表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小娘つきにつきまして!  作者: 甘味処
2幕 学校の噺
9/23

#8 英語教師と黒い犬

 チャイムが鳴る。六限目の始まりを告げるチャイムだ。

 昼食を挟んだ五限目を何事もなく終えて、六限目の英語を迎えた。


 試験結果を恐れてそわそわしている生徒諸君を、焦らしもてあそぶかのように、本日は試験が返ってこなかった。幸か不幸か、特別講師であるマリア・フランクリンが授業をおこなったからだ。一番後ろである僕の席からは、緊張から解き放たれたクラスメイトの背筋が、一斉にだらりと弛緩しかんしたようすがよく見えた。


「皆さん、お静かしてくださレ、授業始めますヨー」


 マリア・フランクリン。彼女は今年度からこの学校に配属された教師で、一週間に一度、このクラスを受け持つことになっている。


 手を叩きながら流暢りゅうちょうな日本語を発音し、マリアは授業を開始した。それにより休み時間を終えたばかりで騒然としていたクラスメイトが沈静した。なおもドタバタしているのは、僕の左隣にいる憑きものだけである。小娘憑き、沙夜さよは興奮を隠せないままマリア先生を指さした。


『ご、ご主人様っ!! 外国人さんですよっ!! 外国人さんっ!』


 口を開きっぱなしにして、もう一方の手で僕の肩を揺さぶる。


『うるさいな。あんまり騒ぐなよ。聞こえてないにしても失礼だろ。それと指をさすのもやめろ。ていうか、なんだ? お前、外国人を見るのも初めてなのか?』


『そ、そんなことあるわけないですよっ! あまりバカにしないでください、はい! むしろ私外国人に囲まれるような環境で育ってきましたから!』


『別に強がらなくたっていいだろ。なんのアピールだよ』


『それにしても、物凄く美しい姫君ですね』


『ああ、確かにそうだな』


 何度も言うが、この会話は“思い”で交わされているために、他人には聞こえない。


 このマリアという教師は、泰誠たいせいや他の男子生徒に絶賛で(それが名誉的なことかどうかはわからないが)、大人の魅力、もとい、日本人には出せないような外国人特有の華美さを存分にふるまっていた。マリアは、プラチナブロンドの長い髪をはためかせ、青眼で教室内を見渡している。授業中も愛想がよく、その姿たるや、平時、やれ性欲皆無男だ、やれ不感症系男子だ、と嘲笑ちょうしょうされている僕から見ても、とても色っぽかった。泰誠の評価によると、外国人教師という欠かせない要素である『グラマラス、ミステリアス、エキセントリック』の三つを兼ねそろえているらしい。


 実際、顔もスタイルも沙夜や奈緒の少女らしい可愛らしさとは別の物で、大人の魅力をありありと見せびらかしているように感じた。目に優しくないピンク色のスーツをばっしり着こなしているあたり、どれだけ頑張ろうが日本人は、その手の美貌に遠く及ばない気がする。


『あー、ご主人様、なんかうっとりしてません? ご主人様はああいった方と仲睦まじくなるのをお好みですか?』


 僕は沙夜の発言を華麗にスルーし、マリア先生の顔を眺めていた。そして僕の頭に妹、間宵まよいの姿がぼんやりと浮かぶ。僕の反対を押し切って、率先して海外留学を申し出た間宵。あいつは今頃どうしているのだろうか?


 そんな妹の映像もマリア先生の話を聞き入るにつれて、ぼやーと薄れていった。


 この授業で学んだことは英語、ではなく、海外の“常識”についてだった。週一で行われるこの特別授業では、文法や単語やリスニングのみならず、外国の文化について学んだりもするのだ。


「皆さまご存知でしょうカ? 常識のほとんどは、後天的に学ぶものなのですヨー。そして、それは文化の違いによって大きく変わったものになりまス」


 とマリア先生は抑揚たっぷりの日本語で言う。おかしなイントネーションで話すので、クラスメイトは大層盛り上がった。


「な、なんで笑っているですカ! え? イントネーションが変? 変じゃないですヨ!」


 まるで、天然キャラを偽る不思議ちゃんのように、計算してやっているのではないかと疑ってしまうぐらいだ。


「わかりましたカ? つまりデスね――」


 ――常識。泣き方や息の仕方のような先天的な常識は生まれた時には持っている。後天的に学ぶものは、箸の持ち方に始まり礼儀作法や社交辞令。親から教えられたり、社会に出てから教わったりするものだ。


