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8話「一騎打ち」

 王竜王は、ゆっくりと、アールへと振り向いた。

 その口から、低い、耳障りな声が響く。

「未だ動けぬ我が子を殺し、数に頼んで我が妻を殺し、自らが助かるために同胞を見殺しにする矮小な人間が、我に一騎打ちだと?」

 シャイナが驚いた顔をしている。王竜王が喋ったことが不思議でたまらないらしい。

 声とは、音の波だ。王竜王ほど長く時を生きていれば、重力魔術を用いて、人間と意思疎通できるレベルの会話は出来る。

 王竜王は、それに感情を乗せることすらできるらしい。

「思い上がるな! 貴様ら人間に最低限の礼儀すら持つ必要なし! 作法も礼法もいらぬ! 赤子、妊婦に至るまで皆殺しにしてやる!」

 激昂して、目の前のちっぽけな少年を見下ろす。

 アールは、ただ静かに剣を持ち上げる。

「ならば、それでよし。後の世に狂う暴竜を退治した剣士として、我が名が残るのみ」

 聞いた事のないアールの芝居がかった口調に、フラウは背筋を振るわせた。

 剣先が王竜王を向く。

「怒れる竜よ、いかな理由があれど、我が剣は引かず」

 アールの体から、異様な気配が立ち上り、王竜は口をつぐんだ。


「右手に剣を」

 右手に持った剣が持ち上がり、先が天を向く。

「左手に剣を」

 左手が、剣柄を持つ。


「両の腕で齎さん、有りと有る命を失わせ、一意の死を齎さん」

 両手持ち。大剣を大上段に構える。

「不治瑕北神流、アレックス=ライバック……参る」

 

 ちっぽけな人間に、しかし王の名を冠する竜の中の王は動けなくなる。

 間合いに入れば一撃で己の首を切り落とされると確信する。

 目の前にいる人間は、他の個体とは違った。明らかに異質な存在だった。

 王竜王は、この感覚を過去に一度、味わっていた。

「ライバック……?」

 聞き覚えのある名前だった。


 ★


 シャイナは瞠目する。アールの剣の腕は立つと見切っていた彼女だったが、まさか、王竜王をも威圧するとは、想像以上だった。

 そして、彼の流派。一度だけ、彼が鞘を移動させるのを見た時の既視感。それもそのはずだ。北神流はシャイナの扱う流派であり、あの技は北神流の秘技、右で剣を抜刀し、左で鞘を移動させ、斬り返さずで納刀まで済ませる、最速の抜刀術。二十重抜刀。

 さらに、北神流の上についた冠名詞。

 不治疵。

 北神流とは、その名の通り、北神カールマンの残したとされる流派である。既に本筋の流派は無く、剣術よりも、その生き方。戦い方こそが流派の主体であるとされている。シャイナの使う多くの技も、北神の編み出したものではなく、その理念によって後世の剣士が生み出したものだ。

 だが、不治瑕北神流は毛色が違う。

 それは北神が、とある魔王に直伝したとされる、幻の剣術だ。

 北神英雄譚によれば、それは不死の魔王を倒した剣術であり、また別の伝承によれば、不死の魔王が北神より授かった剣術。不死の魔王が扱ったがゆえ、不死王剣とも言われる。北神の伝承の矛盾を象徴するような剣術だ。

 誰も見た事のない、でも名前だけは知られている、幻の剣術。

 北神英雄譚によると不治瑕北神流は、その不死の魔王を倒すためだけに北神が編み出した剣術とされている。

 また別の伝承によると、不治瑕北神流は、不死の魔王が北神の使った剣術を真似たものであるとされている。

 どちらにしろ、巷の北神流が北神の生き方の模倣なら、不治瑕北神流は技の模倣だ。

 謎が多い所か、存在自体が疑わしい剣術。

 その実態を見たものなどいないが、ある一言は、どの伝承にも残っている。

『曰く、その太刀にて負わされし疵、不治なり』

 意味する所は一撃必殺。

 不治瑕北神流とは、一撃で命を消し飛ばす、無慈悲なる剣。

 現在、北神のいない今、その剣術を使える者は、北神の教えを受けたとされる不死の魔王ただ一人しかいない。不死の魔王は、多くは語らない。

 そこから導き出される答え。

 アレックス=ライバックは魔王である。


 そんな馬鹿な。ありえない。

 不死魔王アトーフェは女だ。いくらシャイナが魔族に詳しくなくとも、男と女を間違えたりはしない。

 だが、ありえないとしても、彼が魔王だとしたなら、かの王竜王をも打倒しうるのではないか。

 いや、しかしながら相手は大昔に中央大陸を滅ぼしかけた魔神の手先で、戦の報奨に山を貰った最強の生物。竜。

 しかも竜の中でも個体での戦闘力は最強と名高い王竜。

 さらに王竜の中の王。

 王竜王カジャクト。

 その実力は、数百の魔王と同等。

 劣勢なのか、優勢なのか、誰にも分からない。

 分かろうはずもない。



 カジャクトが、慎重に口を開く。思う所があった。

「不死魔王アトーフェの血を引く者とお見受けするが?」

 アールが答える。

「いかにも、我は不死魔王アトーフェが一子にして、北神ライバックの息子……」

 たった三人しかいない観衆の息を呑む声が聞こえる。

「なんと、やはり!」

 王は確信を持った。

 数百年前に肩を並べて戦った戦友である不死魔王が、数十年前に倒されたという噂を聞いた。倒したのは、北神という人間族の男。らしいが、噂は噂、不死の魔王は息災であり、その魔力に一片の衰えもなし、という事実をカジャクトは知っていた。

