2話
大陸中央を北から南へ、いくつかの山脈が縦に走っている。
その山脈地帯の南部、山と山の間にエスタント国はある。
ダンッ。
低い音を響かせて、弦から放たれた矢が的に突き刺さった。
刺さった矢は、的の中心から大きく外れた位置でその矢尻を細かく震わした。
「ちっ」
狙い通りの場所に刺さらなかったからか、ルイトは舌打ちし、乱暴に矢筒から次の矢を引き抜くと、すぐに構えを取り直す。
その様子を見て、ルイトの後方で控えていた一人が隣にいるもう一人に声を潜めて話しかける。
「どうしたんだ、殿下。なんだか凄く機嫌悪くない?」
「そんなの決まってるだろ。シシル様関連だ」
他に何があるんだ、と呆れるように質問された少年が断言した。
少年は切れ長で、少し吊り気味の目をしていた。
肩にかからない程度の長さに切り揃えられた栗色の髪を後ろで一つに纏めている。
「あー、確かに……」
対して、最初に声を出した少年は、赤茶けた短髪で僅かに垂れている目尻が特徴的だ。
赤茶けた短髪の方がリオン、後ろで栗色の髪を一纏めにしている方がマクベルという。
共に王太子であるルイトの側付きである。
側付きと言えど二人の役割は違い、リオンは側付き護衛で、マクベルは殿下の補佐が主な役割だ。
「シシル様関連以外で、殿下がああも感情を荒立てるわけがない」
「だね」
言い切るマクベルもマクベルだが、それで納得するリオンもリオンだ。
だが、ルイトをよく知る者たちからすれば、これ以上ないほどに説得力のある言葉だった。
「前はなんだっけ?小間使いがミスしたのをシシル様がかばった……とかいうヤツだっけ?」
あの時は、何で俺よりも他の男をかばうんだ、とルイトが盛大にヘソを曲げた。
「ああ、多分、今回も似たような物だろう」
「殿下、シシル様に関してはかなり心がせっまいからねー」
まだまだ精神的に未熟で、余裕を持つには至れないのだ。
リオンは呆れを滲ませて笑う。
「――おい。聞こえてるぞ」
静まり返った修練場では、多少声を潜めたところで大した意味はなかったらしい。
目を半眼にしたルイトが、好き勝手に会話する二人を振り返った。
「「すみません」」
口を揃えて謝る二人にルイトは溜め息を一つ零した。
怒ってはいないらしい。
「で、今度は何にヘソ曲げてんですか?」
怒っていないのならと、リオンは興味深々で問いかける。
「別に、ヘソなんて曲げてねぇよ」
「では、どうしてそんなに苛立ってるんです?」
マクベルの質問に、ルイトは苦虫を噛んだような表情になった。
「……正妃の件だ。昨日、それをシシルに伝えた」
「ああ、もうすぐ輿入れですもんね」
納得したように頷くマクベルに対し、リオンは不思議そうに首を傾げた。
「というか、まだ話してなかったんですか?」
正妃を娶ることが決まってから、結構な時間が経っている。
とっくに話してると思っていた。
「……」
むっつりと黙り込むルイトに、マクベルがもしかして、と口を開いた。
「嫌だって泣かれたらどうしようとか、何て説得しようとか色々考えてたら、ズルズル時間だけが経ってしまったとか?しかも、言ってみたら実際にはすんなり受け入れられて、それはそれで面白くなくてイラついた……とかですか?」
「っ!」
ルイトの肩が、僅かに跳ねた。
予想で言ってみただけだったのだが、今の反応をみるにどうやら図星のようだ。
「マジですか。まさか殿下、そのイラつきのままシシル様に八つ当たりしちゃったり……?」
リオンがルイトを伺うように聞けば、ルイトはふい、と視線を逸した。
「で、つい八つ当たりしちゃった自分に腹を立てて、こうして弓の稽古でその苛立ちを紛らわそうとしてるわけですね」
「でも、感情が乱れてるから狙った通りに的に当たらなくて、さらにイライラが増してると。本末転倒ですね」
「っ、うるせぇ!てか、人の行動を読むな!」
うんうんと頷く二人に、ルイトが吠える。
これ以上からかうと、ルイトの機嫌を完全に損ねてしまいそうだ。
マクベルは、表情を引き締める。
「でも、殿下。拗ねて八つ当たりしたくなる気持ちも分からなくはないですが、シシル様を責めてはお可哀想ですよ。シシル様ではどうすることも出来ないことなんですから」
王族同士の婚姻など、一妾妃にどうにか出来る問題ではない。
それを責めては可哀想だ。
「そうですよ。言葉では言わなくても、シシル様だって、きっとお辛いはずです。殿下、ちゃんと謝らないとダメですよ」
追従するようにリオンにもシシルを擁護され、ルイトは脱力した。
「分かってる。というか、お前ら本当、シシルが好きだよな」
どこか恨めしそうに言われ、頷きつつも誤解がないようマクベルが一言添える。
「恋愛的な意味じゃないですけどね」
ルイトの側付きである彼らは必然的に、ルイトの幼馴染みであるシシルとは彼女がルイトの妾妃となる前からの顔見知りだ。
メイドであった頃のシシルも、妾妃になってからのシシルも、両方を知っている。
元々はメイドだったとはいえ、今の彼女の身分は王太子の妾妃である。
正妃でこそないが、王太子であるルイトの寵愛を一身に受ける王太子宮唯一の妃。
出会ったばかりの頃はともかく、今ではシシルの方が彼らよりも立場が上だ。
驕り高ぶって彼らを見下そうとも可笑しくない立場を得たというのに、妾妃になってからも彼女の態度は変わることがなかった。
妾妃になる前と変わらず、柔らかい笑みを浮かべてルイトに振り回される彼らをいたわってくれる素晴らしい人だ。
そもそも、お子様なルイトを幼少時の頃から見放すことなく付き合ってくれているだけでも十分に尊敬に値する。
そんな人を恋愛の対象とするなど、恐れ多い。
「当然だ」
もし恋愛的な意味だったらとっくの昔にシシルから遠ざけてる、と真顔で断言するルイトに、マクベルとリオンの二人は苦笑した。