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小娘つきにつきまして!  作者: 甘味処
序幕 邂逅の噺
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#4 見えているもの

 差しこんだ夕暮れの陽が僕の部屋を茜色に染めあげる。そんな部屋の中で向かい合って座る僕ら二人。一人は、先刻、自分のことを憑きものであると表明した小娘憑き沙夜さよ。そしてもう一人は、僕こと藤堂敦彦とうどうあつひこ。どうしてだか共に正座だ。


 とりあえず少女を薄っぺらい座布団の上に座らせて、僕はカーペットに腰を下ろした。数分前に暖房を入れたので、奥歯がガチガチと震えるのは寒いからという理由ではなさそうだ。正直に言おう、僕は現在、とてつもなく緊張している。女の子と二人きりの空間。しかも相手は見ず知らずの美少女だ。緊張せずにはいられない。


 露出度が高い服装を見て、寒くないのだろうか、と変な心配をしながら僕は少女からそっと目をそらした。緊張をごまかすように少女の頭上三センチの虚空を眺める。


 ごくん、知らず知らずに唾を呑み込んでしまった。先ほどからずっとこんな調子の自分が情けない。


 十分な間を置いてから、先に口を切ったのは沙夜だった。


「あなたは不思議に思ったことがあるはずです。どうして自分には不可解なものが見えるのだろうか、と」


「ああ、毎日のように思うよ、不気味で仕方がない」


「そうですよね。では、あなたはそれをなんだと思います?」


 なんだと思う、か。僕が幼い時から見えている他の人には見えないもの。その正体。当然――。


「そりゃ、霊か妖怪だと思っている。それ以外に考えられないだろ」


 僕が思ったままに答えると、沙夜は人を小ばかにするように肩をすくめた。基本的につつましい少女だが、時折あざけるような仕草をする。それは少女の性根が腐っているとかそういったわけではなく、悪気なく無意識でやっていることなのだろう。


 沙夜は両手を重ねて作ったばってんを突きつけながら、僕の発言を否定した。


「いいえ、あなたに見えているものは、幽霊や妖怪ではありません。全て“憑きものという生き物”なのです。いいですか? この世に不思議なことなんてないのです。あなたの目に映るもの、それだけが真実なんですよ、はい」


 異質な生き物である沙夜は、自らそう断言した。


「それだけが真実だ、なんてドヤ顔で言われたって……。大体、憑きものってのは、幽霊や妖怪とどう違うんだよ? 同じようなものじゃないのか?」


 僕は自分が放った言葉を頭の中で繰り返して、首を縦に振ってみせた。間違ったことは言っていないつもりだ。確かに人間は人ならざるもののことを、幽霊だとか、妖怪だとか、化け物だとか、様々な名で呼びたがる。確証などないのにもかかわらず、そのように命名するのだ。その理由は恐れを和らげるためだったり、研究結果に基づいてだったり、はたまた面白半分だったりするのだろう。


 一般の人だったならば怪奇現象の謎めいた恐怖を無理やり理解しようと、幽霊、妖怪を信じているのだと僕は思う。科学で説明できない隙間を“非科学”という便利な言葉で埋めるわけだ。要するに、人間は理路整然りろせいぜんとした話が好きなわけである。


 しかし、利口ぶるつもりはないけれど僕の場合は違う。己の目で見えているから、だからこそ、今まで霊という存在を信じ続けてきたのだ。


 沙夜は僕の返答を受けて、とんでもない、という顔をした。


「えー? ぜんぜん違いますよ! 憑きものはもっと高尚な生物です! 一緒にするなんて言語道断ごんごどうだんですよ!?」


 色々とバチが当たりそうな言い回しだ。


「いや、幽霊どうこう以前に僕はいまいちわからない。憑きものってものは日常からかけ離れ過ぎだ」


 僕が漠然とした疑問を提出すると、沙夜は補足説明をしてくれた。


「日常でもよく憑きものという言葉は使われていますよ。ほら、幸運が巡ってきた時に、“ツキ”があるとか、"ツ”いている、とかいうじゃないですか? あれって、幸運をもたらす憑きものが人間に憑依ひょういしている状態を言うんです。きって字は、あなたが先ほどおっしゃったとおり、憑依ひょういの憑です」