 不死の魔王とは盟友として長い交流があった。

 かの不死の魔王アトーフェが剣術を習い始めたと聞いた時は、カジャクトは首をかしげたものだ。程なくしてアトーフェが子を産んだと聞いて、仰天したものだ。

 あのお転婆、自分より強い者以外には体も心も許す気は無いと言ってけたたましい笑い声を響かせていた美しき魔王は、魔王であるがゆえに高嶺の花で、魔神でなければ相手にしないと公言していた。

 一体どこの魔王が、かのアトーフェを骨抜きにしたのか、竜の王は興味本位に調べてみたものの、その存在は靄の中。朧げにすらわからなかった。

 さらに十数年後、王竜王カジャクトに一騎打ちを挑む男の存在があった。

 名を、北神カールマン=ライバック。

 彼との決闘は記憶に新しい。妖族の英雄ランシャオ以来の強敵であった。

 素早い身のこなしに、人間とは思えない圧倒的な攻撃力。

 生死を分ける一撃で、かの北神が一瞬の躊躇さえ見せなければ、王竜王は生きていない。

 死の間際、北神は「息子の顔がちらついた」と、言い訳めいた言葉を、傍らに引き連れた吟遊詩人に残した。

 後日、不死魔王アトーフェから、恨み言めいた言葉が送られてきた。

 カジャクトにはその言葉がなぜ送られてきたのか、当時はよくわからなかった。

 北神と不死魔王の関係など、深くは考えなかった。

 だが、今確信した。

「失礼仕った。見識改め、全身全霊を持ってお相手する」

 こやつは、二人の息子だ。

 アトーフェを骨抜きにしたのは、あの凡弱そうな顔をして大木を縦に両断する剣技を操る人間族の剣士だったのだ。

 今目の前にいるのは、戦友と強敵を掛け合わせた無敵の剣士だ。

 北神カールマンの剣術と不死魔王アトーフェの不死性を兼ね備えた、無敵の剣士だ。

 

 ★

 

 アールこと、アレックス=ライバックの目的は英雄になることである。

 英雄そのものに羨望を抱いているわけではない。

 母に繰り返し、正伝である北神英雄譚を聞かされ、英雄という存在に羨望を抱いていたのは確かである。アールの知る英雄とは北神の事であり、今は亡き父のことである。父を尊敬するのは息子の義務だと、今でも思っている。

 父は強かったらしい。母に瀕死の重傷を与えたのは長い年月の中で父だけだと言う。

 母が生きているのは、父が見逃したからだ。

 北神は優しく、そして正義の男だったと言う。

 例え、過去にどれほどの悪事を働き、世間的に悪者として認定された者だろうと、その者の行動に、一欠片でも正義を認めれば、絶対に殺しはしなかった。

 北神に伝わるいくつもの逸話。

 それらは全て、本当のことである。

 ただし、どの章も最後の一説だけ違う。全てを打ち倒して殺したわけではない。北神は相手が改心すれば、決してその命を取らなかった。ゆえに、ホラとして語られる事が多いが、未だ生きる当事者たちは、口を揃えて彼こそが英雄だと言う。

 岩王、不死魔王、前ミリス教法王……誰もが口を揃えて北神を英雄だと言う。

 だが、北神は英雄になり損ねた。

 北神は誰も倒していない、最後の最後で王竜王に負けたから、英雄にはなれなかった。

 だから、世間では北神の英雄譚を笑い話で済ませるのだ。

 アールにはそれが許せない。

 父は正しく英雄であった。唯一人で世界を旅し、己の信じる正義のために剣を振るった。その英雄が笑われるのは許せない。

 母はそれでいいと笑った。

 北神は誰かに認められるために戦ったのではないと笑った。

 しかしアールは知っている。

 王竜王を倒そうとしたのは、息子のためだと知っている。

 アールは魔族と人間族のハーフであり、どちらかというと母、魔族の特徴を色濃く受け継いで生まれてきた。そのため父は、アールが人間族から迫害されぬよう『人間族の英雄の息子』という付加価値をつけてくれようとしたのだ。

