5話 孤児院
そこは老婆が院長を勤める小さな孤児院だった。
孤児である子供たちと院長である一人の老女が暮らしている。
「変わりはないか?」
「はい。皆も元気にやっております」
ルイトの問いに柔らかな笑みを浮かべて院長が答えた。
院長の胸元では、聖印の入った首飾りが揺れている。
敬虔な教徒の証だ。
「ルートさま!また木のぼり競争しよーぜ!」
院長への挨拶もそこそこに、周りに集まってきた少年たちがルイトの腕を引き、我先にと引っ張っていく。
早く早く、と急かす子供たちに押されてながらも楽しそうに会話を始めたルイトを見て、シシルはホッと息を吐いた。
王太子宮を出る時は不機嫌そうだったが、回復したようだ。
不機嫌の理由は察しがついているものの、こればかりはシシルにはどうすることも出来ないので、こうして城下に出て、子供達と触れ合うことで気分転換になったのなら良かった。
市井の子供と遊ぶことは、本来であれば歓迎出来ることではない。
「下々に混じって遊ぶなど、王族のなさることではございません!」
と、周りが煩いのだ。
だから前にそう口煩く言われてからというもの、ルイトはここに護衛を撒いて訪れるようにしている。
アルバ辺りはどこに行っているのか把握しているのだろうが、黙認してくれているようだ。
子供達と共に遠ざかっていくルイトを見送っていると、くい、と服の裾を引かれる感覚がして、そちらに視線を移す。
「シシィさまは、こっち!中でおしゃべりしましょー」
髪を二つくくりにした少女が、目を輝かせてシシルを見上げていた。
◇◇◇◇◇
孤児院は木造で出来ている。
二階建てで、広さは一般的な家より僅かに広い程度だ。
シシルは孤児院の中にある広間にいた。
広間はご飯時には中央に長机を置いて食堂になり、それ以外の時には机を壁際に寄せて子供たちの遊び場になる。
床は板張りで、入り口と反対の壁には小さな祭壇があった。
祭壇に祀られているのは、大陸全土で信仰しされているトゥロガンダの像。
大陸全土で広く信仰されているトゥロ教は、当然シシルたちの住むエスタント国でも信仰されている。
国民全員が敬虔なトゥロ教徒か、と言われるとそれほどでもないと答えるしかないが、それでも一般的な家には必ずどこかに小さな祭壇がある。
「シシィさま、これ見て!こないだ市で買ったの!」
広間の中央に座ったシシルは、周りに集まった子供たちの一人から差し出されたペンダントを受け取った。
この国では一年中見られる真っ赤なレーリアの花が描かれた、可愛らしいペンダントだ。
ちなみに余談ではあるが、町の中でシシルは使用人ということになっているはずなのに、孤児院の子供たちはシシルを様付けで呼んでいる。
元メイドとはいえ、城内で生まれ、王太子であるルイトの幼馴染みとして育ってきたシシルの立ち振る舞いには、市井の町娘にはない洗練された美しさがある。
それに加えて、ルイトのシシルに対する態度や、シシル自身の周りへの柔らかな対応。
地方貴族の息子とその使用人、ということになってはいるものの、子供たちの目にシシルは貴族のお姫様のように映るらしい。
自慢げな顔の少女に、シシルは笑みを浮かべる。
「可愛いペンダントね。ローザにとてもよく似合ってるわ」
見せてくれてありがとう、と言いながら受け取ったペンダントを掛けてやれば、ローザと呼ばれた少女は嬉しそうに頬を染めた。
そんな少女を見て、周りにいた他の子供たちも我先にとシシルに話しかけ始めた。
「シシィさま、あのね!わたし、今日はやさいのスープ、ちゃんとぜんぶ飲めたのよ!」
「これ見て、シシィさま!さっき花冠をつくったの!」
聞いて聞いて、と一気に話かけられて、シシルは困ったように苦笑する。
と、パンッと大きく手を鳴らす音が広間に響いた。
