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小娘つきにつきまして!  作者: 甘味処
終幕 愛情の噺
22/23

#21 守護の道《タオ》

間に合いました。


 ――数十分前。教室。


 中途半端に薄暗い教室では思うように夜目が働かなかった。だからといって、電灯を点けるわけにもいかない。マリア・フランクリンに居場所を教えるだけだ。


 ちなみに、今現在といえば、目覚めたばかりの沙夜さよに仮説を述べ終えたところだった。例の口移しで行うタオの仮説だ。


「こ、こんなのバカげています」


 息を吹き返した沙夜は、見るからにふくれっ面をしていた。それはそうだ。せっかくの覚悟を、僕が無下にしてしまったのだから――。


「ご主人様は愚か者です」


 と続く。沙夜は、怒るでも、悲しむでもなく、ただ拗ねるように僕から顔を逸らした。僕は、あやすでも、宥めるでもなく、ただ説得するような口調で言葉をかける。


「わかったから、その話は家に帰ってからゆっくりとしよう」

「な、なにもわかっていません! 私は、ここで……」

「犬神憑きは、マリア先生が憎しみを持った相手に攻撃するタオを持つ憑きものなんだっけ?」


 僕は沙夜の言葉をさえぎって続けざまに言った。


 教室に置かれた椅子に腰を掛け、沙夜と視線を合わせる。


「はい。そうです。犬神憑きというのは、ひじょーに忠誠心の強い憑きものです。それ故に、攻撃系のタオには、他の憑きものよりもずば抜けた殺傷能力があります。闘うつもりなら、無駄です。それが抜け道になるとは思えません。私を差し出して、あなたは……」


 またしても僕は、沙夜の言葉をさえぎって発言した。


「いいや、突破口にはなるはずだ」

「なるわけありません」

「犬神憑きのタオは、主が憎しみを持てば持つほど、効果が増大したりするのか?」

「そうですけど、それが、なにか?」

「逆に考えれば、マリア先生が僕らに殺意をなくした時、犬神憑きは僕たちに対して無力になる。違うか?」

「そうかも……しれませんけど……はい」

「そっか」


 それだけ知れれば、十分だった。僕は重たい腰を上げて、ひとつ深呼吸する。教室内に充満した冷気を思いきり取り込んでから、覚悟を決めた。


「沙夜、もう一度僕にチャンスをくれないか」

「チャンス、ですか?」


 沙夜は不審がるようにちらちらと僕と床を交互に見ながら、目をぱちくりとしばたたかせた。


「ああ、お前の心の整理はついているんだろう?」


 死を受け入れるための心の整理は――。


「……はい」

「でも、それじゃ、僕が納得できない」

「ずいぶんと自分勝手じゃないですか……」

「そうだ、僕は自分勝手だ」

「わ、割り切らないで、くださいよ……」


 僕は元々自分勝手な人間だ。それは昔から変わっていない。けれど、人のために身勝手になるのは、初めてのことだった。


「大体、お前は間違っている。罪ってのは、死を受けいれればいいってもんじゃないだろ」


 僕は自分本位の考えをさも正しいと主張した。ほとほと自分勝手であると思う。


「だったら……どうしたらいいんですか……? どうやって償えばいいんですか……?」


 しゃがんだままだった沙夜が、そっと立ち上がった。まるで、幼い子供が、わからないことを尋ねる時のような、ひどく情けない顔をしている。


 ――『私がしてきたこと、ひょっとして、……間違っていたのでしょうか?』


 あの日の顔が頭に思い浮かぶ。その時の表情とよく似ていた。


「どうしたら……いいんですか……」


 そんな沙夜に、僕は一言だけ言い返した。


「生きろ」


 この言葉を吐き出す時、結構、緊張した。それは自分の願望であり、適切な判断ではないのかもしれない――と。ここで、またしてもばっさり拒絶されてしまえば、今度こそどうにもならない気がした。だからこんなにも、握るこぶしから汗がにじみ出ているのだろう。