 だが、父は負けた。アールは英雄の息子にはなれなかった。

 成長してからは人間族の特徴が色濃く現れたお陰で、人間族からも魔族からも迫害されることは無かった。

 母は幸いだと笑ったが、アールは笑えなかった。

 アールは父の死が無駄になったと感じていた。

 数十年の年月の中で、アールが父と触れ合ったのはたった数年だ。

 魔族の寿命は長く、人間族の寿命は短い。アールはその中間しか生きられないかもしれないが、それでもいつしか父より年上になっていた。

 父との時間はアールの心の中で色濃く残っている。

 アールと接するときの父は、北神カールマン=ライバックではなく、一人の子煩悩な父親であった。人としての生き方は父から教わったが、剣術は全て母から学んだ。

 アールの知る父には、母や他の連中が語るような勇ましさはない。

 そんな父が、何を目指して世界を旅し、数々の強敵たちと戦い、打ち破り、しかし命を奪わずに旅を続けたのか。

 アールにはそれが、なんとなくわかる。言葉にできない。なんとなくだ。

 父は英雄になりたかったわけではないのだろう、しかしだからこそ、父こそが、精神、肉体共に、真の英雄と呼ばれるに相応しい人物であるのだ。

 今の北神英雄譚は許せない。

 父の死が無駄だったなど、許せない。

 二つの思いを原動力に、行き着いた思考の果ては英雄の二文字だった。

 アレックス=ライバックの目的は英雄となることだ。

 父のように生き、北神カールマン=ライバックという英雄が、確かにこの世に実在したという証を残すことだ。

 北神と名乗り、英雄となる。

 それによって、北神英雄譚は生まれ変わり、父の死が無駄ではなかったと証明される。

 そのためにはまず、父が倒し損ねた最強の王竜、カジャクトを倒し、北神英雄譚の最終章を本物とし、自ら北神を名乗る所から始めなければいけない。

 それが、アールが英雄になりたい理由である。


 ★


 戦いは始まっていた。

 竜と人、どちらもにらみ合ったまま動かない。

 大上段に構えたアールと、首を低く猫のように構えるカジャクト。

 何も知らぬ素人が見れば、何をしているのだろうと首を傾げることだろう。

 本来、竜と人との一騎打ちというのは、圧倒的な火力を持つ竜に対し、人間はそれを回避し、小さな攻撃を積み重ねていくものだ。

 人間の一撃では竜に致命傷を与え得ない。

 竜の一撃は人間には防御しきれない。

 以上による単純明快な理由により、竜は攻めるし、人間は避ける。

 だが、現在そんなセオリーは、まるで通用しない。

 アールがかつて言った「攻撃力が足りない」の言葉の意味を、チキとシャイナはようやく理解できていた。アールの斬撃は、不治瑕北神流、魔王殺しの斬撃だ、王竜を一撃で絶命させうる。

 なるほど確かに、それだけの攻撃力を持っていなければ、この偉大なる王竜は倒せまい。

 さらにアールの肉体は、不死魔王の肉体だ、竜とはいえ牽制程度では絶命しえない。

 不死性を持つアールを倒すためには、王竜は渾身の一撃を持ってその体を消し飛ばさなければならない。

 竜の一撃であっても、アールを消滅させうる攻撃力を持つ技は少ない。

 以上の点に置いては、この勝負は拮抗していると言える。


 ★


 カジャクトは己を客観視する竜だ。

 重量と魔力の大きさで圧倒的優位を持つ王竜王カジャクトだが、渾身の一撃に失敗すれば、あっさりと命を落とすことだろう。迂闊に攻めることができない。まだ記憶に新しい、北神との戦いがカジャクトの脳裏によぎる。あのぞっとするような斬撃。一度身をもって味わったカジャクトに、軽々しく身を躍らせる勇気はなかった。

 だが、アールの側から見ればそれは同じはずだ。ただの王竜ならまだしも、カジャクトの硬皮はそう易々とは破れない。過信はすまい。父が殺しきれなかった王竜を、剣術で劣るこの少年が簡単に倒せるとは思わない。

 互いに、狙うのは一撃必殺。

 違いすぎる間合いの探りあい。

 アールは数センチ単位でジリジリと間合いを詰めていく。

 これは既にカジャクトの間合いである。しかしカジャクトは手を出せない。脳裏によぎるのは、北神との対決。迂闊に出した牽制を凶悪なカウンターで返された時の痛み。二度と戦いたくないと思ったのはカジャクトが生まれてからたった一度だけだ。

 その貴重な体験を元に考える。

 北神とは人間とは違う生物だ。竜が死ぬような一撃を持つ輩は人間ではない。

 人間でないのなら、人間と戦う時のような思考は捨てるべきだ。破壊的な魔力を持つ魔王と戦うと考えるのが一番いいだろう。

(そういった勝負では、先に動いたほうが負ける)

