13話 胃痛
正妃であるマリアベルには表へ出ることが出来ない妾妃と違い、王太子妃として公務の一部に参加する義務がある。
諮問委員会への出席、式典への出席、来賓への対応、有識者達との懇談会、書類の確認と捺印など。
やるべき公務は様々だ。
王太子宮の執務室。
マリアベルは、自身に与えられた執務机で黙々と公務をこなしていた。
今彼女がしているのは、貴族たちから届いたお茶会やダンスパーティーなどの招待状への返信だ。
返信に使う便箋、封筒は品よく綺麗でありながらも、決して華美にならないように。
言葉の言い回しにも気を付け、招待状を出してくれた者が不快にならないように。
様々な気を配りながら、一文字一文字読みやすいよう、丁寧に文字を綴る。
王族であっても臣下に対する気配りは大切だ。
そういう日々の積み重ねがいざという時の力になる。
最後にエスタント王室の紋章を型どった封蝋を押して、マリアベルは満足そうに目を細めた。
出来上がった手紙を脇に纏めて、マリアベルはチラリと視線を動かす。
部屋の一番奥の執務机に座る人物を見やる。
この部屋の主であるルイトは、黙々と書類に目を通している。
その表情は真剣で、普段の人をバカにしたような意地の悪い表情とは全くの別物だ。
「……」
その横顔を暫く黙って見つめたあと、マリアベルは口を開いた。
「殿下、そろそろ休憩になさいません?私、喉が渇きましたわ」
下を向いていたルイトの顔が、マリアベルの方に向けられる。
「……渡した招待状はどうした?」
「それでしたら、すでに全部返信を書き終えてありますわ」
マリアベルは机の脇にある手紙の束を指した。
「好きにしろ」
チッと舌打ちするルイトに、マリアベルはにこりと笑う。
「では、今日はオズワルドから持ってきた茶葉で――」
立ち上がり、お茶の用意をしようとするマリアベルを近くにいた文官が慌てて止めた。
「正妃様お止めください!そのようなことは我々がしますから!」
正妃様は座っていてください!と懇願する文官に、そこまで言われるなら、と茶葉だけを渡して戻ってきたマリアベルを机の上で頬杖をついたルイトが出迎えた。
嫌な予感がする。
マリアベルの足が止まる。
ルイトの目が、標的を見つけて喜ぶ子供のように楽しげに細められていた。
「そうやって取り入るわけか」
言葉とともに、室内の温度がグンと下がった。
(また始まった……)
近くの机でルイトに渡すための報告書に目を通していたアルバは、マリアベルが公務をするようになってからというもの、毎日のように繰り返される光景の兆候に、内心で嘆息した。
周りを見渡せば、室内にいる文官たちはそろって体を固くして二人のやり取りをうかがっている。
その様子にアルバは胃が痛む感じがして、そっと腹に手を添えた。
「取り入るだなんて、人聞きの悪い……」
悲しそうにマリアベルは眉を下げた。
その弱々しい姿に室内にいる文官たちは同情するかも知れないが、ルイトは鼻で笑うだけだ。
「なんならここで他の男を見繕うか?お前の手駒に出来そうな奴もいるかもしれんぞ?」
露骨な言いようにマリアベルは一瞬眉を顰めるも、すぐに表情を取り繕う。
「まぁ、殿下ったら。またそのようなお戯れを」
マリアベルは手に持つ扇子で口元を覆って、コロコロと笑う。
だがその目は笑っていない。
そんな彼女に、ルイトは意地悪く口角を持ち上げた。
「何だ。図星を突かれたのが、気に障ったか」
「ほほほほほ。冗談もほどほどになさいませ。ほら、殿下がそのような事を申されるから、臣下の者も戸惑っておられましてよ?」
「そうか、それは悪いことをしたな」
「ええ、本当に」
「ははははは」
「おほほほほ」
寒い。
目には見えぬブリザードが二人の間に吹き荒れている。
睨み合う二人に、室内の文官たちは戸惑うばかりだ。
と、そこで。
一連のやり取りを見ていたアルバが、静かに立ち上がり、二人の間に割入った。
「……どうした?」
「殿下、こちらの書類の確認をお願いします」
二人のやり取りなど何もなかったかのように、ルイトに書類を差し出すアルバ。
その様子に気勢を削がれたのか、ルイトは一つ息を吐き出すと何も言わずに差し出された書類を受け取った。
途端、緩んだ室内の空気に身を固くして成り行きを見守っていた文官たちが、ホッと息を吐いた。
「お前もさっさと席に戻れ」
アルバの後ろの立つマリアベルを一瞥した後、ルイトは渡された書類に目を通し始める。
「今、戻ります!」
マリアベルは手に持った扇子を力任せに閉じると、収まりきらない感情を現すように勢いよく踵を返した。
「……殿下、言い過ぎです」
執務机の前に立つアルバが自分の席に戻っていくマリアベルを横目に小さく嗜めれば、ルイトはふん、と鼻を鳴らす。
「俺は嘘がつけない性質なんだ」
「殿下……」
堂々と言い放たれた言葉に、アルバはガクリと項垂れた。
裏表のない率直な性格は確かに美徳だろうが、それも時と場合による。
(何も、臣下がこんなにいる前で言わずともいいでしょうに……!)