「――ということはなんだ? “小娘憑き”であるお前に取り憑かれている僕の身にも幸運が――」


 そんなことを言いたかったのか? 本日の試験の結果から見て、あまり期待はできなさそうだけれど。


 僕が言葉を全て言い終える前に、やや不機嫌そうになった沙夜は、両手をぶんぶんと振り回しながら僕に反発した。


「だ~か~ら~!! 話を最後まで聞いてくださいってば! そういう意味ではないんです! 基本的に憑きものというのは、取り憑いた人間に“幸運をもたらす”のではありません。“不運をもたらす”のです。憑くという言葉が必ずしも良い意味だとは限りません、はい」


 必ずしも幸運をもたらすわけでもなければ、必ずしも不運をもたらすわけでもない。


 それは、矛盾した発言ではないのだけれど、曖昧あいまいとし過ぎている。


「なら、結局、僕はどっちなんだ? 悪害を受ける側なのか、幸福を得る側なのか」


 そのように尋ねると、少女は得意げに、ふっふん、と鼻を鳴らした後、返答した。


「それは、“憑きものの使い方次第”です。何度も言わせてもらいますけど、あなたは私に取り憑かれている、というわけではないのですよ。もちろん、これからあなたに取り憑くつもりもありません」


 そんなことを言われると、余計にわからないことが増えてしまう。


「ん、んん? だったらお前はどうして僕に付きまとうんだよ?」


 すると、沙夜は肩を震わせて少しだけ動揺した素振りを見せた。その後すぐ隠そうと笑顔で取り繕うのだが、僕はその一瞬の表情の変化を見逃さなかった。


 ――といえども、深くまで追及したりはしない。とりあえず沙夜の話を全て聞くことにした。


「そうですねー。その訳を説明するには、少しだけ回り道をしなければなりません」


 回り道のところで語調を強める沙夜。指で宙に直線を描き、曲線でなぞる。三日月を描くような動作をして、沙夜は続けて述べる。


「あなたもご存じの通り、世の中の到る所に“憑きもの”という生物がいます。有名なものでいうと、狐憑きや悪魔憑きといったものがあります。それはご存知ですか?」


 狐憑き。なにかの本で読んだことがある。僕は読んだままに答えてみせた。


「え、ああ、悪魔憑きについてはいまいちわからないけど、狐憑きってのは知っている。人が狐の霊に取り憑かれた場合に陥る症状のことだろう? 取り憑かれた人間は、錯乱状態を起こしたり、時々『コン』って鳴いたりするみたいな? わりと有名な話だ」


「あ、はい。霊、というのは少しばかりはき違えていますが、大体はその通りです。憑きものはその他にもさまざまな種類が存在しています。狐憑き、鬼憑き、女神憑き、そして、私こと“小娘憑き”の沙夜もそれらと同類項の存在なんですよ」


 つまりは、○○憑きというように、憑きの前に姿を形容するような主語が付くということだろう。例えば、憑きものの姿が猫だったのならば猫憑き。犬だったのならば犬憑き。小娘だったらば小娘憑き――。