 カジャクトがそう考えた次の瞬間。

「まずは一手……馳走」

 アールが自分の間合いに入るや否や、仕掛けた。

 凄まじい殺気が押し寄せる。カジャクトの毛穴という毛穴が開ききる。

 神速の踏み込み、人間はかくも速く動けるものか。

 下半身の運動力が上半身に移行し、肩を伝わって腕へ、腕から剣へ、剣先が消える。

 カジャクトに剣先の行方は見えなかった。

 ただ、動けなかった。

 思考の間隙を縫って動かれることで恐怖が先行し、体が付いていかなかった。

 だというのに、生きていた。

 一瞬後、自分の首がまだ付いている事に驚いた。無意識中に防御したのか、馬鹿な。

 フェイント。

 そう、フェイントだったのだ。

 そうだろう、カジャクトが思った通り、先に動いたほうが負ける戦いで、迂闊に全力攻撃を仕掛けるほど、この少年は安くは無い。

 読み通りだが、カジャクトの心に小さな苛立ちが生まれた。

 自分はフェイントを読みきったのではない。動けなかったのだ、と。

 重力魔術を集中させる防御すら間に合わなかった。もし、あれがフェイントではなく、カジャクトの首を狙った渾身の一撃であったなら、既に勝負は決していた。

 カジャクトはアールの目を見る。

 迷いのない目だ。かの英雄ランシャオを彷彿とさせる、戦況をただ冷静に見つめ、冷酷な一手を打つ者の目だ。

 あれほど見事なフェイント技を持つ相手だ、恐らくは、カジャクトが反応できなかったことになど気付いているのだろう。

 だというのに、慢心が生まれていない。

 フェイントを行って、結果的に相手が動かなかったのなら、それはフェイントが失敗したのと同じこと。悔やむことなどなく、フェイントが失敗することなど最初から念頭においていた、そんな顔だ。

 その胆力に、カジャクトは戦慄した。

 

 ★


 アールはジリジリと歩を詰めていく。

 覚悟は決めてきた。この日のために自己暗示を掛けてきた。自分の剣は絶対最強で、王竜王を倒すことができるのだと、ただ無根拠に自信をもってきた。

 だが、見よ、この王竜王カジャクトの巨体を。獣とは思えぬ肥大化した筋肉を。山一つ吹き飛ばせそうな溢れんばかりの魔力を。王竜にあるまじき隙の無い構えを。

 アールは一撃で済ませる腹積もりだった。

 自分と一騎打ちをすれば、かの王竜王は他の王竜と同じように緩慢な動作で足を振るい、火炎ブレスを溜め、力で制圧するだろうと考えていた。

 不死性を持つ自分の体なら、相打ち覚悟で突っ込めば、それに耐えつつ一撃必殺のカウンターを叩き込むことが出来ると考えていた。

 それで勝てる、簡単だ、と。

 甘いとしか言いようがない。

 無根拠の自信といいつつも、こんな甘い根拠に捕らわれていた。

 だからこそ、アールの間合いに入ってなお動かない王竜王を見て、アールが攻撃のモーションに入ってなお動かない王竜王を見て、アールは攻撃を止めた。

 不治瑕北神流にフェイントは無い。

 なぜならそれは不死の魔王が扱う剣だからだ。

 フェイントとは、相手の防御を崩すための技術だ。

 不治瑕北神流は、そのガードごと相手を叩き斬る剣術だ。

 唯一弱点があるとすればカウンターに弱いことだが、アールは不死魔王の無限とも言える防御力と耐久力を持っている。カウンターを取られようが何をしようが、相手の行動を考える必要が無い。カウンターを貰いつつも反撃を行い、勝利することができる。

 あるいは、アールの知らない父の北神流では、フェイントという技術も高度なレベルで存在したのかもしれない。

 だが、不死魔王アトーフェにとって、それは不要だった。カウンターをものともしない防御力と耐久力を持つ彼女は、純粋に攻撃力の部分だけを抜き出すだけでよかった。

 ゆえに、アールの扱う不治瑕北神流には、フェイントなどという技術は存在しない。

 奇しくも先の動作がフェイントになってしまったのは、単なる偶然だ。


 その偶然が、勝負の行方を定める。


 王竜王カジャクトには、不死魔王アトーフェを一撃で殺しきれる攻撃力がある。

 だからこそ、カウンターを恐れた。相手がフェイントを駆使してくるならなおさら、自分から動くことは出来ないと思ってしまった。

 フェイントと、実際の攻撃の見極めこそが勝負を喫する。

 カジャクトは防御のために魔力を前面に集中させた。

 守りに入った。


 ★


「おいおい、マジかよ……」

「こいつぁ、スゲェことになってますねぇ……」

 洞窟の入り口で固唾を呑んで決闘の行く末を見守るシャイナの隣に、いつしかバルコルと青豹が現れていた。

 彼らは互いの体を支えあうように肩を貸し合い、足の治療もそこそこ、王竜王がシャイナたちを追ったのをチャンスとばかりに、この死地から逃れようと洞窟を出てきたのだ。

「あのだんな、よく見りゃあ、アトーフェ領の若旦那じゃないですかい。不死魔王の血族と王竜王カジャクトの一騎打ちたぁ……こいつを生で見たとあっちゃ、末代まで自慢できますよ」

