6話
王太子宮に怒号が響き渡った。
「まったく、あなたという方は!護衛を撒くなどと……っ、殿下には王族としての自覚があるのですか!?」
城の入り口でルイトたちの帰りを待ち構えていたアルバが、怒りの形相でルイトに詰め寄る。
ルイトの端整な顔が、嫌そうに歪んだ。
「ご自分のお立場をもっとわきまえてくだされ!」
眦を吊り上げ怒りの声を上げるアルバに対して、ルイトはふてくされた顔でそっぽを向いた。
「そもそも王族が城を抜け出すなど……っ」
「だからちゃんと変装してるだろ」
「変装していればよいという問題ではありません!変装してるからと言って、安全とは限らないのですぞ!」
くどくどと言葉を続けるアルバに、ルイトは小さく悪態をつく。
「町くらい自由に歩かせろよ」
ぼそっと呟いた言葉を聞き咎め、アルバはその眦をさらに吊り上げた。
「殿下!」
「分かった、分かった。俺が悪かった」
「心がこもっておりません!何も私は殿下に町に行くな、とは申しておりませんぞ。いや、確かに王族が軽々しく町に行くことは誉められたことではありませんが。そういうことではなく!護衛を撒いたということが問題なのです!」
反省の色を見せないルイトに、アルバはさらに訴える。
「それに今は大事な時期!一人でふらふらと出歩かれては危ないのです!本音を言わせていただけるなら、城下に行くことも控えてほしいくらいだと言うのに……っ」
「一人じゃねぇだろ、シシルも一緒だ」
「余計にダメではないですか!」
今回、エスタント国とオズワルド国の間で縁談を結ぶことを快く思ってない者は多い。
二つの国の結び付きを阻止しようと不穏なことを考えるやからも少なくないのだ。
だというのに。
「いちいち面倒なんだよ。口煩いし」
心底煩わしそうに、ルイトが息を吐いた。
「命とどっちが大事なんですか!文句言わないで、これからは護衛は撒かないで下さい!」
「あんなに簡単に撒かれるなんて、あいつらが弛んでる証拠だろ。俺はそれを気付かせてやったんだ」
「殿下ッ!屁理屈を捏ねてご自身を正当化しようとなさっても、私は騙されませんぞ!」
全く悪びれないルイトに、アルバが疲れたように肩を落とす。
「せめて祝賀パーティーが終わって王女の付き人が城を出ていくまでは、なんとか我慢してください」
他国から王族が輿入れしてくる場合、婚姻の儀が済み、城で開かれる祝賀パーティーが終わるまでの間は、嫁いできた王族に対し母国からの付き人がつくことが許されている。
婚姻を結べばその者は嫁いだ国の住人となる。
が、それ以外は違うため、嫁いできた王族以外の人間は全て母国へ帰されることになる。
というのは表向きの言い訳で、要は間者対策だ。
「知るか」
ルイトは冷たく切り捨てた。
「殿下!」
嗜めるように、アルバが叫ぶ。
「姉君も弟君も国の為に頑張っておられるのですぞ。まさかご自身だけ、王族の責務から逃れるおつもりですか?」
言われた言葉に、ルイトは眉根を寄せた。
ルイトには二人の姉弟がいるが、現在二人とも国内にはいない。
二人はそれぞれ別の国――大国であるエルファーン王国とサンヴィッツ帝国にいる。
王国にはルイトの姉が後宮に妾妃として入り、帝国には弟が遊学という名で人質となっている。
「何度も申しますが、この婚姻はオズワルド国と同盟を結ぶ上での重要な――っ」
「分かっている。だから文句は言っても拒否はしてねぇだろうが。これ以上、とやかく言うな」
チッと苦々しく舌打ちしたルイトに顔を引きつらせ、すぐそばで二人のやり取りを聞いていたリオンがそっと宥めるように声をかけた。
しかし。
「まあまあ、アルバ様。殿下も何事もなく戻って来られたんですし、今回はこのくらいで――」
「何事かあっては遅いんじゃ!というか、何を他人事のように言っておる!だいだいおぬしが適当な者を護衛に選んだのが……!」
護衛担当の側付きであるリオンにも、アルバの矛先は向いた。
「ちょ、何で俺まで……!」
飛び火した怒りに、リオンの頬が引き攣る。
そんなリオンを見て、自分だけ逃げんなよ、とルイトが意地悪く笑う。
「お前は俺の護衛筆頭だろうが」
「そうですけど……!」
確かにリオンは王太子であるルイトの側付きの護衛であり、他の護衛の上位に立つ護衛筆頭という役目も担っている。
が、しかし。
実際問題、若干16歳でしかないリオンにルイトの護衛に関する全ての権限が与えられているわけではない。
名目上は護衛筆頭でも、実際には違う。
将来的にはそうなるのだろうが、今現在としては古参の護衛長たちがその権限を持っている。
今回、リオン自身は、今度ルイトが正妃として迎える王女がこの国来てからの身の回りの警護の相談で王太子宮に残っていた。
城下へついていった護衛の選抜に関しても、選んだのは古参の護衛長たちだ。
なのに――。
「聞いておられるのですか、二人とも!」
こそこそと会話する二人に、アルバの怒鳴り声が響く。
(理不尽だ……!)