 理解に苦しむ点も多々見られたが、そういうものなのだろうと、僕は無理やりに納得した。


 それと同時にぼんやりとだが、少女の素性がわかってきた気がする。


「ああ、にわかには信じられないけど、お前が言いたいことはおおよそ察した」


「えへへ、理解が早くて助かります。じゃ、次に、“憑きものすじ”と呼ばれる人間のことはご存知ですか? 憑きものに筋肉の筋と書いて“憑きもの筋”です」


 僕は知らなかったので、素直に答えることにする。無知を白状する時、また罵倒されるのではないかと、少々身構えた。


「憑きもの筋? 聞いたこともないな」


 僕が端的に言葉を吐き出すと、沙夜はバカにする素振りを見せることなく、説明を添えてくれた。憑きもの筋なんて単語は、知らなくても無理のない言葉なのだろうか。


「憑きもの筋とは、莫大ばくだいな妖力を持つ家系の通称です。一般人と違って彼らには憑きものという存在を視覚で認識することができます」


 少女の言葉を受け止めて僕はようやく気が付いた。途端に僕は青ざめる。回りくどい話をした意味は、このことを僕にわかりやすく伝えるためだったのだろう。


「ちょ、ちょっと待って! “憑きもの筋にしか憑きものは見えない”って、ということは、ひょっとして、僕は――」


「そうです。あなたは、あなたの家系は、“憑きもの筋”なんです。あなたに見えているものは憑きもので、あなたには“憑きものを使役する権利”があるわけです、はい」


 動揺を隠すことはできなかったが、あまり驚くこともしなかった。


「な、なるほどな。そうか、憑きもの筋か……」


「あれ? あまり驚かないんですね、意外です」


「あぁ、まぁな」


 元々、意味のわからない存在が見える奇怪な人間、というのが今までの僕の立ち位置だ。それを憑きものが見える憑きもの筋だ、と言いかえられたところで大差がないのである。憑きものなど意味のわからない存在であるわけだし、憑きもの筋といわれても奇怪な人という点では、なんら変わりない。


「それよりも使役する権利とはどういう意味だ?」


「ではでは、続けさせていただきます。私たち憑きものは食事をせずとも生きていけますが、食事の代わりに妖力を摂取しなければ生きていけません」


「妖力?」


「妖力っていうのは、人間が所持している、内に秘めた力のことです、はい。ほとんどの人間が所持しているけれど、妖力が弱い人、皆無な人、もいるんです。そんな人たちの周りにいては、憑きものは三日も経たないうちに絶命してしまいます。そこで私たち憑きものは妖力をたくさん持った人間、いわゆる憑きもの筋の元で暮らし、妖力を供給してもらうんです。そして、私たち憑きものは妖力を供給していただく代わりに、憑きもの筋のいうことに従う。――というのが憑きものである私たちの暗黙の取り決めとなっています。イソギンチャクとクマノミのような関係ですね、はい」


 沙夜は途切れ途切れになりながらも、それだけの言葉を一挙に並べあげると、ふぅと一息ついた。


 生物学で言うところの共存共栄というやつだろう。自然界で行われている生きていくためのすべ。別種の動物それぞれが利益を生み出すために助け合うのだ。


 中学の時にそんなことに興味を持ったことがあったっけ。しかし、人間にはそういった相手などいないものだと思っていた。人間同士で助け合ったり、救い合ったりすることはあっても、他の生物に対しては一方的な扱いだ。


 沙夜の話を真に受けるならば、どうやら、人間にも共生という関係がなかったわけではないらしい。知られていなかっただけだ、と一人で納得させられた。


 そのまま沙夜の言葉に耳を傾ける。


「つまり、憑きもの筋と憑きものは主従関係にあるわけですね。憑きものを使役することで得られる利益もまちまちで、たとえば、憑きもの筋の方が望んだ人に厄災を与えたり、幸福を与えたりすることができます。あくまでも他人に限って――ですが」


「んん~~~~~…………」


 ここで僕は頭を大きく捻りながら、今までの話を頭の中で要約した。


 憑きものは生きていくために憑きもの筋という人から妖力をもらい、その代わりに憑きものは憑きもの筋の要望のままに力を尽くす。


「あ、そういうことか、それがさっきお前が言った『憑きものの使い方次第』という言葉の意味だな」


 僕はそこでいったん言葉を区切り、一呼吸ついた後、発言を続けた。


「……んじゃ、憑きものというのは、本当に幽霊や妖怪ではないんだな?」


「はい、違います。憑きものは生物の一種です。人間、犬、猫、鳥、それらと何一つ変わらない存在です」


「幽霊でも妖怪でもない。と」


「ええっと、霊という存在については率直に断言させていただきますが、そもそも“そんなものは存在しない”と私は考えています、はい。怪奇現象があるから霊や妖怪が存在するわけですよね? 世に起こる怪奇現象の全ては“憑きものという生物の仕業”なんですよ? そう考えると、霊なんて存在が入る余地がないじゃないですか」


「…………はぁ。やはり分からない。というか納得ができない」


 奇々怪々な沙夜という憑きものは、あくまでも霊という存在を否定したいようだった。妙に理詰めな少女は、物わかりの悪い僕を見て呆れたように眉を垂らした。


「世の中に怪奇現象という言葉があります。心霊写真、ポルターガイスト、金縛り、等々。一見、科学では説明できないような不可解な現象も、憑きもののせいにしてしまえば全て筋が通ります。たとえば、現代の怪談話には、『皿屋敷』や『ろくろ首』や『耳なし芳一ほういち』などとありますが、あれって憑きものの仕業なんですよ? 特別なことなんてなにもありません。憑きものは普通に生活しているだけです。ただ、一般人に見えないと言うだけで、これだけの混乱をまねくことになるんですね」