「生きて変えれりゃあな、あのボウズが負けちまったら俺らも……」

「まぁ、この足じゃどのみち逃げきれやしねぇんですから。見ていましょうや。どっちが勝つにしろ、こんな面白いもの滅多に見れるもんじゃねえんですから」

 シャイナはそのやりとりを横目で見ながら、視線を前に戻した。

 わくわくする、と言うと場違いに感じるかもしれないが、竜との一騎打ちというのは剣を習った者なら誰もが夢見る御伽噺だ。バルコルのような適当な剣術を扱う者でも、青豹のように盲人剣まで習得した達人でもそれは変わらない。

 男は、いつまでたっても男の子だ。

 目の前にあるものが現実離れしていても、やはり目を輝かせてしまう。

 男の子ではないシャイナの心中には、そういった感情は無かったが。


 ★


 アールは攻める気でいた。

 カウンターが何であろうか。迂闊であろうが、見通しが甘かろうが、自分には攻めるしか無い。覇気で負けては、攻め気で負けては、この王竜に勝てるはずもない。

 ジリ………。

「………」

 さらに間合いを詰める。

 剣先が届く程度では、まだ遠い。一撃で仕留めたければ、掌が届くぐらいの距離まで詰める必要がある。

 細心の注意を払いながら、ミリ単位で距離を詰めていく。カジャクトが動けば、いつでも反撃に移れる体勢を維持したまま、距離だけを詰めていく。

 カジャクトの間合いは既に死んでいる。

 アールには、かの王竜王の意図が読み取れていた。

 重力魔術による防壁で斬撃ごとアール弾き飛ばし、自分の間合いに引き戻した上で、空中にいる無防備な獲物を、最大攻撃力による火炎ブレスで焼き尽くすつもりだろう。

 この構図は、北神がカジャクトと戦った時と同じだ。

 アールと違うのは、北神が普通の人間族であり、この構図になった時には王竜王は後ろ足を含む体の各所に重い傷を負わされ、身動きが出来なかったという点だろうか。

 恐らく、北神がよく王竜王を研究し、前日までの綿密な戦略の組み立てとイメージトレーニングによって為しえた快挙だ。四肢を潰し、間合いを潰し、あとは重力魔術による防壁だけでは防ぎきれない斬撃で首を叩き落すだけ。

 そこまで追い詰めておきながら、北神は詰めを誤った。

 否、王竜王カジャクトが一枚上手だったというべきか。

 絶体絶命の状況で、本来防御と移動に使う重力魔術を攻撃に使い、起死回生の一打を放った。抜群の戦闘センスが為せる技だ。

 あと一歩、いや半歩、いや数センチでも深く踏み込んでいれば、北神が勝利していた。

 それぐらい絶妙な駆け引きだったのだろう。

 でなければ、かの王竜王カジャクトが亀のように縮こまって防御を固めるはずがない。

 恐れているのだ。

 王竜王とて、知性ある生物だから、死が恐ろしくないはずがない。

 大切なのは見極めだ。

 ほんの数センチ、間合いを誤るだけで天秤は大きく傾くのだ。

「………」

 王竜の心臓の音が聞こえる。

 力強い鼓動だ。

 これから、この音を止める。

「………!」

 そう思った時、王竜がほんの僅か、頭の位置を上げた。竜にとってのほんの僅か、五十センチほどだろうか。スッと、音のしそうなほど、鼓動に乗って、息を抜くかのような、自然な動き。

 それだけで。

 アールの間合いが死んだ。


 アールの構えは大上段だ。剣先と同じぐらい高い位置にいる相手を斬るためには、一足一刀の間合いから飛び上がって斬らなければならない。

(下がって仕切りなおすべきか……)

 いやだめだ。

 それではだめだ。

 戦略的にはありかもしれないが、だめだ。

 気持ちが負ける。

 不利な状況に陥る度に下がるのか。

 そんな逃げ腰で勝てる相手なのか。

 否!

