3話
そんな中、ルイトたちのいる修練場へ一人の人物が入ってきた。
「殿下!殿下ぁー!」
慌ただしく駆け込んできたのは、白髪の老人だ。
「何だ、アルバ。騒々しい」
眉を寄せるルイトに、アルバと呼ばれた老人はギッと目尻を釣り上げる。
彼はルイトの教育係兼、お目付け役だ。
「何だではありませんぞ!今日は朝食の後、婚儀の為の衣装合わせをしていただくと昨日あれほど……」
「婚儀についてはお前に全て任せると言ってるだろうが。それに、見て分かるだろ。俺は今、弓の稽古で忙しい」
「弓の稽古は後からでも出来ます」
持っている弓を少し持ち上げてみせるルイトに、アルバは冷たく返した。
「そもそも、衣装なんてどうでもいい」
「そういうわけにもまいりません」
ルイトの顔を真っ直ぐに見つめ、アルバは引く様子がない。
ルイトの顔が嫌そうに歪んだ。
「……」
修練場の中の空気がピンと張り詰める。
「で、でも今回の同盟の話!よく向こうが受けてくれましたよね!」
急降下していくルイトの機嫌に、慌てたリオンが二人の間に割って入った。
かなり無理のある話題転換だが、誰もそれを責めることはない。
冷たく張り詰めたルイトの空気をどうにかしようとしてるのが、誰の目にも明らかなためだ。
リオンたちの住むエスタント国は山間にある国で、狩猟と農耕が盛んだが、言ってしまえばそれしか特徴のない国だ。
対するオズワルド国は、隣り合ってはいるもののエスタント国と違い、国の一方が海に面していて海上貿易が盛んだ。
さらに国土自体も、エスタント国の倍以上ある。
国力的に見て、オズワルド国はエスタント国よりも上なのだ。
「さぁな。向こうにもいろいろと思う所があるんだろ」
興味なさげにルイトが答える。
機嫌の回復はしていないものの、気をそらすことにはなったようだ。
「何を思っているにせよ、人質を要求してくるのではなく、正妃として王女を送ってくる辺り、かなり我が国を重要視してくれているのではないでしょうか?」
オズワルド国の王女は一人。
近隣でも噂されるほどの美姫であり、オズワルド国内で一番の才女だと聞く。
そんな王女を嫁がせようというのだ。
この同盟をどれほど大切だと向こうが捉えているか、分かろうというものだ。
「どうだかな……」
マクベルの意見に、ルイトは皮肉げに笑う。
その反応にマクベルは内心で首を傾げる。
何がそんなに気に入らないのだろうか?
「ともかく、あちらから嫁いで来ていただくのですから、礼を尽くしませんと」
コホンと咳払いし、アルバが再度、話を振る。
「……俺が嫁に欲しいと言ったわけじゃねぇ」
苦々しくルイトが吐き捨てた。
オズワルド国とエスタント国の仲は悪い。
オズワルド国はルイトの祖父の時代にはまだ今ほどの大きさはなく、その頃に起きた仲違いが現在まで尾を引いている。
仲違いの原因は痴情の縺れだとまことしやかに囁かれているが、実際のところは分からない。
とにかく、ルイトが生まれた時には既に互いの国は仲が悪かった。
そんな因縁のある国の王女を正妃になど、冗談じゃない。
「殿下」
アルバが嗜めるように名前を呼ぶと、ルイトは聞きたくないとばかりに顔を背けた。
その反応に溜め息が漏れる。
王侯貴族は正妻の他に、妾を持つことが認められている。
世継ぎを残すことが重要とされるからだ。
ルイトがシシルを愛し大切にしているのは知っているが、それとこれとは話が別。
それに今回の話は、それほど悪い話ではないのだ。
自国よりも大きな国の姫で、美人で、頭もいい。
正妃として、これ以上ないほどの相手だ。
それなのに迎え入れる側の王太子がこうでは――。
溜め息を吐いて肩を落とすアルバを不憫に思ったのか、リオンが取りなすようにルイトに話しかける。
「オズワルドの王女は美姫って噂ですよ?それに、殿下、顔だけの女は嫌いでしょ?その点、王女は才女としても有名ですから、殿下もお会いすれば気に……」
「じゃあ、お前が結婚しろよ」
「いや、それは……」
取り付く島がないとは、このことか。
ジト目で見てくるルイトに、リオンの頬が引きつった。