「な、ばかな! そんなことって――」


 まるで今まで信じてきた常識がくつがえされた気分だ。それだけに到底受け付けられる話ではない。僕が頭の中の整理を行う前に、沙夜は続きの言葉を発する。


「それだけではございません。民話、童話に登場する物語も実話の場合が多いのです。『桃太郎』は“憑きもの筋の少年”が、“犬憑き”、“猿憑き”、“雉憑き”を使役して“鬼憑き”を退治した実話にもとづいて作られていますし、『白雪姫』も“憑きもの筋の王子”が“女神憑きの白雪姫”を助けたという話が元なんです。――ってなんでそんな白い眼で見るんですかっ!! まだ信じられないというのなら、もっと実例を出しましょうっ!」


「い、いや結構だ。なんとなくわかった」


 ほとんど理解していなかったが、僕は彼女の言葉を右手で止めた。


 どうやら、桃太郎は憑きもの筋で、白雪姫は女神憑きだったらしい。つまり沙夜はこのように言いたいのだ。奇怪な現象が起きるから、僕たち人間は霊や妖怪の存在を生み出した。奇怪な現象が憑きものの仕業だと置き換えれば、自然と霊や妖怪の存在を否定する答えが出てくる。


 だけれど、全てを憑きものの仕業にされてしまっては、ロマンもなにもありはしないだろう。しかし、僕だけにずっと見えていた怪異、目の前の少女の存在、世の中の不可解な現象、全てを事実として認めるのならば、これほど整然せいぜんとした話はないようにも思える。


 いい加減“憑きもの”の存在を認めるべきなのだろうか? なにより認めることにより、今まで僕のひとみに映っていた曖昧な存在を、“憑きもの”というカテゴリーに分類することが可能になる。


 なにが怖かったって、正体がわからないから怖かった。僕の目に映る非科学な怪奇。それは幽霊なのか、妖怪なのか、悪魔なのか、天使なのか、化け物なのか、神様なのか、はたまた――人間なのか。その正体を憑きものだと特定すること、それは僕にとって、とても安心できることなのだ。これからは夜道を恐れなくてすむかもしれない。


「で――」


 一方的に話を聞いていた僕は、ここで核心に触れることにした。


「――ごまかされる前に聞いておくけど、お前は結局“なにをしに”僕の元へ来たんだ? 取り憑くためではないんだろ? まがい物を用意してしまったという痛恨の手違いがあったにせよ、試験の解答用紙という取引き材料まで持って、なんで僕の元にきたんだ。取引きとはなんだ?」


 ここで少女の身体がピクリと震えた。やはりこの話題になると動揺が隠し切れなくなる。よっぽど言いにくいことなのだろうか?


「ええ、っと。それは、ですね。ひじょ~~~~に申しあげにくい、の、ですが」


 やたらもじもじしたまま、少女は両手全ての指をぱっと突き立てた。今まで剽軽ひょうきんともいえる態度だった沙夜の顔に、真剣みが帯び始める。突如として緊迫した空気が部屋に張りつめた。


 ドラマで見たことがある。取引きの時、手の平を相手に向けて指を突き立てるという行為。それは金額を指している場合がほとんどだ。


 ――だとすれば、十? 十円……なわけないか、千、一万。十万。それとも寿命か? 十年、百年……千…………。


 いや、どちらにせよバカげている!

 どうして僕が取引きに応じなければならないんだ!

 大体、解答用紙は全くの偽物だったわけであり、取引き自体が成立していないじゃないか!


