11話
「……もういいわ、下がりない」
自分の夫となった男が昨夜どこで過ごしたのかを恐々と報告する女に、マリアベルは振り向きもせずに命じた。
冷たい声音に、女は息を飲んで慌てて部屋を辞した。
一人部屋の中に残されたマリアベルは手に持った扇子を握り込み、怒りに震える体を必死で押し留める。
「あの男……っ、どれだけ人の事をコケにすれば気が済むの……!」
昨夜、事が終わるとすぐにルイトはベッドを降りた。
「どこへ行かれますの?」
そのまま服を着込みだすルイトを不思議に思ったマリアベルが問いかけると、ルイトは簡潔に答えた。
「帰る」
振り向きもせずに言われた言葉に、意表をつかれながらもマリアベルはすぐに悲しげに眉を下げた。
「初めての夜に、帰るなどと……。そのような冷たいことを申さないでください。寂しいですわ」
ルイトの服の裾を軽く引いて、マリアベルは彼を見上げる。
いまにも泣きそうな顔をさらに歪めて目を潤ませる姿は、見る者の庇護欲を掻き立てずにはいられないだろう。
普通であれば。
だが、ルイトは違った。
目を潤ませて見上げてくるマリアベルを黙って見下ろすと、煩わしそうに眉を寄せた。
「俺がお前の傍で寝るとでも?」
そんなことは有り得ないと言わんばかりのルイトに、マリアベルは甘えるように言葉を重ねる。
「一人寝は寂しいです。眠くないのなら、傍にいてくださるだけでも良いですから……」
「なら、他に男を探せ」
言って、ルイトは面白そうに口を歪める。
俺は別に構わない、と。
「な――!」
それには、流石にマリアベルも言葉がなかった。
固まるマリアベルを気にした風もなく、ルイトは動きを止めて真っ直ぐに彼女を見下ろした。
「なぁ、俺はお前にとって理想の相手ではなかっただろ?」
唐突な話の切り替えだったが、その問いかけでマリアベルは我に返った。
一瞬にして表情を取り繕い、甘やかな空気を纏う。
「そんな、殿下は私の想像よりもずっと素晴らしくて――」
「傀儡にすることが出来ないと焦ったか?」
「っ」
遮るように言われた言葉に、マリアベルは息を詰まらせた。
目を細め、彼女を見下ろしてくるルイトの表情は、どこか楽しげだ。
マリアベルの反応を伺っている。
マリアベルは内心で歯噛みした。
今の間は致命的だ。
疑っている相手にあの反応では、肯定しているようなもの。
だが、何とか言い逃れが出来ないものか。
マリアベルは目まぐるしく頭を回転させる。
おそらく、ルイトは確信を持っているわけではない。
知らぬ振りを貫き通せば、あるいは――。
口角を引き上げて、マリアベルは笑みを浮かべる。
だが、不自然に力が入りすぎている。
取り繕うような、ぎこちない笑みだ。
「……何のことを、申されているのか」
どうにか絞り出した声は、掠れていた。
「オズワルド国で一番の才女なんだろう?」
「……」
言い逃れは、もう無理だ。
何を言おうと相手は確信してしまっている。
押し黙ったマリアベルに、ルイトはクッと喉を鳴らして笑った。
「国の華、か」
国の華。
それはマリアベルがオズワルド国において、その容姿の美しさを讃えて国民から呼ばれている呼称の一つだ。
それが何だというのか。
見抜かれていた悔しさを必死で胸の内に押し込めて、マリアベルは眉を寄せる。
「花は花でも、まるで食虫花だな」
(思い出しても忌々しい……!)
バカな王子だと聞いていた。
周りの言うことも聞かず、くだらないことばかりする愚かな王子だと。
だが、違う。
そう報告した者こそが、愚かだったのだ。
ギリ……ッ。
扇子を持った手に、知らず力が入る。
あの男は、オズワルド国一の才女であり国の華とまで謳われた自分を、事が済めば用はないと遊女のごとく扱い、あげくの果てには食虫花などに例えてみせた。
マリアベルはキツく唇を噛み締める。
こんな屈辱を受けるために自分はこんな田舎小国に嫁いで来たのではない。
話に聞くように愚かな王子であるならば、自分が楽に国を乗っ取れると思ったのだ。
だからこそ、嫁ぐ気になったというのに。
対面した瞬間に、傀儡に出来るような男ではないことは分かってしまった。
目に力が有りすぎる。
ならばと、この肉体をもって篭絡しようとすれば、あの扱いだ。
「……っ」
あんな屈辱は、生まれて初めてだ。
しかもあれほどの屈辱をマリアベルに与えておきながら、奴はそのすぐ後、のうのうと他の女の下へ行き一晩を過ごしたらしい。
馬鹿にしているにも程がある。
――「帰る」
そう言った男の言葉が耳に蘇る。
(その女のところが自分の“帰る”場所だとでも?)
「絶対に、許さない……!」
パキン。
握り締めた扇子が耐え切れずに、音を立てた。