 沙夜は虚を突かれたような顔で困惑して、思い悩むように頭を抱えてしまった。うなだれて苦しそうなうめき声を漏らす。


「あ……うう」

「とりあえず、生きろ。どうするのかは、その後、ゆっくり考えよう。今度はふたりで――」

「そ……それは……承服しかねます」

「だからチャンスをくれと言っているんだ。僕が無事に、逃げることができたら、その時は、考えを改めてくれないか。いや、時間をくれるだけでいい」

「無理です。そんなこと、できるわけがありません」

「いや、やる。僕にひとつアイディアがある。犬神憑きと闘うんじゃなくて、彼女を――」


 そして、僕らは、“マリア・フランクリンを説得する手段”を選んだ。もちろん、目的は戦闘を避けるわけでもあるし、“マリアの憎しみをやわらげ、犬神憑きの戦力をそぎ取る”、という目的でもある。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「僕はあなたと闘いたくありません……」


 相対するマリア・フランクリンに向けて、心中をありのままに吐露する。口内は自分が思っていた以上に乾いていたらしく、しわがれた声しか発することができなかった。もちろん闘う術を持たない僕らが、そんなことを言ったところで、彼女が意志を曲げるとは、到底、思えない。


 マリアは、淡々と言葉を発する。


「無駄よ、ここで始末させてもらうわ。その子は危険なの」


 危険――。その言葉が、僕には沙夜に似つかわしくのない言葉に聞こえてしまう。欲目とかではなくて、心の底からそう感じた。


「そんなことない。沙夜は自分の意志で、人に危害を加えるような憑きものじゃない」


 感情をできるだけ制御し、平坦な口調を意識した僕だったが、気を抜けば、感情的になって言い返してしまう。


「大津製薬が急激的な成長を遂げたことを聞いて、あたしは確信していた。憑きものの仕業なんだって」

「だからなんだって言うんだ……」

「本当は、話が大事に至る前に、その子を殺すつもりだったの……。でも、不甲斐ないことに、止められなかった……。あの若林って男、その子をビルから出そうとしなかったのよ。使役する時は護衛を付けて……といった具合に、よほど用心深かったわ」

「その若林は死んだ。だったら、もう、沙夜を殺す理由はないじゃないか」


 それが詭弁であることは自分でわかっていた。若林が死んだところで、沙夜がしてきた罪が払拭されるわけではないのだ。それはマリアだってわかっていることなのだろう。だから、彼女も深くまで問い続けることはせず、闘う姿勢を見せるように、ぐっとこぶしを握ったのだ。


「もしかして、あたしたちと闘うつもり? やめておきなさい。生兵法なまびょうほうは怪我のもとよ。大人しく観念なさい」

「嫌だ。沙夜は渡さない」

「その子のせいで……、どれだけ世の中が狂わされたと思ってるの。どれだけの人が路頭に迷うハメになったと思ってるの……。どれだけの人が……」


 それだけまくし立てた後、彼女は目を瞑った。そのようすは、被害を浴びて死んでいった人たちに向けて、黙祷しているようにも見えた。


「死んだと思っているのよッ!」


 まるで常識知らずの子供に親が説教するような、戦争を知らない子供にその残酷さを教え諭すような、そんな声音だった。マリアが見せる、憎々しげな表情は作り物か。


 ――多分違う。彼女も悩んでいるに違いない。


「エゴもほどほどになさい」


 僕は確かに憑きものに関して、無知で愚かだ。だけど、吐き捨てるように並べられた彼女の言葉が、無性に苛立った。


 どうして、沙夜だけに責任を押し付けるんだ。


 どうして、沙夜が死ななくてはならないんだ。


 湧きあがったこの義憤は誰にぶつけるべきか。いや、誰にぶつけるでもない、湧きあがる怒りを地面に広げるように、僕はぶちまけた。


「エゴはどっちだよッ!! 沙夜は憑きものとして、主の命令に従っただけだろッ! 若林が沙夜の意志とは無関係に利用しただけだろッ! 憑きものとして間違ったことだとは思わないッ!」


 マリアはバカにするように鼻を鳴らした。きっと、今までそんな問答は幾度となく繰り返されてきたのだろう。それに、この湧いてくる感情は、マリアに向けての怒りではないのかもしれない。


「沙夜を勝手に使ってじゃないか! 身勝手もいいところだッ! 沙夜は悪くないッ!」


 頭の中で反芻はんすうする。そうだ、悪いはずがない。悪い憑きものは殺す。こんな常識ルールの方が間違っている。命の重みとか、僕にはよくわからないけど、人と憑きもの。どちらに害があるから、どちらに害がないから、そんな表面上の理由だけで、殺していい命などない。僕は、人を殺すドラゴンも、ドラゴンを殺す人間も、嫌いだ。