 しかし、そんな僕の予想は大きく外れていたことを知る。


 次の瞬間に、その両手がなにを意味するのかが分かった。数を示しているものではなかったらしい。沙夜は広げた両手を折り畳み、そのまま背骨を曲げて、土下座するようにカーペットに額を当てつけた。そして叫ぶように声を発する。


「単刀直入に言いますっ!! 私をしばらくの間、あなたの元においてやってくださいっっっ!!!」


 それはもはや叫びというよりも悲鳴に近かった。


「えぇっ!!?」


 不意に彼女の口から零れた『おいてくれ』という言葉。僕はそれを冷静に分析する。憑きものの沙夜に、憑きもの筋である僕。今までの説明に、取引きというワード。つまり、この少女は僕に『あるじになってくれ』と懇願こんがんしているのだ。自分を使役してくれ――と。僕は勘が鈍いわけではない、今までの話の意味のほとんどを瞬時に理解した。そして、すぐさま両手を振った。


「むちゃむちゃっ! むりな要求だっ! 得体の知れないお前をそばに置くなんて……」


 と僕がこばんだ途端、少女の眉が情けなく垂れた。目がじわじわと潤んでいく。そして、噛むように唇が強く結ばれた。まるで、泣きべそかきだす寸前の小学生のようである。


「…………そう…………ですよね……」


 ここまで表情の変化が分かりやすい生き物を僕は初めて見た気がする。


 それにしても、と僕は一度溜息をついた。どこまで沙夜の話を信じればいいのかもわからない。色々な事柄について納得させられた、という点に関しては事実だったが、信じる要素も理由もない。危険だ。危険すぎる。


 やはり、断るべきだ。


 けれどさすがに、気味が悪いから、という理由で拒絶するのはかわいそうな気がする。そんな甘ったれた感情を抱いてしまうのは、この憑きものが愛嬌のある女の子の姿をしているからに違いない。


 ――逡巡しゅんじゅんした結果。こほん、と一度大げさに咳をして、僕は違う路線から沙夜の要求を拒むことにした。結局、答えは変わらない。


「第一、京子きょうこさんが――京子さんってのは、僕の母親代わりの人のことなんだけど――彼女が認めてくれるはずがない。オウムすらも飼わせてくれなかった頑固者だぞ」


「あなたのチョイスもどうかと思いますが……」


「それにな、京子さんは凄まじく勘がいいんだ。仮に秘密裏に“お前を飼おう”もんならすぐバレるに決まっている――――ん?」


 よくよく自分の発言を考え直して、僕は転げそうになるほど慌てた。


「――ってか僕はなにを言っているんだ! 思いっきり犯罪じゃん!? 発言が危ない! 危なすぎる!!」


 倫理に欠けた僕の発言の意味がわからないのか、それとも、そもそも憑きものとは、『飼う、飼われる』という表現に適しているのだろうか、僕が慌てふためいている間も、沙夜は不思議そうな面持ちできょとんと小首を傾げたままだった。つぶらな瞳で僕のことをじーっと見つめている。


 そんな時、階段の下から声が響いてきた。


「あっちゃん、なに騒いでるのよー?」


 うわ、京子さんだ。どうやら、僕が寝ている間に京子さんが帰宅していたらしい。僕はざっと部屋に視線を巡らせて慌ててしまう。親がいない時間帯を狙って部屋に女の子を連れ込む、そんな現状を見られてしまったらまずい、というか恥ずかしい。物わかりのいい京子さんならば、なにも言わないことを知っていたから、だからこそ、事実を隠したかった。


 ベッド上に敷かれているかけ布団をふんだくり、沙夜の全身を覆うようにかぶせた。


「ひゃ、なにするんですかぁ!!」


「静かに、してろ……。――な、なんでもありません!」


「あらそう? また、捨て猫とか拾ってきたのかと思ったけど、鳴き声も足音も聞こえないし、そんなこともなさそうね」


 京子さんは家で生き物を飼うことを嫌う。武史たけしさんから聞いた話では、少女時代に飼っていた犬が死んでしまった時にトラウマを植え付けられたらしい。もう二度と生き物を飼わないと心に誓ったという。


 僕は耳を澄まして、数秒経っても階段をのぼる音が聞こえてこないことを確認した。つまり、京子さんが僕の部屋まで様子を見に来るという事態は避けられたのだ。ふぅ~、と大きなため息を吐き出した。