 アメリカと日本とでは、常識の違いは結構あった。それを文化の違いと呼ぶのやも知れないが、たとえば、食事の時、アメリカではフォークとナイフを使い、日本では箸を使う。室内では靴を脱ぐか脱がないか。車は左側か右側か。それらは後天的に学んだ常識の差異であり、どちらが正しくて、どちらが間違っているかという話ではない。そんなことをマリア先生は講じていた。


「それニ、日本とアメリカ。子供と大人、それぞれが違う常識を持っているのでス。そしてそれらの常識というのハ、周りの変化に応じて手軽に変更できませン。インターネットのページのように簡単に更新できないのでス。極言してしまえば、そんなことから人種差別だとカ、ジェネレーションギャップが生まれるわけなのですヨ」


 他の授業は退屈さを感じていた僕だったが、マリア先生が話す内容については、不思議と強く興味を引かれていた。自分そのものの根底に潜む部分に触れるような気がして、大変面白かった。


 一方、沙夜は僕が話してくれないのが退屈なようで、しばらくは僕に“思い”をかけ続けていたが、ことごとく無視されるので、諦めて、僕の机に落書きをし始めた。おいおい、他人が見れば、念写ができてしまったように見えるだろ。


 僕は慌てて辺りを見渡したが、幸運なことに他の生徒は男子限らず、女子までもがマリア先生の授業に釘付けになっていて、教室の片隅にいる僕の方へ視線が向けられることはない。それだけ彼女が魅力的な女性であるとも言える。


 この授業を通して僕は思った。

 “常識”という言葉は“幻想”だ、と。


 誰しもが常識人でいることに憧れるが、常識のほどは人それぞれであり、杓子しゃくし定規な考え方だけでは理解できるものではない。だから常識がないからバカだとか、常識があるから偉いだとか、そういうものじゃないと思う。みんなが仲良くそろって識者しきしゃであればいい、というものではないのだ。


 常識とは、物事の見方に過ぎない。そりゃ確かに犯罪に対して、厚顔無恥こうがんむちを決め込むわけにはいけないけれど、それ以外の表現方法は自由でもいい気がした。大体、人類皆々恐ろしいほどの統一性を持っていたら、クローン人間のように面白味がないだろう。


 時に、『常識と個性のある人』がタイプだと宣言する女子をよく聞くが、その点には僕は異を唱えたい。一般常識のラインはいまだに薄ぼんやりとしているのではなかろうか。人間だれしも違った“常識”を誇示しているものであり、それを“個性”と呼ぶのだろうと――。


 常識は幻想のように実態がなく、そして誰しもがその線引き作業に翻弄される。


 それにしても――、と僕は沙夜を一瞥いちべつした。こんな授業を受けてしまえば、僕が前に彼女にくだした、『沙夜は常識を知らない』という評価を改めざるを得ない。きっと、彼女は彼女なりに持っているのだろう。“憑きものなりの常識”を――。


「タイムアップ。本日の講義はここまででス。お疲れ様でしタ」


 チャイムが鳴るのと、沙夜が描いていた落書きが完成したタイミングがほぼ同じだった。マリア先生の合図で、充実した英語の授業が終わる。その途端、人気者な外国人英語教師の周りに人だかりができた。


『できましたーっ!!』


 机の端に目をやれば、沙夜が満悦とした表情をしている。彼女の手によって描かれた落書きは、体型が二等身で、顔面は醜くゆがんでいた。インド象の顔をした異星人かと思った。生気のない眼で僕の方を凝視している。


 それは誰だ?

 僕でないことだけを祈ろう。

 いや、さすがに僕のはずがない。新手の憑きものか?