「あくまでも、憑きものの肩を持つというのね……。憑きものにほだされるようじゃいけないわ」

「違う、僕は自分の意思で判断しているんだ」

「割り切りなさい。憑きものは、人に厄災を与えるためならなんでもするの。人だって殺せるのよ」


 そこでマリアは、一度押し黙った。逡巡した結果、ようやく言葉を紡ぎだす。その微妙に生まれた間から、彼女がなにを言おうとしているのか、なんとなく察した。


「あなたの両親だって憑きものに殺された、といっても過言ではないのよ」


 憑きものに向けての怒りを誘う挑発だ、ということはわかったが、頭の中が反射的に憤ってしまう。またしても虚妄な発想が繰り広げられて、頭の考えを乱し、脳細胞が破壊されていくような気分にさせられた。


「憑きものの世界っていうのはね、憑きもの殺しという職業も平気でまかり通るような世界なの。天網恢恢てんもうかいかいにして漏らさず、っていうじゃない。悪党はそれなりの処罰を受けるべき。その子も同様にね」


 確かに、両親を殺した憑きものは憎い。だけど――。


 ――もういい。うんざりだ。そんな小難しい話は聞き飽きた。そっち側の勝手な理屈なんて僕は知らない。どう考えたって納得することができないのならば、僕は、目で見た物だけを判断したい。僕は見た。彼女の様々な表情を――。


「そんなこと……ないだろ。僕は見たんだ、聞いたんだよ。本当に危険な憑きものが自分が犯した罪の意識で泣くのかよッ!」


 ――『これが、本当の優しさなんだって……』


「僕のことを思って泣いてくれるのかよッ!」


 ――『やっぱり、ご主人様は変わっています、愚かです……』


「沙夜は人の汚い性質を知らなかったんだ。なのに、主に心を許していたんだ。信じていたんだ。それだけ、健気な憑きものなんだ。それでも、沙夜のことを悪党だと呼べるのかよッ!」


 沙夜の様々な表情が頭をよぎる。笑顔、泣き顔、したり顔、情けない顔。そして、それらが頭に浮かぶたびに、殺されていいはずがない、と強く明確な意思が湧きあがる。


「確かに僕はなにも知らなかった。憑きものの事情ルールなんて何一つ知らないさ。でも、沙夜のことはよく知っているつもりだ」

「知っているって……。なにを知っているって言うの? 高々、一週間ぽっちの関係でしょ?」

「そうだよ。高々一週間の関係だよ。でもな、この憑きものは――、沙夜は――、人の心を変えられる。それってさ、凄いことだと思わないか……?」

「その子だけを特別視? だったら、あなたの両親を殺した憑きもののことも許せる?」

「……許せるわけが、ないだろ」


 そうだ、許せるわけがない。


「まるで酔っ払いの寝言ね、話にならないわ」

「許せない。――だけどさ……。たとえば、僕がその憑きものを前にしたとしても、どれだけ憎しみが湧いたとしても、その憑きものを殺していいとは考えないと思うんだ」

「理想よ。それは」

「それに僕は、沙夜を使役して悪事を企まない。それを約束する。だからさ、沙夜のことは見逃してくれないかな……。なぁ。それでいいだろ……。それじゃダメなのかよ……!」


 ここまでくると、もう、説得というよりも、懇願している気分でしかなかった。


「あなたのような子供を見ると腹が立ってしかたがないわ……。どうして……」


 マリアは言葉を詰まらせ、渋面を地面に向ける。





「どうして“あなたが泣いてる”のよッ!」





 ――泣いている?


 言葉を聞き取った僕は、瞬時に後ろで構える沙夜の顔をうかがった。


 涙もろい憑きものが、また悲しんでいるのかと、また泣き出しそうなのかと――。


 だとすれば、僕はまたなぐさめてやるつもりだった――。


 しかし、予想に反して沙夜は泣いてなどいなかった。僕の方を心配げに見つめている。


 なにをお前が心配することがある。大丈夫だから、お前は絶対に僕が――。


 言葉を掛けようと唇を開けた時――。




 “自分の頬に伝っている涙”に気が付いた。




 どうして――。


 思わず僕は、この危機的状況のさなかに空を仰いでいた。


 この感情はなんだ。この涙はなんだ。


 なにがなんだかわからなくなった。気が付いてからは、ますます溢れ流れ、呼吸がしにくくなるほど涙が止まらなくなった。何滴か地面に零れたが、すぐに乾いた地面が吸収していく。