 それに、まだ絶望的ではない。

「………」

 アールは肩の力を抜いた。剣が落ちる。反時計周りで、カチリと音がするように、剣先はアールの右下、五時の方向を指した。

 北神流順法下段構え。

 相手が頭を上げたのなら、下に開きが出来る。剣を寝かせ、もぐりこませて斬る。

 そのために、さらに間合いを詰める。

 次、もし頭を下ろしたら、その時は逃さない。不治瑕北神流にはその技がある。

 もし、もっと頭を上げるようなら、硬皮に守られていない腹に剣が届く。

「………」

 じり、とアールは歩を詰めた。

 王竜はキスできそうなぐらい目の前だ。

 史上、これほど生きた王竜に接近した人間はいないだろう。

「……」

 鼓動が静かになっていく。

 もう、なにも、聞こえない。

 いける。


 ★


 この瞬間のことを、生涯忘れる者はいないだろう。


 ★


 距離が詰まった。

 時間が来た。

 限界まで引き絞られた弦が解き放たれるように、アールの剣先が跳ねあがる。

「……ぁっ!」

 その声は誰のものだったろうか。

 小さな叫びを誰かに上げさせるほど、微妙な動き、王竜がアールの剣に合わせて首を上げたのだ。

 間合いは死なない。ぐっと踏み込まれた右足から伝わった斬撃はその程度の動きでは逃げ切れない。

 そんなことでは、間合いは死なない。死の剣からは逃げ切れない。

 まだカジャクトの動きは止まらない。

 首を上げると同時、全力の重力魔術が展開される。真下に向けて。

 アールの剣が魔力の奔流をいともたやすく切り裂きながら、しかし圧倒的な重力は体を軋みあがらせる。

 だが、だが、だが死なない、間合いは死なない。その程度では北神の練り上げた至高の剣は止まらない。

 死の斬撃が、時間そのものを切り裂いているのではないかと思える速度で、迫る。

 剣先がカジャクトの首下に触れる。

(勝った!)

 誰かがそう確信した瞬間だ。


 ずるりと。

 ほんの数センチ。

 アールの足が、滑った。


 ★


 誰も気づいていなかった。

 あるいはこれが人間と人間の戦いであったなら、アールとて最初から考慮にいれていたかもしれない。

 竜と人間、圧倒的な戦力差。勝つにしても負けるにしても、その勝因、敗因は大雑把で曖昧になる。

 小さな要因が勝敗を分ける事は、ほとんどないといっていいだろう。

 だからこそ、だからこそ。


 だからこそ、雨で足元がぬかるんでいるという事実に目を向けるものはいなかった。


 人は、巨大なものを前にすると小事がどうでもよくなることがある。

 こんな小さな事を、ギリギリで利用されるとは思ってもみない。まして、互いに一撃必殺、カウンターを狙いあった場面でこうなると、誰が予想できよう。

 文字通り、足を掬われた。

 ギリギリの勝負になると踏んで、小さな変化も見逃さなかった王竜の方が二手も三手も上手だった。あるいは、それがカールマンやランシャオとの経験によるものなのかもしれない。強敵との経験が、二手先、三手先を読ませたのだ。

 アールとて、この程度のぬかるみに足を取られるような鍛え方はしていない。

 滑ったのも、ほんの数センチ、いや数ミリにも満たない。

 だが、それで十分だった。

 今、カジャクトの目には体勢の崩れたアールの姿が映っていた。口内に火をともす。目の前の敵を焼き尽くすのに一秒もいらない。

 渾身の火炎ブレス。

 体内の発火器官によって発生され、魔力によって増幅される紅蓮の炎は、かの不死魔王アトーフェすらも一目置くほどの威力を持つ。

 一撃必殺。

 それ以外では不死魔王の血族を仕留めきれないことをカジャクトは重々に理解していた。

 回避は間に合わない。

 決闘は王竜王の勝利で幕を閉じるのだ。


 ★


 遠来のような爆音。

 続いて上がる、遠くに燃える赤い火柱。

 真昼かと思えるぐらいの火に顔を炙られ、ファン=リーは顔を上げた。

 ぽつりと呟く。

「拙者も見にいけばよかったでござるなぁ……」

 それを耳ざとく聞いたハオロンが、それなら、と声をかけた。

「行けばいいではないですか」

「拙者には監督責任があるでござるからなぁ……」

 武術団体『鳳凰の巣』の面々は撤収を始めていた。

 彼らは修行が目的だ。王竜王とは「絶対に勝てないから戦うな」と厳命されている。

「ほれ、帰るでござるよ、拙者ホームシックでござるから……ああ、はやくオヤジ殿に会いたいでござるなぁ」

 芝居がかった調子でハオロンを促して、ファン=リーは山を降りる。

 もう少し若ければ、自分もあの場にいて、アールの援護をしていただろう。

 だが、ファン=リーは知っている。

 今のアールには、既に仲間がいるのだ、と。

 

 ★


 アールは熱を頬に感じながら、呆然としていた。

 生きている。

      何故? 

 燃えてる? 

   はずした?         誰が?

  馬鹿な?      人?    黒色? 

    王竜王?           侍女服?

 混乱した頭を振って、自分に覆いかぶさっている何かを見る。

 それは人だった。

 黒い髪は端の方がちりちりと焦げ、ボロボロにひび割れた鎧は背中の部分が砕け散り、酷い火傷の跡が見えている。体から上がるのは湯気だろうか、それとも煙だろうか。

 ボロボロのシャイナと目が合った。

(…………)

 シャイナは、何か、口を動かして気絶した。もはや、言葉を出す力も残っていなかったのだろう。

 アールは瞬時に理解した。

 彼女が、救ってくれたのだ。

 そう分かると、アールの心中にジンワリと温かいものが湧き上がった。

 余計なことを、と思わなくもない。

 神聖な一騎打ちを邪魔されたのだ。

 騎士として、これほどの侮辱はない。

 だというのに、湧き上がったのは温かい気持ちだ。

 アールの心中にあるのは苛立ちや怒りではなく、感謝だった。

 彼は命を救われたことに素直に感謝していた。

 これで、まだ闘えるのだ。

(一騎打ちで仲間に助けてもらって、まだ闘うとは、恥知らずですね)