 親指でドアを指して小声になって断言する。


「ほらな、無茶に決まっている」


 しばらくの間、沙夜は覆われた布団の中で苦しそうにうごめいていたが、次第に大人しくなり、最終的には、むしろ安らいだ顔になった。


「えへへ、そのことなら、だいじょーぶですよー。私は確かに見た目は女の子です。ですけど~、姿は普通の人間には見えませんから。私の声も聞こえないです。それに――」


 そこまで言うと、少女の姿が地面に沈んでいった。僕の影が少女のものに変わり、少女の“声”が再び“思い”となって僕の頭に響く。


『――このように影の中に潜むことだってできるんですよ?』


「といってもな、エサ代……ごほっごほっ! 食費とか色々あるだろ。問題は山積みだ。やっぱり無理だな」


 そっぽを向きながら僕が愛想ない言葉を掛けると、目前に少女がにゅっと現れた。人差し指を立てて、得意満面の顔で言う。


「そこらへんも悪しからず、です。私が食べるのはあなたの妖力なのです、はい。まあ、正確に言えば、妖力がある人間の近くにいないと死んでしまうってだけなのですが。だから、食糧なんていりません」


「う、ううん……」


 次々に出した要件を難なくクリアしていく沙夜。うかつだったかもしれない。こういう状況に立たされてしまえば、断りづらくなってしまうものだ。まずい、まずすぎる。すっかり土俵際に立たされていたことに、僕は今更ながら気が付いた。


 掛け布団を身にまとったまま、駄目押しするように沙夜は身を乗り出して、身体をぴたりと密着させる。とにかく顔が近い。唇の感触が蘇り心臓がはね出そうになる。


「だからこそあなたに頼んでいるんです! こんな条件の良い物件、どこを探しても他にないんです!」


「物件、って……」


 僕が言葉をはさむ前に、二の矢三の矢と、沙夜の口から言葉がとび出してくる。


「正直あなたに会うまで飢え死に寸前でした! どうか私を救ってください!」


 真剣な目で、涙目で、憂いを帯びた目で、必死な目で、円らな目で、なにかを期待した目で――。懇願する少女を前に、僕はしばしの間、目を泳がせることしかできなかった。


 一緒に暮らすことなんて、沙夜の話を信じることなんて、できるわけがない。――しかし、ここで断りきれないのが僕という人間だ。言葉を濁しながら僕はこう言った。


「まあ、とりあえず、少しの間なら、……ほーんの少しの間なら、うちにいても……いいぞ」


 ――――完敗だった。


 僕という人間は、人を信じないくせに押しに弱いのだ。


 先ほどまで不安そうな面持ちでいた少女の表情がパッと明るくなり、粛然しゅくぜんとしていた態度を一変させた。神に祈るようなポーズで手の平を組んで頬を赤く染めた。


「あはっ! ではお言葉に甘えてっ!」

「お、おい! あんまり暴れるなよ!」


 楽しげに僕の部屋をはしゃぎまわり、ベッド上へ身体を弾ませた。そのまま寝ころびながら足をバタつかせる。スカートの隙間から見える、少女のなまめかしい太ももが僕の決断を鈍らせた。


「いぃ!? ちょっと待て、影の中で生活できるんだろっ!? 影にいてくれよ、そこは、頼むから!」


 僕にどれだけの理性が働こうとも、異性を部屋に置いた状況で何日も過ごしてしまえば、よこしまな心を抱いてしまわないとは限らない。それに沙夜は見た目とてもかわいい、それは事実だ。とにかく僕には平常心を保っていられる自信がなかった。なさすぎた。なので――


「やっぱり……」


 ――優柔不断な僕が断りの言葉を口にしようとすると、無邪気な少女には僕の声など届いていないようで、沙夜は笑顔のまま僕の手を握った。思いのほか温かい体温に触れて、僕は二の句が継げなくなる。沙夜は首を少し傾げて、言葉を発した。



「これから先よろしくお願いします! ご主人様っ♪」



「ご……しゅ……じん、さま?」



 敦彦、あっちゃん、あーちゃん。


 それが僕を呼ぶ名のバリエーション全てだ。僕は今まで安易な呼ばれ方しかされないで生きてきた。それはもう、自分でも安直だと思ってしまうほどに。


 ご主人様。


 この新しい呼び名によって胸が大いに高鳴ってしまう。


 少しだけ、今後の生活が楽しみになった。


 そんな心中を無理に隠すことは――


「ま、いっか……」


 ――しなくてもいいと思う。


 そんなこんなで『憑きもの筋』である僕こと藤堂敦彦とうどうあつひこ、『小娘憑き』の沙夜との摩訶不思議な共同生活、いや、共体生活が始まろうとしていた。


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