 僕は、涙の意味を自分なりに解釈した。この涙は絶望からじゃない。ただ、ひたすらに、やりきれなかった。理由が明確にならない悲しみ。矛先が虚空に向けられた怒り。さまざまな理由で生み出され、意味を失った涙が、ただ溢れて零れているにすぎない。


 怒りや悲しみに似た激情が、僕の涙腺を刺激する。


「危険……」


 そんな時、マリアが呟くようにぽつりと言った。すると、犬神憑きが僕らに向けて、禍禍まがまがしい色をした波動を口の中で練り込み始める。


「あなたは危険だわ……。さすが、藤堂家の血を継いでいるだけのことはあるわね……。今ならば、あなたの両親を殺害した、あの組織の気持ちがよくわかるわ……」


 それと同時に、英語教師は能面となった。彼女の顔から表情が消えたのだ。仮面を被ったような顔、というよりも、すべてをはぎ取ったような顔をしている。


 うれいも怒りも、悲しみも、哀れみも、全てはぎ取った、そんな顔。その表情がなにを意味しているのかは、容易に知れた。“人が人を殺そうとする時”、たいていの人間はこんな表情をするんだろうか、と僕は思案した。


「莫大な妖力を持って生まれ、そして、憑きものにそれだけの情を移す……。あなたの方が危険のようだわ……」


 矛先を向ける相手が変わったのだろう。変動していく状況が他人事のように感じられた。マリアは化け物を見るような目で、僕に視線をやる。


 そんな中、沙夜が一歩前に踏み出して、激しくまくし立てた。


「な、なにを言っているんですか! 悪いのは私であって、ご主人様は関係ありません!」

「さっきも言った通りで、あたしはあたしの意思ルールで動いているのよ。結果、危険と判断した。危険性のあるものは全て殺す」


 ――僕が怯えを成すことはない。もう、これっぽっちもない。むしろ安心したぐらいだ。沙夜が無事ならば、僕の身体などどうなってもいい。そんなことさえ、思ってしまった。


 おかしな話だ。ついこの間までは、憑きもののことなど、どうでもいいと思っていたはずだったのに。他人のことを信用しなかったはずなのに――。


 きっと、どれもこれも沙夜のせいだ。沙夜は僕を信じてくれたのだ。命を懸けて護ろうとしてくれたのだ。だから、僕も命を懸けてでも護りたくなる。今、抱いでいるこの気持ちに、理由なんていらないだろう。嘘偽りなく固められた決意に、言い訳などいらないだろう。


「やりたければやれよ」


 僕は他人に無頓着な性格だ。


「そのかわり、沙夜には指一本手を出すな……」


 いざとなった時には、優柔不断になって物事を決定できない。人よりも自分のことを優先して考えるタイプの人間だ。


 でも、凄いんだよ、そんな僕が、自分よりも大切だと思えることができたんだ。


「ふ、ふざけないで、ください……!」


 沙夜の声が震えている。無慈悲な殺戮をも甘んじて受け入れた彼女の声が、かすれている。


「あずき、やりなさい……! 跡形もなく……!」


 獣が鳴く声と同時に、僕の視界は濃霧に包まれたように真っ白に、それでいて、火炎のような熱が取り巻いた、と思った時だった。


 頭痛が走った。犬神憑きの攻撃により生み出された薄い光によって、沙夜の実像と僕の影が結ばれ、半憑依状態になったからだ。


 続いて、彼女の、沙夜の姿が、僕の視界に映った。視野の端っこから現れた彼女は、庇うように僕の目前に立っている。おぞましいほど強大な邪気を前にして、僕を護るべく大きく腕を広げる小さな背中が、余計に小さく見えた。


 いや、させてはならない。これ以上、沙夜を危険な目に遭わせたくない。


 僕は懸命に叫んだ。


「ダメだッ! 沙夜ッ!」


 その時――。






『護りたい……』





 聞こえてきたのは、沙夜の“思い”だった。


「……沙夜?」


 しかし、沙夜は僕の方を見てすらいない。視線と意識は、完全に犬神憑きの放った攻撃へ向けられていた。一時はこの世に未練をなくした彼女だったが、今の沙夜からは、ほとばしるほどの生気を感じる。