 シャイナを脇に寝かせて立ち上がると、右手に持った剣がやけに軽かった。

 実家から持ち出した大剣は根元からぽっきりと折れていた。アトーフェが人魔大戦の時に使った業物。歴史に残るような骨董品だ、仕方が無いのかもしれない。

(母さんに怒られるな……)

 と、ぼんやり考えているといつのまにかフラウが近くに寄ってきていた。

 無言で、アールに対して剣を差し出してくる。

「これ、使って」

 赤い血に濡れた剣を受け取る。聖剣バロウライトのレプリカ。聖騎士団の使っていた剣だ。洞窟内で死んだ騎士のものだろうか。

 フラウはどこで拾ったかの説明はせず、すぐにシャイナの治療を始めていた。

 自分に出来るのは、王竜王と戦うことだけだ。

 そう思い、立ち上がり、王竜王を見て、アールは、震えた。

「……ぁぁ」

 王竜王は瀕死であった。

 顎に突き刺さっているのは折れた斬馬刀。喉から顎にかけて切り裂いており、だくだくと血が流れ落ちている。斬撃は上顎まで達していたのだろう。鼻からも血が噴出していた。

 さらに口から噴出しているのは黒い煙だ。

 恐らく、火炎ブレスを放とうとした時、アールの剣が釘のように顎の上下を縫いとめたため、その一部が逆流し、傷口から内部を焼いたのだろう。

 鼻の奥の神経を焼き、王竜王は視力も聴力も失っていた。

 だというのに、その目は依然として力強く、爛々アールをにらみつけているのだ。気配か、執念か、王竜王はアールがまだなお生きているのを察知しており、虚勢を込めた視線でいつ反撃がくるのかを探るため、全力で視力以外の五感を研ぎ澄ませているのだ。

 おそらく、アールが生きている理由までは知るまい。

 まさか、一騎打ちの最中に無様に仲間に助けられたなどとは夢にも思わず、アールがなんらかの手段で炎を無効化し、今にも反撃に向かって剣を振り上げているのだと思っているのだ。

 いや、あるいはアールが生きていると察知してすらいないのかもしれない。全力の攻撃に失敗し己にダメージを食らった王竜王は、自らの不完全な攻撃では、不死魔王の血族を倒しそこなったかもしれない、と思っているのかもしれない。

 アールの全身が震えていた。

 恥ずかしく、恐ろしい。

 一騎打ちを汚してしまった自分は、なんと恥ずかしい。

 あんな状態でなお戦意を失わぬ王竜は、なんと恐ろしい。

 動けない。

 自分は構えていいのか? 本来なら、自分は今、こうして立っていられないはずだ。

 周囲を見ろ。この黒く炭化した森の後はなんだ? 遠くの方で燃え盛っている、雨によって濡れてはずの乾いた森はなんだ? 王竜王の本気の火炎ブレスは一国を焼き尽くし、東の地に何十年も続く死の荒野を作るのだ。

 一歩でも動けば、もう一度、あの炎が飛んで来るんじゃないのか?

 次は………避けられるのか?

「ぁ……ぅ……」

 カチカチと歯が鳴った。

 恐怖心がアールの全身を縛り上げていた。

 死ぬのが、怖い。

 不死魔王アトーフェの息子として生を受け、不死魔王の血族として、脅威もなく、この世で最も死から縁遠いところで生きてきた。城の最上階から落ちても死なない自分の体に過信を持っていた。

