋もシッカリしている」
そして、とハイズは続けた。
「剣を抜かずとも我が主の顔面に肘打ちを行い、そして首を明後日の方角に曲げる事も出来た」
若しくは柄で腹を殴打する事も・・・・・・・・
「御明察通りです。しかし、先ほどは居合の講義でしたので敢えて居合で行いました」
そう剣士は言いエリナ達は納得した。
「では次は2人を相手にした居合を教えます。狗殿、宜しいでしょうか?」
狗奴は剣士に名を言われ「承知しました」と頷く。
だが内心では何処か・・・・懐かしさを憶えていた。
初めて会った時も感じていたが、今は・・・・更に強い。
この懐かしい気持ちが何なのかは分からない。
いや・・・・亡き母に甘えた頃に似ている。
耳のせいで虐められて帰った時に母は優しく抱き締め慰めてくれたが、その時の感覚と・・・・非常に似ている。
そんな感覚が剣士から伝わるのは何故かと自問自答しながらも・・・・狗奴は剣士の背後に座った。
剣士の背中は修練を積んだ証の如く逞しいが、今まで歩んで来たであろう道の惨憺さが伝わりもした。
その背中を見つめながら狗奴は・・・・愛刀に手を掛ける。
前に座るエリナも柄に手を掛けるが剣士は微動だにしない。
ただ平素な体勢を崩していない。
いないが、それこそ居合の心得であり真理であるのだろう。
『!!』
狗奴とエリナは同時に動き抜刀した。
エリナは中脇差だが、狗奴の方は長刀である。
それは狗奴の心底に在る・・・・剣士への畏敬の念と闘争心の表れであり無意識の行動だった。
ところが剣士は・・・・そんな狗度の行動を打ち砕かんとした。
先ず前方から攻めたエリナの攻撃を正中線上に捌き、そして真っ向から切り下げると狗奴に振り返る。
この時に狗奴は長刀を既に鞘から半分以上も抜いていたが剣士の方が速かった。
見れば剣士は左足の親指を軸にして回転しており、既に剣は抜かれているので後は・・・・振り下ろすだけの動作で済む。
ズバッ・・・・・・・・
狗奴は自身が真っ向から斬り殺された残像を見た。
もっとも剣士の剣はギリギリの所で停止していたが・・・・狗奴は確かに己は死んだと悟ったのである。
「・・・・参りました」
狗奴は長刀を鞘へ戻し深々と頭を下げて己の負けを認めた。
「いいえ、私も危うかったですよ」
貴方が中脇差を抜いていれば・・・・この距離では危うかったと剣士は言うが、眼は狗奴の心中を読んでいた。
『私と戦いたいのですか?』
「・・・・・・・・」
狗奴は剣士の眼を真正面から見たが声は発しない。
いや、出来ない・・・・・・・・
この剣士とは戦いたいが己に今、課せられた命令は・・・・破れない。
自分に課せられた命令はエリナ・ルシアンことサルバーナ王国第一王女であるエリーナ・ロクシャーナの護衛だ。
そして横に立つ忠実だが血に飢えた狂犬であるハイズ・フォン・ブルアの枷役である。
エリナ自身はハイズを庇い立てするが、狗奴を始めとした者達から見ればハイズは「歩く刃」みたいな代物でしかない。
しかも並みの刃など足元にも及ばないほど鋭利だから使い方次第では存分に力を発揮するだろう。
ただし・・・・何時その鋭利な刃が己に向けられるか分からない。
これほど扱い難い代物は無い程だ。
もっともハイズ自身はエリナに対し、その鋭利過ぎる爪牙を向けるつもりはないと公言し、もしあるなら自分で自分を殺すとさえ断言している。
それでも・・・・疑ってしまうほどハイズと言う刃は血を吸っている。
だから自分の主人であるブロウベ・ヴァルディシュ辺境子爵は枷役に命じたのだ。
ブロウベ・ヴァルディシュ辺境子爵の命令は絶対である。
何せ母を亡くして幼かった自分を引き取り今まで育ててくれたのは他でもないブロウベ・ヴァルディシュ辺境子爵だ。
『お前は、今日から俺が育てる。お前の母親には色々と俺も世話になったからな。それに・・・・その耳は、レイウィス女王陛下が俺の先祖に与えた犬と同じだ』
その耳を持つ者を蔑ろにしては罰当たりと言って今まで育ててくれ・・・・汚れ仕事を命じるようになったのも狗奴自身が志願したからである。
少しでもブロウベ・ヴァルディシュ辺境子爵の役に立てるなら・・・・・・・・
これが狗奴を血と泥に塗れた暗黒世界に足を踏み入れさせたのだ。
そして彼は今も命令された仕事をこなしているが、そこに剣士が現れて己の心を揺さ振り出した。
剣士は魅力に溢れており狗奴は自分の気持ちを抑えるのに限界が近い事も自覚し始めたが、それすら剣士は読んでいたのか・・・・・・・・
「エリナ殿、これから貴女は旅を続けるでしょう。私も長居は出来ない身なので教えるだけ教えさせて頂きます」
かなり厳しいが、と剣士は区切って言うがエリナに迷いはなく頷いた。
それに釣られて他の者達も頷き、最終的には狗奴も承諾したが・・・・やはり剣士に懐かしさ感じ、そして戦いたいという闘争心が消える事はなかった。
これこそ剣士の宿命にして性と言わず何と言うのだろうか?