 確かに聞こえた。聞こえ続ける。沙夜の胸からあふれ出した“思い”が――。彼女は僕の身代わりになろうとしているわけではない。自分に任せれば大丈夫だ、と小さな背中は、威風堂々とした態度で語っている。そんな感情が“思い”となって全て僕に伝わった。


『護りたい』


 そして、それを主である僕が無視するわけにはいかない。


『護りたい』


 僕は服の裾で涙をぬぐい、相対する憑きもの落としに視線を投げた。どうしてだか、沙夜の“思い”が聞こえるたびに幸福を感じ、自然と笑みがこぼれる。


『護りたい』


 ――ああ、わかっているさ。お前は僕を護れ、そして、僕がお前を護る。


 これは、自己犠牲ではない。

 きっと、他力本願でもない。


 そっと沙夜の背中に両手を添えると、頭の中をまさぐられるようないやらしさと、潰されるような痛みが広がった。


「うわぁああああああああ!!」


 痛い、破裂しそうなほど痛い、痛い。痛い、痛い。


 それでも――、僕は――。


 途端、目の前に大きな壁が現れた。

 閃光の瞬きに導かれるように、激しい轟音が鳴った。


 攻撃を耐えるように歯を食いしばっていたが、痛みはなかった。

 沙夜も無傷のまま、目の前で両手を広げている。


「あ……れ?」


 なにが起こったのかわからずに、僕はしばらくの間、呆気にとられていた。


 マリアが情けをかけて、攻撃を外したのかと思った。だが、そういうわけではないらしい。驚くべきことに、突発的に現れた光の壁が、渦を巻いて放たれた犬神憑きの一撃をかき消したのだ。グラウンドの砂が巻き上がる。


 光の壁を前にして、屈服するかのように地面に沈んでいく犬神憑きの攻撃、紫色の靄の影から、憑きもの殺しの目元が見えた。彼女は目をいて驚いている。


「ちょっと、待ちなさいよ……」


 薄笑いを湛えながら、マリアが冗談めかしく言った。


「あ、ありえないわ。なんで、なんで、あなたが守護系統のタオを扱えるのよッ!」


 おぞましいほどに迫力のある問いかけだった。だが、発している言葉の意味が僕にはわからない。


「これは、ますます厄介ね……。藤堂家の妖力に守護系統のタオ。そんなコンビがいたら、始末に負えない。なによりも――」


 勝手に納得して、勝手に言葉を吐き出す憑きもの殺しは、間を置いてから、沙夜の方を見た。まるで化け物を見るような目を沙夜へ向けている。


「――あ、あなたは何者なの? 情報系統の憑きものが、守護の力を扱うことなんてできないわ」


 僕の方へ目を向ける。


「それに、どうしてあなたが守護のタオを使えるのよ……。もし、仮に、瞬時に計算しておこなっているとなれば、大変なことよ……。どんなトリックを使ったの……?」


 と聞かれたわけだが、残念ながら身に覚えがないので答えようがない。大体、僕は数学の成績は下の下の下であり、決められた公式を使うだけでもしどろもどろしているのに、わけのわからない憑きものの攻撃を瞬時に計算――なんて、器用なことができるはずがない。それはマリアも知っているはずだ。だからこそ、彼女がそれだけ驚いているのかもしれない。


 そんな時、沙夜が僕の方へ顔を向けた。そして、どうしてだか、ぺこりと頭を下げた。


「ご主人様。申し訳ございません。私はまた、嘘をついていました。どうやらこれが、私の本当の力のようです。大変なことが発覚してしまいました、はい」


 困ったように眉をひそめて、そんなことを僕に言う。彼女自身、口を真四角に開いて驚き、顔を引きつらせていた。


「私も、前のご主人様も、誤認されていました。私を情報系統の憑きものである、と。ですが、どうやら、守護系統の憑きものだったみたいなんです」


 沙夜はドジを踏んでしまった子供のように、やるせなく笑っている。僕には、言っている意味がまるでわからないが、血液型を誤解して育ってきたようなものなのだろうか、と自分のわかる言葉で納得しておくことにした。


 マリアがもの凄まじい剣幕でまくし立ててくる。


「答えなさい! どういうことなの! なぜ、守護系のタオが……」

「私は……」


 沙夜が息を呑んだ。静寂が降りおちる。このグラウンドに存在する全員が、沙夜の続きの言葉に注目しているようだった。ざわめく木の音も、舞い上がった砂が擦れる音も、全て消えたような気がした。


