春日井家の人々とモブ其の一
「帝様、そろそろ遥香様がお着きになる頃かと」
広い部屋の隅で、メイドがポケットから取り出した懐中時計を見ながら言った。
「ああ、先に案内をしていてくれ。私も後から行く」
帝様と呼ばれた男はスーツに腕を通しながら振り返らずに答える。男は歳は四十手前だが、口髭と鋭い眼差しからかなりの威厳を醸し出している。
「かしこまりました。ではお客様をリビングにお通しいたします」
メイドは軽く会釈をして部屋を後にした。男が着替え終わる頃、窓の外からヘリの音が近づいてきた。
「ふふふ……さて、どんな出迎えをしてやろうかな……」
男はこれから始まる宴に胸を踊らせながら笑みを浮かべた。
「改めて紹介しますね。普段から運転手もしてくれているのでご存知かとは思いますが、うちの執事の弥富さんです」
遥香は隣に立っている執事を紹介した。弥富は二十代後半で背が高く、涼しげな顔立ちをしていた。
「ご紹介に預かりました、お嬢様のお世話をさせて頂いている弥富と申します。みなさんこれからもお嬢様のことをよろしくお願いします」
弥富は深く会釈をすると、礼那に握手を求める。礼那がそれに応えようと手を差し出した瞬間、礼那は悪寒が走りその手を止めた。
「礼那さんと巫女さん、弥富さんはロリコンなので気を付けてくださいね」
礼那の悪寒の原因はこれだった。身の危険を感じたのだ。
「ちっ!」
弥富は明らかに邪な気配を漂わせて舌打ちしたが、すぐに笑顔に戻り会釈をし直して遥香の傍に戻った。
(舌打ちした!)(なにか狙ってた!)(姉さん逃げて!)
みんなの心の声が木霊した……
「大丈夫ですよ。私はロリコンですがあくまで遠くから愛でるだけですから」
弥富はにっこり微笑んだ。
「嘘だ!」「さっきなにかしようとしただろ!」「巫女!俺の後ろにいろ!」
今度はみんな声を出して抗議した。だがそれは無駄に終わった。
「お帰りなさいませ、遥香様」
「あ、ちょうど良かったです。みなさんこちらは鳳来小牧さん、うちのメイドさんです」
「みなさん初めまして、私は春日井家のメイドをしております、鳳来小牧と申します。これから皆様のお世話もさせていただきますのでよろしくお願いします」
これまた深々とお辞儀をしているそのメイドさんは、歳は二十代前半くらいだろうか。黒のロングスカートのワンピースに白いエプロン、メイドカチューシャに革のブーツというリアルメイド服に身を包んで…いなかった。ピンクのメイド服はミニスカートで白いニーソで飾りの多いカチューシャというメイド喫茶風の出で立ちだった。要はメイドさんのコスプレをしているリアルメイドさんだ。
(ややこしい!)
「小牧さんは本気でお父様の妻の座を狙ってるんですよ。この衣装もその一環らしいのです」
遥香はいつもの笑顔を絶やす事なくとんでもない事を吐いた。
「それは遥香的にありなの?……」
あまりに突然の話につい湊が聞いてしまった。
「はい、私のお母様は私が産まれてすぐに亡くなっているので自由恋愛ですよ。それに小牧さんは財産狙いではないので問題ありません」
「ああ……そう……」
皆は次々飛び出すそこそこ複雑な話に口をつぐむしかなかった。
「はい、なんでしたら今日にでも破産してくれたらその弱みにつけ込んでしまいたいとさえ想っております」
「はあ……そうですか……」
「さて皆様、お疲れの事と思いますのでお茶を用意致しました。どうかリビングでお寛ぎくださいませ」
何事も無かったかのように続ける小牧に一同は促されるまま家の中に入る。外観も中世の城のようだったが中もそうとうなものだった。巨大な絵画を始め、武流のような一般人から見ても高価だとわかる品のいいインテリアが並んでいる。その廊下からリビングに入ると、これまた一段と品のいい調度品に彩られた部屋に圧倒された。
みんなが言葉を失っていると、今度は後ろから声をかけられた。
「みなさんようこそ春日井家へ!」
声の方を見るとスーツ姿のいかついおっさんがサンバの羽飾りを背中に背負って立っていた。
「……帝様……少し早いです……やり直してください」
「む……そうか……」
帝様と呼ばれた男は明らかに当主と思われるが、小牧に言われてすごすごと部屋を後にする。小牧はリビングの大きな扉を後ろ手に閉めてにっこり微笑んだ。
「さぁみなさん、お茶でも飲んでお寛ぎください」
「いいよ!入ってきてもらってよ!出落ちをやり直されてもリアクションできないから!」
たまらず翔が叫んだ。まだ学校を出て一時間程しか経っていない。だが翔だけでなく全員が、次々現れるそれぞれ微妙に意味合いの違う別世界の空間にお腹いっぱいだった。