アルバの胃がキリキリと締め付けられた。
――どうやら今日もまた、胃薬の世話になりそうだ。
◇◇◇◇◇
人の話し声がする。
だんだんと近付いてくるその声に、シシルは顔を上げた。
「……すからあのように臣下がいる前では、発言をお控えください!」
アルバの声だ。
何かを必死に訴えてるような声に、シシルは同情する。
だって、彼が訴えてるだろう相手は――。
「あーうるせぇ!」
バンッと勢いよく開いた扉の向こうから、不機嫌そうなルイトが入ってくる。
彼の訴えなど、煩いお説教くらいにしか捉えていないのだから。
「うるせぇとは何ですか!そもそも殿下には、王太子としての自覚が……」
扉の向こうで立ち止まったアルバを振り返って、ルイトは続くアルバの言葉を遮った。
「足りねぇってんだろ?もうそれは十分に分かった。次からは気をつける。だから今日はここまでだ」
矢継ぎ早にそれだけ言い切ると、ルイトは部屋の入口で身を乗り出していたアルバを締め出す。
「殿下!何を勝手に……っ」
バタン。
閉じられた扉に背を向けて、すっきりしたと言わんばかりの顔で歩いてくるルイトに、シシルは苦笑した。
「またアルバ様を困らせるような事をなさったのですか?」
定位置であるソファーに腰掛けたルイトは、嫌そうに顔を顰めた。
「……シシル、お前まで俺に説教する気か?」
「説教だなんて……」
そんなつもりはない。
困ったように眉を下げるシシルに、ルイトは苦笑する。
「まぁ、最近は胃に痛みまで感じだしてるようだからな」
少しは自重する。
そう言ったルイトに、アルバへの想いを感じ、シシルは嬉しそうに笑みをみせた。
分かりにくいが、ルイトなりにアルバを心配しているのだ。
おそらくアルバは気付いていないだろうが、幼い頃から実の親よりも親らしくルイトの世話をしてきたアルバをルイトは慕っている。
「疲れた。シシル、俺を癒せ」
「では、お休みになられますか?」
「いや、それよりシシルの淹れた紅茶が飲みたい」
シシルの淹れた紅茶は優しい味がするとルイトは思う。
勿論、本当に“優しい味”という物があるわけではない。
特別な茶葉を使っているわけではないし、シシルの淹れ方が特別というわけでもない。
同じ味のはずなのに、シシルが淹れるだけでどこかホッとする、そんな味なのだ。
先ほどマリアベルが持参した茶葉で淹れたオズワルド国の紅茶は、確かに美味しかった。
高級な茶葉なのだろう。
香り高く、それでいて癖のない味は、飲みやすかった。
でも。
毎日でも飲みたい、と感じるのは――、シシルの淹れる紅茶なのだ。
今は、それを飲んで公務で疲れた体を癒したい。
「かしこまりました」
行儀悪くソファーの肘掛けにもたれるルイトにくすりと笑って、シシルは立ち上がった。