「私は、犬神憑きの平均的な攻撃力と、あなたの妖力を演算して、その分の妖力を防御の結界として注いだ“だけ”です」


 僕は沙夜がなにを言っているのかわからなかった。あまりに簡単そうに言うので、大したことのないことなのか、と思えたが、驚嘆の声を上げるマリアのリアクションを見て、それがただならぬことなのだろうと、察した。


「演算……? バ、バカ言っちゃいけないわッ! 守護のタオの計算は、憑きものがするもんじゃないでしょッ!」


「はい、そうかもしれません。でも――」


 僕の方へ顔を向けて、


「私のご主人様は愚か者ですので」


 沙夜が笑う。


「主が計算してその分の妖力を憑きものに注ぎ込む、それが通常のタオ。そして防御の結界の場合、注ぎ込む時の妖力は、攻撃量より多くてもダメ、少なくてもダメ。絶妙なバランスでなければ、自爆するだけなの。それを瞬間的に演算したというわけ……? それは、ありえないわ」


 専門的な言葉を発しながら、マリアは考え込む素振りを見せた。


「可能性があるとすれば、犬神憑きという、憑きもののステータスを把握……いえ、そんなわけ……。この子に攻撃したのは、今日が初めてだもの……」


 自問自答を繰り返した末、マリアはうろたえたような挙動で顔を上げる。


「あなた……、まさか、全ての憑きものの能力値を記憶しているとでも言うの……?」


「はい。全てかどうかは存じかねますが、大体の憑きものの能力値は把握してます。とある著書に載っていたものを、私は暗記しているのです、はい」


「あ……」


 広辞苑よりも厚い本を沙夜が持っていたことを思いだした。


「あの本……」


 僕はあまりにも場違いな、間の抜けた声を発していた。


「犬神憑きのデータを元に、守護のタオを……?」


「はい。こんなこと、私にとっては、“常識の範囲内”です」





 ああ、これが“憑きもの”の――。

 ――“沙夜の常識”だ。




「……大体、話が違うんじゃないかしら。あなたは自分の罪を認めて、ここで死ぬんじゃなかったの?」


 マリアがやや苛立ったような声色で言った。約束を反古ほごにされて、頭にきているのだろう。


「はい、死ぬつもりでした」


 対する沙夜は淡泊に言った。あまりにもあっさりとした物言いだから、僕は噴き出しそうになった。


「でも――」


 ぐっと、沙夜が息を呑む音が聞こえる。


「――あなたは先ほど、このようにおっしゃいました。ご主人様が危険なので、殺す――と。だとすれば、話が大きく変わってきます。私は罪を償い、ここで命を絶つ心づもりでした。そうすべきだと思っていたんです。ですが――」


 ふ、と溜め息を吐くようにして、小さく息を継ぐ。沙夜の胸が上下した。


「わがままな話かもしれませんが、ご主人様を護るために、私は生きたくなりました」


 僕のために生きるだと、なにを勝手なことを――と、普段ならば、顰蹙ひんしゅくを買うはずの沙夜の大口も、この状況においては、頼もしく、大胆不敵で、力強く、そして、素直に嬉しく感じた。


「……私はもう、逃げません。罪だとか……、償いだとか……。愛だとか……、恋だとか……。全て背負って生きたいと思います」


 沙夜は僕の方へ顔を向けて。ゆっくりと頷きながら微笑んだ。


「……えへへ、これも間違っていますか?」


 恋や愛は、背負うものでない気がしたが、まるで逆流した涙がのどに引っ掛かったように、声が出なかった。無言のまま僕は、首をただ横に振る。


「莫大な妖力を誇る藤堂家の人間に、賢明な守護系の憑きもの。これは、最強の盾と言ったところか……」


 マリアが不意に腕を振り上げ、振り下ろした。犬神憑きの口から、情け容赦ない攻撃が飛び出てきた。


「えええええっ!」


 なので、油断していた僕は驚き、腰を抜かしそうになったが……、


「ご主人様。私の背中に手を添えてください!」

「わ、わかった!」


 沙夜の冷静な指示により僕は我に返った。言われるままに従って、沙夜の背中に両手をあてた。すると、今度は光が壁にはならず、沙夜の小さなこぶしにまとわりついた。


 沙夜は犬神憑きの攻撃を、光がまとったこぶしで、大した力を込めずに叩き、かき消していく。その度に、ガラスが割れるような音が鳴った。


「……全く、口づけで起死回生だなんて、ロマンチックだわ」


 マリアは、振り上げた手を、いずれ降ろしていった。


 四、五発ほど放った攻撃は、沙夜のタオがどれほどのものか、確認しただけなようだった。攻撃を終えるとすぐ、あほらし、と憎々しげに言葉を結んだ。続けて、ざっと、足の位置を取り直したので、犬神憑きに指示を出すのかと思いきや、