 僕を見てこれを書いたと言うならば、敬意もくそもないだろう。

 もし、沙夜がこれを僕だと言うならば、僕は彼女を突き飛ばす。


 沙夜は、顔を上げてご機嫌そうな顔を僕に向ける。


『見てくださいっ!! ご主人様の似顔……ひゃうっ!』


 僕は次の体育の授業に備えるべく、沙夜を突き飛ばしながらロッカーへと向かった。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 七限目、体育。


 当然のことだが、男子と女子は別々の場所で着替えをおこなう。先ほどまでたくさんの人がいた教室も、今やむさくるしい男だけの空間と化してしまった。男子は教室。女子は更衣室。制服から薄っぺらい体操着に着替えている間、その当たり前のしきたりについて泰誠が熱弁を奮っていた。


「おかしいと思わないか! なぜ我々男子生徒は、教室で着替えることを、さも当然のように強要されているんだ!」


「そりゃ、まぁ、一理あるな。でもいいだろ、めんどくさくないし」


 僕がおざなりに答えると、泰誠は余計に奮起し、僕に向けて言った。


「あっちゃんよ。君に素敵な言葉を授けよう……。『女子おなご居ぬ、教室内に、精気なし』だ! 男子は女子がいる前でこそはしゃぎたがるが、いなくなった時は手を抜いて会話しているという意味だ。男子同士で会話しても、いまいち盛り上がらない。そりゃ盛り上げたがる人間がいないからな」


 また、適当なことばかり言っている。


「だから、女子思う故に俺あり! いっそのこと同じ場所で着替えてしまえばいい! そうすれば、男子としても女子としても俺としても都合がいいだろう!」


「それは暴論だ。お前はよくても向こうが嫌がるだろ。単純にお前がそうしたいだけじゃないのか? 性欲の権化ごんげめ」


「いやいや、勘違いするな。俺は女子と同じ場所で着替えたいわけじゃない。あくまでも、対等な関係になりたいと言っているだけだ! それに、女子更衣室はあれだけ防衛されているのに、男子が着替える教室には窓ガラス一枚しかないじゃないか! おかしい、実におかしい!」


「男子は、別に見られて困るようなことがないからじゃないのか?」


 確かに男は女性に貞操観念を掲げるように申立てするが、自分たちのことを棚に上げる場合が多い。事実、沙夜という少女が教室内にいるのにもかかわらず、僕はなにも羞恥心を抱かずに着替えを進めている。


 泰誠は納得したような、していないような、曖昧な顔で物思いにふけっていた。エリートは考えることが違うらしい。


『ふむふむ、確かに不思議極まりないですね~』


 ちなみに沙夜はこの時、どうして男女が別々の場所で着替える必要性があるのだろう、と真剣に首を捻っていた。時おり、泰誠の意見に激しく頷き、同調したりもしていた。やはり、似た者同士。


『あ……!』


 そんな泰誠のくだらない雑談を聞き流している時、僕は大きな問題に行き当たった。


『まずいな。沙夜。体育の授業の五〇分間だけ、どっかで待っててくれないか。半憑依は解除する』


『ええ! なぜですっ! なんでですっ! なぜにですかっ!』


『うるさいよ! 耳元で騒ぐなって! なんでもだよ』


 なぜなら今日の授業はグラウンドでの陸上競技。半憑依はんひょうい状態では、僕の影が彼女のものになってしまう。


 盲点だった。登校中や教室内ではなんとかごまかしが利くかもしれないが、グラウンドのど真ん中で異質な影が浮かび上がってしまっては、ばれてしまうに違いない。とにかく僕は周りの生徒から変な目で見られたくなかった。それを危惧しての発言だ。外に視線を投げれば、本日の陽光はこれでもか、というぐらいに照っている。


『で、ですが、できるかぎり、一緒にいたいのですが……』


 沙夜は眉を垂らして、行き場の失った迷子のように、体操着の裾を指先でつかんで離さない。こうなってしまえば、非常に面倒くさいことこの上ないのだが、頼られている気を起こし、悪くない気持ちにもなった。