流石に本気ではないだろうが、これから正妃にするという王女を臣下に下げ渡すような発言をするとは。
「殿下!何ということをおっしゃるのですか!」
「冗談だ」
眉を釣り上げるアルバに、ルイトは軽く手を振った。
「……同盟は結ぶことが確定してるのです。破棄するわけにはまいりません」
同盟の証として、向こうの王女を娶るのだ。
個人の感情で破棄していいものではない。
「分かってんだよ、そんなことは!あークソッ!」
綺麗に切り揃えられている硬質そうな黒髪を乱れることも気にせず掻き混ぜて、ルイトは獰猛な唸り声を漏らした。
「破棄していいならその方がよっぽど――っ」
苦い顔でルイトが呻く。
今回の結婚、同盟を言い出したのはルイトの国だが、証として姫を嫁がせようと言い出したのは向こうの国だ。
自国よりも小さな国、それも仲違いをしている国に自国の姫を嫁がせようとするなんて。
しかも嫁いでくるのは、オズワルド国一と謳われる才女だ。
どんな裏があるかしれない。
そう分かっていても、この同盟を破棄することは出来ない。
――ギリッ。
ルイトは己の手をきつく握り込む。
ルイトのいるエスタント国は、二つの巨大な大国に挟まれる小国家群の中の一つの小国に過ぎない。
国の広さも国民の数も、大国とは比べ物にもならない。
かなり簡単に言えば、小国家郡の中の一つの国と大国の中一つの都市がほぼ同等の大きさだ。
そして小国家郡に属する全ての国々を併せたとしても、一つの大国の大きさの半分の国土にも満たないのだ。
そんな巨大な大国が二つ、ルイトたちの暮らすエスタント国の近くに存在する。
二つの大国の名は、エルファーン王国とサンヴィッツ帝国。
西側にあるのがエルファーン王国で、東側にあるのがサンヴィッツ帝国である。
両国は長年大陸の覇権を争っていて、今も睨み合いを続けている。
板挟み状態ではあるものの、両国が睨み合ってくれてるため侵略されずにすんでいるという面もある。
しかし、それがいつまでも続くという保証はない。
というか、いつその均衡が崩れてもおかしくはない。
その脅威がある今、いつまでも昔のしがらみで、いがみ合っている場合ではないのだ。
だが。
いくら同盟の証だとしたって、嫁がせてくる必要はなかったはずだ。
ルイトは忌々しげに舌打ちした。
「本当に分かっているのですか?そもそも何度も申してますが――」
舌打ちしたルイトをどう取ったのか、アルバは僅かに眉を寄せ、既に何度も繰り返した言葉をまた繰り返す。
淡々と続けるアルバの言葉を聞き流しながら、ルイトは思考する。
同盟を破棄することは出来ない。
送りつけられてくる正妃を拒否することも出来ない。
分かっている。
だけど。
――「……いいも何も、私が関与出来ることではないですから」
ルイトの脳裏に、昨日見たシシルの姿が浮かぶ。
あんな、今にも泣きそうな顔で微笑まれたって、ちっとも嬉しくない。
(我侭だと分かっていても、それでも俺は――)
正妃なんて欲しくなくて。
妃はシシルだけでいい。
願いはたった、それだけなのに。
自分の王太子という立場が、この国の状況が、それを許してくれない。
「殿下、貴方様はこれからこの国を背負って立つお方なのです。貴方様がそのようなことでは――」
「あー止めだ止め!今日の稽古はここまでにする!」
まだ何か言いたげなアルバを遮って、ルイトは暗く沈みそうな内心の思考を打ち切った。
突然のルイトの宣言に、慌てた様子で修練場の隅に控えていた小間使いたちが駆け寄ってくる。
弓を手渡し、腕当てを外されながら、ルイトが命じる。
「外へ行く!おい、シシルを呼べ!」
身軽になったルイトが大股で歩き出し、その後をアルバが追う。
「ちょ、殿下!外って、衣装合わせはどうするんですか!?」
「そんなの知るか。どうせ、その場限り着ることはないんだ。適当に俺と似た背格好の奴で採寸して合わせとけ」
言い合いをしながら修練場の外へと向かっていく二人。
そんな二人を見て、取り残される形となった側付きの二人はお互いに顔を見合わせて小さく笑いあい、それからルイトたちの後を追いかけた。