響いた音に、我先にと喋っていた子供たちの声がピタッと止む。
「そんなに一度に話しては、シシィ様が困ってしまいますよ?」
広間の隅で椅子に座ってシシルたちを眺めていた院長が笑った。
「シシィさま、ごめんなさい」
「ごめんなさい」
そんな院長の言葉に、素直に頷いてシシルに謝ってくる子供たち。
「一度に皆の話は聞けないから、一人ずつお話してくれる?」
「「うん!」」
元気に子供たちが頷いた。
困っていたシシルに気付いて助けてくれた院長に軽く頭を下げて感謝の意を伝えると、院長は柔らかな微笑みを浮かべて、膝の上に置いてあった布を持ち上げ途中になっていた繕い物を再開する。
今度は一人ずつ順番に話しだした子供たちの話に、シシルは静かに耳を傾けた。
◇◇◇◇◇
広間で残った子供たちに物語を読み聞かせていると、ルイトたちが帰ってきた。
かなり派手に遊んだらしく、子供たちは服どころか顔まで泥だらけだ。
シシルの周りに集まっていた子供たちが、帰ってきた皆の方に駆けて行く。
「うわ、きたなーい!」
「うらの井戸で顔洗ってきなさいよ!」
一気に騒がしくなった室内に苦笑して、シシルは持っていた本を閉じる。
ふ、とシシルの頭上に影が出来た。
見上げれば、呆れたように子供たちに視線を向けているルイトがいた。
「元気だな、あいつら……」
「お帰りなさいませ」
くすくすと笑いながら、シシルは近くに用意しておいたタオルを差し出した。
帰ってきた子供たちに負けず劣らず、ルイトも随分汚れている。
「木登り競争、どうでしたか?」
タオルを受け取りながら、ルイトは口端を持ち上げた。
「俺が勝ったに決まってるだろ?」
黒曜の瞳が、輝きを増す。
発せられる声は低く、耳に心地良い。
「ルートさま、年上のくせにひでーんだぜ?」
近くにいた少年の一人が、シシルに告げ口した。
負けたのがよほど悔しかったようだ。
少年の頬がふくれてる。
「はっ、勝負に大人も子供もあるか」
鼻で笑うルイトに、少年は悔しそうに唸った。
大人気ない。
(でも、とても楽しそう)
生き生きとしたルイトの表情に、シシルの頬が緩む。
その時。
「ちょっと!あんたまだ泥おとしてきてないでしょ!」
タオルを持って泥だらけで帰ってきた年少組の子供たちを拭いていた少女が、ルイトと話している少年に気付いた。
「げ!」
目を釣り上げて近付いてくる少女に、少年は慌てた様子で逃げ出す。
「ちょっと、まちなさーい!」
二人の追いかけっこが始まった。
ぐるぐるぐるぐる、広間の中を駆け回る。
本人たちは真剣なのだろうが、見てる方としては何とも微笑ましい。
シシルがくすくす笑いながら二人の追いかけっこの行方を眺めていると、隣にいたルイトがふいに声を上げた。
「ああ、忘れるところだった。シシィ、手出せ、手!」
突然の言葉に不思議に思いながらも、シシルはルイトの前に手を差し出した。
すると。
差し出した手のひらに、コロンと転がる小さな実。
「え、」
驚きで目を大きくして、シシルはルイトを見上げた。
そんなシシルを見返して、ルイトは笑う。
「カシュの実。シシィ好きだろ?」
カシュの実は、ルイトたちの国に広く分布するカシュという木になる実だ。
その実は子供の手で握りこめてしまえるくらいに小さく、食べれる果肉も少ない。
だから腹の足しにはならないが、口に含むと甘く美味しい。
この国ではどこにでも見かける果実で、市場で売られている高価な果実ではないけれど、市井の子供たちには人気のある果実だ。
だから、何も言われなかったはずがないのに。
シシルが好きだからと持って帰ってきてくれた。
その行動に頬が緩む。
「さすがにここに残ってたガキ共の分まではないから、さっさと食べちまえ」
「ありがとうございます」
コクン、と頷いて口に含む。
噛むと、優しい甘さが口の中に広がった。