 実をいうと、妹が海外留学し始めたころから、僕は誰かに頼られることに飢えていた。しかし、それはそれ、これはこれ、だ。半憑依状態のままグラウンドに出るわけにはいかないし、もし怪訝に思われた時は沙夜を影から追い出さねばならない。外で姿を出すのは、彼女にとっても望ましいことではないだろう。


『お前の気もわかるが、このぐらい我慢してくれよ。校内探検でもしてればいいだろ』


 僕はそれだけの言葉を述べ、沙夜を教室に残してさっさと他の生徒たちと共にグラウンドへ向かった。沙夜はきっと僕の後姿を睨んでいるだろうから、振り返ることはやめておこう。


 ――――――


 寒空の下へ放り出された僕らを待っていたのは、過酷と呼べるほどの長距離走だった。1500メートルもこれから走るのか、と考えるだけで頭が痛くなる。


 それだけならまだしも僕らの高校では準備運動がてら校庭を三周、ランニングさせられる。これから長距離のタイムを計るというのに、だ。


 ランニングを開始して、ふと何気なく右隣を向けば、ただえさえ寒いのに半袖半ズボンで駆けるバカがいた。クラスに一人は見かけるような大バカな奴だ。よく見たら泰誠だった。こいつはどこまでも……。


 ペースを乱さぬように、その姿勢のまま今度は左方に目をやった。そして、僕は思わず立ち止まっていた。なぜなら、視界に変わった生物が映り込んでいたからだ。


 ――犬。


 校門から少し入った所に犬がいた。黒い中型犬である。犬に詳しくないので種類まではわからないが、遠目から見てもわかるほど毛並みの良い犬だった。さらに、興味深い点が他にもあった。まるで、刺しゅうがほどこされたように所々、猩猩緋しょうじょうひ色に染まっていたのだ。その犬は、主人の帰りを待つ忠犬ようにじっとしている。


 変わった犬だな、と思いながら僕は周囲のクラスメイトを見渡した。犬が校内に迷い込んだ場合、たいてい、有名人を歓迎するように騒ぎ立てるものだ。中学の時にそんな事例が一度あったが、授業を中断してしまうほどの大騒ぎとなった。


 しかし、さすがは高校生といったところだろうか。僕のクラスメイトである彼らは、憮然ぶぜんとした面持ちを保ったまま、真摯しんしな態度で校庭を駆け巡っていた。誰一人としてざわつくことがない。ランニングをサボって雑談している生徒の口の端にあの犬の話題が上らないし、目を向けることすらなかった。そこで僕の頭にある予感がちらついた。


 ランニングを終えて、教師から本日の課題についての説明を受けている最中、僕が遠く前方に目を凝らしていることを泰誠は不思議に思ったようで、僕の耳元でささやいた。男のくせにきめ細かい彼の素肌は粟立っていた。ジャージを着ていないので寒いのだろう。


「あっちゃん。どうかしたか? あんな所にブルマ女子はいないぞ?」


「ブルマ女子はもはや伝説の生き物だろ? そんなことよりも、あの犬……ほら黒いの」


 とある予感を確かめるべく泰誠に僕は尋ねた。


「犬? なんも見えないぜ?」


 泰誠は痛ましいほどの重度な変態だが、顔と知能と運動神経と目“だけは”いい。根本が腐敗しているだけだ。


 そんなことはさておくとして、両目共に視力2.0をキープしている泰誠のひとみには、あの犬は映っていないらしい。最も、そんなことだろうとは、ランニングを終えて、息を整えている時には予感していた。


 やはり、“見えていない”のだ。


 僕にだけ見える黒い犬。普通の犬と同類項であり、同一視できない存在。

そうか、あれも“憑きもの”なんだな。


 沙夜の話を聞いていなかったら、僕はきっと悩まされながら長距離のタイムを計っていたことだろう。気を取られて悲惨な記録を残していたに違いない。そう思うと、沙夜と出会えてよかった、などとガラにもなく思ってしまう。ここ最近、安らいだ心情を持って過ごしていられるのも、人ならざるものが“憑きもの”というカテゴリーに分類可能になったからといえよう。