 考えないようにするのは簡単だった。自分は死なない。死ぬほうが現実味のない話だ。そう信じてきたものが、あっさりと崩れた。

 怖い。

 怖いのだ。

 アールの脚力と膂力なら、カジャクトの元へ一歩で到達し、その頭に完全なトドメをくれてやることが出来るだろう。もちろん、火炎ブレスなど撃たせる前にだ。

 だが、足が動かない。

 出来る事が出来ない。

 ああ、まずい。動かなければ、そのうち王竜王の視力も回復するだろう。あれは一時的なものだ。

 そうなれば、アールは卑怯者の謗りを受け、今度こそ殺されるだろう。

 嫌だった。英雄を目指して卑怯者の謗りを受け、父である北神の名に泥を塗るのは、死ぬよりも嫌だった。

 でも、足が震えて動かないのだ。

「おいアール、どうした?」

 アールが目を向けると、そこには小さな火傷をいくつも負ったチキが立っていた。

 相変わらずの丹精な顔立ちで、やけどのせいで一段と男前な顔になっていたが、こんな時でも、彼女はいつも通りの表情をしていた。

 チキはアールの顔を見ると、ハンと鼻で笑った。

「情けない顔だな、今なラ、チキでも勝てそうだ」

「そんな……情けない……ですか……?」

「ああ、殺される直前の成り上がり貴族のような顔だ。今にも命乞いを始めそうだぞ」

 アールは自分の顔に触れた。

 触っただけでもよくわかる。自分は今、泣きそうな顔をしている。

 確かに、情けない顔だ。

「王竜王を見ロ、アール、もう少しだ」

「でも僕は一騎打ちで……」

「馬鹿め。今更になって怖気付いたのか? ベッドの中でチキに語ったあの覚悟はなんだ? あレまで口だけだったなラ、チキは本当にお前を軽蔑しかねんぞ」

 覚悟。

 そうだ、自分は覚悟を決めてきたはずなのだ。

 何が、どうあっても、王竜王カジャクトを倒す、と。

「決闘の作法なんてチキは知ラないが、殺し合いは最後に生きてた方が勝ちってことぐらいは知ってルつもりだ」

「チキさん……」

「誇リだの、名誉だの、そんなしがらみに縛ラレて、お前はあの王竜王カジャクトを殺せルと思っていルのか? 騎士や傭兵は勘違いしていルが、生命はな、誇リや名誉や金よリも重いんだぞ。全部詰まってルかラな」

「……」

「だかラ、この世では何かを殺した者が英雄になレルんだ。そレが出来ないなラ、アール、英雄は諦めロ」

「……いえ、それはできません」

 震えは止まった。

 ここで王竜王カジャクトを倒せば、一対一の決闘を汚したあげく、卑怯者と罵られるかもしれない。そうでなくとも、自分の中のわだかまりは消えまい。一生後悔するだろう。

 その不安は文字の羅列と化した。

 アールは剣を構えた。体から、闘気がわきあがってくる。

「王竜王カジャクト、決闘はあなたの勝ちです。僕は無様にも炎に焼かれ、不死魔王の息子であるアレックス=ライバックは死にました」

「……?」

「これからあなたを殺すのは、北神流の後継者、英雄、北神の一子であり、その理由は仇討ちです。よろしいですね」

「…………」

 一方的で自分勝手な一言。

 王竜王は聞いていたのか、聞いていなかったのか。

 ただ、重い口を億劫そうに開いた。

「……我が死んだら、貴様の母、アトーフェによろしく言ってくれ」

「………はい」

 ★


 王竜王はあの瞬間、ほんの少しだけ、躊躇してしまった。

 重力魔術をたたきつける瞬間、ある人物の顔が浮かんでしまったのだ。

 かつての戦友であり、今もなお盟友であるアトーフェの姿だ。

 人魔大戦の折、彼女に幾度助けられ、また彼女を幾度助けたか。それはもはや貸し借りのレベルではない。あの激しい戦争を戦い抜き、敗北した後にこうして生きてこられたのはお互いの存在と、そして死んでいった友たちのお陰だ。

 その夫を殺したら、息子が現れた。

 もしこの息子まで殺したら、まさか今度はアトーフェ本人が来るのではないか。

 不死の魔王は永命だ。結婚、伴侶といった概念は薄く、愛し合った者を殺されても、文句だけで、復讐に燃えるほどの怒りはわいていないようだったが、己の血まで分けた血族を殺されて黙っているとは到底思えない。王竜王自身がそうであったように、不死魔王領の軍勢を用いて、この王竜山を文字通り崩し、平地にするためにやってくるだろう。

 そこまで考えてしまい、ほんの一瞬だけ、行動が遅れた。

 結果として、アールの剣は喉から上あごまで切り裂き、自分の火炎ブレスで視神経を焼いてしまった。

 その一瞬の躊躇のせいで、ぎりぎりで敵の助けが間に合ってしまった。

 カジャクトは、もし仲間がいなければ、などと言い訳をするつもりはない。

 仲間が助けに入っても死んでいた攻撃が、一瞬躊躇したせいで仲間が助けに入る事で死なない攻撃になった。

 それなら、仲間だって助けに入るだろう。

 カジャクトは人間の作法など知らない。一騎打ちなど、この長い竜生で、たった数度しか経験していない。大抵は、一騎打ちを挑んできた細やかな人間を、大勢の竜で押しつぶすか、大勢できた人間を一人で押しつぶすか、どちらかだった。

 だから、今更、邪魔の一つや二つ入った所でとやかく言うつもりなど、毛頭ないのだ。

 自分の死に様にしては綺麗過ぎるほどだ、と思う。

 山頂で孤独に骨となるか、若い雄に王の座を奪われ、東の荒野で砂虫に食われるか、突然やってきた天災に命を根こそぎ引っこ抜かれるか、そのぐらいだと思っていた。

 渾身の駆け引きを行ったうえ、勝利した上で死ぬなら、悪くない。


「掛かってくるがいい」

 


 こうして、王竜討伐は幕を閉じた。

 決闘は王竜が勝ち、生き残ったのは北神だった。

 新たな伝説の幕が上がるのだ。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 殺さない力比べの尊さを知りました。カジャクトはカールマンに殺されるほどの悪事をしたのでしょうか。カジャクト、死なないで欲しい。
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