「下がるわよ、あずき」


 と言った。


「え……?」


 犬神憑き自身、主人の対応に「え?」と声を上げるように、マリアの顔を見やっている。


「帰るのよ。かったるいから」

「見逃して……くれるのか?」


「見逃すわけがないわ。単純な話、何度やっても答えは目に見えてわかるのよ。あなたの妖力とあたしの妖力じゃ雲泥の差があるし、勝てないとわかっている闘いに、妖力を使うのも――」


 あほらしいし、と今度は割と軽快な口調で言った。


「ただし、言っておくけど、もし、変な行動を見せたら、その時はあなたたちの関係を無理にでも引き裂くから。あたし一人で無理なら、多人数で襲う。ゲスびた手段を使ってでも殺す。覚悟しておくことね」


 憎悪に満ちたような発言だ。


「それと憑きもの殺しは、あたしたちだけじゃない。きっと、あなたたちの関係を、こころよく思わない人が大勢いるはずよ。それでも、あなたはその憑きものと一緒にいるの?」


 今度は僕の方へ視線が投げられた。僕は頷く。


「人と憑きもの、バカらしすぎて面白いじゃないの。その絆の強さ。どこまで、通用するのかしら。覚悟はあるのね?」


 今度は声に出して答えてみせた。


「はい……、マリアさん」


 すると、マリアが、ふっと笑った――ような気がした。


「ノンノン。あたしの本名は大榎悠子おおえのゆうこヨ。マリアは偽名なノ」


 そのおどけた言葉で、僕の身体は力が抜けるように崩れ落ちた。全身の力が抜け、冷たい地面の上にしゃがみこんでしまう。今襲われれば、造作なく殺されることだろう。けれど、マリア・フランクリン、もとい、大榎悠子は僕に背中を向けて、校舎の方へと歩いていく。


 取り残された僕と沙夜は、確認し合うようにお互いの顔を見やり、口をそろえて言った。


「「に、日本人………………?」」



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 僕らは学校からの帰り道をとぼとぼと歩いて帰った。


 少々、暗くなってしまったが、いつもの帰り道となんら変わらない道をただ歩く。俯いて歩く男子生徒を傍から見れば、さぞや寂しい光景に見えるだろうな、とぼんやり思いながら、後ろを振り返り、沙夜のようすを確認した。沙夜は影に入ることなく、僕の後ろを数歩遅れて歩いている。疲れからか、顔色が優れていない。


 淡い電灯の光によって後方へうっそりと伸びた僕の影が、沙夜の身体と僕の身体をぎりぎり繋げていた。半憑依状態でいられるように、僕はふと立ち止まって、沙夜を待った。ぼんやりと、月を見上げる。


 ここで溜め息をひとつ。できれば、二度と会いたくないのだが、学校に通う限り、マリア・フランクリンと毎週顔を合わせなくてはならない。今後の月曜日はより一層、億劫だ。などと、くだらない思考をよぎらせていた。


 その瞬間――。


 僕らの間に言葉はなかったはずだ。


 ただ、一言、


 たった、一言。










『大好きです……』








 そんな“思い”が、頭の中で響いた気がした。



 ………………。


 …………。


 ……。



 僕は、無言のまま、歩を再開した。


 今のは、気のせいだったのかもしれない。実際に聞こえたという確信はないし、仮に事実だったとしても、沙夜は否定するに違いない。そしてまた僕のことを罵倒するのだろう。勘違いを生んで言い争いになるのもバカらしいので、罵詈雑言に耐性がない僕は、聞かなかったことにした。


「早く帰ろう。京子さんが心配している」

「……はい」


 それと同時に、胸に眠る沙夜への“思い”を、届かないようにそっとかき消した。


 自分でも信じられないくらいに、顔が熱くなったことも、悟られないようにして――。




次回『小娘憑きにつきまして』最終話 ⇒ 12/31

   後日談的なのをそっと添えて物語を終わらせたいと思います。

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