 不思議そうに遠方へ目を向ける泰誠に、僕は言った。


「あはは、冗談だよ」

「なんだそりゃ? 幻覚に犬が見えるなんてどうかしてるぜ。まぁ、俺レベルが本気を出せば、視界に女子を移すことは造作もないが」

「それは病院に言った方がいい」


 僕が変な言動をしたことを、泰誠は気にも留めていないようすだった。それはそうだ。僕は平素の生活では、“憑きもの筋”ではなく“ただの学生”を偽っているのだから。


 ――というのも、僕はこれまで生きてきて、不思議なものが見えることを誰にも明かさなかった。泰誠にも、他のクラスメイトにも、京子さんにも、武史さんにも――。


いや、正直に言えば、たった一人にだけ告げたことはあった。けれど、おそらく信じていないし、聞く耳を持たなかったことだろう、きっと、覚えてすらないはずだ。


 僕がこの秘密を明かさない理由というのも、子供のころ、僕は極端に口数が少ない子供だった。両親が死んでしまったことによるショックだと、親戚にささやかれていたことも子供ながらに気が付いていた。だから、言う契機を逸してしまったのだろう。


 それと、周りに避けられないために、言うべきことではないと本能的に感じていたという理由もある。そっちの方が都合はいいし、なにより斉藤家に面倒事を持ち込まなくて済む。ついてもいい嘘もあると思う。今思えば、その時の判断が、僕の未来を決定づけていたのかもしれない。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 体育が終わり、くたくたになった身体に鞭を打つかのごとく、冷え切った教室で着替えている最中、僕はクラスメイトから何度目かの注目を浴びることになった。


「わぁッ!!」


 僕が突然、珍妙ちんみょうな声をとどろかせながら、大きく身体をのけぞらせたからだ。


 その理由は、沙夜がいつの間にか隣にたたずんでいたからだった。あくまでもパンツ一丁の姿を見られて動揺したわけではなく、急に現れたことに驚いた、ということは念を押してでも言っておこう。


 佇む少女の姿は、初めて出会った時以上に幽霊みたいだった。


 僕が発した驚嘆の声で、一瞬は凍てついたように固まったクラスメイトの顔に色合いが戻っていく。前席にいる例の眼鏡をかけたクラスメイトが快活に絡んできた。快活に接してきてくれるのはいいのだが、空気が読めない彼の対応は時々始末が悪い。


「どしたん、あっちゃん? 財布でも落としたか?」


「い、いや、なんでもない。急に声を張り上げて悪かったよ」


「なんか、ずっと変だぜ? あ、恋煩こいわずらいか、恋煩いだろ?」


 内心、うざったいと思う。


「あ、いや、ははは」


 乾いた笑い声で受け答えし、僕は着替えを再開した。学生ズボンのベルトに手を掛けながら、僕は沙夜のようすをちらりとうかがう。それと同時に、どこか浮き立つ気分にさせられた。ずっと一緒にいるのは嫌だったけれど、正直、いないならいないで寂しく感じていたのだ。


 唇がほころびるのを耐えつつ、僕は“思い”を沙夜にかける。


『たく、声ぐらいかけろよな。面白いものでも見つけたか?』


 と僕が尋ねると、沙夜は小刻みに震えながら、短辺的に呟いた。


『いえ…………別に……』


 その“思い”はなにかに取り憑かれたかのように暗く、明らかに、テンションが沈んでいた。とにかく顔色が優れていなく、まるで、よくできた西洋人形のように表情に動きがない。突然生まれた疑念に、僕は眉をひそめた。


『なんかあったのか?』


 僕が異変について尋ねると、彼女は、はっとしたような顔をして、次の瞬間には、普段通りの顔色と声色を装っていた。


『な……なんでもありませんよ~! ご心配してくださらなくても結構です!』


 そのようにぴしゃりと言い切った彼女だけれど、僕の目には無理しているようにしか見えない。着替えを続けながら沙夜の顔をうかがった時、彼女は冷や汗を額に浮かばせながら、こちらに向けてはにかんだ。見ていて痛々しくて仕方なかった。


 結果から先に言ってしまえば、僕が感じた異変は確かにあった。いや、凶兆というべきかもしれない。そんな不安をなぞるように、沙夜が妙な発言をしたのは翌日のことだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