リオンは内心で叫んだ。
そんな光景からポツンと取り残されるように立っている者が、一人。
ルイトと共に王太子宮へと戻ってきたシシルだ。
シシルはルイトたちのやり取りを困った顔で眺めている。
と、ルイトたちの輪の中から一人の青年が離れて、シシルの立つ場所に近寄って来た。
自分にまでアルバの怒りが飛び火しては堪らないとばかりに避難してきたマクベルが、シシルの隣に並ぶ。
「止めたい、って顔をなさってますね」
ルイトたちの方に視線を向けながら、マクベルは話しかけた。
「っ」
シシルの肩が僅かに揺れる。
「駄目ですよ、止めては。理由はどうあれ、悪いのは殿下なんですから」
「分かってます。でも、それなら私だって……」
言いながら、シシルは視線を落とした。
ルイトの行動を止めようとしなかったシシルにも、否はある。
そう思うだけに、自分だけ怒られていない今の状況は何とも心苦しい。
僅かに目を伏せるシシルを横目でチラリと見て、マクベルは小さく嘆息する。
「シシル様は殿下に甘過ぎます」
甘い、と言われてシシルは眉を下げた。
自覚があるだけに反論出来ない。
考えてみれば、今までルイトに何か頼み事をされて、シシルに断われた試しはない。
惚れた弱みとでもいうのか、自分に出来ることならしてあげたいと思ってしまうのだ。
その点、マクベルはルイトに何か要求されても、自分の嫌なことであればしっかりと苦言を呈する。
これはリオンも同じだ。
ルイトとは主従の関係ではあっても、彼らはただ主の命令に従うだけではないのだ。
シシルは横に立つマクベルに視線を向けた。
マクベルはルイトたちの方を苦笑しつつ眺めてる。
そんな、ルイトの言葉にただ従うだけでなく、ちゃんと自分の意思を持って動いてくれる人だからこそ。
「……マクベル様」
シシルは敬意を払うのだ。
シシルでは支えることの出来ない、王太子としてのルイトの支えになれる彼らに。
静かな呼びかけに、マクベルはシシルに顔を向けた。
「はい、何でしょう?」
マクベルとリオンの二人には大切な役目がある。
女であり、妾妃であるシシルには出来ないこと。
王太子としてのルイトの、そしてこれから王となる彼の力となり支えとなる役目を、側付きである彼らは任されている。
「ルイト様を、宜しくお願いしますね」
そう言って、シシルは微笑んだ。
「――っ」
マクベルは僅かに目を見開いた。
目の前で、微笑むシシル。
その姿に、彼がかつて見た少女の姿が重なる。
――「ルイト様を、よろしくお願いします」
言葉と共に、深く頭を下げていた少女。
「……変わりませんね、貴女は」
くしゃり、とマクベルの顔が歪む。
ルイトはもうすぐシシル以外の女性を正妃として娶る。
そんなルイトを宜しく頼むなどと。
どうして、そんなことが言えるのだろう?
変わらないシシルの言葉が、胸に痛い。
言われた言葉が理解出来ないのか、シシルが不思議そうに首を傾げた。
その表情を見て――、
「どうして、笑っていられるんですか?」
するりと、疑問の言葉が口から漏れていた。
びっくりと目を大きくするシシルを見て、マクベルは我に返る。
「す、すみません!失言でした……!」
何ということを聞いてしまったのだろう。
ルイトが正妃を迎える準備で慌ただしい今、いくら平然といつも昔と変わらない態度を取っていたとしても。
それで、シシルが辛くないということには繋がらないのに。
「いえ、謝らないでください。心配してくださったんですよね?ありがとうございます」
慌てて発言を取り消そうとするマクベルを、シシルは首を軽く振って押しとどめる。
僅かに目を伏せ、数秒間を置いてからシシルはゆっくりと言葉を続けた。
「いつかは、こんな日が来ると……分かっていました」
視線を上げ、何も言えないでいるマクベルに、にこりと笑みを見せると、シシルは顔を横に向けた。
「ですが、私の気持ちは変わりません。この先、どんなことがあろうとも。だから、大丈夫です」
微笑みを浮かべて言い切るシシルの視線の先には、不貞腐れた顔でアルバからの説教を受けているルイトがいた。